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批判と紹介その2再び「社会主義協会」の非難にこたえる
  『赤旗』(七二年一一月二三日付)の荒堀論文にたいするわれわれの反批判(日本共産党の独善的批判にこたえる−−本書所収)にたいして、氏は『赤旗』(七二年二一月八日付)紙上で再度の反論をおこなってきた。第一論文のおわりに、氏が総選挙のことを強調していることからもわかるように社会党を支持する総評労働者が果敢に選挙闘争をたたかっていることにたいする危機感から、急拠反論してきたものと思われるが、それだけに理論的に多くの矛盾を露呈しており、きわめて興味ぶかい。
 荒堀氏の「再び“社会主義協会”の非難にこたえる」(以下第二論文と略称)をつぎに検討しておきたい。
 第二論文の第二の主張は、「政治闘争と“特定政党支持”との混同」ということだが、そのなかで、たとえば、「しかし政治課題については、たとえ“政治的信条”がちがっても機関決定で行動を統一することができる」とおよそ彼らのこれまでの論理展開ではでてこないことをのべていることだけを指摘しておいて、あとはつぎの引用をみていただくことにしたい。
 論文はまず、政党支持、政治的信条の自由を主張する日本共産党にたいして「組合員の『政治的信条』にかかわる政治的な問題で機関決定をすることができないことになると、結局労働組合は何一つ政治闘争に機関で方針をきめてとりくめないことになる」、したがってそれは「政治的中立」どころか「政治闘争そのものの否定である」と非難する。 この議論の誤りは第一に、労働組合が積極的に政治闘争にとりくむかどうかの問題と、労働組合を特定の政党の支持団体化することが正しいかどうかという、まったく別個の二つの問題を混同していることである。第二に、わが党が世界観や理念にかんする問題として提起している「政治的信条」の問題と、政治的諸課題の問題とを混同していることである。 事実をみてみよう。「社会党一党支持」の義務づけをおこなっていない多くの自覚的な労働組合は、もっとも積極的に国民的政治課題である安保条約廃棄やベトナム侵略反対をかかげ、その実現の保障である民主勢力の統一戦線の結成のためにとりくんでいる。また組合員のなかには共産主義やあるいは社会民主主義を「政治的信条」にしている者もいれば、その他の「政治的信条」をもっている人びともいる。そして、組合員が、共産主義の理念や社会民主主義の理念を支持するようにさせるかどうかは、基本的にいって、共産党や社会党自身の活動いかんにかかわっている問題である。しかし政治課題については、たとえ政治的信条が違っても機関決定で行動を統一することができる。たとえば多くの労働組合がそうであるように、労働者個人の「政治的信条」が違っても安保条約廃棄という課題では機関決定によって行動を統一している。まさか論文の執筆者たちも、社会民主主義を「政治的信条」にしている者だけが安保条約廃棄をかかげているのだとはいえまい。 こうしてみると、かれらの論理が「社会党一党支持」の義務づけの誤りを合理化するための苦しい奇弁(ママ)であることは明白であろう。
第二論文のつぎの論点は、われわれの主張が、“選択の自由”をうばうものであるという珍奇なものである。自称前衛政党が、よくこれほどまでに、ブルジョア的な発想をとりうるものであると感心せざるをえない。
 つぎに論文は、「憲法」問題と関連して、「資本および資本家政府」を「支持しない自由」を確立することが「階級的」立場であり、「真の政党支持の『自由』を確立する唯一の道」であり、組合員の政党支持の自由を擁護することは「階級的立場の放棄」だと主張する。 これもまた「社会党一党支持」の義務づけを合理化する奇弁にしかすぎない。 いったい、「資本および資本家政府」やその代理である自民党を「支持しない自由」とは何党を支持するかしないかにかんする“選択”の自由ではないのか。 戦前、「資本および資本家政府」を「支持する自由」はあっても、共産党を公然と「支持する自由」はなかった。つまり結社の自由とともに何党を支持するかしないかという政党支持の自由、“選択”の自由が絶対主義的天皇制によって不当にもうばわれていたのである。 問題は、広範な労働者を階級的、政治的に高める条件として、この憲法に保障された思想、信条の自由、“選択”の自由を擁護することこそ真に階級的立場ではなかろうか。 われわれは問いたい。 共産党員やその支持者が、職場で資本の権利攻撃にたいして共産党を公然と支持する自由、思想、信条の自由をまもり拡大するために日夜、戦闘的にたたかっていることは、「ブルジョア憲法に規定されている形式的自由にすがりつく」「階級的立場の放棄」であり、逆に組合機関決定の名をもって組合員である共産党員やその支持者に「社会党一党支持」をおしつけ、事実上資本と同じように“選択”の自由をうばうことが「階級的」立場なのかと。
 つぎに第二論文がのべているのは、「レーニンの名をかたるペテン」だとか、「反共セクト主義だ」とかいう、日本共産党が戦前からもちつづけている唯一の伝統であるレッテルはり以外のなにものでもない。いくら総選挙中でご多忙だったとはいえ、われわれの反批判にたいして、もうすこしまともな反論をしてほしかった、とかえすがえすも残念でならない。以下、終わりまでお読みいただきたい。
 つぎに論文は、「たんなる『承認』をおいもとめる方法」(レーニン)と「機関で党の支持を決議」する方法とはイコールの関係だというのは「すりかえとこじつけ」であり「手前勝手なレーニンの利用」だと非難する。 しかし、機関決定による「社会党一党支持」の実態がレーニンの見地とまったく反していることは明らかである。 現に、社会党を支持もしていない組合員から社会党への献金を組合費として義務的に徴収したり、社会党への大量入党を機関決定したり、社会党候補者のための選挙活動に強制的に動員したり、組合の機関紙を社会党候補のための選挙宣伝紙にしたり、共産党員が共産党候補の勝利のために活動したという理由で統制処分にしたり、はては同盟顔まけの資本と一体になった“企業ぐるみ”選挙をしたりしているところもあるのが実態ではないか。 これがレーニンのいう政党と労働組合の「緊密な接近」を「唯一の正しい原則」とした実践の姿だとでも思っているのだろうか。労働組合は「政治的中立」であってはならないが、同時に「無党派的」なものだといったレーニンは、おそらく、地下でくしゃみをしているだろう。 以上のように論文は奇(ママ)弁のつみ重ねの上にたって、労働戦線の階級的統一を妨げる「最大の障害」は「特定政党支持」の義務づけではなく「労資協調の右翼的再編成」にあると主張する。 わが党も強調しているようにたしかに右翼的再編成を克服するたたかいは、労働戦線の階級的統一にとって重要な課題の一つである。 しかし、労働戦線統一の「最大の障害」が、総評は社会党一党支持、同盟は民社党一党支持というように「特定政党支持」の義務づけにあることはまったく議論の余地がない。なぜならそれは、「社会党一党支持」に固執している総評自身が、一方では労働戦線統一を問題にするとき、「特定政党支持」のわくをとりはらうことをふくめた「戦線統一四原則」を打ちださざるをえないということにもしめされている。 したがって、論文の執筆者のように「最大の障害」が「特定政党支持」の義務づけではなく「運動論」の違いだなどと、いまだにいっている立場は、徹頭徹尾、労働戦線の階級的統一より社会党の利益を優先させるセクト的党派主義以外のなにものでもない。 また、論文は、われわれは反共主義ではなく「反日共」だなどと毒づいているが、これはあらたな反共主義としてかつて「反共労働戦線統一」をとなえた元全逓宝樹委員長と同じ理論であり、すでにわが党によって徹底的に粉砕されたものであることを指摘しておくだけで十分であろう。 われわれは重ねて強調する。真に階級的立場に立つからこそ、「特定政党支持」の義務づけの誤りを克服し、労働戦線の階級的統一の実現のために努力するのである。                          (党中央委員会労働組合部長)                          (『赤旗』一九七二・一二・八)
以上、ながながと『赤旗』に掲載された荒堀氏の二つの論文をみていただいた目的は冒頭にのべたとおり、全国各地での日本共産党の党員諸氏と論争するにさいして、氏の主張の全貌をできるだけ正確に認識しておくことが必要であり、最低のモラルであると考えたからである。
 われわれは、これまで、日本におけるマルクス・レーニン主義の正しい発展のために、日本共産党との理論闘争をおこなってきたものであり、こんごもその方針はかわらない。これらの論争をつうじて、日本革命を担うものはだれであるかが労働者、農民、その他すべての勤労諸階層のなかにあきらかとなり、政治的統一戦線の形成へむけて大きく前進することを確信するものである。
 あとがき
 本書は、一九七二年夏に発行した社会主義協会のパンフレット『労働組合はなぜ社会主義政党を支持するか』に加筆補正をおこなったものを中心に、われわれの反批判三本を加えて編集されている。
 パンフレットがまきおこした反響は本書のなかでもふれられているので省略するが、一九七三年一月までに六刷をかさね、それもたちまちのうちに売切れとなった。そこで、このたび装いも新たに新書版として発行し、学習テキストとしていっそう使いやすいものにすることにしたものである。
 なお反批判三本のうち、「日本共産党の独善的批判にこたえる」、「ふたたび日本共産党の“政党支持自由論”の非階級性・ブルジョア性について」の二本は、それぞれ『社会主義』七三年一月号、三月号に掲載したものの全文である。「“赤旗”の荒堀広論文−−その批判と紹介」は、本書のために新たに加えられたもので、その意図するところは一四七頁以下を参照していただきたい。
 労働組合の政党支持問題をめぐる論争を、総評や各単産の全国大会だけでなく、職場末端から積極的に展開することが日本共産党の誤りを正すだけでなく、日本の労働運動、社会主義運動の発展にとってきわめて重要である。本書が、そのために活動家・幹部のみなさんによって活用されることを心から期待したい。
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