第3章「政党支持自由論」はなぜまちがいか
一 政党支持の機関決定は労働組合の統一と団結を破壊するか
問−ところで労働組合のなか(一部日本共産党員およびその支持者たち)に、労働組合は要求にもとづいて団結し、たたかう大衆組織だから、特定政党との協力関係の樹立を労働組合か機関決定するのはまちかっているという意見かあります。その根拠として特定政党支持は、組合活動の原則に反し、統一と団結を破壊する、というのですが、この意見についてどう考えたらよいでしょうか。
答−たしかに労働組合は、賃金や労働時間などのような労働条件を改善するために団結し、それらを日常的要求課題としてたたかっています。いわゆる思想・信条の一致にもとづいて団結していろ政党とはその点で異なった組織であることはあきらかです。
しかしだからといって、設問のような結論になるかといえば、そうではありません。設問の論理展開は、いかにも、もっともらしいようですが、二つの落し穴があります。
第一の落し穴は「要求にもとづいて団結し、たたかう大衆組織」である、という労働組合についての規定のしかたにあります。一見もっともらしいこの規定は、あまりにも抽象的すぎます。労働者の要求が、主として労働条件改善にあるとしても、労働組合は労働条件の改善要求で団結する、といっただけでは何一つ具体的にいったことにはならないからです。
資本家と自民党政府は、つねに利潤拡大のために、労働者にたいする攻撃をかけています。とくに今日のように国家独占資本主義といわれる時代においては、合理化攻撃をはじめとしてありとあらゆる方法で搾取を強化し、そのための労働者支配、労働組合攻撃をはげしくおこなっています。
したがって、労働者の労働条件改善要求を実現するためのたたかいは、すでにのべたように、階級的・政治的性格をつよめざるをえなくなっています。つまり労働組合は独占資本と自民党政府を敵として、これにたいするたたかいをくんでいかなければならないのです。ですから、労働組合の規定としてはただ「要求で団結する」といっただけでは不十分であって、正確には 「要求で団結し、その要求の実現のために資本および資本家政府とたたかう」組織であるといわなければならないのです。
そうなれば、まえにのべたように、労働組合は社会主義政党とかたく結合し、独占資本とその政府に対決しなければならないという論理、すなわち労働組合と政党の緊密な接近という問題がおこってくるのです。労働組合は労働者が要求で団結したものだという主張は、一見もっともらしいのですが、一歩すすめてその要求の実現は、資本や政府と対決してしか、かちとれないのだという点まで主張しなければ階級的労働組合の構築にはなりません。したがってわれわれにとっての課題は「要求で団結]している労働組合員をいかにして「資本や政府とたたかう」労働者にたかめていくかということであって、そのばあいに労働組合と階級政党の緊密な接近という問題がおこってくるのです。
この点をあいまいにすることは、けっきょく、階級的労働組合の構築を志向しない主張であるといわなければなりません。
第二の落し穴は、歴史的にみて労働組合の統一と団結が、特定政党支持の問題で破壊されたかどうか、という事実認識の問題です。全労(現在の同盟)が、総評から脱落したとき、各単産のなかで第二組合ができたとき、さかのぼって、産別から総評が結成されたときを考えてみましょう。全労が総評から脱落したのは、総評の運動方針(とりわけ政治路線)に反対したからでした。そのごの運動をみても、生産性向上運動に協力するという労資協調路線にたつ全労 (同盟)と階級闘争路線にたつ総評という、労働運動のすすめ方の問題で、いわば統一と団結が破壊され、分裂が生じたのです。今日の鉄労や全郵政などの第二組合にしても、組合運動の全体的なすすめ方、路線の間題で脱落したのであって、政党支持のちがいで脱落・分裂したのではないことはあきらかです。
こうした歴史的事実認識のうえからも、日本共産党の主張は誤っています。むしろ日本共産党が「統一と団結」を口実として「特定政党支持をはずせ」と主張をしていることは、結果として労働組合の団結の質をうすめこそすれ、階級的にたかめるものではない、といえます。それどころか、今日支配階級にとっては随喜の涙である「支持政党なし」という政治的無関心層をふやす役割を担っているとすらいえるでしょう。
二 “特定政党支持は憲法違反”か
問−日本共産党およびその支持者たちは、政党支持の自由を理由づけるために、憲法一九条にうたわれた思想・信条・宗教の自由をもちだして「特定政党支持は憲法違反だ」、「労働者の政治的信条にかかわる問題は機関決定すべきではない」と主張していますが、これらの考え方についてどう考えたらよいでしょうか。
答−日本共産党は、四中総政治報告のなかで、「組合の徹底した民主主義運営の確立によって、組合員、労働者大衆の不満と要求にもとづく自発的な積極性をくみあげ、全組合員が積極的に統一行動を拡大・発展させる活動に立ち上るようにしなければならない。このなかで政治活動に対する侵害は、この組合員の自発性を抑圧し、組合の民主的統一を破壊するものであり、憲法の民主的条項に違反するものとして問題にする必要がある」といっています。この報告に象徴されるように、日本共産党は政党支持自由論の論拠に、憲法をもちだし、「社会党一本支持にしぼることは組合員の政治活動の自由という基本的人権をおかした憲法違反」と主張しています。
これらの主張には、つぎの点で、致命的誤りと矛盾があります。
その第一点は、現行憲法が資本主義(ブルジョア)憲法である、ということを忘れていることです。憲法はたしかに言論の自由、結社の自由、思想の自由、学問の自由などを規定し、これを国民に与えています。しかし、これらの自由は資本家と労働者の階級対立という資本の現実のもとでは、労働者にとって実質的に保障されているとはいえません。つまり形式的規定にとどまっているのです。それどころかブルジョアジーの実質的支配は確保されているのです.
そのためわれわれが、憲法にうたわれているいずれの自由をえようとしても、あるいは、生活と権利、平和と民主主義をえようとしても、独占資本とその政府の支配による制限とぶつかり規定どおりにこれをえることは困難です。しかも今日独占資本とその政府はこれらの自由を形式的にさえも奪おうとして改憲攻撃をかけています。ですからわれわれ労働者が改憲を阻止し実質的自由をかちとろうとすれば、とうぜん独占資本およびその政府とたたかわなければなりません。
そのためにわれわれは、独占資本とその政府の政党・自民党の本質をばくろし、これらの敵を支持しない自由を組合員個人個人に訴えなければなりません。つまり、労働組合は、組合員個人個人に働きかけ、労働者が実質的な自由をかちとるためには、自由をうばう敵=自民党と独占資本を支持しないよう説得し、同時に、憲法を守り、自由の拡大のためにたたかう政党を積極的に支持し、共同してたたかうようにしなければなりません。
そうでなければ憲法に規定されている形式的自由を守り、実質的に拡大することはできないのです。したがって、結論的にいえば、労働者にとっての、政治活動の自由、政党支持の自由とは、
一、労働者階級からさまざまの自由を奪いとっている独占資本の政党を支持しないこと。
二、労働者の自由を拡大するために努力している政党と協力し、これといっしょにたたかうこと、であるといわなければなりません。
第二に、「労働者の政治的信条にかかわる問題は、機関決定すべきでない」といえば、労働組合はなに一つ政治闘争を機関できめてとりくむことはできません。というのは、今日の国家独占資本主義のもとでは、きわめて政治と経済のむすびつきがはげしくなっていますから、労働組合のたたかいも、社会主義政党との協力をつよめ、かつみずからも政治闘争にとりくまないかぎり、労働者の生活と権利をまもり、労働条件の向上をかちとることはできません。このようなたたかいも「政治的信条」にかかわるから、機関で決めるべきではない、と日本共産党のみなさんはお考えになるのでしょうか。そうだとすれば、まさに階級的労働運動の否定です。
第三は、日本共産党のひとびとが、かつて、「社共両党支持」を、社会党支持に反対するための「過渡的」なものとして主張したことがありますが、両党支持ならば憲法違反になぜならないのか、これをかれらの論理であきらかにしてもらわねばなりません。「過渡的」であったり、一つが二つになればなぜ憲法違反にならないのか、かれらの論理でこの説明はできないはずです。ですからこれは、けっきょくのところ、社会党一党支持さえなくせば、日本共産党が意図する方向での労働組合の民主的統一がすすむと考えたうえでのセクトの論理というほかはありません。
三 政党支持は戦線統一の障害になるか
問−政党支持の自由についての日本共産党の誤りはわかりましたが、今日では日本共産党およびその支持者ではかならずしもない単産幹部の口からも、たとえば労働戦線の統一のために社会党支持一本は障害になるのではないか、という意見があるようですが。
答−たしかにここ数年、総評大会でも、日本共産党の主張と同一歩調をとる意見がでています。たとえば合化労連の太田薫氏は、一〇年前は政党支持の自由化は総評の容共的転換を許すことになるから反対だといっていましたが、今日では労働組合は要求で統一しなければならない、と主張しています。民同的かわり身のはやさです。
太田氏のように労働戦線統一のために政党支持自由論をあげるのは、労働戦線統一が叫ばれている七〇年代の一つの特徴といえますが、ここでは政党支持問題は、労働組合が階級闘争路線を堅持するのか、それともマル生運動をはじめとする生産性向上運動協力といった労資協調路線での右翼的再編成論にたつのか、という、まさに労働運動のこんごの基本的方向にかかわるものとして提起されているわけです。そこで考えてみなければならないのは、先にふれたように今日ナショナルセンターが分裂したりで産業別のなかに第二組合が存在するというのは、労働運動のすすめかたの、基本にかかわる意見のちがいによるものであり、政党支持のちがいというのはその一つのあらわれであるということです。ですから、政党支持を自由にすれば統一ができるというほどかんたんなものではないのです。
それにもかかわらず、太田薫氏や鉄鋼労連の宮田委員長に代表される民労懇の人びとなど、今日労働戦線統一を主唱している人たちは、政党支持の自由が達成できれば労働戦線統一ができるかのように説いています。そこにはあきらかに労働組合主義という名の、労働組合の「中立性」の思想をみることができます。また政党支持の自由を時流と考える部分には幹部の地位を守るための保身術という点もあるでしょう。
労働組合主義という非階級的な主張については、ふたたび、レーニンの「中立性は、自分の物質的状態を改善することが必要であると考えるようになったすべての労働者を統合するために必要である、という人がいる。そしてプレハーノフは、とくにそれを強調している。だがこういうことを言う人々は、現代の社会の限界内で、この改善をかちとるにはどうしたらいいかという問題にさえ、階級的矛盾の今日の発展段階がどうしても不可避的に『政治的な意見の相違』をもちこむことをわすれている。組合と革命的社会民主主義派との堅い結びつきが必要であるという理論とはちがって、組合の中立性の理論は、プロレタリアの階級闘争をにぶらすことを意味するような改善手段を不可避的にえらぶことになる」(レーニン全集、第一三巻、四八〇頁)ということばをあげておきたいと思います。
今日、独占資本とその政府の思想攻撃のなかで、「支持政党」なしという組合員の数が増加しています。労働戦線統一を主張する組合ほどその傾向はつよまっています。その理由は、反合理化闘争をはじめとする日常的たたかいのなかで階級対立の本質を肌で学び、理解する契機が、しだいに失なわれていることと、ふかくかかわっています。労働組合の団結力が弱まった結果が、「支持政党なし」をふやし、第二組合発生の大衆的基盤をつくりだしているのです。
つまり客観的には、政党からの「中立性」を主張する政党支持の自由論がもたらす結果は、まずもって「支持政党なし」の層をふやし、ついで組合員の階級的自覚をおしとどめることになるのです。
ところで右翼的再編成(労働戦線統一)のもっと具体的なねらいは、日本社会党を民社党化させ、階級政党の独占資本・国家権力にたいするキバを抜くことにある、といってよいでしょう。日本社会党の江田派と公民との“二党一派”連合を民労懇などが支持するのもそのあらわれです。そこには共産党の側からする社会党支持反対とは内容的に同じではありませんが、独占資本がもっとも喜ぶ「社会主義政党支持をはずす」という点でみごとに一致しています。
さらに労働組合は経済要求を中心にたたかい、公害や物価などの国民的課題では、政治ととりくむ、という労働戦線統一派の考え方も階級政党が国民政党化すれば支持する、という危険な誘いの要素をもっています。
われわれは、労働者の階級的統一に努力しています。それは労働者の階級的労働組合運動への統一であっても、右翼的再編成ではありません。まして、算術計算で組織人員が多ければよい、ということではありません。かりに一時的、部分的には組織人員の減少があっても、資本主義がつづくかぎり、階級対立があり階級闘争がたたかわれるのですから、反合理化闘争をはじめ労働組合運動の基本原則を守ってたたかう以外に、究極的勝利の道はありません。
したがって戦線統一をさまたげているものは、けっして政党支持のちがいではなくして、日常的な労働組合運動の原則、それを物質的な力とする運動論の問題だといえます。
問−ヨーロッパの労働組合などでは特定政党支持をきめてはいない、日本だけが特定政党支持をきめることは国際的にみておかしいではないか、という意見かありますか。
答−日本の労働組合運動は、日本の歴史的・社会的条件のなかで、自主的におこなわれるのですから、ヨーロッパの猿まねだけではうまくいきません。欧米の労働運動に主体的に学ぶことはあっても、直輸入することはむしろ弊害がおこります。
ヨーロッパのはあい、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ベルギー、オランダ、イタリア、スイスなどでは、党の強力な指導と協力のもとに労働組合がつくられ、育成されたという歴史があります。イギリスは資本主義の発展がもっともはやかったことから、労働組合運動が先行し、そのたたかいのなかから労働党がつくられ、アメリカのばあいは真に労働者階級を代表する政党はいまだ十分には確立していない状況です。しかもアメリカのAFL=CIOは保守政党を支持する傾向にあります。
現在ヨーロッパ諸国の労働組合で特徴的なことは、労働組合の、政党からの自主性が組合規約上うたわれながらも、その実体は政党系列に大きく分離していることです。フランスのCGTが共産党、統一社会党、急進社会党、社会党左派系組合を主体として構成し、CGT−FOが統一社会党、急進社会党、社会党系組合員を主体とし、CFDTが統一社会党、急進社会党、社会党の左右を主体とし、CFTCが左は統一社会党から右はドゴール派まで主体として組織しています。イタリアのCGILには、共産党や社会党の支持者がたくさんおり、西ドイツのDGBの役員にも社会党員[ママ]が多数おり、たくみに支持活動をおこなっています。
以上のようにヨーロッパの労働組合は、労働組合の政党からの自主性・中立性をうたってはいますが、いずれも第二次大戦における反ファッショ闘争いらい労働組合のなかに社会主義政党(共産党や社会党)にたいする不動の信頼がきずかれていますから、労働組合が政党のことで頭を痛める必要がない、という歴史的事情があるわけです。また労組内にたくさんの社会主義政党員がいるのもフランスやイタリアの特徴です。ところが日本のばあいは、労働組合が残念ながら反ファッショのレジスタンス運動を経験したわけでもなく、労組内党員もひじょうにすくないのです。組合員の政治意識も率直にいってそれほどたかいといえません。
しかも、日本の労働組合は企業別一括加盟の組織という現実があります。一工場一組合という労働組合のかたちで資本と対決しているわけですから、これを産業別に統一させていくという課題はありますが、欧米のように個人加盟の労働組合で一工場複数組合−産業別組織とは異なった条件にあるわけです。ですから、日本の労働組合は政党系列別に存在することはないというのが現実です。
したがって日本の労働組合は、日本の労働者がおかれている歴史的客観的条件のもとで、主体的に階級的運動を追求していかねばならないわけです。その主体的努力の一つとして社会主義政党との協力関係の樹立ということがあり、それが現在の日本社会党一本支持というかたちになっているのです。