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しかしこのへだたりはますます小さなものになっており、意識的差努力によって越えることができる。資本主義経済の発達がますます諸階級を産業構造からして結合させる。学生と農民とについては、プロレタリアートは強い結合関係をとくにもっている。多くの青年労働者が「三割農政」など独占の農業切り捨て政策によって、農村から都市にやってくる。逆に労働力と工業立地を求めて農村部への設備投資(工場新設)がすすむ。少なからぬ者が二部の学生であったり大学卒業者である。農業のなかにも販売購売協同組合や加工工場として、大学のなかにも事務・研究関係で、労働者の数が増えている。これらの結合から、プロレタリアートを中心にした反独占の方向への結集に発展させるには、各々の生産基盤上の、したがって生活の問題での要求闘争が、本当に深められる必要がある。
 (本章(36)の二つの教訓の第二を必らず参照せよ。改憲攻撃は対外進出の諸策動と不可分に生まれそして展開するからである。)
(31)日本ブルジョアジーの政治面での攻撃は、七〇年代には、国内支配体制、ブルジョア独裁体制の飛躍的強化がはかられ、急速に特徴的にすなわちたたかいの中心課題になる。一九六〇年まではこの面でのむしろ立遅れが日本ブルジョアジーの著しい特徴だった。それは六〇年代に生産基盤を中心にかなり急速に克服され、その面では思想的に大衆をとらえている。さらに労働運動指導部のなかにも拡がった。政治面でも民主主義のなしくずし的空洞化がはじまっている。(国会での強行採決乱発や、第V章(18)にみた文部省の越権行為)。
 しかし第一に、ブルジョア民主主義の制度・法律は残っており、憲法を頂点としている。第二に、ブルジョアジーが大衆に植えつけえた思想は消極的なもの「経済的」なものでしかなく、積極的なもの−帝国主義的対外政策を支え、とくに帝国主義軍事力を担い海外出兵で命を捨てさせるような思想動員には成功してはいない。むしろ佐藤首相は、自分個人の経済的生活向上だけを求めている(マイホーム主義)と、大衆を「批判」している。彼によれば、全共闘の学生の方が自分の若い頃に似て好もしい、残念なのはその頃と違っていまの日本には国家目標、エネルギーの発散目標がないことだ、これをつくることこそ「七〇年代最大の政治課題」ということになる。こうして帝国主義的思想動員が、遅ればせながらすでに始まっている。この攻撃の頂点は憲法第九条の改悪である。改憲が、ブルジョア独裁体制の法・制度上の確立と、とくに軍事面での思想動員との二点をめざして展開されることは必至といってよい。それはブルジョア民主主義を完全に消し去るのではなく、両刃の剣を片刃にしてゆく追求である。思想攻撃を支えるために必要なかぎりのものは残される。フランス・西ドイツの改憲攻撃がすでにそのことを示している。逆にいえばそこに改憲阻止闘争のある種の混乱があるといってよい(本章(27))。
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第四節 改憲阻止闘争と反独占統」戦線

A 政治闘争へ、統一戦線へ
(26)プロレタリアートとブルジョアジーの闘争は国家権力をめぐる闘争になる他はない。プロレタリアートにたいする支配は、生産点を基盤としつつ、しかし最終的には国家権力によって確立されている。すべての要求闘争はこの国家権力の打倒と奪取に向う必然性をもっている。合理化との闘争も三池労組と炭労のCO闘争のように国家権力へ向かって発展した。もっと簡単な例が機動隊など弾圧機構の闘争介入である。社会主義者はあらゆる攻撃にたいする抵抗闘争を、各々の必然性に従いつつ、日本独占ブルジョアジーの国家権力に向けて集中させてゆく。いいかえれば政治闘争化してゆく。その時、プロレタリアートを中心にして、しかし全勤労諸階級を結集する統一戦線の思想が必要である。全勤労諸階級の反独占総抵抗体制を、まず運動として、次に組織と統一闘争として実現する。
 反独占抵抗―要求闘争の主要なものは、第一に経済基盤での、とくに生産過程でのたたかい、賃金・合理化などであり、学生では教育闘争、農民では農業協同組合の諸問題がこれにあたるが、もしくは類似した生活上の問題である。
 第二に、地域住民としての、もう一つの経済基盤でのたたかい−労働力再生産過程での住宅・交通・公害(初中等)教育などの諸問題。いわゆる「国民的諸課題」である。ここでは自治体への闘争も大きな比重をもつ。
 第三に、帝国主義的海外進出と、これが必然的にふくんでいる民族解放運動への軍事的侵略さらに帝国主義戦争とのたたかい。
 第四に、これと不可分に日本独占が結んでいるアメリカ帝国主義との依存関係の強い帝国主義共同支配体制=日米(七〇年)安保体制とのたたかい。沖縄を頂点に民族としての権利侵害とのたたかいをいまもって必要としている。
 第五に、以上のたたかいの発展に比例して進行する弾圧とのたたかい。とくにブルジョア民主主義の法律・制度を後退させ名だけ残して実質的には破壊しようとする攻撃とのたたかい。
 
(27)これらの反独占の諸抵抗をどのように政治闘争に発展させ、 しかも一点に統一してゆくか。その時重要なのは、抵抗スローガンのら列ではなく、組織方針を含まなければならないことである。具体的にはプロレタリアートの指導性を確保すること、できるかぎり多くの勤労諸階級大衆を結集すること、全勢力について各々の総体としての発展を保証しつつ統一し国家権力へ向えること。この三点を配慮しつつ当面の組織方針をふくめて提起された反独占統一戦線への政治方針を、われわれは「改憲阻止・反合理化」の『基調』のなかにもっている。
 憲法改悪という支配体制の思想上のまた政治制度上の完成を焦点とした統一化・政治化を追求することである。支配体制の完成は七〇年代にブルジョアジー「最大の政治課題」として政治過程でも登場し、特徴的期間を形成するであろう。「敵が大衆のなかにふりまき定着させてきたのも、ブルジョア民主主義の思想を逆用すること。「敵が「階級闘争を超越したもの」と宣伝し思想攻撃の武器にしていたものが、実は支配の武器でしかなかった事実が自からあばきだされるのを利用すること。」改憲阻止斗争によってわれわれは最大多数の諸階級大衆を反独占政治闘争に結集できる。」
しかし、そのためには、われわれが「民主主義」について正確な理解をもち、プロレタリアートが民主主義擁護の思想だけでなくむしろ経済基盤のなかからの鋭い反独占の思想をもっていることが必要である。
 ブルジョア民主主義擁護の思想だけでたたかおうとしても、そのかぎり、ブルジョアジーの思想攻撃・宣伝が優勢になる。ブルジョア民主主義の象徴である憲法を改悪するときさえ、ブルジョアジーは「民主主義確立」を大義名分とした思想攻撃を展開するからである。その故に、われわれは、改憲阻止闘争の中心を、思想・組織・闘争力のすべてについて、労働運動とくに反合理化闘争をつうじて築いてきた.
 (第三節は、たたかいの基本をのべたということができる。反合理化職場抵抗闘争を柱に全面的に大衆闘争路線を展開し、プロレタリアートの実力を築くことである。これにたいしてこの第四節は、第U章(19)〜(21)にのべた革命の実力を築くこと、基本を目標にむけて発展させる後半部分であるということができる。前半の基本だけで終ったら何にもならない。革命の実力を築くために、われわれは基本を築くのである)
 
(28)勤労諸階級・階層のたたかいは、各々の生産基盤では各々の強い独立性・個別性があり部分的にはプロレタリアートの利害と対立することもある。また高度の搾取・収奪・抑圧が一般化している独占資本主義のもとでも、プロレタリアート以外の諸階級の場合は、その要求の一定の部分が、ブルジョアジーの手で解決されうる。したがってアメと思想攻撃とはより効果的なものになっている。これらの点で諸階級のたたかいはプロレタリアートのたたかいへとへだたりがある。
 しかしこのへだたりはますます小さなものになっており、意識的差努力によって越えることができる。資本主義経済の発達がますます諸階級を産業構造からして結合させる。学生と農民とについては、プロレタリアートは強い結合関係をとくにもっている。多くの青年労働者が「三割農政」など独占の農業切り捨て政策によって、農村から都市にやってくる。逆に労働力と工業立地を求めて農村部への設備投資(工場新設)がすすむ。少なからぬ者が二部の学生であったり大学卒業者である。農業のなかにも販売購売協同組合や加工工場として、大学のなかにも事務・研究関係で、労働者の数が増えている。これらの結合から、プロレタリアートを中心にした反独占の方向への結集に発展させるには、各々の生産基盤上の、したがって生活の問題での要求闘争が、本当に深められる必要がある。
 直接個々の要求闘争で統一闘争を実現するというよりは、そういうことも重要だが、主としてこの要求闘争のなかで各々の階級・階層が、各々の過程によって、しかし共通に独占資本と自分たちとの対立関係を確認するためである。この思想と自覚が経験のなかで確立されつつ、真の階級・階層をこえた連帯・統一性が生まれる。自治体闘争や政治闘争では、思想的次元からの固い統一闘争が組織や戦術の面でも姿をあらわす。
 
B 反独占政治闘争の課題
(29)住宅・交通・公害・物価などの国民的諸課題についてのたたかいはたしかに遅れている。この要求闘争は最も広い諸階級を反独占闘争にひきこむ。直接生産過程ではないが生活上の問題だからである。独占資本はこの生活のもう一つの半分で、たたかいがなかったのをいいことに、きわめて悪らつな収奪を展開し、無数の生命さえ奪ってきた。資本主義的常識でさえ許し難いことが行なわれている。自動車独占は欠陥車を平気で売り、道路建設をともなわずにあふれさせ、じゃまだという理由で都電を撤去した。
 こうして自動車産業はまさに世界に類例のないテンポで「高度成長」し、それを牽引車(「戦略産業」)として日本独占資本主義全体が回転している。欠陥車さえ改良新車発売としてあらたな売りこみの手段になる。同様に「公害阻止」も一つの産業・利潤追求の場になろうとしている。資本主義の非人間性、利潤追求至上主義の本質が。徹底的にバクロされている。
 だが、このたたかいの組織化、とくにその特質を生かした広範なかつ反独占の方向性をもつ組織化は、大事業である。強力な階級的思想主体が必要である。社青同中央本部は一九六八〜九年に、すでに公害闘争を提起している(四日市、富士、新潟などの実践)。しかしそれはたちまち独占資本の集中攻撃をあび、労働組合は企業の利益のために屈服し、自治体もあっけなく沈黙した。第三節にのべてきたプロレタリアートの実力が築かれつつ、それと比例してのみ、これらのたたかいは前進することができるのである。ブルジョア・マスコミの公害キャンペーンに便乗したたたかいは契機にはなるが、それだけではそれ相応の成果しか上げることはできない。
 
(30)七〇年安保体制=日米帝国主義の共同支配体制の方式で、日本独占のアジア全域への進出が本格化している。まず第一に経済的な資本輸出、つまり「海外工場」建設について、教宣活動が重要である。反合理化職場抵抗を糸口に独占資本の搾取を知ったプロレタリアートだけは、同じ日本独占のアジア人民への搾取をも理解し、連帯することができる。民族解放運動との連帯を本質的に自分の問題としてかちとることができる。
 第二にこの解放運動に向けた軍事力の展開と帝国主議戦争にたいするたたかいが始まる。「アジア平和のため」という大義名分ですすむ、帝国主義策動にゴマかされずに対決することができる。この策動は具体的に二つの方向で軍事面でも本格化している。
 一方が日米安保条約であり、それによって日本独占は、核軍事力と東南アジアでの軍事支配(反共軍事政権の軍事的支援)をアメリカに依存している。他方では「自主防衛路線」であり、このもとで四次防(一九七二〜七七年度)は、朝鮮・台湾地域で独自の完全な軍事支配体制を確立しようとしている。
 したがって社青同のここでの基本スローガンは「安保廃棄・自主防衛路線粉砕」である。日本ブルジョアジーの帝国主義対外政策は、いまや安保条約だけではなくなった。この帝国主義対外策動への不断の注目と、大衆的呼びかけ、全大衆による自覚は、反独占社会主義革命にとって不可欠である。
 (本章(36)の二つの教訓の第二を必らず参照せよ。改憲攻撃は対外進出の諸策動と不可分に生まれそして展開するからである。)
 
(31)日本ブルジョアジーの政治面での攻撃は、七〇年代には、国内支配体制、ブルジョア独裁体制の飛躍的強化がはかられ、急速に特徴的にすなわちたたかいの中心課題になる。一九六〇年まではこの面でのむしろ立遅れが日本ブルジョアジーの著しい特徴だった。それは六〇年代に生産基盤を中心にかなり急速に克服され、その面では思想的に大衆をとらえている。さらに労働運動指導部のなかにも拡がった。政治面でも民主主義のなしくずし的空洞化がはじまっている。(国会での強行採決乱発や、第V章(18)にみた文部省の越権行為)。
 しかし第一に、ブルジョア民主主義の制度・法律は残っており、憲法を頂点としている。第二に、ブルジョアジーが大衆に植えつけえた思想は消極的なもの「経済的」なものでしかなく、積極的なもの−帝国主義的対外政策を支え、とくに帝国主義軍事力を担い海外出兵で命を捨てさせるような思想動員には成功してはいない。むしろ佐藤首相は、自分個人の経済的生活向上だけを求めている(マイホーム主義)と、大衆を「批判」している。彼によれば、全共闘の学生の方が自分の若い頃に似て好もしい、残念なのはその頃と違っていまの日本には国家目標、エネルギーの発散目標がないことだ、これをつくることこそ「七〇年代最大の政治課題」ということになる。こうして帝国主義的思想動員が、遅ればせながらすでに始まっている。この攻撃の頂点は憲法第九条の改悪である。改憲が、ブルジョア独裁体制の法・制度上の確立と、とくに軍事面での思想動員との二点をめざして展開されることは必至といってよい。それはブルジョア民主主義を完全に消し去るのではなく、両刃の剣を片刃にしてゆく追求である。思想攻撃を支えるために必要なかぎりのものは残される。フランス・西ドイツの改憲攻撃がすでにそのことを示している。逆にいえばそこに改憲阻止闘争のある種の混乱があるといってよい(本章(27))。
 
C 反独占政治闘争の諸組織
(32)改憲阻止闘争の過程で追求される反独占統一戦線の中心は、総評を橋頭堡とする労働組合である。だが反合理化職場抵抗を糸口とした発展に支えられても、労働組合の第一に政治闘争への、第二に統一戦線への、さらなる発展には困難がある。
 一方では一般的に、平常の条件下で全員加盟の大衆闘争であり、主として「経済的」要求によって団結する労働組合が政治闘争を担うことの困難さ。他方では特殊に最近の、民同指導部をも部分的にふくんだ(民間単産)急速な政治闘争離脱にぶつかった、われわれ自身のとまどいによる困難さ。このため、この発展を保証すべき組織・場が失なわれている。
イ 戦後の高揚期の後、一九六〇年前後には、政治闘争での社会主義党・青年同盟と労働組合どの共闘は「青学共闘」などとして、むしろ一般的で常識化していた。
ロ 一九六五年頃まで、このような党と労組の協力というシュットガルト決議にもとづく方向はまだ実現されえたので、無原則的妥協をふくみつつも社青同・総評青対を中心に反戦青年委員会(団体共闘)が成立した。これは地方の県単位ではまだ維持されているところが多く、(岩手・佐賀・新潟など)一九六九年頃からの同じ性格の反安保青年共闘(愛知・長野々ど)と共に、活用すべき重要な舞台である。
ハ だが、東京などでは一九六八年頃から、社会主義党と労組との共闘は不可能となっている。その主要な原因は体制内指導部が影響力をもったことにある(極左主義の影響は副次的または表面的口実)。
ニ この段階で、二つの方向がありうるし避けられない。一方は社青同が中心となって運動を開始しつつ労組の参加を呼びかける方向。この方向でわれわれは地区段階ではすでに「地区青年共闘」運動を開始している。もう一つは労働組合青年部だけの組合内団体共闘を出発させ、そのなかで内容を高める方向。この提案はすでに東京地評、東京反安保などで再三行なわれた。
 いうまでもなく前者は労働組合を結集する力は少ないが、政治闘争と統一戦線とをかなり厳密な内容までふくめて、効果的に訴えることができる点に特質がある。後者はこの逆の点に特質があるのだが、実際に結集しうる労働組合の数はそれほど多くはない。その少数の労組が現実に組織しうる青年労働者の数はさらに少ない。したがって東京での、政治闘争と統一戦線とを労働組合全体のものにしてゆくための組織戦術は、主要には「地区青年共闘」運動である。
 これらは安保廃棄・自主防衛路線粉砕を当面のスローガンにした全都連絡会議に結集している。各青年共闘は、地区内の労組や労組内のサークルに呼びかけ、反独占政治闘争のために、労組全体を下部末端から強化してゆくことを呼びかけている。いいかえれば地区青年共闘は、反合理化職場抵抗闘争を糸口にさらに労組全体を政治闘争と統一戦線へ向けて強化するいっさいのたたかいの、地区毎の拠点であり、同時に強化された労組の結集の場である。地区青年共闘は、最初は一人ではじまり、サークルとなり、やがて青年下部単位の団体加盟、そしてその拡大のなかから都段階、全国段階青年部へと発展してゆく、この全過程を保証する。現実には団体加盟をかちとり得ない七〇年初めの困難な情勢のなかでも、われわれは労組青年部としての政治闘争へ、統一戦線への発展を追求し、客観的条件下での全労組の決起の思想を不断に明確にかかげつづけるだろう。
 われわれはこのたたかいを放棄し、当面だけにせよ永久にせよ政治闘争は個人加盟組織で担うという思想に反対する。政治方針が「反戦」だろうと「改憲阻止」だろうと組織路線上のあやまりはあきらかであり、プロレタリアート総体の実力には結びつかない。また労組内団体共闘方式は、それが量的に成功することさえ、いわんや終局の目標への発展が質的に保証されるためには、実は、この方式の方がはるかに強く、社会主義青年同盟の支援を必着とするのである。現在の社青同は残念ながらそのような支援は与えきれない。したがって、まったく否定するべきではないが、成功は期待しにくい。
 (地区青年共闘運動についての重要な前提は、できない原則を云々したり、できるまで力がつくまで待機することではなく、できることをただちに実践に移し原則実現への歩みを開始することである。原則を実現できる力はそこで生まれ鍛えられる以外にない。職場抵抗の担い手にもならなければならない。)
 
(33)青年・労組青年部次元の前項の困難さにくらべて、親次元では反安保実行委員会が、都でも地区でも機能しえている。これは一応は総評・中立労連の主要労組と日本社会党の共闘組織となり、直接にはむしろ市民主義的な発想に導びかれてだが、地区での統一戦線機関としての定着をめざしている(一九七〇年七月からの公害問題の中心課題化・地区活動重点)。
社青同は東京の各段階で、反安保実行委に正式加入しつつあり、この運動の青年部分を受持つだろう。
 反安保実行委は勤労諸階級大衆を結集する点でまだきわめて不充分である。それはその中心となるべきプロレタリアートの指導性が、思想・組織・闘争能力のいずれでも不充分なことと対応している。これは労働組合についてよりむしろ日本社会党の機能についていえる。また社青同についてもいえる。
 反独占統一戦線は、改憲阻止闘争の過程でこれらの弱点を克服しつつ鍛えられ、特殊な客観的条件のなかで組織・戦術を含めて完成され実現する−現在の総体的な発展段階で、「量的には一部分だが質的には完全に」統一戦線を、とくにその組織を建設することには無理がある。
 (反安保実行委を萌芽とする反独占統一戦線への追求と、日本共産党系の民族・民主統一戦線への対立は無視しえない。この対立は不可避である。ただ、両者のできるかぎりの共同行動を保証して、共通の基盤での討論を生みだし、民族・民主という迎合的な、しかも誤った戦略を大衆的に克服する努力は必要である。この「対立」が終らぬかぎり、真に全勤労諸階級の総体を結集することはおそらくは困難だからである)。
 
(34)政治闘争と統一戦線形成とについては、絶対的に、日本社会党の強力な活動展開が不可欠である。日本社会党への社会主義者の結集が、目的意識的に急がれなければいけない。
 社青同はすでに、一定の「卒業生」をこの党へ送りこんできた。とくにわれわれの職場班は、そのことによって、日本社会党職場支部を建設してきた。このわれわれの先輩たちは、反合理化職場抵抗闘争を組織しうる思想と実践能力をもっている。彼らがすでにいる職場では、その後のわれわれのたたかいはすすみやすく、とくに青年労働者だけでなく組合員全体のたたかいが可能になっている。
 職場支都のこのような実体をもった活動は、その地区全体での日本社会党総支部の思想と活動とを、やはり飛躍的に改善している。
 この事実がわれわれに、日本社会党との支持協力関係、社会党強化による日本での社会主義党建設という方向に、確信を与えている。われわれはこの支持協力関係のなかで活動してきたのだが、その活動からこそ、真の社会主義者、党員を生みだしているからである。
 
D おわりに
(35)七〇年代の情勢はどのように展開するか? 安易な予想をたてることはもともと非科学的であり、するべきではない。しかし最少限いえることは、第一に日本独占資本主義経済の展開の六〇年代に比した停滞傾向である。一つにつながった世界帝国主義の体系の全体がゆらぎ、アメリカ独占を一方の顧客に展開してきた日本独占の対外経済活動は停滞しはじめる。両者は経済面では部分的対立を開始した。国内的にも労働力、市場両面で、安く買いたたき、高く売りつけうる豊かさはなくなっている。対外的にはアジア進出、国内的には合理化がますます拍車をかけてすすむのだが、重要なのは、アメも思想攻撃も六〇年代「高度成長期」のような、現在のような威力をもつほどには伴ないえないことである。反合理化職場抵抗闘争を糸口としたわれわれのたたかいは大きな成果をかちとるであろう。
 第二に、対外的なアジアヘの資本・商品輸出は、アジア諸国人民の激しい闘争で迎えうたれる。このたたかいはむしろますます発展し、われわれとの連帯を求めている。日本独占は目前の帝国主義軍事力創出のために、ラディカルな政治攻撃をうちださざるをえない。それは長期抵抗路線でいえば「敵の弱点」に他ならない−大衆的な反撃の契機だからである。「非武装中立」の旗のもとに唯一この攻撃に対決する社会党・総評・反安保実行委のたたかいは大きな役割りを果たすだろう。
 
(36)それは当然にも改憲阻止闘争と結びついている。改憲をテコとする大規模な、ブルジョアジーの総力をあげた思想動員・キャンペーンは、すでに一九五〇年鳩山内閣によって、一九六四年池田内閣によって試みられ、最近あらたに再開されている。しかし条文についての改憲そのものに関しては、われわれは、「三矢作戦計画」を思いだすことができる。この演習作戦は、池田内閣の改憲策動が阻止された頃立案され、朝鮮での「共産軍の侵略」と日米安保条約発効の条件下で、自衛隊の出動(海外派兵)と、その直後に関係立法・法改訂案を一挙的に国会に上呈し、一気に帝国主義軍事体制を完成することとをふくんでいた。かつて自衛隊の前身警察予備隊の創設が、一九五〇年の朝鮮動乱という現実の事態を利用し、それによって起った全大衆の、とくにプチブルジョア的中間層・その政党の動揺を利用して強行された。「三矢作戦計画」は、六九年秋の佐藤=ニクソン共同声明が朝鮮と台湾地帯での帝国主義戦争を最重視しているいま、戦りつ的な迫力をもっている。
 その最大の教訓点は、政治的上部構造での支配体制確立は、経済基盤や思想面でとは異なって、陰然たる準備が長期になされ最後に帝国主義の生みだす事件・現実の事態をテコとして、一挙的に強行される点である。もう一つの教訓点は、日本国内での憲法改悪=支配体制確立と、全アジア的規模での階級闘争の展開とが深い関係をもっている点である。
 
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