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『社青同の進路』第三章・後半
 
第四節 労働組合
(21) 七〇年代の日本でも、青年大衆はすでに第U章(16)にみた内容で三つに分解させられている。三つの分解を基礎に、その構成員の状態に応じて、労働組合にもいくつかの潮流への分解があらわれている。第U章(16)項の分類でいえは、第一の部分が第二の部分を圧倒し、職制機構に助けられて第三の大部分をひきつけている組合は、主として同盟会議に結集し、あるいは過度的にIMF・JCや七〇年六月から本格的に形成されはじめた全国民間労組委員長懇話会(全民懇)に結集している。この潮流はたくみに、公害、住宅、物価などの問題だけでの「統一行動」を提起し、「労働戦線統一」を呼びかけ、訴える単一の結集体(ナショナルセンター) を結成することによってより大規模な結集をすすめようとしている。
 
(22) 第二の部分が未だ強力ではあるが、前章(26)にみた内容での思想確立、団結、活動が不充分である組合では、第一の部分との激しい攻防戦が、第三の大部分をどちらにひきつけるかをめぐってますます激しく展開されている。総評に結集する組合−民同運動左派の流れをいまも保っている組合−が多くこの状態にある。そこでは情勢はきわめて不安定である。しかし、われわれにとって重要なことは、たたかいがいま展開中であり激闘がつづいているという事実を正確に認識することである。
 激闘にかちぬきこれらの労働組合をプロレタリアートの側に確立することこそ、最も可能性の大きい突破口である。ここに日本プロレタリアートの主体的条件の橋頭堡をうちたてなければならない。総評を階級的労働組合として獲得しなければならない。
 
(23) (21)にのべた同盟会議などの潮流の特徴は「体制内的」という点にある。その指導部には資本主義体制を不変のもの、人類史の最後の永遠の到達点と考える者さえふくまれる。あるいは社会主義社会への転化を口先きだけは必要だというものもいる( 民主社会党系)。
 いずれにせよ、この潮流は現実の運動としては、六〇年代日本独占資本主義の「高度成長」に完全にホレこんで、現体制=帝国主義に無限に近い幻想をもつ。たたかう姿勢が不充分だというよりは、ブルジョアジーの国内的な、対外的な方向のすべてをより「成功」させることこそ、プロレタリアートの要求実現の基礎だと考え、そのために活動している。合理化に協力し生産性をあげたければ賃金は上らないと「指導」し、資本輸出はアジア後進国人民の援助になると考えてそのための「労組間の協力」を語り、日本独占がアメリカ資本との競争に「勝ちぬく」ことは労働者にとっても死活の問題だと思いこんで、反独占闘争ではほとんどやらない大衆行動を展開する(アメリカの日本商品輸入規制反対の「闘争」)。そして帝国主義軍事力創設に他ならない「自主防衛」のスローガンには両手をあげて賛成する。
 
(24) これら体制内労働運動の指導部は、第U章で確認してきた法則やそれにもとづく後に第W章でみるようなわれわれのたたかいと、根本的にあい入れない。われわれのたたかいは徹底的に妨害される。資本は彼らのような指導部を組合役員につけるために、全職制機構、社内報や社会教育などの全体を活用して介入する。彼らによって役員機関を占拠された労働組合は、大衆行動も教宣活動も−要するに組合員の階級的成長のために役に立ついっさいが、意識的にサボられる。ここに体制内労働運動の最大の罪悪がある。
 要求貫徹の立場が弱いだけでなく、また政治闘争が弱いだけでなく、プロレタリアートの自覚、闘争力の発展を追求する立場が根本的にない。「社会主義の学校」としての機能が重大な打撃を受けて妨害される。体制内労働運動は、ブルジョア民主主義支配体制の基礎、その最大の「成果」であり同時に最強の基盤である。このような指導部は帝国主義段階での、アメ思想攻撃の能力をもった国の労働運動を特徴づけるものである。日本でも、帝国主義が確立する六〇年代後半からこの潮流が台頭してきたのは偶然ではなかった。
 
(25) このような指導部を労働組合から徹底的に追いだす(われわれがでてゆくのではない)まで、彼らとの闘争がおしすすめられねばならない。この闘争が、完全にではないが、ある程度まではすすまないうちは、プロレタリアートは政治権力を奪取することはできない。個々の要求の勝利のためにではなく、革命と階級総体の発展とのためにたたかうわれわれは、労働組合がこれらの指導部によって占拠されればされるほど、ますますその内部でたたかい、彼らを追いださねばならない。これらの指導部の前途は日本では実は暗く、マスコミの紙のうえで一時的に明かるくみえているだけである。
 
(26)しかしこの闘争の前提は、この指導部の存在と、プロレタリアートの大部分がむしろ資本によって(体制内的指導部自身によってではなく)支配されているという事実と相互に不可分な関係である。だからこの闘争は、われわれがプロレタリアート大衆を代表してプロレタリアート大衆をひきよせるための闘争である。大衆をわれわれの側にひきよせることが成功の基盤でありたたかいの目的である。ひきよせるとは、個々の要求を一歩でもよいから本当に追求する立場がどちらなのか、ブルジョアジーと体制内指導部なのか、われわれなのか、ということを、個々の要求闘争のなかで明らかにすることである。
 そこで、これらのエセ指導部との闘争で最も重要な要素は、彼らに対する直接の批判・糾弾の宣伝よりも、まず大衆をその要求獲得のために立ち上らせることである。立ち上った大衆が、その時はじめて、誰がその要求闘争(改良・抵抗)の真の味方かと自分で考えることができる。この立場からの反右派闘争がわれわれの基本である。
 
第五節 社会主義党
(27) 社青同の社会主義党についての見解は、綱領の前文に次の立場が規定されて結成大会決定となった。「日本社会党が青年をはじめ、多くの労働者階級ならびに国民大衆の信頼を受けてたたかっていることを支持し、日本社会党と協力し、さらに日本社会党を真の階級政党とすることを同盟の大きな任務と考えます」。つまり社青同は、日本社会党と支持協力関係に立っている。日本での「前衛党建設」を日本社会党の階級的強化によって果たそうとしている。社青同は自分がまだまったく不充分だということを自覚し自分を鍛えようとしている青年活動家の組織である。いいかえれば、自分たちは社会主義党党員の能力をもっていないことを自覚しつつ、しかし積極的に、自分たちの主要な仕事は、社会主義党の働き手を養成することだということを公然と表明している青年団体である。
 
(28)社会主義党は革命の主体的条件を担う、思想と実践との両面の能力をもつ、プロレタリアートの団結の最高形態である。社会主義党は、社会主義者、プロレタリアート、勤労諸階級大衆の三つを一つのものに、切っても切れないものに結びつけるすベ−思想・理論・方針と、また実践能力・団結力・組織実態などとをもたないうちは、その名にふさわしいものではない。
 社会主義党の必要性はレーニン以後だれもが認めているので、そして形だけなら大変つくりやすいので、「社会主義党」「前衛党」は今日では無数にあり、雨後の竹の子のようにぞくぞくと「結成」される。しかしわれわれが必要としているのは、プロレタリアート総体、全勤労大衆の発展を支え得る能力をもつ真の党である。われわれ一人ひとりがそのような思想と実践能力をもたねばならない。それはプロレタリアート総体の発展のなかで、それと行を共にするなかで少しづつかちとられる(形ばかりの主観的な「前衛党」建設にいっさいを還元している逆転した発想の典型が革命的共産主義者同盟の二つの派、いわゆる「中核派」「革マル派」である。)
 
(29) 日本社会党の特質は少なくとも次の六点をあげゐことができる。第一に階級闘争の立場をとってきたこと。不充分ながらこの点が、民主社会党になった西尾派排除以来確立されている。第二に戦略について反独占社会主義革命の立場をとってきたこと。これは一九五一年の分裂当時の左派社会党のなかで、民族独立革命論との論争によっていっそう科学的に確立され、統一後もひきつがれた。第三に実力を詣会に集中して権力奪取を行なうことを追及[ママ]している。これは一九四五年の結党以来であるが、はじめは議会主義と区別がつかないものであり、一九六〇年民社党の排除など、実力についての観点を確立する党内闘争がつづいている。第四に組織実体上の特徴は労働運動との結びつき、とくに民同運動左派との固い結びつきである。したがってこの党はプロレタリアートのなかで革命の主体的条件を追求するルートを持っている。と同時に逆に、労働組合と民同運動の狭い職能的企業内的な観点、個々の要求闘争の自己目的化など、階級総体の終局の目標を薄めてしまう傾向とも結びついている。第五に国際的立場は資本の思想攻撃にもかかわらず、社会民主主義政党の弱点である排外主義を越え、後進国民族解放闘争、社会主義圈諸国との国際的連帯の立場を、大衆運動として貫いてきた歴史をもっている。これも「平和四原則」として、一九五一年の分裂の直接の対立点となることにより、左派社会党のなかで確立され継承された。第六にとくに。「改良・抵抗要求闘争」「客観的条件」「労働組合運動の決定的な役割」などを中心に、プロレタリアートの自覚・団結・闘争力を階級総体として発展させてゆくために絶対的に必要な認識が、日本共産党を含む他のどの党よりも明確に、日本社会党にだけ保持されている。これは左派社会党綱領(左社綱領)として社会主義協会=労農派マルクス主義の闘争によってかちとられたものである。
 
(30) このように日本社会党は、一方で思想的には、われわれが第U章江でのべた基本的思想の主要なものをすべて党内にふくみ、党綱領を補完する『日本における社会主義への道』として定式化している。この思想性は党内の二五年間の激しい理論闘争によって一歩一歩たしかにされ、また幾多の大衆運動、資本・国家権力との激突のなかで鍛えられつつ築かれてきたものである。そのかぎり根強さをもち定着している。他方で組織実体としては、労働組合に組織された労働者大衆との二〇年近くのたたかいのなかでの信頼関係を確立している。この二つの点は日本社会党が(社会党だけが)、プロレタリアート総体の発展と結合し、その故に社会主義党の本当の能力を鍛えあげ得る土台をもっていることを示している。
 
 (31) だが評価すべき点だけでなく弱点もある。第一にその思想性は党の全体に行きわたっているわけではないこと、第二に質的にも厳密なものではなく、主要なものを、大体においてもっているにすぎないし、第三に自分の思想を物質化する、すなわち主体として働らきかけて現実の大衆運動にする経験はまだまだ不充分である。
 そこで社会党はこれまでも不断に動揺的にならざるを得なかったし動揺的部分を入党させてきた。われわれは社会党をすでに完全な社会主義党だとは認めることはできない。したがって党の全体が、現在の党員の全員が、社会主義党・社会主義者として発展していけるかどうかは疑問でさえある。これまでもこの党は常に脱落者を途上に残しつつ発展してきた。脱落は、六〇年後半から本格的なアメ、思想攻撃、プロレタリアートをもふくむ大衆への支配、民同左派を含む労働組合指導部の動揺ないし体制内化−という状況のもとでは、さらにあり得るであろう。日本社会党とまた総評指導部の動揺のどん底を眼前にみせつけられている。八月の総評大会、一一月の社会党大会はこのどん底をつきつけるであろう。
 
(32) 社会主義党の必要は日々の活動が証明している。実際の能力をもつその名にふさわしい社会主義党は、プロレタリアーと総体の発展と結合している時だけ建設できる。日本社会党だけがこの結合をもっている。が、この結合は今後しばらくは「どん底」への後退を反映する。六○年代の日本独占資本主義は世界的に類例のないほどうまく回転してきた。ブルジョアジーの支配体制はこれを基盤に急テンポに「成功」し、政治的には停滞は頂点に達している。それはプロレタリアートの思想・意識にあらわれ、労働運動に反映し、そしてこれと結合した日本社会党に反映した。
 だがこの情勢が経済基盤から逆転してゆくとすればどうか。その時に社会党のもつ結合はどう働らくか。上昇するプロレタリアートと労働運動の発展にも結合して自からを発展させられるのか。これが問題の本質である。社会党に蓄積されている思想と組織実体とが、このような発展と結合できるものかどうかである。われわれはできると考えているばかりでなく、この発展を指導できる思想は社会党にのみ保持されていると考える。だとすればわれわれの結論は不変である。社会党との支持協力、能力をもった社会主義者の積極的入党が確認されなければならない。「それが党建設のやりやすい方法だから」ではなく、「能力ある社会主義党を建設する唯一の方法だから」である。やりやすいという今日まで許された便宜的な「理解」しかもたない者は、社青同内部で激しく動揺し今や社青同そのものから離脱しつつ、ある(第1章(34)、(36))。だが彼ら(「第二・第三の見解」)は、では社会党ではなく別の社会主義党を結成することによって、階級総体とのより強力な発展性のある結合をもてるか、という問題をつきつけられているのである。(第二の見解は革共同中核派と共に「反軟派労働運動」にこの結合を求めているが、それは切りはなされだ先進層のそのまた一部分がもつラディカルな心情への無原則的迎合でしかなく、したがって階級総体への発展性がない。革労協と第三の見解とは、この点でそれほど「楽観的」にはなれないため、前者は理論的に後者は形態的にカラ元気をつけてがんばりぬける展望をいろいろと探している。
 しかし結局のところ新たな結合を明らかにはできないままで出てゆく−つまりは追いだされるに等しい。)
 
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