労働組合はなぜ社会主義政党を支持するか
●政党支持自由論の誤りを衝く
*労働組合の政党支持問題に関して社会主義協会が発行したパンフレット。この問題は、二十世紀七十年代前半におこなわれた社会主義協会と日本共産党との論争の代表的論点の一つであった。出典は1973年増補改訂版。なおこの版では、問いの部分はゴシック体だが、転載にあたっては通常の字体とした。
V 『赤旗』の荒堀広論文−−その批判と紹介
批判と紹介その1/「特定政党支持」義務づけの誤りを合理化する反共主義に反論する―「社会主義協会」のパンフレットについて
第一章 労働組合の経済闘争と政治闘争の関係
問−労働組合の政党支持の問題か、労働組合の政治闘争との関連で議論されていますが、本来、労働組合は労働者階級の経済闘争の組織であるといわれています。そこでまず最初に、労働組合の経済闘争とは、どういうことかということからお答えください。
答−結論から先にいいますと、経済闘争とは「労働者の状態を改善するために、個々の資本家または資本家グループにたいしておこなう闘争」(レーニン全集、第四巻、二二六頁)であり、闘争の内容からいえば、主として、労働者の労働条件を維持改善する闘争ということができます。
ですから、いま総評や各単産がたたかっている具体的な例でいえば、反合理化闘争、賃金闘争(春闘)、権利闘争、時間短縮闘争などがそうです.なかでも、反合理化闘争は、日常的に労働諸条件や諸権利を守り、改善し、職場を基礎として団結をうちかためていくための、今日におけるもっとも重要な経済闘争であることはいうまでもありません。
いうまでもなく、資本主義社会における生産の特徴は、資本家階級が、最大限の利潤を追求(獲得)するためにおこなわれる生産である、という点にあります。利潤の源泉は、労働者階級がつくりだす剰余価値です。いいかえれば、労働の果実を搾取したものにほかなりません。資本家階級が内外の資本家相互のはげしい競争にうちかって、生きのび発展していくためには、労働者にたいする搾取を強化し、利潤を最大限に搾りあげるよりほかに方法がありません。
こうして、資本家階級が労働者を搾取し、利潤をふやす方法は、たとえば、@賃金を労働力の価値以下に切り下げる、A賃金は一定にしたままで労働時間を延長する、Bさまざまなやり方で労働(密度)を強化する、などですが、このようにして資本家が利潤追求に狂奔すればするほど、労働者には、低賃金、長時間労働、労働強化、諸権利のじゅうりん、職業病・労働災害、などが必然的におしつけられることになります。
さらに、資本家はほかの資本家をだしぬいて莫大な超過利潤を手に入れるために、血まなこになって生産諸条件の改善にとりくみます。技術革新・機械導入によって、内外の他の資本家にくらべてはるかに低いコストで生産できれば、それだけ追加的利潤を獲得し、市場競争力を強化することができるからです。これがまた、労働者にたいして、労働強化や労働時間延長という搾取強化のテコとして利用されるばかりでなく、ろこつに首切り・失業を必然的におしつけることになります。資本家階級はさらに、こうした資本主義的な機械化・合理化の必然的産物である失業・半失業者を、現役労働者の低賃金維持のために活用しようとします。
これが、もっとも集中的にあらわれるのが、資本主義経済を、かならず、そして周期的におそう恐慌・不況のときです。今回の“円切上げ・不況”下のわが国の状況がしめしているとおりです。資本主義のもとで、過剰生産・恐慌がかならずくりかえし生ずるのも、資本主義的生産が一握りの資本家による利潤追求のためにもっぱらおこなわれているためです。資本家は、もうかる見込みがあればおたがいに競って、生産を無茶苦茶に増大しようとします。こうして、生産力は、利潤をめあてにいわば独走する傾向をもっていますが、他方、社会の有効需要(購買力)のほぼ半分を占める賃金の方は、不断に押さえられる傾向にあります。この矛盾は、かならず、そして周期的に爆発せざるをえません。資本主義のもとで、本来は社会の主人公である労働者が資本家によって首を切られ、大量失業を強いられているのはこのためです。
このように、資本主義のもとで、労働者は必然的に低賃金、労働強化、失業などの状態においこまれます。しかし、そうであるかぎり、労働者のこれにたいする抵抗がおこるのもまた必然的であり、とうぜんです。ですから、労働組合は、資本家の搾取にたいして、労働者が団結して、みずからの労働諸条件をまもり改善する抵抗の組織としてつくったのです。この意味では、労働組合はもともと経済闘争の組織として、うまるべくしてうまれた、ということができます。
また、資本主義下の労働組合が、このように資本家の搾取に抵抗するために労働者が団結した組織である以上、それはとうぜんに、資本家階級にたいする労働者階級の階級闘争の組織であるといえます。
問−それでは、もともと経済闘争の組織としてうまれた労働組合が、なぜ政治闘争までたたかわなければならないのですか。また、経済闘争と政治闘争とはどこがどうちがうのですか。
答−これに答えるまえに、ぜひふれておかなければならないことがあります。
それは、労働組合の経済闘争にしろ政治闘争にしろ、資本家階級(今日では、とくに独占資本)にたいする階級闘争の主たる二つの側面だということです。このことは、今日、労働組合がたたかわなければならない課題は、政治的課題にしろ経済的課題にしろ、そのいっさいの根源が、いつにして独占資本による搾取と、その階級利益を代表する政府・自民党による政治支配にあるかぎり、まったくとうぜんのことです。このもっともかんじんな点が欠落すると、経済闘争と政治闘争、あるいは両者の関連についてのとらえ方が、まったく形式的で、誤った、いわゆる機能論へ陥りかねないからです。
経済闘争が、いつの時代でも労働組合にとって基本的なたたかいであることは、すでにふれたことからしてもあきらかです。しかし、経済闘争の中心的なたたかいの一つである賃金闘争も、反独占階級闘争の一つであることが忘れられると、賃上げとひきかえに(バーター)合理化を承認したり、もっとすすんで、賃上げの前提として合理化・生産性向上に積極的に協力することになりかねません。じっさい、同盟やIMF・JCなどの一部幹部の考え方、とりくみ方がそのとおりになっていることは、あえて指摘するまでもありません。また、これまでは経済闘争すらほんとうにたたかうことはできないこともいうまでもありません。その意味で、労働組合の経済闘争も政治闘争も、反独占階級闘争の二つの面であることを、われわれはかたときも忘れてはなりません。
さてそこで、先の質問にもどりますが、労働組合がなぜ政治闘争をたたかわなければならないのか、という問いにたいする答えですが、それはある意味ではきわめてかんたんです。
労働組合は経済闘争だけたたかっていれば、それで労働者の生活と権利を守っていけるかどうか、自問してみてください。答えは否であることは、わかりきっているはずです。
たとえば、これまでの労働組合は、賃金をはじめとする固有の意味の労働諸条件だけでなく、物価、税金、公害、最低賃金制、医療・年金など社会保障にかんしても、まだまだきわめて不十分ながらたたかってきました。これらは、七三年春闘が“年金スト”をかかげたように、企業内要求のワクをこえた国民的課題を“生活闘争”という表現で、春闘共闘委員会に結集する全労働者がたたかっていることからもおわかりだと思います。
たしかに、この種の闘争は、平和や民主主義を守るたたかいに代表されるような典型的政治闘争ではありません。しかし、闘争の直接の相手が独占資本の政府であり、国家権力であるという点から、正確には政治闘争とみなければなりません。こんにち、経済闘争を土台としつつも、政治闘争を強化し、労働者の、正しい反資本主義の政治意識を成長させる必要からいっても、これを政治闘争として積極的に位置づけて不断に教宣し、たたかう必要があります。
すでにのべたように、これらの闘争は、たんに、ある企業、ある産業の労働者(労働組合)だけのだたかいで成果をあげうるというのではなく、全労働者階級の統一闘争として、さらにいえば、社会主義政党(社会党)の指導のもとで、労働者階級を中心とした勤労大衆の共同闘争の前進によってはじめて一定の成果をかちとることができます。
レーニンは、資本主義下の労働組合の政治闘争を、「人民の権利の拡大のために、すなわち民主主義のために、またプロレタリアートの政治権力の拡大のために政府にたいしおこなう闘争」(レーニン全集、第四巻、二二六頁)であるとのべています。
総評のもとに、われわれがこれまでたたかってきた講和条約反対闘争、破防法反対闘争、軍事基地反対闘争、反自衛隊闘争、原水禁運動、安保改定反対闘争、日韓条約反対闘争、原潜寄港阻止闘争、沖縄返還闘争、ベトナム反戦闘争、各種選挙闘争など、また、これらの諸闘争の基調としての憲法改悪反対闘争、さらに、安保廃棄闘争などは、まさにレーニンがいう典型的な政治闘争だということができます。
労働組合は、このように経済闘争と政治闘争をともにたたかうことによってはじめて、労働者の状態の改善をかちとっていくことができるのです。平和と民主主義を守ることは、われわれにとって、生活の大前提条件を守るということを意味します。したがって、労働者の生活と権利をまもり改善することを直接の任務とする労働組合にとって、平和や民主主義の問題はどうでもいい、あるいはそれは政党にまかせておけばことたりる、などというわけにはいかないはずです。平和を守り、民主主義を守り、そして賃金闘争をたたかい、反合理化闘争をたたかう、というのでなければ労働者の生活と権利を守り前進させることはできません。とりわけ、現代の資本主義を国家独占資本主義とよぶように、独占資本は国家権力をフルに動員して搾取を強化しています。それだけに、労働組合の政治闘争の重要性がきわめて大きくなっていることを銘記する必要があります。
問−労働組合は、経済闘争も政治闘争もともにたたかわなければならないことはわかりました。また、経済闘争と政治闘争の結合ということが叫ばれる理由もわかりました。ところで、それはどのようなむすびつきにおいて、たたかわれるべきなのですか。
答−まず第一に指摘しなければならないのは、経済闘争は政治闘争の土台であるということです。労働者にとって、もっとも身近な経済状態の改善のために、反合理化闘争や賃金闘争を目常的にたたかうことが土台にないならば、労働者が政治闘争の必要と意義を理解し、政治闘争をほんとうに積極的にたたかうことはできません。
もちろんこれは、“まず経済闘争で力をつけて、しかるのちに政治闘争をやろう”というような機械的二段階論ではありません。労働組合のたたかいは、じっさいには、経済闘争と政治闘争が相互にささえあいながら発展するとしても、その基礎は職場を土台とする日常的な労働諸条件と諸権利をまもり、改善するたたかいであるということです。レーニンもこういっています。
「勤労者大衆は、経済的要求なしには、自分たちの状態を直接、即座に改善することなしには、国の全般的な『進歩』を決して考えようとはしないであろう。大衆が、運動にひきいれられ、それに精力的に参加し、それを高く評価して、英雄的精神、自己犠牲、不屈さ、偉大な事業への献身を発揮するのは、働く者の経済状態が改善されるばあいにかぎる。……生活条件の改善をもとめてたたかううちに、労働者階級は、同時に、精神的にも知的にも、政治的にもたかめられ、その偉大な解放目的を実現する能力をたかめていくのである」(レーニン全集、第一八巻、七七〜八頁)と。
第二に指摘しなければならないことは、経済闘争は、ほんらい必然的に政治闘争に発展する内的契機をふくんでいるということです。
この意味では、経済闘争と政治闘争とは、一線で画された、まったくべつべつのものではなく、反独占の階級闘争という性格において、おたがいに弁証法的にむすびついているといえます。この点は、具体的なたたかいの事例で考えるといっそうあきらかです。たとえば、今日、公務員労働者が賃金闘争をストライキでたたかうとすれば、必然的にスト権奪還闘争と結合させなければなりませんし、春闘は、最低賃金法制定の要求をふくみ、さらに物価値上げ反対、大衆重税反対の要求をふくむたたかいへ、必然的に発展せざるをえません。また、職場における諸権利をまもるたたかいも、政府・独占資本によるなしくずし改憲に反対するたたかいへ、発展的にむすびつかざるをえないのです。
したがって、われわれはこうしたとらえ方にたって、たたかいの土台である経済闘争を政治課題と目的意識的に結合したたたかいとして日常的に追求し、そのなかで、労働者の階級的政治意識を日常不断にたかめるよう指導し、努力しなければなりません。
第三に指摘しなければならないことは、経済闘争と政治闘争を結合するということは、たんなるスローガンの並置ではないし、またそうであってはならないということです。
経済闘争と政治闘争とを結合してたたかうということは、その闘争を経済闘争として組織するとともに政治闘争として組織するということです。具体的にいえば、春闘を、大幅賃上げとベトナム戦争加担・安保条約反対のスローガンをかかげてストライキをやる、というばあい、それを賃金闘争として組織するとともにベトナム戦争反対・安保反対の闘争としてもほんとうに組織してたたかうということです。
そうだとすれば、ベトナム反戦・安保条約の破棄がなぜ必要であるかが、組合員によって、たんに理解されるばかりでなく、そのためにストライキでたたかわなければならない、というところまで決意されなければなりません。端的にいえば、ベトナム反戦・安保破棄だけでもストライキをうってたたかうというぐらいの組織化がおこなわれなければなりません。
こうしたたたかいは、もちろん、いっきょにできるものではなく、そのためには組合員にたいする日常不断の徹底的な政治的・経済的学習や教室(具体的たたかいと結合した)が不可欠です。労働者に低賃金・労働強化を強いるのも、安保条約を維持してベトナム戦争に加担し、軍国主義を復活させ、平和と民主主義をじゅうりんしているのも、すべて日本帝国主義の要求であり、また日本とアメリカの独占資本の共通した要求であることを徹底的にばくろすることが必要です。そして労働者が、賃金闘争も反安保闘争もともにストライキでたたかう必要があることを理解し、決意してたちあがる。そこに真の結合があるといわなければなりません。
第四に、政治的諸課題と「政治的信条」を機械的に分離して、労働組合は労働者の世界観や理念にかんする「政治的信条」については、ふれてはならないという観念論がありますが、これは労働者の政治的自覚をおしとどめる誤りです。政治的諸課題ととりくむなかから、労働者の世界観、理念が科学的社会主義となるよう努力するのは、とうぜんだからです。
マルクスは、“時々労働者が勝つことがあるが、ほんの一時的にすぎない。かれらの闘争の本当の成果は、その直接の成功ではなくして、労働者のますます拡がっていく団結である”(『共産党宣言』、岩波文庫版、五一頁)とのべています。
経済闘争と政治闘争を反独占階級闘争としてともにたたかわないかぎり、労働諸条件や権利も、平和と民主主義も、資本主義のもとでは一歩たりともほんとうに前進させることはできません。だが、同時に忘れてならないことは、資本主義というしくみそのものを最終的に一掃しないかぎり、労働者と勤労大衆の人間として真の解放、平和と民主主義の真の確立は不可能だということです。
それを実現するのは、労働者の階級的な団結と連帯、組織された力です。それはまた、経済闘争にしろ、政治闘争にしろ、“直接の成功”を最大限にかちとる日常的なたたかいをつうじて、労働者の階級意識、政治意識を不断にひきあげ、それにうらづけられた団結と連帯の前進があってはじめて可能です。
とくに今日、日本においては独占資本とその政府・自民党の支配を打倒し、労働者階級を中心とする反独占統一戦線の形成が現実的課題となっています。つまり労働組合の階級的統一による組織的な政治闘争こそが、統一戦線政府樹立への牽引力であるといえます。
このように労働組合のあらゆるたたかいが、統一戦線と社会主義を実現しうる団結と主体形成の一過程として、正しく、目的意識的にたたかわれるためには、労働組合と社会主義政党との緊密な支持・協力、社会主義政党による正しい指導とたたかいがなによりも不可欠です。