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第二の見解(三)
(C)闘いの基調への視点
一、七〇年代に向う日本階級闘争のあらたな質
 総括で明らかにしたごとく六五年日韓闘争以来、反戦青年委、反合闘争のあらたな前進、東大、日大全共闘に代表される全国学園闘争等、幾多の苦難に満ちた日本の青年労働者、学生の闘争は、七〇年、更に七〇年代に向う我々の階級闘争のあらたな質をしだいに明示しつつある。同盟第八回全国大会で報告された福岡地本、山田弾薬庫闘争はその代表的例に他ならない。反戦第二期の「わが内なるベトナム」への激しい現地実力闘争を闘かいぬいた青年労働者はこの闘争の中から「日々資本によって抑圧されている労働者がみずからの労働を通じてベトナム人民を抑圧している」現実をつかみとり、この現実を廃絶してゆく闘争はあらゆる産業に働く労働者に拡大しつつある。青年労働者はみずから反戦デモ、第一組合支持の行動を組織しながら、反戦デモや第一組合を切りくずしの文書を配達し、貯金保険労働者は七〇年代の帝国主義的秩序形成に向けた合理化資金調達の尖兵となり、教育労働者は資本の論理に忠実な労働力育成に従事させられている。こうした現実と闘かう青年労働者のあらたな質の闘争は、五〇年代から六〇年代にかけての日本の既成革新勢力が、「生活と権利を守る」のスローガンのもとに、労働を生活の手段として割り切り、いかにその見返りを獲得するかどいう闘かいと、この「見返り獲得運動」での市民的、消費者的団結を基礎に、政治的には議会で五一%を越える事に集約されて来たのに対し、明確に異なった質を持って登場している。それは、青年労働者が、みずからの労働の質そのものを問い、労働者自身が、「何を作り、どこへ売るのか」を決定する生産者としての直接民主主義、労働者民主主義を構築し、その中から、「抑圧されているものが抑圧する」絶対的矛盾のうえにのみ成立する現代資本主義の「秩序」「体制」そのものを、生産原点から一歩一歩つきくずし、生産者としての労働者のあらたな団結を勝ちとっていこうとする現在的革命闘争なのである。またそれは、二・四ゼネストに決起した沖縄労働者の「基地とみずからの基地労働をなくす」自己の否定の闘かい、更に東大全共闘をはじめとする全国学園闘争が知的エリート=資本の労働者抑圧の尖兵たることを自己否定していった闘争と共通の質を持っている。そして、こうした闘争は、フランスの「五月」を闘かったフランス青年労働者が、共産党、CGTの「経済的によりよい分配」「政治的には議会を通じて」といった既成思想にラジカルに挑戦し、ストから工場占拠へ、占拠から生産管理につき進んだ闘争と同じ質を持っているといえる。このように、六〇年安保闘争の思想的バックボーン、すなわち、「平和と民主主義、生活と権利の防衛」の既成思想に対し、七〇年闘争、更に七〇年代闘争の思想として、労働者みずからが労働を奪取し、生産の主人公としての団結をかちとり、国家権力をプロレタリアートの手に奪取するために、なによりも生産原点に労働者の権力をめざす思想が提起されているのである。
二、社会主義革命への道
 以上のような闘かいの質は七〇年闘争、更に七〇年代闘争の社会主義的対決とでもいうべき中身をもっている。既成左翼の六〇年安保の後退とでもいうべき、経済的にはよりよい分配、政治的には議会を通じる革命といった思想は今日、現代資本主義に統合されつつある。労働を生活の手段と割り切り、いかにその見返りを獲得するかという思想は、労働者の闘かいを、たんに労働市場の管理、労働力の売買に限定し、消費者としての団結しか作りだす事ができない。そして、こうした団結の質の上に、議会を通じる革命という時、労働者の政治への参加は、現在社会の一切の富と力を生み出す生産者として行なわれるのではなく、生産から疎外された一消費者として、ばらばらに切りはなされた一個人、市民として行なわれているのである。こうした労働者大衆の団結と意識に支えられた選挙、議会が今日、体制統合の資本の重要な武器となっていることはあまりも明白である。社会主義革命=人間本質の奪還、であるが故に、我々はその革命の拠点をまさに、あらたな社会の基礎である労働、その労働の行なわれる場所、すなわち生産原点におき、生産者としての労働者の団結を形成してゆかねばならないのである。今日、ブルジョワジーの権力は、支配階級が国家権力の主人公であるから派生するのではなく、逆にブルジョアジーが社会的諸関係において主人公だからこそ国家権力をもにぎり得るのである。まさに権力の根源は社会の諸構造のうちにあり、このことは、社会が複雑化し、分節[ママ]化すればするほど重要になっているのである。現代資本主義における革命はその意味で国家権力のみがすべてではない。もし国家権力のみをブルジョア支配のすべてとするなら、国家の暴力装置の解体にのみあけくれる単純武闘主義が、あるいは議会で五一%をこえる議会主義に我々の革命闘争は明け暮れてしまうだろう。我々は国家権力を奪取するために、今日この国家権力を支えている体制の市民社会の秩序、その体系の解体、すなわち、生産原点を中心とする社会の諸構造における労働者のあらなた団結の形成と、ブルジョア秩序の解体をめざす闘争を前進させねばならないのである。それはまさに、生産点における労働者の権力への前進が、政治権力への前進を可能にし、政治権力への前進が、生産点における労働者の権力への前進を可能にするといった弁証法的関係なのである。その意味で、現代の革命は、政治と社会の重層的革命ということができる。この間の日本の青年労働者の闘争は萌芽期であるとはいえこうした質を持って登場しつつある。
三、社青同の当面する任務
1 反戦青年委運動の全面的強化
 以上のような視点はなによりもこの間の反戦青年委員会運動の中でもたらされてきたものであり、逆に同盟が今日、根底的な、危機にあるのも総括であきらかにしたごとく反戦青年委運動に敵対してきたからである。同盟はこの全国大会の中で、これまでの反戦青年委への敵対を全面的に自己批判し、かつ、「団体共闘として取組む……」等といった形式論議をのりこえ、この中で明らかにしてきた反戦青年委運動の質をわがものとするための闘争を直ちに展開すべきであり、特に、七〇年安保決戦=佐藤訪米阻止闘争を、(イ)全国各地のデモンストレーション、(ロ)生産点ストライキ闘争、(ハ)羽田現地阻止闘争の三点を内容に構築し、これを闘かう組織として、職場反戦―地区反戦−県反戦、更に産別反戦の形成に努力し、全国反戦事務局団体としてその再開に努力すると同時に、これを可能にするため、県反戦を中心とする各県反戦連絡会議の闘争に全力をあげるべきである。
2 この秋の反合闘争の全面的強化
 この秋、いずれも決戦期を迎える国労・動労・全逓・専売・全水道・等々を先頭にして反合闘争の強化に全力をあげてゆく。特にこれらの闘争を、従来の「生活と権利を守る」ものから脱却させ、「生産の主人公としての労働者の団結の形成」をめざして、あらたな職場闘争の構築に全力をあげる中から前進させ、労組の闘争を強化し、拠点の闘いを拡大してゆくためにも、職場反戦、あるいは労研運動、行動委員会等労働者の自立した闘争機関を構築して闘かわねばならない。
3 文化・思想闘争の強化
 従来の「体制下支え」的サークル運動を脱皮し、資本の労働者支配の重要なかなめとなっている文化、思想を打破しあらたな労働者の世路観を作りあげるため、「話し合い」や「なぐさめ合い」のサークルから、あらたな社会の原型を先取りし、あらゆる分野における高度な専門サークル、文化運動の建設、に同盟は全力をあげねばならない。
4 あらたな同盟建設に向けて
 あらたな同盟建設に向けて第一に今日、全同盟が今日、社青同が根底的危機にあることを認識し、その危機が何よりも基調のドグマ化と、中執のセクト的同盟運常にあったことを全体で確認せねばならない。この上に立って、我々は第二に思想的にも組織的にも既成の革新勢力のうちにとどまっている同盟から、反戦青年委を中心とするあらたな質の闘いの、まっただ中に身をおく同盟に作りかえ、こうした任務を果しうるために、大胆な同盟内民主主義の保証と、これを支えうる中央指導体制の確立に総力をあげねばならない。
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