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第4章 総評はなぜ日本社会党を支持してきたか
 
問 労働組合が社会主義政党と協力関係を確立しなければならない理由はわかりましたが、日本のように複数の社会主義政党かあるときにはどうしたらよいでしょうか。総評や総評傘下のおもな単産は社会党支持をきめていますか、その理由はなんでしょうか。
 
答 総評がなぜ社会党を支持してたたかってきたのか、という問題から考えていきたいと思います。
 総評が「共産党の組合支配と暴力的革命方針」に反対する組合民主化運動の組織的結集体として発足したことはよく知られているとおりです。そのため、結成当時は、感覚的な反共主義者や政治闘争そのものを否定する人、労資協調論者など、誤った考え方の人もまじっていました
 (そういう人たちはのちにはほとんど全労=今日の同盟に脱落しましたが)。
 このような弱点を内包して出発した総評ではありましたが、当時のきびしい反動攻勢のなかにあって、一九五一年の第二回大会では、はやくも平和四原則(全面講和、中立の堅持、軍事基地反対、再軍備反対)を決定し、平和運動の推進部隊への道を歩みはじめます。この平和四原則は、当時の日本社会党(左派)が提起したものですが、“二度と戦争はイヤだ”という多くの国民の心をとらえ、昭和二〇年代後半の日本における平和運動の基調となります。
 日本社会党はこの講和・安保両条約反対闘争のなかで分裂しますが、総評は、平和四原則の旗をたかくかかげた左派社会党と、内灘、砂川の基地反対闘争、憲法闘争、原水禁運動などをともにたたかいぬき、社会党・総評ブロックといわれるように密接な協力関係を形成していったのです。
 
 また総評は、基本綱領第四項でつぎのようにのべています。
 「労働階級解放のためには、政治権力を労働階級の手中に確保することが、極めて重要である。しかしながら、その間の政権の獲得は、あくまで立憲的手段によって図らなければならない。この故に労働組合は、労働者が憲法と法令の秩序を通じかつそれらの内容のより民主的な前進をたたかいとりながらこの最終目的に達するため労働者の政治的関心と意欲の昂揚に不断の努力を払いつつ独自の政治活動を展開するとともに、平和的民主的手段によって社会主義社会を実現せんとする政党と積極的に協力提携してたたかわなければならない。また組合と政党とのこの協力関係は、相異する機能の明確な認識と相互の自主性尊重の上に置かれるべきであって、その間に両者の立場が混同されるようなことがあってはならない」。
 
 総評のこの基本綱領にいう、「平和的民主的手段によって社会主義社会を実現せんとする政党」としては、当時、平和革命論をはじめて、綱領として定式化した左派社会党以外は、考えられませんでした。日本共産党は、当時、当面する革命を「民族解放民主革命」であると規定し、その革命は武力革命によるほかはないとしていました(一九五一年に日本共産党が採択した綱領)。そしてこの路線にもとづき、火焔ビン戦術や、山村工作隊などをくりだし、武力革命への道をつきすすんでいたのです。また平和四原則についても、日本共産党は否定的な態度でした。このような情勢のもとにあって日本社会党(左派)と総評は、積極的に協力提携してたたかいをすすめていきました。
 また社会党の左右合同(一九五五年)以降も、警職法反対、六〇年安保・三池のたたかいなど、日本をゆるがした大闘争は、すべて社会党・総評ブロックが中心となったといっても過言ではありません。
 日本には社会党と共産党という二つの社会主義政党があります。そのなかで総評が日本共産党ではなく日本社会党を支持した理由はほぼ以上のべたとおりです。
 
問 総評ができたころ、日本共産党か武力革命方式をとり、とうてい総評の方針とあいいれなかったことはわかりましたか、それ以後も、なぜ総評は日本共産党を支持しないのですか。少し歴史的に解説してください。
 
答 総評結成の準備がすすめられていた一九五〇年三月、日本共産党は「民族の独立のために全人民諸君に訴う」を発表します。ここでは、産別会議を崩壊に導き、民同運動の発生をもたらした自らの労働組合への介入=まちがった革命方針のおしつけにたいするなんらの反省もなく、総評を「アメ帝・買弁独占資本そして悪質な社会民主主義者」として一括して反革命勢力と規定しています。したがって、総評結成にあたって日本共産党がとった態度は「国際帝国主義の手先=国際自由労連反対、その下うけ売国総評議会粉砕、悪質民同分裂主義者の追放」 一九五〇年、共産党のメーデー・スローガン)というものであり、総評は「粉砕」の対象とされていたのです。
 日本共産党はさきにふれた五一年綱領による極左冒険主義戦術と党内の分派闘争に終止符をうつために、一九五五年七月、第六回全国協議会(六全協)を開きます。ここでは労働運動についても自己批判がおこなわれ「党員は党の綱領、政策を労働組合に機械的におしつけてはならない。・・・党員は、あらゆる傾向の労働組合、たとえば、それが反動的な指導者によって指導されている組合であっても、そのなかで忍耐づよく献身的に系統だった活動をおこない党員としての任務を果たさなければならない」というように一八○度の方向転換をはかります。そればかりでなく「売国総評粉砕」から一転して、今度は「勝利の方向は、総評労働者が春闘以来の行動によってかちとった前進のなかに、労働者階級の戦線統一をめざす決意のなかにある。……第九回総評大会万歳!労働者階級の統一万歳!」(『アカハタ』一九五七年八月一日)というように総評にたいする全面的讃歌がはじまったのです。総評の発展をみて、なだれこみを策しはじめたものといえましょう。
 
 このあと、日本共産党は、六〇年安保・三池のたたかいをはさんで、第七回大会(一九五八年)、第八回大会(一九六一年)を開き、党内の構造改革派を駆逐するとともに、新しい綱領を採択します。これが、現在もひきつづいて、彼らがかかげている綱領で「日本の当面する革命は、アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配−−二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命」という内容のものです。
 この第八回大会における政治報告のなかで、総評について「……労働者と労働組合の運動には、なお重大な弱点が存在している。それはアメリカ帝国主義を真の敵としてとらえず、このために日本独占資本にたいする闘争においても不徹底をまぬがれないことである。そしてこの弱点は、長年にわたる社会民主主義的指導とむすびついた反共主義と経済主義の根強い弱点とふかく相互に関係している。このために反帝反独占の統一戦線の結集と強化における労働者階級の指導性がたちおくれている。まさにこの点において、改良主義社会民主主義的セクト的折導の路線から、統一戦線重視の路線へ労働組合運動をみちびくことがぜったいに必要となっている」とのべ、総評の指導にたいして批判の矢を放っています。この考え方は、つぎの年の秋の「四中総」にひきつがれ、「労働戦線の統一という大きな目標と原則からみるならば、社会党支持という特定政党の支持を重大なわくとしてもっている現状のままでは、たんに相対的に大きな労働組合組織だということだけで、総評をそのまま労働戦線統一の母体として評価することはできない」と、より明確に総評批判をつよめています。このように「総評=戦線統一の母体」論を明確に否定したのは、これがはじめてのことです。
 
 この第八回大会および四中総が、あの歴史的な六〇年の安保・三池闘争の直後におこなわれていることに注目していただきたいと思います。“総資本対総労働の対決”としてたたかわれた三池闘争にたいして「アメリカ帝国主義を真の敵」としてたたかわなかったために「不徹底をまぬがれえな」かった、と批判したのもそういう視点からでした。
 日本共産党のこのような総評運動にたいする方針の動揺がだれの目にもあきらかになったのが、一九六四年春闘における公労協の四・一七スト回避を訴えた「四・八声明」でした。ストライキ反対の理由は、一つには安保共闘が再開されていない段階で労働者がストライキをすると国民から孤立する、というものであり、いま一つの理由は、このストは共産党から脱落した修正主義者とトロツキストがあおりたて、組合内部の分裂主義者がアメリカ帝国主義の手先となって呼応し、職場から共産党員と良心的活動家を追いだそうとする挑発であり、労働者と全民主勢力との統一を破壊する危険がある、というものでした。
 これは、綱領に忠実にしたがって反米帝闘争のみに血道をあげ、反独占闘争を軽視することから、必然的にもたらされたあやまりであるとともに、四中総にもとづく、総評のわくにとらわれない独自の労働運動路線の追求がもたらす必然的な帰結であったといえます。
 
 このような労働運動、総評運動にたいする方針の、右顧左眄ぶりを、彼らなりに総括する目的でだされたのが、一九六八年三月の第一○回党大会第六回中央委員会総会(六中総)の決議「労働戦線の階級的統一をめざす、労働組合運動のあらたな前進と発展のために」です。この決議は戦前にまでさかのぼっての労働組合運動の総括までふくむ長大な文書です。このなかには「労働組合が、労働者の共通の要求にもとづいて、経済闘争や政治闘争をすすめるにあたって、労働者の階級的要求を反映している政党と協力関係をもつのは、当然のことである」という文章があり、政党支持問題について、一定の正しい見地をしめしたかにみえるところがあります。これは、さすがに「政党支持の自由」論だけではやっていけなくなったことのあらわれといえましょう。ところがそのずっとまえに「労働組合における政党支持の自由、政治活動の自由の原則は、世界の労働組合運動の援助の複雑な経験をつうじて国際的にも確立された、労働者と労働組合の団結の原則である」とのべ、「労働組合運動の全戦線で、反共につながる“特定政党支持”のわくをやめさせ、政党支持の自由、政治活動の自由の原則を確立するため、さらに奮闘するものである」ことを表明しています。さらにこのほかいたるところで「特定政党支持」をやめさせる必要が強調され、政党支持の自由が原則であるとのべられています。政党支持の自由をいぜんとして原則とするというのです。一方で「労働者の階級的要求を反映している政党と協力関係をもつのは、当然のことである」といいながら、他方ではいぜんとして政党支持の自由を原則とするというまったく矛盾したことを平気でいっているのです。せっかく一歩前進したと思ったのに、一歩前進した見地と古い誤った見地とが混乱したまま提起されており、従前にもまして混迷の度が深まったのが六中総の特徴といえましょう。
 
 日本共産党の[政党支持自由論]の誤りについては、第三章でくわしくふれていますが、その根底に、「社会党は反共主義の立場を明記している」(六中総決議)政党であり、日本の労働運動の階級的発展を妨げている存在にすぎない、という独善主義が横たわっています。したがって、総評を階級的に強化していくことが日本労働運動を発展させる最大の課題であることが理解できず、「既存の労働組合のなかでの活動をつよめる必要がある」(同上)というように総評も同盟も、ともに社会民主主義者が指導している組織にすぎないという考え方におちいっているのです。
 そのほか、つぎのような社会党にたいする非難がおこなわれていることを、社会党系の活動家の人たちは、このさい、考えてみる必要がありましょう。六中総決議はこういっています。
「労働組合組織が、これらの社会民主主義政党(社会党と民社党のこと引用者)の支持を機関決定で義務づけることは、第一に、労働組合の本質的性格−労働者が、思想、信条、政党支持の相違にかかわらず、共通の要求で団結し闘争する階級的大衆組織としての性格をふみにじり、労働組合の内部的団結をそこなうとともに、あらゆる傾向の労働組合を、真に労働者の利益をまもる立場で統一した戦線に結集することをめざす労働戦線の階級的統一の事業に、決定的な障害をつくりだすことである。第二に、それは、労働組合の政治的立場を、それぞれの社会民主主義政党の政治路線に従属させることにより、労働者の経済的、政治的立場の正しい階級的な前進をさまたげてきた。第三に、それは、労働組合を社会民主主義政党内の反共的、セクト的傾向と結びつけ、労働組合が、人民と民主勢力の統一戦線の推進力となるのではなく、民主勢力の共同闘争の妨害者となる事態さえうんできたのである」。
 
 このように六中総決議は、社会党を民社党と同列にならべ、社会党の政治路線が、「労働者の経済的、政治的闘争の正しい階級的前進を妨げ」、労働組合をして「民主勢力の共同闘争の妨害者」にしたといって非難しているのです。社会党員や社会党支持を推進した活動家はこれらの非難にたいしてきびしく反論しなければならないでしょう。
 また一九七〇年夏の第一一回大会の「決議」では「良い合理化」、「悪い合理化」というおよそ資本主義のなんたるかを理解していないような奇妙な理論をもちだし、大衆追随の姿勢をろこつにしめし、労働運動を混迷におとしいれようとしていることは、よく知られているとおりです。
 以上かんたんにみてきたように、日本共産党の労働運動論・総評運動にたいする方針は、的はずれの批判と動揺の連続であり、総評がなぜ日本共産党と支持・協力関係をもつことができなかったかの答えは、日本共産党自身の歩んできた道のなかにあるといわねばなりません。
 
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