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第三章 日本の労働運動

 

第一節 七〇年代以降の日本資本主義と労働者支配

1 体制的合理化の進展

 一九七〇年代半ば以降資本主義の矛盾が拡大するなかで、資本の合理化運動と、これを国家がバックアップする体制的合理化が一段と強められることになった。激しさを増す資本の合理化運動の前に反合理化闘争もまた後退を強いられていった。労働組合は闘争ばかりでなく、組織面においても大きく後退し、組織率も大幅に減少した(七四年の三四・二%から二〇〇一年の二〇・七%へ)。

 労働運動の後退をもたらした経済的背景は、なんと言っても、資本間競争の激化とそのもとでの大量失業という事態が大きい。人減らし合理化が横行し、春闘においてかつての高度成長期のような大幅賃上げはかちとられなかった。

 

 その際、資本は「会社あっての労働者」という企業意識を大いに鼓舞し、思想攻撃の武器として使用した。企業の赤字・財政の危機という思想攻撃とたたかったが、結果として程度の差、時間の差はあれ、官民問わず職場の諸権利は大きく抑え込まれていった。これに対する反撃の努力はあったが、大衆的なたたかいとなりがたく、活動家の孤立、たたかいの分散のなかで、資本は合理化運動を有利に展開していった。

 こうした資本の力の増大は、国家によって支援され促進された。民間大企業においては、政府の産業再編政策がわが国の特徴である企業別労働組合と労使関係を温存し、企業意識を助長する形で進められた。七五年に雇用調整交付金制度(後に雇用調整助成金制度)が設けられ、企業は雇用対策をこうした公的負担を利用しつつおこなったが、この制度で補完しながら、七八年の産業安定臨時措置法や八三年の特定産業構造改善臨時措置法によって産業再編合理化が進められた。

 

 さらに政府は、労働者に直接支給される雇用保険を削減するとともに、八五年プラザ合意以降の「円高不況」のなかで、雇用調整助成金制度の拡充を図り、事業転換・職種転換を促すことによって資本の合理化運動をよりいっそうバックアップしていった。

 九〇年代のバブル崩壊以後の不況の長期化と、国際間資本移動の激化にともなって、従来の最低限の労働者保護立法すらかなぐり捨てつつある。九八年には労働基準法・労働者派遣法が改悪され、翌年には産業再生法制定や商法改悪などによって資本の自由な移動を促進する政策が進められた。

 

 2 思想攻撃の激化と労働者間の分断

 民間部門における「合理化」の進展は、資本の「営業の自由」をイデオロギー的な主柱としているため、これが「小さな政府」論と結びつき、公務員労働者に対する攻撃も激しいものとなった。第二臨調による行革(行政改革)は、新自由主義的思想にもとづいて官公部門への競争原理の導入、国民には自立・自助の精神を強調し、社会保障の改悪などを推し進めた。そしてとりわけ国鉄の分割・民営化では、国家的不当労働行為をもともなって、労働組合への攻撃が強行された。この国鉄労働者にかけられた、会社解散−解雇−新会社設立という不当労働行為の手法は、その後、民間において雛形として真似られることも多く、これを転換点として独占資本は、いわば高飛車な解雇攻撃を繰り広げていくことになる。

 資本間競争の激化・大量失業を背景にしながらの、企業・財政赤字の思想攻撃の展開は、総じて労働者の諸権利の後退を招いたが、今一つ忘れてならないのは、この時期、労働者問の分断攻撃もまた激しいものであったという点である。官と民との間にとどまらず、雇用形態別・企業別・産業別にもさまざまな賃金・労働条件がっくり出されてきたのである。

 

 第二に、一九八〇年代以降の情報技術革新は、既存の「重厚長大」型産業の再編合理化で就業者数を減少させなから、情報・サービス分野の就業者を増加させた。労働組合基盤の弱い後者において、諸権利の侵害が著しい。

 第二に、パート労働・臨時雇用などの不安定就業者が増加した(雇用形態のいわゆる「多様化」)。公的統計だけをとってみても雇用労働者の約四分の一が非正規雇用の状態に置かれている。しかもその大半は女性である。

 

 第三に、大企業労働者と中小企業労働者との間の賃金・労働条件の格差も広がった。

 

 第四に、民間大企業の正規雇用労働者はその割合において減少したが、スリム化されるなかで労働強化が進んだ。相対的には高賃金にあるとはいえ、能力主義管理の強化(昇進競争・賃金の個別化)やQCサークル・提案制度などの自主管理活動の活発化によって、労働者間の競争が強められ、自らを労働強化に追い込む体制が一般化した。

 九五年の日経連「新時代の『日本的経営』」が示した労務管理の新たな方向は、こうした労働者間の分断をいっそう促進し、労働者の諸権利と「総額人件費」を抑制していこうとするものに他ならない。

 

 3 階級矛盾の蓄積と運動の新たな模索

 しかし、資本の労働者支配が成功してきたとばかりは言えない。資本の論理の貫徹は、階級矛盾をますます蓄積させているのである。

 独占体における人員削減・スリム化とそれにともなう「雇用の多様化」によって、いわゆる正社員の比率が減少し、正社員を中心に組織してきた企業別組合は、その基盤を狭めている。それだけに、企業の「外側」でその数を増やしつづけるパート・派遣労働などの低賃金労働者を視野におさめない限り、自らの賃金・諸権利も確保できないことがますます明らかになっている。連合に限らず現在の労働運動が、「公正なワークルール」確立、解雇規制の法制化、雇用保険の改善・拡充などの要求を社会化させている背景とはこれである。

 

 また、マイクローエレクトロニクスを基盤とする情報技術革新は、労働過程のありようを少なからず変えている。不断の生産過程の変革とその下での職種転換の日常化、既存の熟練の陳腐化と新たな熟練の要請等々は、めまぐるしいほどに変化を労働者に強いる職場状況を現出させているが、逆に、このことが従来民間大企業における労働者支配の手段として機能してきた年功的職場秩序をも動揺させるに至っている。

 大量失業、企業赤字攻撃、労働者間分断の下での資本の合理化運動は、労働者の生存の不安定性を一層強めている。こうしたすさまじい合理化攻撃のなかで、労働組合が賃金要求すらできず、首切り攻撃に抵抗できない状況が広がっているが、しかし一方で、賃金・労働条件・諸権利における労働基準を確立しようとする新たな模索も労働側に始まっている。これまで分断されてきた労働者が、共通する労働基準の確立を基礎にした共同行動・統一闘争を展開していく条件は、むしろ以前に比べ強まっているのである。

 

第二節 総評解体とその教訓

1大衆的戦闘的労働運動の担い手としての総評

 連合結成以前の日本労働運動における反体制勢力の中心は、指導方針とその意識からいって総評を中心とする組織労働者であった。

 総評は賃金闘争を、産業別統一闘争を基軸に春闘に発展させ、未組織・中小零細企業労働者にも影響を及ぼし、賃金水準の底上げに貢献した。また、春闘をスト権など労働者の運作諸権利を拡充するたたかいと結合し、さらに、国家独占資本主義が生み出す矛盾の深化、拡大に応じて、労働者と勤労国民の広範な要求を掲げてたたかう国民春闘へと発展させた。

 また、再軍備反対、軍事基地撤去など、憲法擁護、平和と民主主義を守るたたかいの中心的担い手となってきた。

 

 総評は資本主義を階級対立の社会ととらえ、労働者の生活と権利を守りうるのは、労働者自身の団結と闘争以外にないとした。これに対して全労−同盟、後のIMF・JC(金属労協)の潮流は、生産性向上運動に基本的に賛成する立場にたってきた。

 資本主義的生産においては、生産性向上を基本とする利潤追求のあらゆる方法が、労働者への搾取の強化、犠牲の増大となる。労働者はこれに抵抗してたたかわなければ、労働条件を維持・改善し、生活と権利を守ることはできない。反合理化闘争とは、資本主義的蓄積の法則が生み出す「窮乏化」作用、とりわけ搾取強化に対する抵抗闘争であり、資本主義的生産の論理に対して労働者が人間らしく生きていく立場から抵抗するたたかいである。犠牲の増大に反対する一切の運動を、階級闘争としてたたかうかまえであると言ってよい。このかまえがなければ、労働者は資本に対する主体性を確立することはできない。総評はこのかまえを明確にすることよって、日本における大衆的・戦闘的労働運動の担い手となることができたが、労資協調の同盟・JC路線では、企業内的体質をますます強め、企業を越えた大衆的な労働運動に発展することがほとんどなく、労働運動における指導性を発揮することはできなかった。

 

 したがって、資本家階級とその政府の労働運動対策の中心は、全労−同盟を育成し、総評の弱体化、その影響力を低下させることにあった。六七年に民間組合員数で同盟が総評を追い抜くが、それだけでは、大衆運動における総評の指導性を失わせることはできなかった。

 日本独占資本の海外進出と帝国主義的再編成の進展は、六四年のIMF・JCの結成に見られるように、労働四団体をまたぐ民間労組の大産業別結集の条件と必要性を高め、労働戦線再編を促進する有力な要因となった。「労使協議制」による日本的「経営参加」の広がり、QCやZD運動の導入による職場の組合活動の圧殺、さらに高度経済成長が一定の賃上げと、失業率を低水準にすることを可能にした条件の下で、民間大企業労組に労資協調路線が広がっていった。民間労組を結集すれば、総評を分裂状況に追い込み、日本労働運動を「合理化」協力、参加路線の下に再編成することが可能になった。

 七〇年代初頭の「民間先行」の労働戦線再編は、大衆運動の高揚のなかでいったんは挫折するが、七六年の「政策推進労組会議」の結成を基盤とし、八○年代初頭の行革による官公労攻撃、春闘抑え込みの成功などを背景に進み、八九年に官民統一の連合が結成され、総評が解体するに至る。その影響は大衆運動の大きな後退となって現れた。

 

 2 階級闘争の後退とその教訓

 (1)反合理化闘争路線の後退

 高度経済成長期に総評労働運動のなかにも、職場闘争と学習活動、活動家育成と地道な組織づくりをなおざりにする傾向が強まり、反合理化闘争路線の空洞化、総評労働運動の弱体化が進んだ。社会主義協会が、テーゼ第二部「労働組合と統一戦線」で示した職場闘争、反合理化闘争を柱とする労働運動強化の方向は、国労の「現場協議制」、全逓の企一号、企二号など、官公労には一定の広がりがあったが、これを大衆路線として確立する点では不十分であった。また、民間、ことに大企業労組には活動家層が薄く、これを定着させることはできなかった。そして一九七四〜五年の深刻な不況後の「減量経営」の時期に、民間大企業を中心に「労使協議制」、小集団管理が広がり、協調路線への引き込み、職場の組合活動の圧殺はいっそう強まった。

 七七年の協会規制は、活動家の孤立化と職場活動の抑制として作用し、反合理化闘争路線の修正、「経営参加」の容認に踏み出した総評の変質を促進した。

 そして八○年代の第二臨調行革は、官公部門の非能率と赤字の累積を非難し、「親方日の丸意識」の宣伝を通じて、路線転換を強要した。このなかで公労協の路線転換が進んだ。

 これに屈しない国労に対しては、大量解雇の強行と、組合潰しを狙った「分割・民営化」という手法が採られた。また、八五年には「地方行革大綱」が示され、地方自治体の行革が推進された。

 六〇年代に能力主義管理が導入され、ZD、QC運動が小集団管理へと発展していくなかで、民間大企業で活動家の孤立化、排除が進んだが、八○年代には、日経連の「新職能資格制度」の提唱とあいまって能力主義管理が再編・強化された。民間大企業では職場に労働組合がない状態がさらに一般化していった。

(2)春闘の変質

 先頭にたった民間単産への激しい組織分裂攻撃をうけて、総評は一九六〇年代半ばに賃動上げの相場形成に影響力をもつ闘争力ある組合を失い、春闘の主導権を低下させた。このような条件下で七三〜七四年春闘が高揚したのは、総評の一五大要求に示された方向を、激しいインフレ下で、官公労、交運共闘が官民一体の政治春闘・国民春闘として展開する主体的力量をなおもっていたからである。

 この春闘の高揚に危機感をもった日経連は「大幅賃上げの行方研究委員会」を設置し、「生産性基準原理」を掲げ、ガイドポストを設けて七五年以降の賃上げの抑え込みに全力をあげた。同盟は七五年に「社会契約」的運動を、鉄鋼労連は「経済整合性論」を提唱し、労働組合側からの実質的な賃上げ自粛論として作用する。七五年以降は、JC系企業の「八社懇」が賃上げ相場を決める状況となり、「管理春闘」なる言葉が生まれた。労働者の生活実態から賃上げの社会的基準を打ち立て、これを経済的予件として波及させるという春闘からの大きな転換が進んだ。そして七六年の「政策並進労組会議」の結成、電機労連のJC「集中決戦」方式への軸足移行は、春闘共闘委員会の地位を大きく低下させ、官民総がかり春闘からJC主導型春闘への変化を決定づけた。

 官公労は「行革」攻撃のなかで、「民間準拠」に寄りかかって春闘を主体的にたたかうかまえを弱め、大衆闘争後退の要因をつくり、春闘の形骸化を進めた。

 (3)官民分断と共同闘争

 総評運動の広がりが日本労働運動の階級的強化につながるために、官民の分断を通じた総評の弱体化がさまざまな形で進められてきた。今日では、われわれはそれを許した要因のなかから、その教訓点を学ぶことができる。

 その一つが制度政策闘争をめぐる問題である。「減量合理化」の進展のなかで、民間労組が政府の雇用調整交付金制度の創設を支持したのに対して、官公労が批判的態度をとっているとして、同盟、JCなどの総評批判が強まった。その後民間労組の多くが、資本との対決を避けた制度政策要求中心の運動を指向していくなかで、われわれのなかに、反合理化闘争の機械的理解から、これを批判するだけに終っている傾向もあった。三池闘争で培われた全国の労働者の連帯と闘争力によってかちとられた炭鉱離職者法、雇用促進事業団法や、総評の一五大要求と国民春闘への発展など、大衆運動と結合した政策闘争の実践経験をもっていたにもかかわらず、これを正しく教訓化しえなかった弱さは、官民分断を許す内的要因の一つとなった。

 

  第二は統一闘争に関する点である。一九七五年のスト権ストは、官公労働者の戦闘性を歴史に印すたたかいとなったが、結果として公労協の孤立化を生み、官民分断を促進した。階級闘争全体の情勢分析、特に独占資本と政府の攻撃の意図の分析などにもとづく戦術配置の重要性を示す教訓点となった。

 

 第三に、産業構造再編成による就業構造の変化のなかで、中小未組織労働者、パート、女性労働者が増大し、格差が拡大していったが、これに対する有効な方針の提起と組織化が不十分であった。これが労働運動を活性化し得ない要因の一つとなり、大企業支配を許す原因ともなった。

 特に、高度経済成長時の労働者不足に対して、資本は不安定で低廉な労働力として女性を採用し女性労働者が増えたが、女性の労働権を確保する運動は総評婦人局(後の女性局)にまかせられてきた。七五年の国際婦人年からの国連婦人の一〇年の運動で婦人局は中心的役割を果たし、女性差別撤廃条約の批准、男女雇用機会均等法の制定、労働基準法改悪反対をめざして民間団体も含めた中央地方での大衆運動を組織し、一定の成果をあげた。しかし、総評労働運動のなかに女性問題を位置づけたり、性別役割分業による男女差別を解消する運動は、労働運動全体に広がらないまま連合に引き継がれた。

 

 (4)果たせなかった企業主義の克服

 総評は組合民主主義と大衆路線の確立、産業別統一闘争の強化を通じて、企業別組合の弱点の克服に力を注いだが、年功賃金と「終身雇用」に支えられた企業内的な体質を基本的に克服することはできなかった。この努力をおろそかにし、企業主義的体質を強化する役割を果たしたのは、一部の民間大企業労組幹部である。彼らが推進する「経営参加」は、職場の労働運動を抑え、労働組合を企業内に閉じ込め、企業主義的体質をますます強めた。その主張である「産別自決」とは、他の単産や組合の問題にかかわらない、あるいは持ち込まないということであって、地域における企業を越えた連帯や共闘を否定し、労働者を企業内に閉じ込める主張に他ならなかった。政治闘争、反戦・平和のたたかいの否定もまた、労働者を企業内に閉じ込める役割を果たした。

 

 3 総評と社会党支持

 総評は社会党との支持協力関係の下に、経済闘争とともに政治闘争を強化してきた。社会党・総評ブロックの果たした役割、ことに日本の平和と民主主義を守るたたかいに果たした役割はきわめて大きい。

 社会党一党支持は、多くの労働者の気分を反映していただけでなく、政党支持自由論とは違って、党と労働組合の「緊密な接近」の原則にそっており、労働組合の政治闘争の強化、労働者の政治意識の向上に積極的役割を果たす側面があることから、われわれはこれを擁護した。しかし反面、十分な討論と民主的機関運営を欠いた決定、選挙の時だけしか機能しないとか、労組幹部の党への介入を招くなどの問題点をも含んでいた。また、社会党の党勢拡大の主体的努力の不足を生む要因ともなり、社会党=総評政治部と揶揄される状況を生んでいた。こうした否定的側面は、総評への「政治闘争至上主義」、あるいは、経済闘争を主任務とする労働組合の独自性を侵しその幅を狭めるといった批判と結びつき、官民分断を許す条件ともなった。

 

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