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第V章 七○年代支配体制と主体−社青同の位置−
 
第一節 社青同(綱領)
(1)われわれは第1章で六〇年代の歴史的事実経過を、社青同への反映をとおしてふりかえり、第U章でマルクスとさらにレーニンによって整理された帝国主義段階のたたかいの基本線を頭に入れた。プロレタリアートの階級運動は全世界で一つに結び合いながら、日本を含む独占資本主義国での前進をとくに求めている。強力な支配体制は日本では、六〇年代の「高度成長」によってこの物質的基盤は資本主義の経済運動としては異例なほど急速に整えられた。われわれはまず六〇年代はじめに決定された社青同の綱領と規約の基本を紹介してから(第一節、第二節)、それとの関連で、七〇年代の日本独占資本主義がどのように展開し、支配しているかをあらためてたしかめる。これが第三章である。
 
(2) 社青同の綱領は前述の第U章の内容を前提としてうちたてられている。「私たちは帝国主義的に強化しつつある日本独占資本の体制と政策とたたかい、中立をかちとり、階級闘争を基調として社会主義社会の実現をめざしてたたかいます」(社青同綱領第一項)。社青同のたたかいの基本的任務(戦略)はこの項によって規定されている。
 綱領が決定された六〇年当時から、社青同は「反独占→社会主義」の立場をとり、この立場を中心とした統一戦線「反独占統一戦線」を考える。つまりたとえば日本共産党、民主青年同盟の、「反米帝・反独占→民族独立・民主主義(その統一戦録)→社会主義」という立場と対立している。共産党の立場は二段階革命論と呼ばれ、社会主義社会へ進むためには、まずアメリカからの民族独立をかちとらねばならないという情勢分析から生まれている。
 
(3)「私たちは平和と民主主義をもとにした憲法を守り、その完全な実施をもとめてたたかいます」(第二項)。「私たちは青年の生活をゆたかにし、社会的、文化的要求をかちとるためにたたかいます」(第三項)。任務を果たすための基本的方法論(政治路線)がこの二項によって規定されている。反独占の要求闘争であり、これを内容とした日常の具体的活動である。それは憲法改悪阻止を中心として、政治的に、全勤労諸階級を統一的に結集させる(この二項の規定には不明確さがあり、この二項を源流としながらも、社青同内の論争点と々った。第一期は第1章第二、三節を、第二期は同じく第四、五節をみよ)。
 
(4)「私たちは青年運動の階級的統一をはかるため、その担い手を結集し、全民主勢力の中核となってたたかいます」(第四項)。日常のたたかいをつうじて任務を果たす実力を結集してゆく場・形態(組織路線)の基本が規定されている(この規定は反独占統一戦線の規定を含むが、労働組合についての規定を欠いている。だから第一期、第二期をつうじて、社青同内部の論争は暗黙のうちに、この項をめぐっても避けられなかった。)
 
(5)「私たちは民族の解放と完全軍縮、社会主義の実現と建設をめざしている世界の青年のたたかいを支持し、ともにたたかいます」(第五項)。社青同のプロレタリア国際主義の立場と、日本でのたたかいが全世界のたたかいと連帯する内容を規定している。この規定にもとづいて社青同は世界民主青年連盟に加盟し、大衆運動としては平和友好祭運動などを展開し、日本は一国から二つの青年同盟が加盟するという例外的な国となっている(他の独占資本主義国でたたかう青年との連帯の内容は、実際には完全軍縮のみではなかった。反合理化闘争についての社青同の問題提起はあらゆる国際交流で繰り返えされ一つの寄与となってきた。)             
 
(6)「私たちは科学的社会主義の理論をまなび、自らの向上をもとめて団結し行動します」(第六項)。最後に、青年の独自の青年にとって不可欠な任務が規定されている。この規定を忘れた社青同の組織・同盟員は必ず崩壊するか、一〜三年で脱退する。社青同の日本プロレタリアートの一部分としての任務を遂行してゆく厳しさ、激烈さは、この項の任務の決定的な必要性を毎日のように証明している。
 
第二節 社青同(組織)
(7)「日本社会主義青年同盟は、平和と民主主義を守り、社会主義の実現をめざしてたたかっている先進的青年男女活動家の組織体であり、労働青年を中心として農村青年、学生などあらゆる階層の青年男女をもって組織する」(社青同規約第一章総則)。
 第一に活動家の組織体、第U章(20)でのべた主体の一部分であること。第二にその青年部分の組織体であり、したがって本章第一節(6)の綱領第六項と合わせて考えられるべきだから、正確には「活動家の学校」であること。第三はプロレタリアートを中心としながらも、全勤労諸階級の青年を同じ資格で結集した単一の組織体であること(この三点を一緒にもった組織は、青年同盟としては類例が少ない。活動家−具体的には労組活動家、学生自治会などが単一の組織と団結を維持するためには、その基礎となる思想・方針をプロレタリア的内容で比類なく強固に確立することが不可欠である。)
 
(8) 社青同は(7)項を内容としてすべての青年活動家に加盟を呼びかけている。青年活動家にとってなぜ社青同への加盟が必要か。
 革命の主体の一部ではあるが社会主義党とは異なる青年政治同盟はどんな利益を生むか。逆にいえば、社青同(各班・支部)はどのように運営されなければならないか。
 一方には直接に、今担っている運動についての利益である。
 第一に運動を組織的にする=意志統一と任務分担とを可能にする利点である。それによって重複や分散によるロスがさけられ、逆に必要なことに力が集中され運動は飛躍的に効果的なものになる。またそうしなければならない。第二に運動をあらゆる意味で全面的にできる利点である。独占資本主義とその政治権力に対するたたかいは、たとえばあらゆる職場にひるがえり、あるいはあらゆる矛盾から展開されなければ勝利できない。青年政治同盟は、第一の利点によって節約される力をふりむけて、新しい職場に新しく運動を起してこの必要にこたえる。第三にどんな困難ななかでも「運動の(全体の)未来」をみつめ、さらにみつめつづけられる利点である。困難のがかでの一人のまたはサークルの視点は、ともすれば部分的になり、または近視眼になる。思想や理論では分っていたはずでも、現実の方針としては常にこのような誤りが起りつづけている。青年政治同盟はお互いが支えあい、かつ批判し合って全体から見直かすことによって、誤りが起る可能性を少なくすることができる。
(正確には組織に入っていることがその保証なのではなく、組織的討論が保証である。
 組織的討論とは第一に綿密な=班の内部の、第二に全体的な=班をこえ支部をこえた、第三に第U章にのべたような思想・理論=原則にてらした討論である)。
 
(9)青年政治同盟に加盟する利益は、もう一方では、青年活動家の成長についてである。われわれは社会主義社会への転化をおしすすめる主体としての立場、およびそれをプロレタリアート総体のものにしてゆける能力を、思想的にも実践的にも確立し獲得しなければならない。この成長は、結局はわれわれ自身の運動の実践、その経験を蓄積することによってかちとられる。様々な学習・訓練・教育の一つひとつを、プロレタリアートと勤労諸階級のたえまないたたかいにむすびつけてこそ、われわれは思想上も実践能力も成長する。
 しかし、これらの運動の経験を正しく整理し、その意味するもの・教訓を自分の頭のなかに正しく蓄積してゆくために、必要不可欠なのは、(3)項第三点にのべたような組織的討論である。一人で経験し、一人で整理し、一人で蓄積すれば、どうしても部分的で近視的になり、誤まり・不充分さ・能率の悪さがつきまとう。青年政治同盟とその組織的討論とは、それを最少限にふせげる保証であり、逆に他の同盟員・班の経験をも自分のなかに蓄積する可能性をあたえる。
 
(10)他の者の経験を自分のものにするという点に関連して、綱領第六項でとくに規定された「学習」の意味を忘れてはいけない。われわれ青年は何でも自分でやってみる(経験してみる)力や条件をもっているし、したがってこれは青年の特権である。また社会主義は、社会主義社会への転化という法則そのものからして誰にでも発見(再確認)できる事実であり、だからこそ科学である。しかし学校でならう自然科学の知識の場合で考えればよくわかることだが、いちいち自分でやってみてたしかめなければ信じないということになれば、その手間とロスは大変なものになる。社会科学の知識も自然科学のそれと同じである。一方では自然科学と同じように学習によってはるかに早く能率的に獲得し蓄積できる。他方ではこれも同じように、学習−教科書や先生、読書やノート取りが必要であり、真面目な努力、勉強が必要である。日々の資本主義社会での生活と運動は「実験」にあたる。実験はまず教科書をよく読んでからやった方がずっとよくわかり、よく利用できる。だから、青年政治同盟のあらゆる運動、あらゆる組織単位では、学習・学習会がつきものであり、つきものでなければならない(但し、第W章(12)の注を参照。学習は知識だけのためにあるのではない)
 
(11)社青同のすべての思想は班のなかに実現される。「同盟員は次のような義務を持っている。1同盟の綱領規約を守り、組織の決定を積極的に実行する。2同盟の目標実現にむかって科学的社会主義の理論の学習につとめる。3同盟費をおさめ同盟の規律を守る、4同盟の拡大強化につとめ、青年大衆に誠実に奉仕する、5同盟員は原則として班に所属して活動する」(規約第五条)。「職場、農村、学校、居住地で三人以上の同盟員がいる場合班をつくる。班は同盟の基本組織である」(第一〇条1)。「班は班会議を定期的にひらき、活動をきめる。また班は班長、書記、会計の各責任者をきめる」(第三三条)。「班の任務は次のとおりである。1、2(第五条1と同じ)、3上級機関の決定や決議を具体化し、まわりの条件に応じて活動計画をたて実行する、4同盟貝の義務を実行し権利を保護する。また同盟員相互の理解と友情を強め助け合う、5(第五条3)、6(第五条4)、7上級機関に月一回定期に報告する」(第三四条)。「班は地区本部大会、支部大会で最低一議決権をもつ」(第三五条)。
 班が社青同の「基本組織」だという点は、第四草にあきらかにされる大衆斗争路線、とくに戦場抵抗という、社青同の運動内容からいって実に深刻な重要性をもっている。この運動内容は、少なくとも企業ごと事業所ごとの、できれば職場ごと(課・係)の、「個別闘争」になるからである。個別に少なくとも企業・事業所ごとに、方針をたて、任務分担し、相互点検すべき自立した司令部がなければならない。それが班である。形態的には、たたかいの課題も闘争形態も千差万別にならなければならない。しかも思想的には、目的も方法論もまったく全同盟的に統一されていければならない。
 
(12)「行政区単位の地区内に三つ以上の班がある場合地区本部機関の承認をへて支部をつくることができる」(第一〇条2)。
 支部という中間的な結集をする意味のなかで、とくに重要なことは、「第一には各班の力をだし合って新しい職場・地域・学校に新しい班をつくることである」。たたかいの主体は班であり、始まったたたかいをひろげる主体は支部機関(執行委員会)である。「第二に班が結び合うこと、班が他の同盟組織と不断に密接に結合し交流することである。」地区内の他の班と、また地区外の他の組織との結びつきが思想的にも実践的にも確保されていないなら、(7)〜(9)にのべてきたことは有名無実となる。自分の持場、当面するたたかい、階層などの特殊性にとじこもりがちな班にとって、同盟全体とさらにプロレタリアート総体に対する、主要な基本的な「窓」になり、養分を運んでゆく血管になる−それが支部と支部機関の任務である。
 支部は班に対して直接の指導機関であるが、その指導の内容は企業ごと班ごとに個別的でなければならない。これも第W章に明らかにされる社青同の運動内容からくる点である。共産党・新左翼などの影響で、またその方がはるかにやさしいために、ともすれば指導は単一的になる。全部の班に同じ単一の方針をだす、ひどい時には地区活動の方針(これももちろん必要だが)だけだして班・企業ごとのたたかいにふれない、あるいは各班の個別的な活動のなかで共通しているもの(たとえば班会の確立や学習活動)についてだけ指導する−などの弱さがよくある。
 支部執行委員がこの困難な個別指導をなしとげる水準に到達してはじめて、社青同は第W章の基本路線を組織的に実現できる。この点で、同じ労働組合(単産)ごとに、全国・都段階で組織される「班協議会」、その討論のうえにだされる中央・地本執行委の単産別労対方針・指導は、重要な役割りをもつ。一定程度だが個別的にその単産の情勢・課題・闘争形態がその時時に具体化されているからである。
 
第三節 青年大衆(思想攻撃の展開)
(13)七〇年代、社青同の周辺の情勢はどのように展開しているか。世界的に一つにつながった資本主義経済(帝国主義)は、一九六〇年代には、アメリカ、イギリスなどでの停滞と、日本、西ドイツなどでの急速な発展とを−異常なまでの「高度成長」を生みだした。帝国主義はアジア、アフリカ、南米など後進国の搾取・収奪・抑圧の上に成り立ち、その度合をますます深めているが、そこでも右の帝国主義列強間の不均等発展があらわれはじめている(日本、西ドイツの急速な資本輸出拡大)。
 このことと不可分に、ブルジョアジーの国内支配体制は、日本と西ドイツでとくに効果的に強化された。日本では、プロレタリアートのたたかいはこれまでと大きく異なった状況−ブルジョア民主主義を支えるアメと思想攻撃との本格的展開・労働組合指導部の「右傾化」−のなかでほとんどとまどいといってよい混乱が生まれている。しかしこの七〇年代の支配体制は、本当は、帝国主義国でむしろ一般的な状況がいよいよ、日本にも到来したということに他ならない。
 
(14)日本での独占資本主義の急速な成長は、歴史的な条件や、地理的な条件もあるが、第一には低賃金のもとで働らく労働人口が大量にあり、第二には広大な国内市場があったからである−要するに、日本プロレタリアートがいたから、その搾取と収奪に成功したからである。それは一九五五年頃に始まり(「生産性向上運動」)、一九六〇年三池炭坑での攻撃を突破口とした体制的な合理化攻撃によって質的にも強められた。製品おし売りと収奪も、マスコミを総動員して「三種の神器(3C)」、「マイ・カー」などの流行語をつくりつつ、インフレ政策(物価上昇)により気がつかないようにさらに強化された。利潤は資本の増大(設備投資)に集中され、世界に類例のない低賃金は一〇年間に世界二一位から一九位という程度にしか改善されないのに、独占企業の資本規模は飛躍的に拡大して「世界企業に続々仲間入り」ということになった。
 
(15)「合理化」は、簡単にいえば、同じ時間内の労働で、より多くの製品をつくらせる(すなわち労働搾取を強化する)ための、様々なブルジョアジーの「工夫」である。六〇年代には、その一番主要な方法−新鋭技術・新鋭機械の導入がとくに全面的であった。それは「近代的で」「進歩だ」「科学だ」という大義名分をもつことができ、カツコよいよそおいをもつことができた。七〇年代には、本質的には古くさいカッコのわるい方法、労務管理強化、露骨な労働強化が中心になりはじめている(「質的合理化」)。同じ時間内により死にものぐるいで働らかせ、より多くの製品を作らせる様々な「創意工夫」がブルジョアジーによってはかられている。むろん機械化、企業再編成の合理化攻撃がいっそうきびしくかけられてくるなかでの話である。
 
(16)合理化、とくに質的合理化は、より強い搾取を求める攻撃というよりは、支配の強化そのものである。機械導入の場合でも合理化は必らず組織破壊・活動家パージを伴ない、新機械導入後に労務管理の飛躍的強化を伴なった。質的合理化は、たとえば賃金面に−職務給導入や、「高能率高賃金」「賃金倍増○カ年計画」などのキャンペーンとして、あるいはZD・QC・提案制度・改善委員会制度など、その他労働者をまきこんだ様々な「運動」として、その典型をみることができる。
 特徴としていえることは、第一に一定のアメがついてくること、第二に労働者のヤル気・自発性に呼びかけていること、第三に要求が闘争になる以前に抑えていることである。ヤル気とは結局、労働者の要求、それも生活上の、賃金や労働条件についての要求に他ならない。要求の解決を資本の側が資本主義の企業のなかで「呼びかけ」ているわけである。要求解決のために資本とたたかう要求闘争から、闘争になる以前に労働者の意識をそらせ、さらにより強度の労働に自からを駆りたてさせ、それによって(少なくとも自分だけは)、要求をいつかは解決できると思いこませる。これがブルジョア民主主義の思想(経営参加・労資経営協議会・経営民主主義論−要するに労資協調路線)によってかざりたてられる。宣伝と教育がまずキメ細かい職制の網の目やそれを補完するビッグ・ブラザー制度によって、次に社内報によって、さらに大規模な研修や「青年訓練」によって展開される。これがアメと思想攻撃であり、帝国主義支配体制の基礎である。
 
(17)独占資本の搾取・収奪は、低賃金と合理化だけではなく、またプロレタリアートだけではなく、全社会的に広がり、全勤労者階級をおおっている。この広さは高度に発達した独占資本主義国の特徴である。利潤のための生産と製品は進んだが利潤の少ない部門はおきざりにされた。進歩する科学技術の利用にしても同じである。むしろスクラップされ、無視される産業や技術が多い。こうして住宅難、公害、交通地獄が生まれた。農民は都市に駆りだされ、学生の教育は改編され、いずれも安く秀れた従順な労働力を今後も大量に確保しつづけるためという観点で、これらの階層の犠牲の上に強行されている。しかしプロレタリアートの合理化攻撃についていた支配は全勤労論階級のあらゆる攻撃について同じ方式で−少量のアメと思想攻撃、大衆の要求にたつポーズでそれを歪曲する方式ですすんでいる。それは国家的規模でも、労働組合ナショナルセンターにたいする日経連や内閣の対応として、マスコミの一大キャンペーンとして組織された。
 
(18)政治面の攻撃のなかにも同じ支配体制がある。それは(16)(17)でのべた、生産基盤での(大衆の側からみれば生活の問題での)支配体制の展開と「成功」に基礎をおいていることが大変重要である。まずブルジョア民主主義の実際の法律・制度をブルジョア独裁体制をより強固にするために、改悪する攻撃についてである。
 戦後の、アメと思想攻撃の力や技術が弱く、逆にプロレタリアートを中心として大衆運動が高揚していた頃の力関係でつくられた諸制度・法律は、順次改悪されてきた。教育制度に典型的な例がある。公選制だった教育委員会は任命制になり、教科書は国家行政機関の強度の検閲下でついに神話教育が復活しはじめ、多くの反勁的な処置が国会を通さず行政機関にすぎない文部省省令の形でだされている。この傾向は今後ますます強まってゆく。国会と議員選挙を制度上も最大限に弱め後退させ、行政府=官僚機構の独裁的な力を強めること。憲法改悪によって、ブルジョア民主主義の思想をも、かろうじてその支配体制としての利点だけがのこるまで縮小すること。警察・裁判機構を再編し拡大すること。要するにフランスの第五共和制(ドゴール体制)や、これも数回の改憲によって作られた現在の西ドイツの国家制度へと、ブルジョア民主主義を後退させる攻撃である。
 われわれがここで注目するのは、このブルジョア民主主義の制度・法律への攻撃さえもが、「民主主義確立」「偏向教育是正」「暴力反対」などのブルジョア民主主義の思想を大義名分としてすすめられている事実である。
 
(19)日本独占資本の資本輸出は、すでにアジア各国に向けて展開され、「韓国」、台湾、インドネシアではアメリカ資本と肩をならべあるいは追いぬいている。それは「開発途上国への援助」「経済大国日本の責務」「平和国家日本の新しい国家目標」として宣伝されている。帝国主義侵略に対する民族解放闘争、反革命軍事侵略と帝国主義戦争というベトナム、ラオス、カンボジアの情勢について日本独占のマスコミは、戦争の悲劇を描き、軍事力での制圧は不可能だといい、一貫してアメリカ帝国主義に「批判的」ポーズをとってきた。それはとくにカンボジア侵略に際してのアジア諸国会議(ジャカルタ会議)にあらわれ、「アジアの平和の維持」として自分の立場を宣伝している。実際には日本独占資本はこれらの帝国主義戦争によって、最も多くの利潤をあげたし、軍事的協力加担を惜しまず与えている。しかしその公式の立場、宣伝=思想攻撃でのポーズは、「平和」であった。このポーズは一方では、資本・商品の市場確保のために、反共軍事政権下の後進国や、さらに中国、ソ連へ向けられている。しかし他方では、日本労働大衆へ向けられた、支配の武器である。
 ASPAC、アジア開銀、東南アジア経済閣僚会議など日本独占中心の海外進出のための諸機構のなかで、このポーズが常に繰り返えされてきた。ECAFE、OECDなど国連の諸機構でも、日本ブルジョアジーは、同種のポーズを多かれ少なかれとる現代の帝国主義列強のなかでとくに、非軍事的な「エコノミックアニマル」として自他共に許している。もっとも日韓閣僚会議、日韓・または日華(台湾)経済協力委、および新設された日韓台協議委では、これとは異なった軍事的援助の方向もすでにだされてはいるが。
 
(20)こうして政治面でも、アメと思想攻撃とが展開されている。ブルジョアジーは大衆の要求にちょっとばかり譲歩して口先だけで「民主主義」「平和」をいいながら、これらの要求に向かう大衆のヤル気・自発性をひきだし、まさにそれを動員してブルジョア独裁と帝国主義アジア進出を果たそうとしている。
 この支配体制が最も露骨にあらわれているのは民族独立の要求についてであり、それは沖縄「返還」劇にあらわれている。沖縄の奪還−たんに行政権のではなく、軍事基地・「極東の要石」というのろわれた地位からの奪還は、大衆的な民族意識の広がりに立ってたたかわれてきた。沖繩のこのような位置はいまも続いている、アメリカ帝国主義への軍事面を中心とした依存関係(日米安保体制)の頂点である。ブルジョアジーは沖縄「返還」が自分たちの手で実現したと宣伝し、そのことによって民族意識を自分の側に奪還しようとしている。「次は北方領土だ!」「安全保障問題はこれまで以上に主体的に考えなければならない」と露骨な思想攻撃が始まった。ブルジョアジーは、一部に公然たる日米安保条約解消論さえたくみに取み[ママ]込んで、「自主」防衛体制=自衛隊の飛躍的強化を策動している。そのスローガンの特徴は、自主独立、自力で「アメリカに頼らず」という民族的観点にある。
 
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