我々は、こうした大学の帝国主義的再編ー中教審路線の実質化攻撃としての筑波大学建設は、今後の中教審路線の実行として一つの先例をなすものと言えること、そしてまた国公私大を貫く各学園での再編攻撃の更なる推進へ大きく道を開いていくものとしてあることをまずもって確認していかなければならない。第一に、「筑波大学法案」(具体的には「国立学校設置法」「学校教育法」「教育公務員特例法」の一部改正というものであり、それぞれ、学部制の「廃止」、副学長制の設置、教員人事等を内容としている。)により筑波大学型の大学組織体制を持つことの“合法的根拠”が与えられる。第二に、法的根拠と実際の筑波大学設置という“基礎付け”の上に、今後の大学新設、例えば、政府文部省が考えている「新構想教員養成大学」「産業医大」「防衛医大」などの新設あるいは国立大の「移転−統廃合」等において筑波大学型の“枠づけ”がなされうるし、またさらに現行の国交私大へなし崩し的に全体化していくことも可能となる。第三に、各大学の「自主改革」や「長期構想」等の再編計画に基づく再編攻撃は、個別、独自の“論理”はもちつつも筑波大学=中教審モデル大学へより一層強く(空白)いくものとして推進されうることになるといえる。すなわち、各大学での再編の方向に強く外的インパクトを与えていくものとしてあるといえよう。
筑波大学は「六学群」「二六学系」を基礎とする研究・教育体制とそれを支える学長を絶対的“権力”“学内(空白)”の形成、「学外有識者」の導入を軸に協力な学内管理運営体制をもつとされている。こうした筑波大学建設は、中教審最終答申にいう「種別化、多様化」そして「開かれた大学」の理念のもと「研究と境域の分離」にもとづく研究教育体制の再編、それと対応した権限の上部集中と(空白)化緻密化による管理運営体制の再編合理化をすすめる大学再編攻撃の現段階を“質的”に一歩促進していく強力なテコとなっていくであろう。当面、とりわけ「筑波大学型の管理運営体制」への再編は、国立大学を「橋頭堡」に全体化されてくる内在的危機を強くもつものといえる。また一方、政府文部省は、「筑波大学のなりゆきをみて、大学運営臨時措置法の制定を考える」(稲葉前文相)に示されるように昭和四九年における「大学臨時措置法」の期限切れを考慮しつつ、いわば「筑波大学方式」の管理運営がうまくいけば、それによって大学の「管理統制」を実施していこうとして
いるのである。この意味において「筑波大学法案」は実質的「大管法」への布石攻撃としてあるのである。
「体制の危機」感を増大させている政府独占は、現行「臨時措置法」のリミットとも関連して恒久的「大学管理法」の制定を強く策動していかざるを得ないことも注意しておかねばならない。これ以後、筑波大学建設とも密接に関連して「大管法」制定策動は新たに強まると言わざるを得ない。
このような現段階での大学の帝国主義的再編−中教審答申の実質化を“質的”に強化し推進していく「筑波大学法」の成立を全国の学園からの決起をもって断固阻止していかなくてはならない。
「筑波大学法案」「大管法」制定策動の粉砕の闘いは、この間の各大学における教育学園闘争の成果の上に、とりわけこの間の全国の多くの大学で闘われた学費闘争の成果の上に、より一層、中教審路線粉砕の闘争を強化発展させる方向で、各大学における中教審路線実質化、自主改革攻撃を粉砕し抜く内容で闘い抜かなくてはならない。七一−七三年の学費闘争は、学生戦線の現状において、より一歩広い学友を結集した。そこにおける学生大衆の闘争へのエネルギーを一定確認しうる。学友の「政治的訓練」をより一歩広汎に克ち取るものでもあった。
日本資本主義の現段階における、政府独占資本家階級の攻撃の“全体”との関係のなかで筑波大学設置の意味するものを暴露し、「筑波大学=中教審モデル大学」の“全体像”を明確に描きそこに内在する矛盾を暴露し、各大学における矛盾への闘争と結合していく等という観点をふまえ、「学費闘争」における学生大衆の立ち上がり(エネルギー)を持続的闘争へと一歩前進させ、中教審路線粉砕の闘いを全階級戦線に拡大していく一環として「筑波大学法案」の粉砕、「大管法」制定策動粉砕の闘争を推し進めて行かなくてはならない。
全ての大学で中教審路線実質化、自主改革攻撃への対決を鮮明にし、中教審路線粉砕闘争を飛躍的に前進させ教育闘争の発展をかちとろう
すでに見た筑波大学建設さらに「新構想大学」建設の動向に端的に見られる如く、「高度知識社会」「情報化社会」に対応する政府独占支配階級に全面的に「開かれた大学」にむけ、スクラップアンドビルドという激しい形をもちつつ、現段階の大学再編は進行している。七一−七三年における全国的な学費値上げは、こうした再編の理論的基盤を確保していくという内容での突破口攻撃としてあるといえる。(七二年末で「学費値上げ校」は全国で四〇八校)「大学教育は列島改造、福祉に並ぶ内政の柱だ」(自民党)ということである。資本主義体制の決定的動揺のなか、その矛盾を増々深化させている日本資本主義において、その労働力ネックを強力に解決していかんと、「人間開発政策」を基調に政府独占の労働力政策の全面的な貫徹として中教審路線は急ピッチで強行されているのである。
「知識集約型産業」を軸とする産業構造への転換−アジア分業体制の確立という方向に位置づけられた大学の帝国主義的再編は、中教審路線のもと現段階の政府独占の要請する労働者養成さらには「帝国主義的人づくり」攻撃としてかけられてきている。
こうした攻撃は国公私立を問わず各大学においてあらゆる方面から貫徹されている。各大学の再編は、全体的にみるとこの間の学費値上がりを実際的突破口に、「計画」から具体的実行段階へと突き進んでいるといえる。「自分の大学は、そこまではいっていない」などということは甘いのだ!国立大におけるいわゆる自主改革は、軌を一つにしてはいないが、その最先端をいく東大においては、1.「リコール制度」を取り入れた総長選挙改革、2.自主改革の全学的推進をもっていく「総長室」(総長補佐機関)の設置、3.「業績評価」「定期報告制度」を内容とする教官自主評価の深化(法的裏付けさえあれば教授の任期制を採用するとしている)、4.学生対策として<学生参加>による学生自治会そのものを学内管理支配体制の一環として組み込んでいく方向の深化、と同時に「大学の教育研究機能の障害」となる部分への弾圧の徹底化、という攻撃を打ち出している。
神戸大学においては、「カリ改編」をテコとして、学部−教養部制度解体、さらに三年生大学への移行を軸とした教育課程の全面的再編がすすめられている。また東洋大においても二万三千坪の広大な土地への移転(朝霞移転)計画、八〇周年事業(マスタープラン)が打ち出され着々と推し進められている。このなかで研究教育体制のドラスティックな再編、そして管理運営体制も「学部長会議路線」として強力に推進されてきている。中大においても、当局は、「中大長期構想」実現に向けたその第一次体制を整え、七五年を目標に具体的実行段階に入っているといえる。「理事会」への管理運営権限の集中と大幅学費値上げ(約70%)による財源の確保、学生の管理支配(自治会、サークルなど団結基盤の破壊を通して)を一応達成し、九〇周年事業−多摩移転は、今春以降急ピッチで具体化されんとしている。拓大でも「長期基本構想」のより一層の総合化という方向で「手直し」を加えつつ進められている。各個別大学における再編の実態は、「最低」として「建学の精神」等は残しながら独自の形態、独自の論理を装いつつも明確に「中教審最終答申」(七一年六月)での大学再編であることを一層明白に露呈してきている。政府独占の教育、大学「支配」の貫徹としてある中教審路線の文字通り実質化としてあることを暴露せざるをえない。各大学における再編の具体的現れを一つ一つ暴露し対決点を鮮明にし、同時に学生大衆の矛盾へ鋭く眼をむけ、要求闘争、権利闘争と結合し、各大学における中教審路線の実質化攻撃に対決していかなくてはならない。こうした深部からの闘いをこの間の学費闘争を発展させる内容で、そして「筑波大学攻撃」をふまえ、中教審路線粉砕闘争のさらなる前進として実現していかなくてはならない。この闘いを軸にこれ以降七〇年代増々強まる政府独占の教育・大学への攻撃と鋭く対決し、反独占闘争として教育闘争のさらなる発展をかちとろう。