次のページへ  社青同九回大会文書へ  
第三の見解
三重地区本部
一、はじめに
 全国の同志の皆さん。
 三重地本は、日本独占資本の最も徹底した労働者支配がはりめぐらされている四日市コンビナート地帯の闘いを中心として、「改憲阻止・反合理化」の基調にもとずく階級的労働運動の構築と、改憲阻止運動の形成をうまず、たゆまず追求して来ました。 
 同盟は、まだコンビナートの基幹部門の労働者の中に大きな運動を組織するにはいたっていませんが、東海糖業・精糖をはじめとする中小への分裂攻撃をのり越え、第一組合の旗を守り抜き、今日、七単組青年部交流会運動を組織し、生産点に根をはった企業を越えた一定の闘う労働者の連帯を生み出し、その基礎の上に一OOO名近い仲間を結集した反安保・沖縄奪還闘争をたたかう改憲阻止会議運動を不充分ながらかちとるにいたりました。
 私達は、私達の力量がまだまだ小さいこと、私達の活動の不充分さや、未熟さといった点については、素直に多くの反省をするものですが、「基調」にもとずく年間の運動をふり返る時、その正しさをますます確信するものです。
 それは単に観念的に「基調」の正しさを確認し得るということではなく、四日市の血のにじむ資本との闘いの中で、敵の側が、私達の「基調」の正しさを確認させてくれたし、基調にもとずく同盟員の闘争に闘う労働者が確固とした信頼と支持を寄せているという事実にもとずくものです。
  私達は、何よりも、「基調」にもとずく運動の“成果”を守り、発展させるべき運動上の責任を負っています。
 現在、社青同運動は“危機”にあるといわれ「基調」の「転換」や「放棄」がはじまっています。私達は、帝国主義的支配の深化に対応して、「基調」の階級的内容をより鮮明にし発展させることには賛成であり、多くの同志の「問題提起」については同盟の今日まで、堅持して来た階級的原則をより発展させるとい場にたって受けとめることはやぶさかではありません。しかし生産点における労働者の階級的な団結を礎き上げるという困難な任務を回避するプチブル急進主義的な「基調」の「転換」や「大衆化路線」にあともどりすることには反対です。
 情勢の困難さにあせり、動ようし、このような傾向を生み出すことこそ真の危機だと考えます。
 三重地本は以上の立場に立って、四日市における私達自身の闘争の総括をふまえ、全同盟が帝国主義段階に対応する階級的労働運動建設の担い手として発展するために、次の意見書を提起します。
二、職場の団箱を奪い返す−東海糖業闘争の教訓点−
 今日、私達が直面している問題の焦点は、支配階級の側が帝国主義的支配体制の完成をめざす全面的な再編攻撃が、帝国主義的労働運動潮流の育成を環としてつき進んで来ていることにあります。こういった攻撃の深まりの中で、社会党、総評の運動の限界が明らかになって来ているが、いかにわれわれ自身が帝国主義支配に対決する階級的労働運動を確立するかという問題です。
 コンビナート地域では、こういった情勢は全国よりも一テンポ早くおしよせて来ています。
 資本はコンビナートの基幹産業部門には、労資協調組合どころか、労働組合さえ組織させない体制をとりその周辺は、協調組合で押えこみさらに、四日市地域からは、中小部門からさえも戦闘的労働運動を追放することを一貫して追求して来ました。
 その突破口が○年[ママ]の東海糖業労組への組織破壊攻撃でした。三重県経協は「安賃のモデルケース」として糖集への攻撃を位置づけ、この攻撃とあわせて、「社青同という革命分子が組合を牛耳っている」というビラを資本の側が大量に居住地にまでまいたことに明らかなように、それは、戦闘的労働運動の芽を双葉のうちにつみ取り、社青同等の階級的政治組織をコンビナート地域から追放する攻撃でした。
 東海糖業闘争は一〇七日間にわたるストライキ・ロックアウトの攻防戦が展開され、労働者は雄々し闘いましたが、資本の組織分裂攻撃をはね返し得ず、闘争は終結の止むなきにいたり、安値はおしきられ、スト権は売りわたされました。
 職場は暗くなり、第一組合員は差別・配転にさらされ、休憩時間の職場の仲間との話し合いも、職制におどかされ困難になりました。少数派になった第一組合の要求は全く相手にされず、すべて二組に先行妥結され第一組合員の内部にも敗北感と動よう、あきらめが拡がりました。
 こういった中で、ロックアウトに対決する闘争の高揚の場面では、戦闘的にたたかった第一組合幹部の中からさえ、第二組合との統一論が生まれてきました。
 この問題は、組合主義的な運動の限界を物語っています。幹部が経験的に、大衆がホットになっている時は、戦闘性を発揮するが、第一組合としてたたかう階級的な意義が理解されないため少数になり、物がとれなくなるという一時的局面にふりまわされ、長期の階級的な展望を見失なうことです。
 同盟は自分達は何のためにたたかい第一組合の旗を守って来たかを真剣に討論し、労働者の団結を売り渡すことはできない、ここで第一組合の火を消すことは、東海糖業の職場から真の組合運動の火を消すだけでなく四日市全体の階級闘争の火を消すことだという立場に立って絶対に反対しました。
 第一組合の幹部は脱落し、社青同が第一組合執行部の指導責任を負うにいたり、組合は三一三名の圧倒的少数派に転落しました。しかし、実は、ここからわれわれの真の闘いは開始されたのです。
 福岡地本の同志は、西日本新聞闘争の総括として「労働者の生活と権利は守れなかった」と結論づけ、「どこまでも資本と対決していく思想性をもった労働者を組織するのだ」という点を総括しています。
 素直に言って、この結論を出すのは、われわれの教訓からすると性急にすぎると思います。たしかに、糖業の場合も、この時点では安賃はおし切られ、完敗しました。しかし、それ以降の闘争の中で、労働者の団結を再びわれわれの側に奪い返すことによって事実上敵の攻撃をハネ返すにいたりました。
 私達の教訓によれば、「資本にあくまで対決する労働者の団結」は、しつように、労働者大衆の「生活と権利」を守る闘争をつうじてかちとれたのです。以下その経過を明らか
にします。
 
 まず班自身、同盟員自身の再確立が問われました。敗北感と沈滞の中で班活動はますます困難となりました。一○七日のスト中には、身を粉にして表面に立った同盟員が、闘争終結後自暴自棄になったり、家庭の問題で脱落するなど、第一組合の幹部と同じような弱さをわれわれもさらけ出しました。
 当時は、資本の側がわれわれを階級的青年同盟=革命的分子として位置づけ追放をめざして来ているのに対して、われわれ自身は、組合間での戦闘的行動部隊であり、同盟としての活動と意識は「大衆化路線」の次元にとどまっていました。
 こういった中で同盟の第四回全国大会が決定した「改憲阻止・反合理化」の基調が徹底して論議される中で、第一組合としてたたかう意味が鮮明になりました。すなわち、安賃攻撃が単なる賃金差別の攻撃にとどまらず、労働者の団結の破壊であり、権利のハク奪であり、そのことは、日本独占全体の政治反動−なしくずし改憲の内容であるということを
明らかにし、これに抵抗するたたかいの意味をみつめました。
 このように「基調」に支えられ、第一組合の再分裂という最も難しい情勢の中で班を再確立しました。そして「敵の攻撃が厳しくて何もやれない」ということでとどまっていては、組合員大衆と第一組合がますます切り離され、「社青同追放」の敵のネライをますます成功させる結果となるという視点から、もう一度、困難な条件の中で職場の組合員−圧倒的多数が二組−との結びつきを追求しはじめました。
 職場の状況は、第一組合が圧倒的少数になると資本の秩序はまさにストレートに職場に貫徹し、下部の第一組合員は、有給が自由にとれない、労働強化でしぼられる、災害が多発するなど、巧妙な労務管理の徹底にもかかわらず、結局、資本を肥らせる犠牲と負担は現場の仲間の肩にかかり、矛盾を生み出すにいたりました。私達は、団結レク、魚つり大会、家庭訪問など非公然に第二組合員と接しょくするあらゆる方法を工夫するとともに、職場では、少数であっても、第一組合としてのたたかいを追求しました。
 第一組合が、第一組合としての階級的な姿勢をとりもどし、形態は低い次元でも、資本に組みふせられない活動を、第二組合員一人一人の要求の先頭に立ってたたかう中で、大衆は次第に第一組合こそは、労働者の味方だという見方をするようになりました。
 毎年毎年私達は職場で、班独自の「合理化調査」を徹底して行ない、第二組合員に「賃金アンケート」を繰り返し行ないました。
 こういった地道な活動に喰い下がる中で、組合員は単に「物がとれるかどうか」ではなく、資本によって結局は「生活と権利」を破壊される労働者の要求や、怒りを正しく受けとめるのは第一組合だという信頼が回復し、「革命分子」こそは、大衆の要求の先頭に立つという信頼によって、組合員大衆と第一の同盟員を分断し、追放しようとする敵のネライに反撃していきました。
 現在では、夏期一時金闘争の場合、第一組合が訴えた一〇万円要求の方針に、第二組合員の圧倒的多数が賛成し下からのつき上げによって第二の幹部自身が悪い回答の場合にはスト権をとリスト決行をするといわざるを得ない状況を生み出すにいたっています。
 第一組合が、第二の下部の労働者の要求をかかえてスト決行を行なうや、圧倒的多数がわれわれの闘争を支持し、中には四〇代の年輩労働者を含めて、第一への復帰がはじまり、第一組合は今日約五〇名に拡大しています。
 糖業の場合第二組合は、ますます第二幹部と一般組合員のみぞが深まり、われわれは、守勢から攻撃の段階に来ています。
 私達は「改憲阻止・反合理化」のたたかいをあくまでも追求する中で、五年間かかって、資本の安賃攻撃、活動家排除のネライを事実上空洞化することに一定程度成功しました。しかしわれわれは決っしてこれに安心していません。敵はさらに体制をたてなおして、新たな攻撃をかけて来るでしょう。そういう意味では、この闘争は、社会主義社会実現の日まで闘かわれる闘争です。
 だから反権力闘争以外は無意味だとは絶対に言えません。一時的に労働組合を資本に押えられたからといって右傾化に絶望することは正しくありません。
 資本がどんなに巧妙に支配秩序に大衆を組み込んで来ても、そこには必ず、矛盾が生まれます。資本主義打倒の視点に立って、いかにその労働者の団結の力をつくり上げていくかということこそ、われわれにとって重要なことです。「生活と権利」を守るたたかいはまさに資本の側が労働者の団結を破壊し、労働者の「生活と権利」を破壊して来ることに対する抵抗を通じ、まさに「革命的分子」こそが、労働者の「生活と権利」を守るものであることを明らかにすることであり、この闘いの最大の成果は、労働者大衆が奪われ、破壊された団結を再び高い次元でつかみとったことです。
 糖業闘争は班の混迷−闘争の中での再確立をかちとる中で次の教訓を与えています。班会議が行きずまる、矛盾が生まれる、ということは闘争と無関係ではありません。混迷をしたのは第一組合としてのたたかう展望や立場が明らかでない時に生じ、闘いの路線が定まり、活動が開始される中で、すなわち、あくまでも第一組合の立場を社青同が守り抜くということが追求される中で再確立されました。階級的な自覚も高まるし、資本につぶされないためには、班の意志統一、大衆に結びつく工作の方法、一人一人の能力の向上がかちとられます。班が直面しているたたかいの基本的な方向性を明らかにつかみとることなく、単に形式的に班会議をやったり、技術的な大衆工作の方法を強調しても問題は解決しません。
 糖業の場合、闘争の危機と班の危機、闘争の前進と班の確立は一体となっております。
 このことは第一組合での班建設にとどまらず、右傾化した大企業内の孤立した、苦しい闘いをつづけている同志にも、勇気と展望を与え、自からの階級的任務を自覚し、生き生きした社青同運動の道を明らかにするものとなっています。
三、企業を越えた階級的労働運動の追求−七単産組織交流運動の意義−
 四日市支部は、糖業闘争を全力をあげてたたかう中で、今日の合理化の「体制」的な性格を肌でつかみとり、個別企業内の活動にとどめず、各職場での統一した「合理化実態調査」活動を行ない、調査にもとずく討論集公等を組織し各職場・企業の反合理化闘争の堀りおこしを追求しました。
 こういった運動が少しでも芽生えると資本の側は、まさに糖業を「突破口」として四日市から闘う組合を追放するという意図どおりに数多くの組合に分裂攻撃をかけてきましたが、(ママ)
 東海糖精には倉庫閉鎖、六〇名の首切り攻撃が、つづいて賃金闘争の中で三幸毛糸、平和コンクリーが分裂、伊藤製油、羽津病院闘争への弾圧であります。
 精糖の闘争には、糖業の第一組合の仲間は単なる「支援」ではなく、自分達への分裂攻撃と同じ問題として把え、闘いの組織者として交流会、オルグ、ピケット等闘いをともに組織しました。
 労働者らしい闘争のあるところ必ず分裂にみまわれ、これに反対する闘争に他の仲間がかけつけ、たたかいを支える中で仲間の連帯と交流が生み出され、自然な発展として交流の輪が定着し、その中から社青同を軸として分裂七単組の青年部交流運動が形成されました。月に一回の定期交流会がもたれ、現在毎回一OO名近い仲間が常時参加しています。
 これはあくまでも組合次元の交流であり、まだまだ弱い部分をもかかえた活動の形式はゆるやかですが、君の闘争と私の活動は同じだという激励とはげまし、労働者としての団結の場になっており、闘いの中で労働者がつかみとった団結の形式であり、企業組合としてのセクトを越えて、闘う労働者として結びついているのが特徴です。
 このような七単組交流運動を基盤にして同盟はこれまで休店状況にあった四日市地区労青婦協の再建をかちとりました。
 以上の発展は、私達に、個別の職場、企業で徹底的に労働運動の原則を守ってたたかい抜きながら、企業のワクを突破した、階級的労働運動の潮流をつくり出す上での展望を与えています。
 冒頭に明らかにしたように、独占資本は、四日市コンビナート地帯にJCをはじめとする「労使運命協同体」の帝国主義的労働運動を育成しそれだけでは安心できず四日市から
「戦闘的組合主義」の闘かいさえ追放しようとして来ています。
 その理由は、コンビナートということで、世間なみ以上の賃金で労働者をつり、最も最新の労務管理で労働者一人一人をがんじがらめにし、一見労働者は全く飼いならされているようにみえるが例えば、ある基幹職場で組合もない労働者が突然すわりこみの抗議に入るなど決っして矛盾を解消し得ていないからです。
 彼等は個別企業における分裂や弾圧を、個別企業にまかせず、常に四日市全体の労働者の制圧という観点から対処して来ています。
 このような攻撃の中で、われわれは、単に企業の中の戦闘的部分にとどまっていては、押しつぶされてしまうし、佐藤同志の闘争、糖業闘争の一例つ[ママ]とっても、職場で、企業内で徹底的に闘かい、その闘争の発展を追求すると、企業を越えた闘う労働者の団結と連帯に依拠する以外にありません。敵の体制的攻撃・帝国主義的労働運動の形成が逆にわれわれに、階級的な労働運動潮流の形成を、単なる言葉ではなく、実際の運動として組織化することを迫っています。
 例えば、組合が会社の株を機関決定の名で労働者に押しつけようとしたことを社青同がバク露したということで、佐藤同志の首を切って来ました。これに対して、四日市の資本と右翼組合は、他人事ではなく一致して対処して来ています。労災にせよ、公害にせよ、企業と協調組合は一切問題を社会化させず、企業内部で始末するという立場に立っており、コンビナート内部の問題を社会に明らかにされることを阻止しようとして来ているのです。
 佐藤同志の裁判闘争には、様々な圧力が加えられていますが、資本の側は、大きな関心をもって注視しています。佐藤同志のたたかいを腰くだけに終らせるならば、各企業は、すでにリストアップされているコンビナート下の活動家を次々と追い出して来るでしょう。
 今日彼等がある程度この攻撃を手びかえているのは、一人一人は孤立させられているが地域的に闘う部分が結集し下手な首切りをやれば、どういう反撃を喰うのかわからないということで、今後のわれわれの動向をみつめているわけです。
 佐藤君を守る会にはこの分裂組合交流の仲間が基礎に今日三〇〇名以上結集していますが「守る会」は単なる「同情」や民青式の「守る会カンパニア」ではなく、佐藤君の追放を阻止することと、それぞれの職場の運動を守ることが一体となっているのです。交流会運動は必ずしも当初から明確な位置づけで出発したのではなく敵の攻撃に対決する活動の発展の中から今日われわれは、企業内組合の限界を越え体制的合理化攻撃に対決する階級的労働運動潮流形成の課題と結びつけてその発展を追求しています。
 このような方向性は、四日市だけの問題ではなく、基調の下に形成されて来た全国の分裂組合、闘争班の交流の問題と結びついています。東交、積水、ソニーをはじめとする同盟員同志のたたかいがいかにわれわれにはげましと展望を与えたかわかりません。全国的にも、われわれはこのようなたたかう労働者をバラバラなものとしてではなく反独占の一つの力として結集していかなければなりません。
 分裂組合とその闘争の教訓は決っして特殊な問題ではありません。「労働組合は最早資本の支配の道具になった」として右傾化に絶望して、労働組合を労働者へ奪還することをあきらめ、活動家だけが結集して職場権力等を追求することは誤りですが同時に、企業組合をテコに、労働組合を丸がかえに労使協調路線に抑え込む攻撃が強まっている現実に目をつぶって、いかに闘う労働者の企業を越えた労働者の自立した力を形成するかという問題ぬきに、労働組合の一般的強化のみを語ることは、それぞれの企業内でまじめに、こつこつとたたかう部分が一[ママ]程度形成されても、結局は、右順化の流れの中に組み込まれ、おし流される危険性をもっています。分裂している、いないにかかわらず、帝国主義的労働運動潮流に基本的に対立する階級的労働運動を一つの力としていかに建設するか、大衆を正しい階級的原則に結集するかという点では同じ問題に直面しているといわなければなりません。
次のページへ  社青同九回大会文書へ