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第二の見解(二)
(B)情勢の分析の視点                             一、七〇年安保の階級的本質は何か
−アジア・太平洋圏という帝国主義的人民抑圧のブロック形成−
1.ドル(アメリカ帝国主義のもとへの富の蓄積)によって支えられてきた戦後の資本主義世界体制は、帝国主義の不均等発展(日本やドイツの帝国主義的復活)によってばかりでなく、労働者・人民の革命闘争に対する反動諸勢力の反革命的同盟の関係からも、大きく動揺している。ベトナムの戦争は、帝国主義の侵略に対する後進国民族の独立という性格ではも早なく、一切の生産手段(土地)から追われた人民の私的所有制度そのものに対する革命闘争を封じ込めようとするアジア地域及びこの地域に利害関係をもつ一切の所有する階級の同盟による、反革命戦争として闘われてきた。この革命と反革命をかけた戦争から、反革命の盟主を務めてきたアメリカ帝国主義がドル防衛の必要性から手を引かざるをえなくなり、ベトナム人民の不屈の革命闘争に勝利の可能性が切り開かれてきたことは、この反革命十字軍に結集してきたアジア地域の反共諸国の支配階級全体にとって、重大な危機を意味する。日米安保条約が、こうした危機に対応するアジア地域全体の支配階級の安全保障の要としての飛躍を要求され、これまで「アメリ力の軍事的傘の下でもっぱら経済的利益の追求に専念してきた日本の資本家階級に、新たな政治的責任分担が強く要求されてきたこと−−こういう、戦後の資本主義の世界支配体制の動揺の中での、日米安保体制の性格変化をとらえることが、まず大切なことである。
2 この政治的要求に答えることは、日本帝国主義の独自の経済的利害と一致する。−−否、急速に一致させることを余儀なくされている。
 高度成長を誇ってきた日本資本主義が、六二〜三年頃を境として構造的停滞期に入り、国内市場の独占的分割をほぼ達成した資本の、海外市場への進出が本格的に開始された。その現われが、六五年の「日韓」条約の締結に他ならなかった。
 かつて「大東亜共栄圏」という形で、「武力をもって形成された日本帝国主義の独自の従属圏への野望が、今日、「アジア・太平洋圈」という形で達成されようとしている。だがこの新しい「圏」は、次の意味で、戦前のそれとは根本的に異なる性格をおびている。即ち、「日韓」を突破口とした日本独占の対外進出は、“戦後処理”を名目としたアジアの反共諸国への政府の賠償援助をテコとした時期から一歩進んで、「アジア開発」という政府の積極的対外政策をテコとしたアジア・太平洋地域の経済的分業体制の形成を目ざす国家政策となったが、この「開発援助」政策は、世界貿易の中で破壊されていく後進国農業の危機の中から産出される大量の無産者を、「安価な労働力」として産業へとかり立て、そのことによって自国の労働者を一層鋭い競争へと落し込んで搾取と収奪を強めると同時に、後進国の民族ブルジョアジーの社会的支配基盤をテコ入れし、それによって安定的にもたらされる後進国の工業発展を、盟主国の重化学工業の従属的貿易、資本市場にしていく、という構造をもっている。
3 かくて、「七〇年安保」の階級的本質は、アジア・太平洋圈という国際的拡がりをもった分業支配秩序の帝国主義的改編を通して完成される。アジア人民の抑圧を目的とした日米を盟主とする反革命・階級同盟である。
 この間の政治過程は、日本帝国主義の、帝国主義たるにふさわしい対外政策の展開を柱として、日米関係の変化を作り出すことを通して、かかる七〇年安保の最後のうち固めの作業としてあった。
(1)六七年の佐藤・ジョンソン声明でうたわれた「日米共同責任時代」に見あう、アジアの支配階級の安全保障のための責任分担を、アジア援助外交−−「アジア太平洋圈外交」の積極的推進(=アスパックに表現される)を通して具体的に荷おうとし、アジア・太平洋地域の運命共同体という幻想のもとへと、階級対立をインペイして国民的統合を目ざす帝国主義ナショナリズム運動を本格的に開始した。
(2)こうした「アジアの盟主」としての地位のために、支配階級にとってはアキレス腱をなしていた沖縄問題に対して、「沖縄返還−祖国復帰」運動を今や全く、日帝の上からのナショナリズム運動の中心にすえつけることによって、アジアの資本主義陣営の“安全”に果す沖縄の役割(=アジア入民抑圧の砦としこての沖縄!)についての「国民的合意」を丸ごと手に入れようとしている。
(3)「核付き、自由使用」という米軍基地のあり方が問題にされているけれども、「安保の沖縄への適用」を通して、太平洋アジア地域の反革命防衛任務の分担(特に、ベトナム和平に替る新たな反革命の熱い焦点として、日本の支配階級にとって直接の脅威である朝鮮半島における人民抑圧戦争準備)−−即ち安保の「アジア太平洋圏安保」への日帝自身の飛躍のステップとして、事前協議制における「OK」範囲に関する調整と、沖縄基地の日米両帝国主義による共同管理という方向こそが、問題の核心をなしている。
二、産業合理化の現段階
−「七〇年代の高速度時代・情報化社会」という管理支配秩序の完成に向って−
1 国際市場をめぐる競争の全面化に直面する日本資本主義が、アジア・太平洋圈という国際分業体制(帝国主義的ブロック)をもって生き延びていくために、支配階級は、これまでの無計画な経済活動の結果大きなヒズミをきたしている国内分業体制の抜本的改編に乗り出し、そして現在の限界を突破していく鍵は、交通・通信・運輸部門・そして教育等の社会資本部門の「近代化」合理化と、行政機構の「近代化」とされている。民間部門の合理化の達成(とその限界)の上に、公部門の「近代化」の立ち遅れを一気に克服して、それをテコにして民間部門の一層大規模な再編成を推進しようというものである。民間にうち立てられた労務管理体制のもとへの労働者のドレイ的従属状態は、公部門のこの展開を通して、社会全体に急達に拡延されることになる。
2 こうした飛躍を求めての個々の合理化計画全般の根本的再検討期を経て、全面的突撃へと移っていく、過渡期としての現段階の特徴は、「一九七〇年代の高速化・情報化社会」というスローガンに象徴される。
(1)高速化・情報化をスローガンとした七〇年代の産業合理化の突撃の先端に立つ公部門の資本の運動自体が、「国際間を流れる情報・旅客・貨物の増大と高速化に対応できる国内体制を、・・」という国際市場を背景とした競争の論理に貫かれた支配階級の産業危機感に突き動かされたものであり、そしてこの危機感は、何よりもこの分野の労働の非効率を犯罪者に仕立てあげ、公共部門をも徹頭徹尾利潤法則で貫徹しようとし、今や「公務員」は「剰余価値を生産する帝国主義的管理労働」者として資格を問われている。
(2)こうした資本の人間合理化は、“省力”合理化として大量の人べらしを引き起しているが、そこでの本質的攻撃は、労働者どうしの一層の競争をテコとして工場内の労働者をドレイ的身分制度へと縛りつけていくことである。肉体労働者は職種・職域ごとに細分化・単純化された部分人間として機械体系のもとへ押しつけられ、一方この分業制を管理監督する精神労働の専門ドレイが大量に生み出され、賃金ドレイであるにもかかわらず賃金ドレイを管理する成りあがりの秩序が厳格に、飛躍的に強化されていく。帝国主義の世界支配体制の改編に見あう、これは工場内の帝国主義的労働者支配体制の、改編強化であり、「教育」はこれに見あった専門ドレイの大量飼育工場となる。(産学協同体制の強化)
(3) こうした個々の経営組織における資本主義的合理北は、搾取の強化ばかりでなく「支配」の強化を始めから目的としており、そしてこの支配体系は、今や産業、地域社会、行政機構相互の間をタテヨコ網の目のように関連し、「いついかなる場所でも必要な情報を瞬時に入手すゐことができる」集中管理体制の確立は、逆に個々の経営における労働への指揮権を鋭くさせる。………支配階級が、万国博覧会によってバラ色に飾り立てようとしている「高速化時代・情報化社会」とは、そのもとで働く労働者にとっては、文字通り「触れてはならぬ」「乱してはならぬ」という絶対的管理支配秩序を意味し、資本主義社会全体が一つの労働監獄となって、労働者の生活の全生活領域を改編し、残された人間的自由の最後の一片すらハク奪されていく時代となる。
3 こういう産業分野での「近代化」合理化による搾取と支配の強化に見あって「国家」機構、即ち官僚的、軍事的統治機構の帝国主義的「近代化」が押し進められる。
 国家は、既に見たような産業秩序のもとヘズタズタに組み込まれ労働組織を通じてはも早互いに協力し結合する何らの契機をも持ちえなくなった個人を、再び地域社会で権力的に掌握し、幻想的共同体へと強制する。そして今や現代「市民社会」は、彼らがどんなにレジャー文明をかき立てても、諸個人一人一人の自由な発展としての共同性ではなく、逆にその摩滅の上に、人間を「管理」する社会となり、そこで深まっていく労働者、人民の反抗する人民抑圧装置=国家の官僚的、軍事的統治機構(=ムキ出しの行政権力)が、議会制民主主義の背後で、独立した性格をもって飛躍的に強化されていく。自衛隊が、帝国主義にふさわしい「国民の軍隊」という外見を装いながら、そうした国家の暴力装置の要として、今や公然とその銃口を労働者・人民の闘いに向けている。
三、労働運動の形ガイ化と右翼労働運動のたい頭−そこでの青年の状態−
1 以上見てきたような新しい性格での帝国主義支配は、既に民間産業の中枢部の労働者を制圧し、今急激に公部門を制圧しつつある。そしてそれは、「労働組合」の右傾化、形骸化を通して達成されている。その特徴は、資本の側が労働組織そのものを職務・職階の身分制度分業支配秩序をもって改編していくのに対して、労働組合は闘おうとせず、逆にその秩序を成り上りコースの秩序立てとして、いかにうまく乗っかっていくか、というふうに対応していることである。中間〜末端職制の肥大化の結果に対しては、これとの統一によって組織をもたせようとする。「職場秩序を乱す者」に対する資本と組合と一体となったパージが準備されている。かくて、一方では下部労働者は「労働組合」にもはや団結の契機を見いだせずに組合不信を強め、他方では職制を通しての労働組合運動への支配、操作が急速に進んでいく、民間のIMF・JC系の中枢部では、労働組合はもはや職制が統御する労働者監視の第二労務課そのものに等しく、帝国主義的ナショナリズムの尖兵たる右翼労働運動ともいうべき方向を指向し始め、そして政党による政策的解決機構(の外見)を備えた官公部門でわずかに戦闘性をとどめてきた「民同」労働運動も、急速に資本の職制系統図からの相対的自立を失い、官僚的形骸化を遂げつつある。
2 労働組合のこういう形骸化の上に、労働組合という古い団結様式を出発点とした「平和と民主主義と生活向上」の革新陣営の−とりわけ社会党を中心とする「反独占国民戦線」の無力化が進行しているのである。
3 青年はこういう帝国主義の労働者支配の中での主要な攻撃目標である。民間の大企業では既に青年労働者の構成比率は五〇%を越えており、資本の若年層を年功制から能力別序列への切りかえのテコにして、中高年令層との矛盾を作り出している。
 しかし、抑圧体制のもとからの労働者の反抗は、直接には労働強化や労働時間の延長、配転や首切りや労働災害への不満、怒りから出発したりしながら、自分たちが一生つなぎとめられる身分制度への反抗、職制による監視労働への反抗、夜勤や変番等の勤務制度への反抗等々、合理化の結果から原因へ、賃金ドレイ制度そのものを問題にした闘いが起り始めており、こうした中心[ママ]青年は、頭脳の、或いは肉体の片輪[ママ]人間として閉じ込められることの故にかえって今や人間としての普遍的欲求を掲げ始めている。
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