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八○年代の内外情勢の展望と社会党の路線
   日本社会党第四六回大会で採択、一九八二年二月六日
*出典は『資料日本社会党四十年史』(日本社会党中央本部 1985)  
目次
一 国際情勢
  一 はじめに
  二 戦後体制の崩壊と国際間係の新しい組織化
  三 日米安保体制と対外路線の展開
  四 平和の積極的創出と安全保障
二 国内情勢
  一 現代資本主義の基本的性格
  二 戦後体制と高度経済成長
  三 高度成長の矛盾拡大と管理支配体制の強化
三 社会主義への移行と連合政権
  一 現代資本主義の特徴と国民意識の変化 
  二 参加・介入の大衆運動と改革路線
  三 民主主義の徹底と社会主義運動
結び 社会党の任務と課題
 (1) 反転攻勢をどこから切り開くか
 (2) 創造的運動を担いうる党の建設へ
   一 国際情勢
    一 はじめに
 第二次世界大戦は、人類史上かつてない惨禍をもたらし、かつ資本主義体制の危機を暴露することになった。戦前の旧植民地体制が崩壊し、つぎつぎに民族の独立が実現された。アジアでは中国をはじめ各地域において、またヨーロッパでは東欧諸国において、それぞれ変革の形態は異なるにせよ、いわゆる人民民主主義国の誕生をみた。西欧でも社会民主主義の政党や共産党などの参加する政権もまた登場した。
 しかし、第二次世界大戦後の世界体制は、当初、西と東との対立、つまり資本主義体制と社会主義体制との対立が、米ソの二極構造としてあらわれ、展開されることとなった。五〇年代の冷戦体制から六〇年代には、緊張緩和(デタント)へと変わり、戦後体制は相対的安定の時代を経過した。この時代に、いわゆる第三世界における非同盟運動が態勢を整え、国際関係に大きな影響を与える勢力として登場してきたことも見逃せない。
 七〇年代を迎えると、米ソの二極構造は、両国が、その温存に努力しつつも、崩壊にむかつて変容を余儀なくされることになる。南の発展途上国と北の先進国との対立が顕著となり、いわゆる南北間題が本格化した。社会主義体制の内部でも、「五つの共産主義」と呼ばれるような多様性が表面化した。それだけではなく、平和と民主主義、民族の自決と連帯の実現をめざす社会主義国が、その理念を自ら否定するような事態さえ起こしている。この事態は、それぞれの国における社会主義への発展段階の差異と、その移行の多様性を軽視した結果生まれたものである。しかも、社会主義相互間の対立が、先進資本主義国や開発途上国などとの相互依存、相互浸透という過程であらわれていることに注目しなければならない。その意味で、社会主義国は、いまや国際連帯への新しい対応を迫られている。
 八〇年代は米ソの二極構造の崩壊がすすみ、多極化の様相をさらに拡大していく傾向にある。もちろん資本主義と社会主義との対立がその背景にあることはいうまでもない。米ソの二極構造は、西側先進資本主義国でも、アメリカの政治的経済的な相対的地位の低下に伴い、ECや日本の地位の上昇による資本主義国家間内部でのバランスの変化を生み、また南北間題の発生、南の内部においても複雑な利害の対立が起こり、さらには、東における社会主義の多様化と対立など、いまや現代の国際関係は多極化・多元化の方向をとりつつある。
 このような多極化の傾向のなかで、資本主義国、社会主義国を問わず、国益追求の衝動が強まっている。われわれは、企業の利潤追求を優先させ、資本主義体制の矛盾を外に転嫁しようとする保守派の「国益」や、偏狭な民族主義には反対する。真に勤労国民の連帯に基礎をおいた世界平和と人類解放のための新たな国際連帯が、いまこそ真剣に考えられなければならない。平和五原則を堅持して、全世界の勤労国民と進歩的諸政党との友好連帯を強めていくことこそ、真の勤労国民の利益と平和への道である。
 このような立場から、われわれは、現代資本主義への批判とその変革をめざすとともに、既存の社会主義への建設的な批判と検討もすすめなければならない。そのうえで、体制のいかんを問わず、それらの国々の勤労国民の利益をめざす動きと連帯しなければならない。それは、武力に頼らぬ戦争なき平和主義、自由・平等、人権尊重をめざす真の民主主義、民族の自決と国際連帯を求める非同盟主義などの、新しい国際秩序を築こうとする動きと連帯することである。これこそ新たな国際主義の誕生である。
   二 戦後体制の崩壊と国際間係の新しい組織化
 (1) 先進資本主義における戦後体制の崩壊と新しい組織化
 第二次大戦後の米ソの二極構造のもとで、ドルを中心とした国際経済の協調・協力の組織であったブレトンウッズ協定によるIMF体制は、七一年のニクソン・ショックと、それに続く通貨の多国間調整を迎えて完全に崩壊をとげた。ドルは、金との交換性を失うとともに、対外競争力の低下やインフレ的な過剰発行によって、その価値下落は著しい。固定相場制は変動相場制へ移行するとともに、為替の投機的取引による混乱を重ねるにいたった。その半面、貿易取引や国際金融の場においては、各国の直接的な管理体制が強化されているのであり、国際摩擦の激化など、国際経済の不安定要因は著しく高まっている。こうした国際経済の不安定性を前提として、それに南の資源ナショナリズムが結びついたため、オイルショックが七〇年代に繰り返され、今日の国際関係の不安定性と多極化を一層増大させている。
 しかし、IMF体制の崩壊による国際経済の不安定性の高まりが、一九三〇年代型の国際経済の崩壊、ナショナリズムの台頭、為替切り下げ競争、ブロック化による対立抗争、そして帝国主義的戦争に直結しているわけではない。むしろIMF体制にかわる新たな再組織化の模索がはじまっている点に注目すべきである。ここでも先進資本主義国は、一方では社会主義圏との対立、他方では南の産油国への対応、そうした複雑な対立軸のなかで、協調・協力の態勢を組まざるをえない。七一年のスミソニアン体制から七五年以降のサミット(先進国首脳会議)による協調と協力ヘの移行は、国際関係の不安定性や多極化への先進資本主義諸国の対応に他ならない。
 サミットによる国際協調・協力は、毎年繰り返されるなかで、変動相場制を前提としつつも、対外摩擦を緩和するための貿易管理、さらに金利やマネーサプライの調整を通じてオイルマネーの還流をはかるなど、新たな協調・協力の体制を機能させようとしている。こうした協調・協力によって貿易をめぐる国際的な摩擦や対立を緩和し、また国際金融をめぐる投機的混乱を制御し、さらに南の資源ナショナリズムヘの対応をはかるなど、貿易関係をはじめ国際的経済関係の維持・拡大をはかっているのである。
 一九三〇年代型の危機を教訓として、第二次大戦後はIMF体制による国際経済の組織化に成功した先進国は、さらに、いわゆる「サミット体制」という形での再組織化に発展させることによって国際関係の崩壊を食いとめ、その危機を回避する努力を続けている。
 サミットによる再組織化は、単なる経済レベルだけの協調・協力ではない。エネルギー問題をはじめとする、南の資源ナショナリズムや東の社会主義圏に対応する先進国の政治的協調体制としても機能しており、著しく国際政治化している。
 とくにレーガン政権は、対ソ対決のタカ派戦略への同調を西側諸国に求めようとしており、西欧諸国の反発や、アメリカ自身が一面では対ソ穀物禁輸を緩和するなどの矛盾をかかえながらも、サミットが政治的・軍事的な危機管理の役割を果たしつつあることも無視できない。
 西欧先進国の東欧圏における「自由」化への接近と浸透、米中接近から米中和解へ、日中平和友好条約の締結による日米中の交流の拡大などは、社会主義体制内部の対立を利用し、資本主義の危機に対処しようとする動きに他ならない。この米中接近は、アメリカが追い込まれた側面と、逆にアメリカが反転攻勢に利用しようとする側面とをもっている。
 また南の資源ナショナリズムによるエネルギー危機への対応として、産油国と非産油国との利害対立を利用し、南への垂直分業の関係を深めることによって、先進国間の緊張を協調・協力関係に転化させようとする試みでもある。またサミットによる先進国間の利害調整は、各国の国家的利益に一定の犠牲を求めるものであり、その結果、各国内の勤労大衆に犠牲を転嫁する面ももっている。
 サミットによる協調・協力は、IMF体制崩壊後のアメリカの相対的地位の低下、日本、ECなどの相対的地位の上昇という多極化傾向のなかでの協調・協力である。それは資本主義の新たな体制的危機への対応形態なのである。
 (2) いわゆる第三世界における多極化と新しい組織化
 一九五五年のバンドン会議にはじまる非同盟運動はしだいに発展し、非同盟主義を外交の原則とする国々が、チトー・ユーゴ大統領、ナセル・エジプト大統領、スカルノ・インドネシア大統領、ネール・インド首相らの呼びかけによって一九六一年、非同盟諸国首脳会議に結集し、平和共存、反帝国主義、反植民地主義、軍事同盟不参加を非同盟主義の原則として確立した。
 非同盟首脳会議は、その後六五年にインドネシアのスカルノ政権、ガーナのエンクルマ政権などがクーデターによって崩壊させられるなかで一時停滞した。
 しかし、アメリカのベトナム戦争の敗北とベトナム、ラオス、カンボジア人民の解放闘争の勝利を契機に、これらインドシナ三国を加えて、非同盟運動の発展は決定的なものとなった。七三年九月の第四回非同盟首脳会議は、非同盟諸国が団結して帝国主義、植民地主義と対決する姿勢を明らかにした「政治宣言」と、帝国主義に対して闘争を行なっている民族解放闘争への支援の強化を訴える「民族解放闘争に関する宣言」が採択された。さらに経済宣言では、独立を達成した国々が帝国主義に経済的に従属しており、それを断ち切らぬかぎり発展はありえないことを指摘し、帝国主義に支配されている国々の資源に対する恒久主権(いわゆる資源主権論)を宣言し、「真の民主主義の要求に合致した新国際経済秩序」を樹立する方向を明らかにした。
 七四年、非同盟諸国がイニシアチブをとって資源問題に関する国連特別総会を開催させ、アメリカなど先進国の反対を押し切って「新国際経済秩序樹立に関する宣言」と、天然資源、経済活動に関する恒久主権、多国籍企業を規制する権利を明記した「諸国家の経済権利義務憲章」を採択した。しかし、このような非同盟諸国の一方における団結の前に、他方では、その分極化も進行した。とくにオイルショックによる石油の値上がりを通じて産油国(OPEC)と非産油国との対立が深まった。また、同じ発展途上国の内部でも、中進国とか新興工業国(NICS)と呼ばれる国々の力も強まり、世界市場への参入が拡大している。とくに産油国と先進国との関係は、一方では石油の値上がりによる対立を含みつつも、他方では高価格の石油によって南北の貿易取引の比重は高まり、またオイルマネーの還流による新しい相互関係も形成されている。また新興工業国も、一方で先進国への追い上げの面をもちつつ、他方では、垂直分業も強められている。その過程で多国籍企業の進出と経済支配もすすんでいる。こうして南の内部においても先進国ならびに多国籍企業に従属する新興工業国、反帝・反植民地・民族革命をめざす国々、それに産油国と非産油国の対立を内包しつつ、分極化は進行し、それらが独自性をもちながら、一方でその対立を深め、他方で相互依存の関係を拡大しようとしている。
 このような分極化の傾向に対し、非同盟首脳会議は、その内部における意見の相違の克服、紛争の解決のために、さらに団結を固めるべく七七年のハバナ会議以降、毎年その努力が続けられている。
 とくに、これらの経済的要求の根底に民族自決の要求があることに留意しなければならない。したがって中東和平の包括的解決にはパレスチナ人民の「唯一正当な代表」であるPLOの承認と、その祖国復帰、独立国家建設の要求実現が前提となる。
 さらに非同盟諸国は、米ソの核の対立に対し、核軍縮を優先させ、生物・化学兵器、通常兵器へと軍縮をすすめて全面完全軍縮を達成するという計画を準備し、国連における軍縮特別総会の開催をも成功させた。
 これらの非同盟主義の運動は、旧来の米ソ二大国を中心とする資本主義と社会主義の枠組みに対し、国際経済、平和秩序創造への新しい 一つの有力な動向としてあらわれてきた。しかも、先進国の資本主義的近代化、その文明への新しい挑戦が含まれている。
 (3) 社会主義体制内の対立の激化と社会主義の多様性
 i 社会主義体制内の対立
 第二次大戦後のアジア、東欧におけるいわゆる人民民主主義国の誕生は、社会主義体制の強化・拡大を意味した。資本主義と社会主義の対立、そのあらわれとしての米ソの二極構造の一方の極は、ソ連を中心とする社会主義体制として体現されているようにみえた。
 しかし、おくれた農業国から出発した社会主義国は、完全雇用、社会保障、教育条件の確立などで前進し、資本主義国に影響を与えてきたとはいえ、社会主義体制内部には多くの問題をかかえていた。
 1 当初、ソ連は帝国主義諸国の強い干渉のなかで、唯一の社会主義革命に成功した国として、ソ連を守ること、あるいはソ連に学ぶことが世界の社会主義運動にとって重要であった。しかし、世界に社会主義運動が高揚し、社会主義革命が各国で成功するにしたがって、ソ連の経験を学ぶことも大切であるが、同時に各国では、その国の民族的・歴史的特殊性をもち、また国益にも相違があることから、社会主義の自主性と多様性が要求されるようになり、一枚岩的体制から多様性のなかで新しい国際連帯が重要な課題となった。
 2 大戦後の米ソの二極構造のなかでソ連は、資本主義との対立を意識し、工業化、近代化をすすめる一方、社会主義体制の防衛という使命感に支えられ、大国の地位を追求するという方向をとってきた。これは、ドルと核とで世界を支配するアメリカに対する対抗策でもあったのである。この方向が、核の競争と軍備の拡大の道を選択することになり、工業化、近代化の早期実現や社会主義的民主主義の発展のうえでの重要な障害となった。
3 スターリン批判後のソ連、東欧の社会主義の課題は、いわゆる社会主義的民主主義の拡大、民主化であり、生活の向上であり、そのための経済の改革という形での効率の改善、それらの課題を実現するための両体制の平和共存、などを追求することにあった。
 だが、その実現が十分に達成されていないことから、社会主義体制のあり方をも含め、さらに反省と前進が要求されるようになった。今日、社会主義国において民主主義の問題が共通して問題になっているのは、社会主義国の構造そのものに、多くの未発達の部分が残されていることを示している。
 このような戦後の社会主義体制に内包する諸問題が、五〇年代の冷戦体制から六〇年代のデタントヘと経過していくなかで、相互に動因となって中・ソの対立、チェコ事件、最近のポーランド事件、ベトナム、カンボジア問題などとなってあらわれたのである。
 しかも、社会主義体制内部の対立は、資本主義と社会主義との対立というよりも、両者が相互に関係を深めることと密接につながっている。七〇年代に入り、資本主義体制に動揺が起きたことと相まって、両体制の経済関係は量的な深まりだけでなく、相互に連動しはじめている。たとえば、自給度の非常に高かったソ連でも、七〇年代に入ると対先進資本主義国貿易の比重が三割にも達し、東側諸国と西側諸国とは深くかかわりあうにいたっている。こうして社会主義体制も世界資本主義の変動から非常に影響を受けやすくなってきている。これに加え、開発途上国のキューバ、ベトナムが参加することによって、経済相互援助会議(コメコン)内部に、その援助をめぐって新たな困難な問題も生まれつつある。その結果、コメコン諸国の対西側累積債務の増大という問題も生じつつある。とくに石油価格の上昇は「サミット体制」にとっても重大な課題であると同時に、ソ連、東欧にもはねかえってくる。石油価格の上昇が西側からのインフレの影響として入ってくることが東欧の諸国に新しい困難な問題を提起する。それだけにソ連も、石油輸出国であるという立場からだけOPECの値上げを歓迎するわけにはいかない。したがって、総合的な社会主義体制のバランスからいえば、資本主義経済との平和的共存が社会主義にとっても必要であるような相互依存度の探まりが生まれつつある。それにもかかわらず現実には東欧と西側の接近が社会主義体制内の対立要因となってきていることも事実である。ポーランド、ユーゴ、中国に起きている現象もその例証といってよい。
 社会主義体制内部の対立も、世界資本主義体制の矛盾と相互に連動している。そのことは今後、社会主義と資本主義との対立の局面だけでなく、相互依存関係としてもとらえることの重要性を示している。
 ii いわゆる第三世界における「社会主義的指向」について
 いわゆる第三世界において、いま「社会主義と開発途上国」の問題が浮かび上がってきている。アジア、アフリカ、中東には「社会主義的指向の国家」と呼ばれる一連の国家群が出現し、非同盟運動のなかの有力な潮流となっている。
 しかし、その後の「社会主義への指向」をもった国々は必ずしも、「非資本主義的発展の社会主義への道」を歩んでいない。
 この背景には、新興独立諸国における経済的自立の予想以上の困難の他に、世界資本主義の巻き返しと浸透、新興諸国における土着資本主義の予想以上の発展と、それに伴う国内の勢力分化などの事実があった。
 最近のアフリカ・中東の「社会主義的指向の国家」は部族制から抜けでて、やっとナショナルな形成の道に入ったばかりで民族ブルジョアジーも形成されておらず、労働者階級といえるようなものも存在しない国が少なくないだけに、「社会主義的指向の国家」への道は依然としてけわしいものがある。
 われわれは、現代における非同盟運動の進歩的役割を評価する。同時に、社会主義的指向の国家を資本主義との対立の側面からのみとらえるのではなく、その複雑な発展過程を冷静に見守る態度が必要である。
 (4)多極化傾向と集団安保体制の再編
 以上のように、先進資本主義国における多極化、いわゆる第三世界における分極化、社会主義内における多様化と村立などは、それぞれが相互に関連しあって連動している。しかも、これらの連動は国際関係がもはや、戦後の米ソの二極構造から多極構造化しつつあることを示している。
 この背景が軍事面でも、二極構造のもとでの米ソを主軸とした体制を崩しつつある。先進国はいずれも、資本主義体制を維持するための国益追求の衝動を強めており、三〇年代のようなイデオロギー的な結束やブロック依存の姿勢は弱まっている。一方では、米中接近から米中和解がすすみ、アメリカのアジア戦略の転換が行なわれ、他方では、ソ越友好条約などのソ連の動きなど、アジアにおける集団安全保障体制は根本的再編がすすみつつある。さらにヨーロッパにおいてもヘルシンキ宣言、フランスのNATO統合軍事機構からの離脱や独自の核武装、また西独の東方政策にみられる緊張緩和もすすんでいる。二極構造の下でのNATOの空洞化が進行しているのである。このさい、西欧における社会民主主義政権や社会主義インターがその役割を果たすことによって生じつつある西欧各国の多元的動向、たとえば、フランスにおけるミッテラン大統領の誕生、西欧各国での戦域核配備反対の平和運動のかつてない高まりなどは、アメリカ中心の集団安全保障体制を大きく変えさせつつあるといってよい。
 こうして、七〇年代にはじまった国際関係の多極化構造のなかで、東西交流の高まり、デタントの促進やSALTT・U、米中正常化の動きなど、新しい国際関係の形成にむかっての再編がすすみつつある。むろん、こうした多極化の動きのなかで、アメリカのベトナムにおける敗北や軍事力におけるソ連の脅威へのあせり、ソ連のアフガンに対する軍事介入、これに対するアメリカのソ連非難、エルサルバドル内戦への武器援助、リビア近海での演習、挑発行動、中性子爆弾の製造承認など、五〇年型の冷戦構造へと逆行する動きも無視できない。そうした動きが、新たな軍拡競争の開始につながるし、危険な戦争への不気味な可能性を感じさせている。それにもかかわらず、米ソ二大国間の冷戦型の軍事抑圧体系が必ずしも国際世論の支持をえられないばかりか、とくに南の第三勢力からもきびしい批判にさらされている。
 これと同時に、既存の秩序を超えた新しい国際株序をめざす動きは、広く国連の舞台で行なわれているほか、姉妹都市などの都市連合、さらには科学者や政党や労組、業界や婦人団体など、非政府間の国際組織として多元的な重層的な協調と交流の形をとってあらわれている。こうした民衆レベルの参加にもとづく体制や国家を越えた国際連帯が、下からの新しい国際秩序の創造を求めて活動している点にも注目しなくてはならない。