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社青同全国学協再建総会議案
提案 社青同中央本部学対部、全国学協(準)
1973.3.5 神戸
 
*1973年3月5日神戸大学で開催された社青同全国学生班協議会再建総会に提出された議案。出典は議案原本(資料室HP管理人所蔵)。原本はガリ版刷り。目次は以下のとおり。
 
第T章(1)全国学協再建にあたって全国の同志に訴える
(2)社青同学生運動建設の苦闘の足跡
(a)全国学協の崩壊と都学協の再建
(b)六八〜六九全国教育学園闘争のなかでの教訓点
(c)低迷期を突破する社青同運動の展開へ
(d)社青同学生運動の全面展開へ!
(3)現下の情勢とわが同盟の任務(以上本ページ)
U章 方針(1)当面する課題について
世界資本主義の同様の中、更に反帝闘争を進めよう−ベトナム和平協定支持−
ミッドウェー横須賀母港化阻止・四次防粉砕を通じ安保・自主防衛路線に対する闘いを前進させよう
帝国主義的国内支配秩序づくり、政治反動に抗し、労働者階級と連帯して闘おう!
学費闘争を発展させ「筑波大学法案」「大管法」制定策動粉砕の闘いを進めよう
全ての大学で中教審路線実質化、自主改革攻撃への対決を鮮明にし、中教審路線粉砕闘争を飛躍的に前進させ教育闘争の発展をかちとろう
自治会民主主義の再生を克ちとり、階級的大衆的自治会再建の闘いを進めよう
(2)組織方針
 
以上の目次はは実際の内容に基づくもので、議案表紙に書かれた目次とは内容がかなり違っている。表紙目次は次のとおり。
第1章 (1)意義と任務 
       (2)闘いの経過
第2章 (1)当面の課題について
      (2)組織方針
第3章 暫定内規
<付> 社青同学生運動の強化のために
 
管理人所蔵原本には第三章以下が議案に綴じこまれておらず欠落している。総会当日別に配布されたのかどうかは、もはや不明である。    全文PDF (ワンドライブに収録)
 
第一章
(1)全国学協再建にあたって全国の同志に訴える
 全国の学生班の同志諸君!
 ついに、我々は念願の全国学生班協議会の再建をここに勝ち取ろうとしている。いわゆる六六年九月の解放派によって惹き起こされた「九・三事件」を契機として、全国学協は事実上、崩壊した。そして、六六年十二月、東京地本学生班協が「小さき旗上げ」をしていらい、すでに六年有余の苦闘が積重ねられてきた。或る意味では全国学協の再建は遅すぎたとも言えなくはない。共に闘い、社青同学生運動の礎石を築き上げてきた多くの同志はすでに他の戦線へと移行している。全国学協の再建の成果はこれらの同志と共有してしかるべきであろう。
 六年有余の苦闘をもって再建される全国学協は、この間の理論的実践的成果をもって強固なものとして打ち固められなければならない。
 既に形成されてきた各県学協はその力をより拡大しなければならない。全国的にまだ多い空白大学への組織建設の闘いもより重視されていかなくてはならない。それらの力をもって、各拠点校を中軸としながら階級的自治会建設に向けた努力を傾注し、崩壊し、形骸化した学生自治会のその内実を再生していかなくてはならない。
 何よりもプロレタリアートの階級的ヘゲモニーの下に、それと連帯し、反独占統一戦線の一翼を担いうる学生戦線の構築に向けて、社青同全国学協がその推進軸となっていかなくてはならないのだ。
 全国の同志諸君!
 混迷している学生戦線の中にあって、社青同がまがうことなき「組織者」となってこの混迷を打開して行かなくてはならない。
 世界の資本主義の危機は深化し、矛盾は拡大し、資本の下に包摂されようとしていたプロレタリアートは七○年代に入って、雄々しい反撃と抵抗を開始しようとしている。危機感に満ちあふれる政府独占資本は今や、教育の全面的掌握に向けての攻撃を強化しつつある。教育労働者への一○%賃金アップを含めた懐柔策や筑波大学への本格的な動きをみよ!政府独占資本の醜悪な攻撃に対して、当然にも断固とした反撃が準備されなくてはならない。長らく日本学生運動の栄光を蹂躙してきた小ブル運動は瓦解の道をたどり、民青系の運動のもつ限界も赤裸々に暴露されつつある。
 社青同学生運動はこの困難を打開しなくてはならない。何よりも我が同盟の党派性を!
 基本路線をますます打ち固め、学友の中に深く根をはりながら、闘いに決起しなければならない。
 マルクス=レーニン主義に立脚した我が同盟はその戦闘性をいかんなく発揮して不屈の前進をしなければならない。
 
(2)社青同学生運動建設の苦闘の足跡
(a)全国学協の崩壊と都学協の再建
 全国学生班協は六六年九月のいわゆる「九・三事件」による解放派の暴挙とそれに伴う東京地本の解散によって事実上、崩壊した。社青同の基本路線のもとに闘いを展開させようとした同志たちは六六年十二月、東京地本学生班協の再建に向った。それは「小さき旗上げ」であったが、社青同学生運動の確かな出発点であった。
 六○年安保闘争以降、後退した学生運動は徐々に上昇傾向にあった。日韓闘争、ベトナム反戦闘争の高揚をはじめとして、東学館を拠点とする学寮闘争、慶大、早大などの学費値上げ阻止闘争などの闘いの炎が全国各地で形成されつつあった。
 社青同学生運動はかっての九州学連の伝説や闘いが崩壊したあと、首都の東学館、中大、法大などのいくつかの大学班を軸として再び開始しようとしていた。過去の理論的成果は極めて少なく、わずかに「改憲阻止、反合理化」の基調の理解と東学館闘争や中大の学館闘争などの闘争経験を踏まえながら出発したにすぎなかった。後の「教育闘争を基調とした学生運動論」の原型は一定程度自覚されつつあったものの、まだ十分ではなかった。組織的にも解放派との分派闘争の過程の疲労を色濃くもっていたということができるであろう。
 ともかくも、出発した社青同学生運動は、つづいて、社学同、中核を中軸とする急進主義運動の全国化のなかで、再び新たな試練を受けなければならなかった。だが、それはわれわれの本格的な運動の開始であった。

(b)六八〜六九年全国教育学園闘争のなかでの教訓点
 六七年に入って、立川基地拡張阻止闘争からはじまった反戦・反安保・沖縄闘争は、十月の第一次、十一月の第二次佐藤訪米阻止闘争、翌六八年のエンタープライズ佐世保寄港阻止闘争中で小ブル急進主義運動を全面的に開花させた。
 そして、六八年五月からの東大闘争、日大闘争は全国教育学園闘争の突破口であり、それはまたたく間に全国に燎原の火の如く拡大した。反戦闘争をはじめとして、「フランスの五月」のように全世界的に学生運動が燃え上がったのも、この時であった。
 社青同は、それまで東学館闘争をはじめとして、いくつかの諸闘争の具体的な闘争の総括をふまえ、「教育闘争を基調とする学生運動論」を構築しつつあった。それらの成果は『社会主義』六八年十月号などで発表されている。全面展開する余裕はないが、それは第一に、学生運動を形成する基礎としての「社会的基盤」を明らかにし、第二に、その上に立っての「階級形成」の問題を、第三に、全体の階級闘争との関連を解明していくことにあった。
すなわち、学生が単にブルジョアの子弟のみならず、労働者階級の子弟の比率が大変高まっていること、しかも、大学が中・高級労働力の養成の場として変化している。全体としては中間層として位置づけられるべきであるが、学生の構成要素が明らかに変化している。こうしたなかで、学生の存在基盤である大学、及び教育へのあらゆる政府、独占資本の攻撃に対する闘いを運動の基礎に据えていくこと、これらの運動の長期的、持続的な展開によって、現体制の矛盾を自覚させていく。同時に重要なことは、プロレタリアートの階級的なヘゲモニーである。これが前提とならなければ、「自己の成長が革命の条件の成長と錯覚する」、小ブル急進主義への傾斜は不断に生み出されざるを得ないであろう。従って、プロレタリアートの階級意識によって武装された社会主義政党の役割は決定的であると言わなければならない。
 六八〜六九年の全国教育学園闘争の展開は闘争機関としての「全共闘」を生みだした。もともと「全共闘」は一定の闘争時においてつくられる闘争機関であるのだが、新左翼党派やNRによって特別の意味がこめられていった。社青同は「階級的自治会建設の過渡的形態」として認識し、「全共闘」のなかで生みだされた多くの学友と接触を強化し、かつそのなかにあって闘いを強めてきた。学生班はこの闘争のなかで献身的に闘いながら影響力を拡大し闘いを担ってきた。今日の学生班の発展と形成はこの中で培われてきたといえるであろう。
 しかし、この教育闘争の発展が予想を越えた高揚をもたらし、不可避的に国家権力との対決を迫られた時、闘いの方向は大きく変化した。六○年代の資本の攻勢の前に労働戦線の右傾化が進行している時、「革命情勢」と考えた小ブル急進主義者の方向は、形成された「全共闘」を七○年安保=沖縄闘争を目指した闘争機関へと移し替えていこうとするものであり、横行した「政治主義」は大衆運動の分解化と党派系列化をもたらしたのである。
 六九年一月に安田講堂が「攻め落とされ」てからの運動は一瀉千里この道をつっぱしった。学生の動きは七○年安保を見据えて、たしかにラディカルな傾向をもってはいたが、それへの影響は小ブル急進主義者が握り、「革命夢想症」やそれに依拠しつつ「全共闘」−学園の窓から政治を見る傾向が多く生まれた。古く克服された「革命の理論」があたかも「あたらしいもの」として登場さえしたりした。対抗軸であった民青は小ブル運動に反発する部分(一定のまじめな部分もあったが・・・)を含みこみ「○○協議会」運動へと焦点を絞り、闘争圧殺の攻撃であった「自主改革」路線へのめりこんでいった。
 六九年の大学立法の強行と佐藤訪米阻止闘争の過程は小ブル急進主義の最後ともいうべき動きであった。政府独占の攻撃は功を奏しつつあった。
 社青同は「全共闘運動」の党派系列化の中で佐藤訪米阻止闘争を契機として、この間の闘争蓄積された力をもって独自の途を追求した。
 六○年代後半の学生運動の動向は大きな教訓を与えている。その点についてはいくつかこれまで明らかにしてきたが、社青同の具体的立場として「教育闘争を基調とする学生運動論」の理論的解明の深化や同盟建設の著しい前進をみることができた。他方、社青同が学生運動の主流派として登場していくためには「統一戦線を指導し抜く能力」を持たなければならないことも明らかになった。闘争のあらゆる局面のなかで事故の党派性の貫徹と大衆の成長を指導しうる党派へ社青同は脱皮していかなければならないのである。
 
(C)低迷期を突破する社青同運動の展開へ
 七○年反安保=沖縄闘争はマスコミによって「静かなる盛上り」と称された。全国の大学は機動隊の導入によっての「平穏」が得られ、いくつかのストライキも、もはや以前の鋭さをもちえなくなってきていた。教育学園闘争は明らかに後退局面に入り、当局の自主改革路線が幅をきかせ、これと結びつきながら、個別大学の長期計画(大学再編)が打ち出されてきた。民青諸君は失地回復にやっきとなって、「改良の最後の果実」をかちとろうとしたが、武装解除のなかでそれが追求されるわけがなかった。
 社青同は、敗北し、後退しつつある各学園の状況のなかで「教育闘争の再生」を主張し、後退するなかでの抵抗戦を組織することを確認した。言葉では言われていた「長期抵抗体州党総路線」の内実が問われはじめていた。「負けた軍隊はよく学ぶ」といわれるが、こうしたなかで個別学園での闘争の展開を追求し、雪崩をうって日常生活へと回帰していく学生に対する組織化がなされていった。
 個別大学の中では「教育闘争の再生」がスローガン化し、現実には思うように追求できなくなった中で、1政府独占の攻撃と学内の情勢把握、2学生の動向、3闘争課題の設定、4同盟組織の配置と政治的大衆組織の強化、の四点を軸として闘いを追求した。
 多くの諸党派が現実には教育闘争を召還していく中で社青同の闘いは、原則を貫いていくうえでも正しかったといえるだろう。
 しかし、逆に「教育闘争至上主義」「段階論」とでもいうべき傾向もまた生みださざるを得なかった。「教育闘争もできていないのに政治闘争には取り組めない」というような傾向のものである。学生の持っている矛盾を全ゆる形で引き出し組織するという原則が若干影をひそめ、党派の思考が大衆の思考であるかのように理解してしまうことは絶えず運動の幅を狭めていかざるを得なかったし、政治的課題への敏感さの欠如と消極化が生まれたのである。
 ともかく、絶えず大衆と接触し、困難なクラスサークルでの闘いを起こしていこうとする自覚はむしろより堅持されなければならないことはいうまでもない。
 我々はこの時期の闘いの中で、ようやく拠点校といわれるいくつかの大学を固めはじめてきていた。都学協的な意思統一が形成されつつあった。いうまでもなく、それはこの時期、もっとも困難な闘いにとりくんできたことの成果であるといってよいだろう。
 
(d)社青同学生運動の全面展開を!
 学生戦線は混迷期を乗り越したか。決してそうではない。むしろ七○年代に入って、それは一面では深まっている。政府・当局の中教審路線は比較的スムーズに貫徹してきている。かつての学生運動の基盤であったクラス・サークルは解体されつつある。六○年代後半の小ブル急進主義運動はいきつくところまでいった。かつては「自治会派」とでもいうべき無党派学生を巧みに組織する能力を保持していた民青も、民青の裸踊りで終わっている。
 運動は基礎からやり直さなくてはならない。大衆組織の機能を回復させ、クラス・サークル運動の再建をはじめなくてはならない。今日、追求さるべき課題はまさにこうした、当たり前ともいうべき闘いである。それを当たり前だと思う党派は本当に少なくなった。そうした闘いを自信をもって、辛抱強く展開できる党派に成長していかなくてはならない。遠まわりに見えても、それが一番の近道である。その中で生み出され、発展する大衆の意識と同盟の成長は一体不可分のものである。
 とくに、留意しなくてはならないのは、この闘争を展開するにあたっては、かたくなまでに強固な、武装された社青同学生班を建設するという自覚がないと逆に、大衆追随主義に陥る危険性もあることを承知しなくてはならない。
 
(3)現下の情勢とわが同盟の任務
  六〇年代から七〇年代へ運動の条件は大きく変化してきた。国際管理通貨体制にあらわれた世界の資本主義の危機は日本にも大きく影響を及ぼしている。合理化、労働強化、賃金抑制攻撃をはじめ、インフレ、公害など資本主義の「業病」は増々拡大している。この情勢の変化の中で、プロレタリアートの階級形成と戦闘力はいくつかの弱点をもちながらも、拡大しつつある。昨年末の総選挙の結果はこれを反映している。一方、政府独占資本の危機感はかつてなく大きい。この危機感はしかし、資本主義の根本的矛盾の激化という点で彼らにとっては容易に消しがたいものである。
 彼らはこの危機を乗り切るために、膨大なインフレ予算をくみ、有効需要を創出することによって独占資本の危機を救いながら、他方では長期合理化攻撃を多くの産別の中で貫徹しようとしている。更に、教育の側面でも、教育労働者への10%賃金アップによって支配を強化し、更に筑波新大学構想を本格化しようとしている。個別大学の中においても、多かれ少なかれ、足並みをそろえた攻撃が進むだろう。
 
 しかし、これらの攻撃を打ち破っていく闘いは資本の攻撃の中で、我が同盟をはじめとする戦闘的、階級的翼の拡大をも大きな条件として進んでいる。七三春闘もまた、これらの闘いの真価を問われる闘いにほかならない。学生戦線の混迷は今や脱却されなくてはならない。我々が、これまで着実に形成してきた闘いを今一歩、大胆に飛躍させていかなくてはならない。
 全国の同志が一層団結を固め、不屈な闘いを強めていこう。我が同盟全国学協再建に向けて培われてきた苦闘をわがものとしていかなくてはならない。
 再建される全国学協は過去の闘いの継承とそして、新たなる飛躍の物質的基礎となるであろう。
 我が同盟は、「教育闘争を基調とする学生運動」を理論的に深化するのみならず、具体的実践的な闘いによって深化していかなくてはならない。
 その豊富化なくして、我々の前進はないといってもよい。
 
 再建された全国学協は、各地区の学協の建設と個別学生班の前進を通じて、階級的自治会建設をより深く進めていかねばならない。
 七〇年代の深まりゆく危機の中で、我が同盟のみが、反独占統一戦線の一翼としての学生運動を展開していく条件を保持しているといっても過言ではない。
 全国の同志諸君!
 全国学協を武器としてあらたな飛躍を克ち取ろう!
 
 
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