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80年代の内外情勢の展望と社会党の路線・3
二 国内情勢
  一 現代資本主義の基本的性格
 われわれは資本主義のなかで生活している。私的所有制は厳然として貫かれ、経済活動の大部分は市場メカニズムによって支配され、企業は利潤原理にもとづいて活動している。労働力は商品化されて搾取が行なわれ、生産過程における労働者は主体性を喪失し、人間疎外は著しい。土地の商品化は土地問題を激化させ、地価上昇はインフレ問題を引き起こしている。いずれにしても、資本主義の本来もつ矛盾があらわにされているのである。
 また歴史的にみるならば、日本を含む現代先進資本主義国における資本主義は、きわめて発達した段階に到達している。各国に、それぞれの歴史的背景はありながらも、金融資本の寡頭制による管理支配、巨大法人の独占的寡占的支配、さらに対外投資の拡大などが行なわれている。
 現代資本主義は、さらに大きな特徴をもっている。それは、国家が資本主義の経済システムに大幅な制御を加え、社会体制の組織的再編成のために、全面的かつ積極的介入をすすめているという点にみることができる。
 このような国家の介入による体制の組織化は、第一次大戦後さまざまな試行錯誤を繰り返しながらも、第二次大戦以前までは、もっぱら国内を中心に試みられた。とくに一九三〇年代には、金本位制からの離脱によって、管理通貨制をテコとして、国家の本格的な介入が国内中心にすすめられた。しかし、そのために対外関係が犠牲にされ、各国の為替切り下げ競争、ブロック化による国際市場の崩壊、国際対立からの第二次大戦への突入という事態を招来して、かえって体制の危機を拡大してしまった。
 こうした第二次大戦による体制的危機をとおして、現代資本主義は、第二次大戦後あらためて、本格的な体制の組織化をすすめている。すでに述べた二極構造にもとづくIMF体制を中心とした戦後体制がそれである。ここでは国際関係における協調・協力の体制による組織化を前提にしながら、その枠組みのなかで、各国は管理通貨制をテコとして国内経済の組織的統合をすすめることとなった。七〇年代、IMF体制は崩壊し、国際経済は再編をよぎなくされたが、三〇年代にみられたような体制的危機は回避され、多極化構造のなかで、新しい国際関係の組織再編成が行なわれている。
 この動きは、各国の国内における体制の組織的統合に直接的に影響を与える。
 現代資本主義においては、国家が社会的再生産確保のためにも、経済システムに全面介入を行ない、体制の組織化をすすめているが、この体制の組織的統合のためには、勤労国民の支持が必要となり、現代国家が選挙権の拡大など、民主主義を拡大し、さらに労働者をはじめとする農民、中小企業者、消費者などのさまざまな大衆団体に対しても、広く社会権や生活権を保障することが条件となる。こうして現代国家では、資本主義体制の危機を救うため、国家が体制の組織的統合をはかる必要に迫られる。そしてそのためには勤労大衆の要求を無視してはその目的が達成できず、勤労大衆の政治的、社会的な権利保障を前提とした直接、間接の大衆の民主主義を拡大せざるをえなくなる。それゆえに勤労大衆の側から体制側に対して、民主的要求をつきつけ、民主的改革を提示して闘う可能性が存在し、その闘いを背景に組織された労働者などによる主体的な参加と介入の可能性が確保されることにもなるわけである。
 現代国家が経済システムに介入する場合、管理通貨制をテコとして、財政・金融面から介入することになるが、この場合金融資本の巨大株式企業においては、いわゆる所有と経営の形式的な分離が前提とされている。そのため、現代国家においては、行政権力の官僚集団と巨大企業の経営スタッフとの体制的融合による官民一体の組織化が成立する。保守政党もまた、民主主義によって大衆を体制的に統合しつつ、官民一体の管理社会の接着剤となって、政官財の複合体が形成される。ここから、現代国家に特有な管理社会の支配体制が必然化するし、管理社会による人間疎外も拡大する。現代資本主義における大衆の民主主義による体制の組織的統合には、このような管理社会に特有な矛盾が内包されるわけであり、搾取・収奪・支配の一体的機構が形成されている。したがって、資本主義体制の危機が深刻になり、大衆の力が弱まれば、民主主義も後退させられるおそれがあり、大衆の側からの民主主義を拡大する闘いが重要なのである。
 こうした現代資本主義の管理社会に特有な搾取・収奪・支配の矛盾は、現代国家が組織的統合のために、大衆の民主主義による社会権や生活権を保障せざるをえないため、労働者など組織された大衆の参加と介入を可能にしている。ここから労働者などの組織きれた力による国家権力への参加と介入によって、一方では国家権力の平和的移行とともに、他方では体制の組織的統合を変革することが可能になってくる。さらにまた、資本主義の経済システムを、大衆の民主主義によって組織的に制御しつつ、経済システムの体制的変革をすすめる条件が与えられることになるわけである。国家権力の平和的移行における現代的条件であり、現代民主主義の意義にほかならない。
 第二次大戦後、現代資本主義は戦後体制として体制の組織化をすすめながら、六〇年代に本格的発展をとげた。その過程で、人間疎外、環境破壊などの新しい矛盾を生みながら、独占資本は膨大な資本蓄積を行ない、強大な支配体制を確立した。
 IMF体制下での国際経済の協調・協力は安定し、先進資本主義各国の現代資本主義は、財政・金融面から総需要の拡大管理を行ないながら、高度成長にもとづく完全雇用の達成、所得再配分による生活水準の引き上げ、社会福祉の拡大など、かつて社会主義が政策目標とした課題を部分的、一時的に実現した。
 このような成果は、単に資本の論理や金融資本の組織化によって自動的に生み出されたのではない。現代資本主義国家において、労働者をはじめとする大衆の組織や、議会における民主勢力の増大など体制のさまざまのレベルにおいてすすめられた運動の成果でもある。このような現代国家における多元的機能にもとづいた民主主義により、高度成長のなかでの成果がもたらされた。
  二 戦後体制と高度経済成長
 高度成長は、特に日本において著しく、成果も新著なものがある。日本においては、六〇年代後半には年10%を超える実質GNP成長率が達成され、高度工業化による産業構造の高度化、雇用の拡大、村落社会の崩壊による都市化の進展など、いわゆる近代化がすすんだ。日本経済の高度成長においては、輸出の増大によるドルの流入をテコとして、財政金融面からの総需要拡大管理を続けながら、民間設備投資主導型の成長パターンをとった。そのことから、体制の組織的統合は、民間企業を中心にすえた企業社会の拡大を基調とすることとなった。また、安い資源の輸入なども高度成長の支えになった。ここに政官財が複合した日本株式会社と呼ばれる企業社会の共同体秩序による組織的統合が生まれたのである。
 こうして戦後日本の現代資本主義における管理社会の組織化は、あくまでも企業社会の枠内において拡大したのであり、したがって、現代国家の大衆民主主義にもとづく本来あるべき参加と介入も、高度工業化による産業構造の高度化にしたがって、農村の村落社会が急速に崩壊し、流出する過剰労働力人口が企業社会に吸収される形であり、そのさいの組織的参加も一企業内組合という狭い枠内にとじこめられた。さらに福祉までも企業社会の枠内において実現された。したがって、欧米における福祉社会が、社会的福祉として実現され、あくまでも公的な扶助の拡大向上であったのに対し、わが国においては企業社会の内部での福祉であり、会社内の福利厚生の向上を基本とすることになった。 以上のように、戦後日本の高度成長にもとづく体制の組織的統合が、もっぱら企業社会の共同体的秩序の枠内にとどまって、その枠を越えて市民社会的な広がりをもたなかったことが、現代国家に特有な大衆民主主義による参加介入をいちじるしく弱いものにしたことは否定できない。また、現代資本主義の特有な国家の経済機能も、もっぱら財政金融面での総需要の拡大管理を掌握しつつ、官僚機構が企業社会の経営組織と一体化して官民一体の秩序を形成し、その企業社会の秩序の枠内に参加・介入を制限しながら、組織的統合をすすめることになった。いわゆる日本株式会社に特有な組織的統合であり、こうした国家を頂点とした垂直的なタテ社会の秩序形成が、単一言語の民族性ともあいまって、家庭における女性労働を犠牲にする古い日本的伝統などを温存しつつ、高度成長のなかですすんだ。
 政治支配も、このタテ社会秩序に当然に結びつく。政官財は癒着し、中央直結、中央依存の新たな中央集権制を形成した。産業基盤整備に片寄った公共支出、企業社会秩序維持に重点をおいた補助金行政、三割自治などは、いずれもこの新中央集権制の所産である。こうした官民一体の企業社会秩序と、新中央集権制の政治支配が、自民党の一党支配を支えてきたのである。自民党は、現代国家に特有な大衆民主主義による参加・介入を抑制し、勤労大衆の要求を無視して専制的支配を続けたのである。しかし、そのことが、高度経済成長が進行するなかで、体制的矛盾を激しくしていった。
  三 高度成長の矛盾拡大と管理支配体制の強化
(1)高度成長の崩壊
 日本の高度経済成長はそれが急激であっただけに、七〇年代を迎えるにしたがい、その矛盾は、それだけ激しいものとなった。
 六〇年代からすでに消費者物価の上昇がはじまっており、都市の過密化による環境問題、オイルショックにはじまる資源問題、農村の崩壊による食糧自給度の低下、医療の荒廃、教育の荒廃、モラルの低下など枚挙にいとまのないありさまである。これらの諸矛盾は、経済成長に対する制約要因として作用し、一九七三年の第一次オイルショックによって、日本の高度経済成長は終焉する。同時に高度成長にもとづいて形成された企業共同体的秩序にもとづく組織も、再編成をよぎなくされている。
 高度経済成長による諸矛盾は、その現象形態をみるかぎり、企業社会の体制的秩序の外部に拡大する形であらわれた。
 こうしたことから、消費者運動、住民運動、市民運動、婦人運動といった新しい社会運動が生まれ、高度成長と結合した企業社会の体制的秩序を、きびしく問い直している。
 中央直結の政治支配に抵抗する革新自治体の誕生と、それによる中央包囲という政治情勢も、同じ状況から生まれた。
 一方、高度経済成長の矛盾は、消費者問題や住民問題として、いわば、労働者と市民が次元を同じくする生活者の問題として激化した。すなわち、労働力の再生産の観点にたてば、これらの矛盾による実質的な生活水準の低下は労働力の再生産を阻害するものであり、生活者問題はとりもなおさず、労働者問題にほかならない。
 高度成長に伴う生産現場における合理化はさまざまな人間疎外の状況を生み出した。生産性向上や合理化に伴う、きびしい労務管理や配置転換、さらに産業構造の高度化によるスクラップ部門の人員整理、労働災害の増加や臨時工、社外工、パートタイマー、出稼ぎ労働者という形での搾取強化、下請け企業圧迫などが強まった。
 とくに農村社会を急激に崩壊させ農業の破壊や過疎問題が激化するなど、いずれも高度経済成長をテコとする企業社会の体制の組織化の限界が暴露されたことを示すものである。
 このような矛盾の激化によって、労働運動の課題も、それまでのような企業社会的秩序の内部での大幅な賃上げによる生活水準の向上や雇用の獲得をはかるだけにとどまることはできなくなった。合理化や生産性向上の矛盾に対して、生産現場において賃上げや雇用獲得を闘うと同時に、市民と連帯して、自らも生活者として、生活レベルにおいて生活闘争を積極的に展開することが必要となったし、その闘いにおいて、労働運動の質的発展がはかられ、消費者運動や住民運動、障害者運動、さらには広く市民運動と結び、むしろその中軸として、広く国民的規模に運動を拡大していくことが必要となっている。
 こうした運動の広がりによって、企業社会的秩序による体制組織化の限界を打破し、体制を変革する道が、いまや模索されはじめているのである。
 日本経済の高度成長が終焉を迎えたのは、七三年の第一次オイルショックであり、この時点でマイナス成長型の大型不況と狂乱インフレによって、日本経済もスタグフレーションに見舞われることになった。先進国における高度成長は、金融資本における独占・寡占体制の強化をもたらし、さらに雇用の拡大によって賃金の下方硬直性が高まるなど、経済システムは著しく硬直化を強めた。そのうえに、二極構造の崩壊による多極化に伴って、すでにIMF体制の崩壊がすすんでいたのであり、とくにドルのタレ流しを中心とした各国の過剰流動性の激化が、国際市場における多国籍企業などの投機的活動を助長することになった。先進国のスタグフレーション的要因は、オイルショックによる資源問題の爆発に伴なって、世界スタグフレーションとなって拡大し、日本経済も大型不況と狂乱インフレの共存に苦悩せざるをえなくなったのである。
 もっとも日本経済の場合、省資源型の生産性上昇などによって、スタグフレーションは必ずしも激化していないが、欧米先進国のスタグフレーションは拡大の傾向を続けている。失業の増大とインフレによる生活破壊は高まっているのであり、現代資本主義が労働者を体制の内部に統合するさいの限界が暴露されたとみてよい。それは財政インフレ政策の効果を喪失させている現代資本主義に内在する矛盾にほかならないが、その矛盾のあらわれ方は各国それぞれの条件によって異ならざるをえない。いずれにしてもオイルショックによって、日本経済もまた高度経済成長は破綻し、成長率も大きく低下しているのであるが、それだけではない。とくに、農村社会の崩壊によって吸収してきた若年労働力の不足がめだち、三大都市圏を中心とする太平洋ベルト地帯の過密による環境問題の激化に加えて、安価な海外輸入資源の大量消費によって急成長を続けた臨海型の重化学工業の多くが、構造不況による減量経営をよぎなくされた。
 こうした企業社会的秩序の動揺に対して、中央直結の新中央集権的政治支配は、狂乱インフレの鎮静のためにも、短期的には総需要抑制の引き縮め政策をとらざるをえなかった。しかし、円高=ドル安にもとづく狂乱物価の鎮静と同時に、赤字財政によって企業社会的秩序の上からの救済に乗り出さざるをえなくなったのであって、七〇年代後半の財政運営は全面的な赤字借金財政へ転換した。こうした企業社会的組織化の矛盾は、赤字財政による財政危機へ全面的に転嫁され、財政再建の国民的課題を提起せざるをえなくなったといえよう。
 さらに、企業社会的な体制の組織化の破綻を赤字財政で救済する過程において、金権的政治支配の構造的矛盾も、つぎつぎに暴露されることになった。ロッキード事件を頂点とした汚職事件の続出は、まさに政官財癒着の「構造汚職」にほかならない。こうして、新中央集権制による現代国家の日本型組織的統合の構造は、政官財一体の金権腐敗政治として、その限界を暴露するにいたったといえる。したがってまた、自民党による一党支配の体制も、構造汚職の続出、赤字財政による財政危機の深化、さらに欧米との経済的摩擦などの矛盾によって大きくゆらいでいる。
 (2) 管理支配体制の強化
 こうした保守支配の動揺に直面して、財界の研究機関を中心に「社会的危機管理」の検討がすすめられたことは重要である。政官財癒着・中央集結の新中央集権制の形成は、いわゆる管理社会化の進行でもある。この過程で、官僚機構は肥大化し、公社・公団や補助金制度、許認可制度の増加などによって、経済管理が強化され、官僚エリートと独占資本の癒着、支配政党との癒着がすすんだ。科学技術があらゆる分野で発達し、専門化、集中化がすすみ、官僚制の役割が増大し議会の地位が相対的に低下した。こうしたエリート官僚と一般労働者の社会的格差の拡大は、激しい受験競争を生み教育システムを変貌させた。
 また情報化社会が進行するなかで、政官財によるマスコミ操作が強まった。警察機構にも情報管理技術が導入され、装備の近代化がすすんだが警察行政の民主化はおくれている。さらに地域社会においても管理支配が検討され、自治体へのコンピュータ管理システムの導入などでプライバシーが侵されようとしている。このような管理支配体制の強化が七〇年代の高度経済成長の破綻の時期に進行した。それは単純な政治反動化と異なり、形式的には民主的、科学的な装いをとり、利益誘導や情報操作などを伴いながら、眼に見えない形での管理支配を強めている。このなかで、人間疎外がいっそうすすみ、校内家庭内暴力をはじめ各種の犯罪が起きるなど社会病理現象が広まっている。これに対し、勤労大衆の側からの自立と連帯による主体強化が重要な課題になっている。
 七〇年代において、わが国の戦後体制も大きな転換期を迎え、新たな体制の組織的再編の時期を迎えている。日本型の企業社会的秩序は、その秩序形成の前提となっていた高度成長そのものが終わり、経済成長は大きく屈折せざるをえなくなった。企業社会の中核として機能した重化学工業は、構造不況から減量経営をへて、もはや積極的拡大経営を再開することが不可能であるばかりでなく、すでに脱工業化の段階に入っている。さらに高齢化社会を迎えて、安価な若年労働力の供給にもとづく年功序列賃金や終身雇用制による秩序維持をはかる条件も失われてきている。こうして、企業社会秩序の枠内において、すでに雇用の拡大や生活の向上をはかることが著しく困難になっているし、むしろエネルギー危機や財政危機を一方的に宣伝しながら、労働条件の悪化、生活水準の切り下げや福祉の全面的後退のおそれが高まっている。とくに財政再建については、国民生活の耐乏と行財政の全面的な合理化、さらには累積赤字の国民大衆への転嫁が目論まれているのである。
 とくに、自民一党支配の根底的動揺を迎えて、保守の政策路線も混迷を続けているのであるが、八○年の衆・参同時選挙での自民党の勝利を契機に反動コースの政治路線が強まり、高度成長の終焉によって国家的目標を見失った保守政権は新しく国家目標をさぐっている。すなわち、エネルギー危機や財政危機、さらにソ連の侵略などの危機論を一方的に宣伝し、そうしたイデオロギー的な体制の危機論に立脚して、財政再建のため財政・金融面からの引き締めによる総需要の抑制、「新自由主義」による公共サービスの切り下げと福祉政策の全面的な切り捨て、労働組合の交渉力の抑圧、節約と生活耐乏の強制などを前提にして、自衛の名による軍備を増強するという反動路線にほかならない。
 軍事費を増大させ、福祉・教育費を切り下げ、自治体と住民に犠牲を転嫁する鈴木内閣の行政改革こそ、レーガン政権やサッチャー政権と同質の「新自由主義」による抑圧と引き縮めの反動路線にほかならない。しかも矛盾がいっそう拡大するなかで、反動化はさらに強まろうとしている。それは自民党の絶対多数を背景に、有事体制の推進、教科書検定の強化、靖国神社公式参拝、刑法改悪、環境基準の緩和など、政治、軍事、教育、司法、国民生活などあらゆる面に及び、八一年度の『防衛白書』は「国家体制の擁護」「愛国心の高揚」を打ち出し、軍国化への傾斜を一段と強めている。自民党を中心に憲法改悪への動きも公然化しつつあり、われわれはその危険な企図を未然に阻止しなければならない。
 しかし、こうした新自由主義による抑制と引き縮めの反動路線に対しては、すでに高度成長のなかで大衆民主主義にもとづく社会権・生活権の一定の前進や、生活水準の上昇、さらにいわゆる「一億総中流」の意識の広がりのもとでかえって国民大衆の著しい不満を増大せざるをえなくなっている。公共料金をはじめとするインフレ物価問題への高い関心、大衆課税による増税への強い警戒、福祉切り捨て、防衛増強への抵抗など、根強い政治的不満が拡大しているとみるべきであろう。
 しかし、こうした国民大衆の中に広がっている「身近な生活要求」を重視する意識は、思想やイデオロギーではなく、生活への不満をもちながらも現状維持の傾向に流されている。そして保守の側がこれを見通して体制への統合をすすめようとしていることを軽視してはならない。反動的な国家意識へ誘う場合にも、マスコミやタカ派文化人を動員し、末端行政組織や各種の業界、職能団体を利用し、警察、自衛隊の広報活動などを使って下からの同意を組織するという方法で巧妙にすすめられている。これは古い反動化路線でなく、上から受身の大衆を体制に統合していく新たな保守支配の再編成である。われわれは生活要求の組織化と同時に、下からの自立した勤労大衆の組織化をめざさなければならない。
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