八○年代の内外情勢の展望と社会党の路線・2
三 日米安保体制と対外路線の展開
日米安全保障条約を基軸とする日米安保体制は、戦後日本の国際関係における政治的・軍事的な枠組みとして機能してきた。
日米安保体制は、経済的な日米協力をはじめ、さまざまな協力同盟関係を含んでいる。にもかかわらず、その基本的性格は軍事条約である。
一九五一年に締結された旧安保条約は、冷戦構造のもとでアメリカの対ソ・対中軍事戦略の最前線基地を米軍に提供し、駐留することを内容としている。
一九六〇年の安保改定によって、新しく「日米経済協力」と「日米共同防衛」がつけ加えられ、アメリカのドル防衛への協力と自衛隊の増強がすすめられた。自衛隊は、国内における治安出動とともに、日本の領域における日米いずれか一方に対する武力攻撃などの共通の危険に対処するように行動するから、米軍の行動によっては、日本が自動的に戦争に巻き込まれる恐れが強い体制であるとみなければならない。米軍は同時に、極東における国際の平和および安全の維持に寄与するために在日米軍基地を使用することが許されている。遠く西アジアにいたる地域の安全保障の名目で、米軍が自由に日本から出撃することになれば、その行動如何によっては、日本への軍事的報復を誘発し、その結果として日本国民の安全が侵害される可能性を高めることにもなっている。アメリカのベトナム侵略戦争のさいには、沖縄をはじめとする日本の基地が米軍によって使用された。
このように日米安保体制が、日本国民の真の安全を保障するわけではなく、むしろ逆効果として戦争に巻き込まれる危険性を内包しているからこそ、社会党を中心に戦後革新は安保廃棄の運動路線を選択してきた。同時にまた、反安保の課題との関連で平和と民主主義の理念をうたった現行憲法体制を守り、非武装中立の理念をかかげて闘ってきたのである。
安保廃棄と日中復交、ベトナム反戦、沖縄核ぬき返還などを一体のものとして闘った平和運動界諸国まで巻き込んだ武器輸出や軍事化への危険性を高め、局地戦も繰り返されている。しかし他方では、大国のパワー・ポリティクスによる手法が、国際関係の場で従来のような政治的効力をもちえなくなっていることも事実である。米ソともに軍事力を直接の手段とする外交政策が、かえって政治的影響力を弱めていることは、アフガン、イランの事例が雄弁に物語っている。加えて、資源主権の確立を主張する南の国々の発言力の強化、資本主義国と社会主義国間の相互依存関係の深まり、核廃絶や生存のための環境保持を求める民衆レベルの運動の高まりなど、新たな条件が加わり、「抑圧と被抑圧」「力と恐怖の均衡」でなく、人類共存のための新しい秩序をめざした、国際的な「民主化」「公正」「非軍事化」の原理の確立が緊迫性をもって迫られている。
現代の国際関係における多極化と、その過程での対立協調の動きは、人類がかつて経験したことのない、資源・エネルギー問題、食糧問題、環境とエコロジーの問題という世界的制約のもとで、現代文明のあり方を問い、人類の生存をかけて新しい人類史のページを開きうるかどうかの闘いの過程ともいうことができる。
国際関係におけるパワー概念も、軍事力がイコール、パワーとみる見方を時代錯誤として退け、政治、経済、人口、文化、技術、資源など総合されたものを真のパワーとする新しい時代の底流が動きはじめている。
この大きな転換期に、日本は「操作された危機のイメージ」に踊らされて、アメリカの軍事戦略に西側の一員として参加し、日米安保体制を強化・拡大し、戦争の加害者の立場にのめりこむべきではない。世界の底流をみきわめ、平和と進歩への新しい流れとともに日本の未来を切り開いていかなければならない。
われわれは、日米安保体制の危険性を具体的に再確認すると同時に、非武装中立の高度な理念の意義を再評価しておくことが必要である。少なくとも日本国民の恒久的な平和と究極的な安全保障については、憲法的理念としての非武装中立を実現する努力が不断に続けられるべきだし、かつまた理念実現のための現実的路線を確立しなければならない。
そのため党は、非武装化、自衛隊解体のために、次の四条件、@平和・中立外交の推進とその条件がどれだけ成熟するか、Aめざす連合政権の樹立とその安定度、Bそのもとでの自衛隊の掌握度、C国民世論の動向、などを整えていくことを方針としてきた。さらにこの方針を具体化するため、第四五回党大会での外交・防衛に関する報告で、@当面の軍事大国化阻止、平和への努力、A平和保障計画の推進、長期の目標実現へという運動と政策のプロセスを明らかにしてきた。
現実の外交路線の選択は、単なる理念だけでは不十分であるとともに、抽象的な理論で割り切ることも危険である。いま世界で起こりつつあること、とくにアジアで起こっている現実をふまえて、現実的・具体的な路線選択が必要であるが、多極化している複雑な国際関係の具体的現実をふまえたときに、防衛力としての軍備強化によって一国の安全保障を確保しようとすることは、かえって危険である。
まず第一に核戦争に対しては、今日の核兵器の発達のもとでは、いったん発射された核ミサイル攻撃に対して、米ソといえども有効な防御手段をもたないことが公認されている。核抑止とは、そのように共倒れになることを恐れ、相互に先制攻撃を思いとどまることを予定する”恐怖の均衡”にほかならない。とすれば、日本のような非核装備の同盟国に対する核攻撃の危険を、アメリカが自ら自国の被害をかけてまで抑止する能力も保証もないのは当然であろう。
一部の論者が自ら核兵器を保有すれば安全がえられるかのような暴論を展開している。しかし、それは問題を少しも解決するものではなく、国力を傾けて国民と国土の破滅を招く愚挙以外の何物でもない。つぎの戦争は核戦争であることを銘記する必要がある。
第二に、限定的かつ小規模な侵略に対しては、自衛隊が独力でこれを排除することが目標とされている。だが、今日の通常兵器の高度化を考えると、いかに小規模でも、その破壊力は太平洋戦争でわが国がうけた空襲よりはるかに大きい。しかも、わが国の太平洋ベルト地帯のような過密工業都市部の連続する地形においては、攻撃目標が破壊効果の高い大都市部へ集中するだけである。たとえ一週間の限定的戦闘でも、日本の工業力は壊滅的被害をこうむり、都市は再び焦土と化する危険がある。
第三に、今日の軍備が核、通常兵器の両面とともに、日本のような国土における防衛にとってはきわめて有効性の乏しい状況におちいっていることを考慮すれば、日本がさらに軍事力を増強したところで、アメリカあるいは先進国グループに対する自己弁護のあかしになるだけで、実質的防衛の効果は全くない。かえって日本自身が経済力を低下させて、今日占めている国際経済における地位を失うだけであろう。
第四に、日本の安全は、ソ連の軍事的侵略の危険によるよりも、朝鮮半島や中東における戦乱によって危機にさらされる可能性の方がはるかに高い。この場合にも中東へ軍事的威圧を加えるとか、海上輸送路(シー・レーン)を軍事的に防衛することなどは不可能である。それよりも、中東やアジアを強める努力の方がはるかに現実的であろう。
なお今日、ソ連脅威論などのキャンペーンにあおられた世論の状況は、日本の軍事化の暴走を促進しかねない危険がある。これを正して積極的平和創造の方向にむかうことは、わが国の安全保障の確立にとって重要である。とくに、国民の被爆体験、沖縄県民の戦争体験、米軍基地下の闘争、そして今日もなお継続する市民生活への脅威などによる根強い平和意識を広く国民全体のものとすることが必要である。
わが国の安全保障の確保は、軍備増強よりも、むしろ外交路線による平和の積極的な創出の重要性がますます増大している。国連とジュネーブの軍縮委員会で行なわれる軍備管理と軍縮の討議、ヨーロッパにおけるヘルシンキ宣言にみられる仝欧安全保障会議の設置の動向などは、いずれも全面完全軍縮をめざすものである。とくに、米ソの核軍拡競争の果てに登場した戦域核の配備は、核兵器を現実に使用可能とする限定核戦争の恐怖を身近なものとし、欧州各地に大規模な非核平和の大衆運動が巻き起こっている。すでに「核のカサ」の虚構は明らかとなった。社会党はアジア太平洋非核地帯の設置、東北アジア非核平和地帯設置の運動をすすめてきたが、これに呼応するかのように北ヨーロッパに非核地帯創設の運動が起こり、すでに存在しているラテン・アメリカ非核地帯の積極的事例とともに、社会主義インター幹事会の軍縮決議のなかで強い支持をうけている。核兵器禁止から全面軍縮への運動は、ますます大きな国際的潮流となろうとしている。
また、日本経済の対外的経済関係の変化からしても、二極構造のもとでの狭い対外依存の枠を越えて、いまや多角的全面的な外交関係の拡大が必要となっている。そのさい、対米追随外交でなく、自主平和外交にもとづく日米間の平和的関係の積極的維持、日ソ平和条約の締結、全千島の返還、西欧先進国との協力関係にもとづく緊張緩和政策の推進、朝鮮半島の緊張緩和のために韓国からの外国軍隊・基地の撤去・韓国の民主化、朝鮮の自主的平和統一の支持、自主的立場にたった対社会主義諸国外交の拡大、バンドン精神の原則にもとづく社会主義と進歩のための国際連帯が必要であり、さらに南との友好関係の拡大が重要である。
南北間題に対しては、新国際経済秩序の創設などに積極的に取り組み、発展途上国への経済協力がその国の自立と国民生活向上に寄与していくよう、その国に適した経済技術文化協力を拡大する。さらに、平和な国際交流の拡大を積極的にすすめる。とくに医療の移出、外国人の受け入れ、大学の国際的開放、文化の交流、平和共栄隊の活動など発展途上団との連帯を強め、長期の展望にたった信頼関係を築き上げる。また民間の学者・研究者などを含めた軍縮委員会の設置、平和研究と平和教育確立のための平和研究センターの設置、国連の平和機関の誘致など、政府、自治体、民間の各レベルで総合的に平和創出の運動を推進することが重要である。
こうして平和憲法をもつ日本、唯一の被爆国である日本は、核兵器全面禁止、軍縮の運動を政府・民間の総力をあげて展開し、また経済的力量を平和のために生かし、多角的全面的な平和外交による非同盟路線を積極的に推進する。このことは二極構造の崩壊のなかで大幅な変質をよぎなくされている日米安保体制の廃棄を実現し、非武装中立の憲法的理念にもとづく日本の絶対平和の道であり、それがまた恒久的で、もっとも現実的な、われわれ勤労国民の利益への道である。
七〇年代におけるアメリカのベトナムからの撤退、米中関係の正常化、中東を中心とした南の資源ナショナリズムの高まりなどが、わが国の対外的な経済関係の変化のみならず、政治面や軍事面での対外関係を大きく転換させることになった。
とくに七〇年代を迎えて日本の頭越しにすすめられた米中接近が、七九年の初頭には正式に国交正常化へと発展した。アメリカは、米ソ二極構造のもとで続けてきたソ連との対抗的共存によりながら、一方では中国封じ込めを行なう対アジア外交戦略を大幅に転換せざるをえなくなったのである。
一方では日中・米中の連携にもとづく政治的ブロックへの動きが高まりつつ、他方においては米ソの二極構造の内部に、中ソの対立構造が直結するという複雑な対立軸が形成されるにいたったといえる。
インドシナ半島をはじめ、わが図の東南アジアに対する姿勢も、安保体制下の対米協調・協力のもとでの関係拡大にとどまりえなくなったし、そのさい、激化する中ソ対立を考慮せざるをえなくなっている。ベトナム戦争終結後の各国の複雑な対抗関係を無視することもできない。
また朝鮮半島では、アメリカによって分断固定化が策され、民族統一の悲願にもかかわらず、依然として緊張をはらんでいる。
さらに、重要なのは対中東関係である。七三年の第一次オイルショック以降、原油の値上がり、日本経済の急速なドル離れ、オイルマネーの還流などで、わが国と中東との経済関係は急激な拡大をみせた。この中東、ペルシャ湾沿岸地域こそ、北に対する南の主張を内包する新たな動乱の地域。しかも、イラン革命やアフガン問題にあらわれているように、南の資源ナショナリズムの力を背景としながら、それと結びついた米ソの村立や、その影響力拡大のための紛争が激化している。したがって従来のようにアメリカ一辺倒の外交路線の延長線上で対米追随を続けることは許されなくなっている。
一方、経済面でも安保体制下の対米依存の経済成長だったがゆえに、さまざまな経済成長の矛盾が拡大してきた。すでに多極化の時代を迎えて、日本経済も対米取引の低下を示しているのである。七〇年代を迎え、IMF体制が崩壊すると同時に、日米経済関係も変化してきた。構造的な日本経済の対米黒字の不均衡が生じている。日米経済関係は相互依存の協調・協力の構造から、むしろ日本経済の相対的自立による日米対立の構造的矛盾を拡大するにいたっている。日米経済の対立摩擦は、当初の繊維から鉄鋼、テレビ、さらに自動車、そして半導体へと拡大し、産業構造そのものが対米緊張を高め、日米経済関係の全般にわたる見直しが迫られている。
こうした情勢のもとで、アメリカの世界的地位の低下に対するアメリカ国民の深刻ないらだちを背景に登場したレーガン政権は、「ソ連脅威論」を強調して日本と西欧の「役割分担」を求めつつ、「強いアメリカ」の復活をめざそうとしている。しかし今日のアメリカは、かつての圧倒的な力をもっていた時代のアメリカではなく、軍拡路線は福祉切り下げや増税に反対する国内世論や、西欧諸国民の反発を招いている。
それにもかかわらず、八一年五月の日米共同声明は、日本がアメリカの世界戦略に組み込まれていく危険性を浮き彫りにした。すなわち、
@共同声明は軍事同盟を意味する日米の「同盟関係」を初めて正式に明記した、Aソ連の脅威を指摘したうえで中東湾岸地域の平和と安全の重要性を強調し「適切な防衛の分担」を約束した、Bアフリカ、中東などに憂慮すべき事態が起これば日本もアメリカと協力して事に当たることを約束し、第三世界に敵対する危険性をもった、C在韓米軍の役割を評価し、日米韓軍事体制一体化の強化をめざした、D「適切な役割分担」について、日本の領域および周辺海空域に対する防衛力の改善を約束した、Eさらに首相演説では、日本が1000カイリの航路帯について防衛に責任を負うと述べた。これらは、片務的な日米安保条約の枠を越えて双務的な軍事同盟に変質させ、日本国憲法に違反して個別的自衛権から集団的自衛権へのなし崩し的拡大をはかるものといわねばならない。
共同声明以後、防衛予算の増大、防衛白書にみられる「体制同盟」論の強調、日米共同作戦体制の強化などが急ピッチですすめられ、韓国からは安保がらみの巨額の援助を要請されている。また、共同声明の時期にライシャワー元駐日米大使が、日本政府のいう「非核三原則」の虚構性を暴露し、国内からも非核三原則の緩和、憲法改悪、武器輸出緩和、教育の国家統制強化、徴兵制などのタカ派発言が強まっている。
これは日米安保体制が、五一年旧安保の第一段階、六〇年新安保の第二段階から八○年代安保の第三段階を迎えていることを示している。それは、危険な核安保、アジア太平洋安保への変質であり、憲法体制との矛盾をいっそう深めざるをえない。すでに自民党内からは改憲の動きがはじまっている。自民党政府は、総合安保政策を唱えてこの矛盾をかわそうとしているが、レーガンの世界戦略に同調したままで軍事大国化の道を抑制することは困難であろう。
軍事力増強が国内経済の困難を招いている点では、米ソともに例外ではない。加えてアメリカは西欧諸国からの反発をうけ、ソ連はポーランド問題などの困難をかかえている。軍事同盟の強化は世界平和への明らかな逆行である。八○年代の国際路線は、曲折はあるにせよ軍縮、非同盟、平和が本流となるであろう。
四 平和の積極的創出と安全保障
現代世界の国際関係は、七〇年代から八○年代にかけて、古い秩序から新しい国際政治経済秩序の形成にむかいはじめている。米ソの二大強国による二極構造が崩壊にむかいはじめると同時に、国際関係は多極化の構造による新しい国際関係の組織的再編の動きを生んでいる。それは対ソ関係をはらんだ帝国主義的な対立にもとづく一九三〇年代型の分裂抗争と同じではない。
確かに今日の国際環境は、激しい動乱の様相を示し、米ソ両国を中心とする核軍拡競争、第三世