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第二章 国内情勢の基本的特徴

 

 第一節 第二次大戦後の日本資本主義

 1 戦後の高度経済成長

 敗戦による占領から独立(一九五二年)したのち、保守合同によって保守安定政権が実現し、五〇年代後半からの経済成長とともに日本独占資本は復活を完了した。自衛隊や中央集権的警察機構など国家の暴力装置の強化も進められ、戦前から温存された官僚機構とともに、独占資本を支える国家独占資本主義的権力機構も再編・確立された。しかし、戦後の日本独占資本は西側陣営の一員としてアメリカ帝国主義の傘下に自発的に身を入れ、特に軍事外交面で強く依存・追随した。

 世界経済の相対的な安定と成長、自由貿易の推進と1ドル=三六〇円固定レートといった国際環境を利用して、日本経済は一九五〇年代半ばから年率一〇%に及ぶ高成長をつづけた。重化学工業を中心とする民間企業の爆発的な設備投資が高成長を主導した。それをもたらしたのは、各産業で上位数社の独占的企業が激しく市場を奪いあう競争(寡占間の競争)であった。これら独占資本は、六大企業集団(旧財閥系など)やその他の独立系企業グループ(トヨタ・松下など)のピラミッドの頂点に位置し、低賃金で労働条件も低い中小企業の厚い層を下部に組み込んで利用した。

 

 その過程で急速な技術革新がおこなわれ、石炭から石油へのエネルギーの転換、石油化学、家電・自動車など新型の重化学工業の急成長に象徴される産業構造の転換が急速に進められた。それはまた、就業構造の変化や職種の転換に対する労働者の抵抗を抑え、対応させたということでもある。

 中小企業で労働者の移動が比較的さかんであったのに対して、大企業の正規労働者では長期勤続が定着した。それは、年功制と企業内福利のもとで、長期勤続しなければ元がとれない仕組みであり、労働者を企業に縛りつける機能ももつ。企業からみれば、労働者の年齢構成が若いときには、年功賃金は総人件費を下げる手段であった。勤勉な労働力は農村部から安く大量に供給された。昇進をめぐる、あるいは集団から脱落しまいとする労働者間の競争は厳しく、それが会社人間とか企業戦士と言われる無権利で長時間の労働に追い込む圧力になった。

 

 総評を中核とする労働組合は、春闘をつうじて賃金を引き上げ、それが農業や自営業の所得向上にも波及した。権利面でも一定の成果が得られた。政治・社会的にも左派・民主勢力の中心として大きな役割を果たした。しかし、しだいに民間大企業では、資本側の支援を受けて第二組合や企業主義派が勢力を増した。

 戦前に比べ軍事費負担が軽くなって、財政の規模は相対的に小さく、財政資金は産業基盤投資に集中された。シャウプ税制で基本が敷かれた所得税中心の税制は、戦前に比して貧富の差を大幅に縮小するのに貢献した。労働者運動や革新自治体等をつうじて社会保障拡充の努力はなされたが、社会民主主義の影響が強い西欧と比べると、人権や福祉の面ではまだ大きく立ちおくれた。

 経済発展にともなって社会も急速に変貌した。農村から都市へ人口か大量移動し、都市部では過密と住宅難、農村部では過疎が深刻になった。農家が減り、労働者が圧倒的多数になった。進学率が上昇して高学歴化が進んだ。この過程で家族・親戚・地域などの共同体的な機能が分解されていった。産業発展中心のもとで公害などの社会問題も深刻化した。

 

 2 高度経済成長後の再編と競争の激化

 高成長はやがてみずからの条件を掘り崩し、一九七〇年代前半に成長の時代は終わった。アメリカのドル散布による過剰マネー、田中内閣の列島改造政策が拍車をかけた総需要の膨張、投機的ブームでだめ押し的に上積みされた過剰な投資、他方での資源大量消費がもたらした資源価格高騰や、農村労働力の枯渇による人手不足は、七三年の第四次中東戦争の際の原油価格の大幅上昇をきっかけに狂乱インフレを引き起こし、一九七四〜七五年に日本経済は深刻な不況を経験する。これをもって高度成長の時代は終わり、日本資本主義は再編過程に入ることになる。

 追いつめられた資本側は、一九七〇年代後半になると反転攻勢を開始した。資源多消費の重厚長大産業は縮小し、産業構造が省資源型に急速に転換するなかで、各企業は雇用・原材料コスト・負債をそぎ落とす強力な減量経営を進めた。そのさい、企業の生き残り優先の必要を労働者に突きつけ、賃上げや権利主張の自粛、のみならず権利思想の放棄清算を迫った。背水の陣を敷いたこの強力な攻撃は、労働運動を低迷に向かわせ、ストも急激に減少した。

 

 個人防衛のための企業防衛というイデオロギーは、国家レベルでの競争力強化の必要へと延長拡充された。階級対立と階級闘争の思想はその下に抑え隠された。市場万能主義に立つ権利そぎ落としのイデオロギー−−新保守主義(ニューライト)ないし新自由主義(ネオリベラリズム)が強力に展開された。

 一九七〇年代後半の不況対策で財政赤字が拡大すると、一九八〇年代に入って「第二臨調」を押し立てての[行財政改革」「自助自立]キャンペーンが張られ、社会保障や公務員に労働者の権利に標的をすりかえて攻撃が集中された。「ヤミ手当・カラ出張」報道など公務員労働者への敵意煽りを手始めに、社会保障の受給者、農家(補助金や農産物輸入問題)、零細商店(大店法問題)など、次々と「他の階層の負担で過剰に保護される受益者」という構図をつくっては槍玉にあげ、勤労者内部の分断・対立・敵意を煽って各個撃破する戦術がさかんに使われた。この戦術を巧みに駆使して「戦後の総決算」を進めたのは中曽根政権であった。国鉄・電電・専売が民営化され、主力であった官公労が集中攻撃を受けて、やがて総評の解体に追い込まれることになる。

 

 この間、特に一九八〇年代以後の合理化の推進力になったのは、おりからのコンピュータの劇的な発達であった。コンピュータ化を中心に日本企業の設備投資は低成長下にもごく高率で増加し、競争での生き残りのためにその巨大な投資費用の確保が優先だとされて、自粛につぐ自粛が労働者に迫られると同時に、企業防衛の思想攻撃の中心となった。そのうえ変動相場制のもとでの為替レートの大振れは、各国企業に競争力維持強化のための合理化をさらに厳しく強制した。日本では、円高の進展のたびに「乾いたタオルをさらに絞る」と言われた合理化か進められ、それがまた貿易黒字を、そして円高を生むというパターンをくりかえした。なお、この貿易不均衡の累積は、主としてアメリカとのあいだで激しい摩擦・対立を生んだが、他面では日本の黒字による外貨資金が大規模にアメリカに投資されて、同国を支えてきてもいる。

 

 世界経済の一体化が強まるなかで、日本は一九七〇年代以降、とりわけ一九八五年のプラザ合意を契機とする急激な円高の進行にともなって、資本輸出の爆発的な増加をみせた。対米貸しの他、資本輸出の中心になったのは、東アジアへの直接投資である。このような対外進出による多国籍企業化によって、日本独占資本は東アジア地域への帝国主義的利害関係を一層深めるにいたっている。

 一九八〇年代後半、バブルと呼ばれる投機的な大ブームが発生し、設備投資の激増、消費の拡大、そして不動産と株式を中心とする投機と金融の狂乱的膨張がおこった。発生した投機は必ず破裂するとはいえ、資本主義下の競争の圧力は、利益追求のためのさらなる投機へと駆り立てずにはおかないのである。

 

 一九九〇年代に入ると、当然に生ずる投機の反動により、金融部門の混乱をともなうきわめて深刻な不況におちいり、以後一九九〇年代一杯を停滞と混迷、問題の噴出のうちに苦しむことになった。生産能力や負債の過剰が明らかになり、企業はリストラと称される縮小合理化に走る。雇用削減、賃下げの他、あらゆる支出を削るコストダウン競争となるが、それがまた全体の購買力を切り下げ、企業の首を絞めあう悪循環となって不況の底に落ちていく。資本主義の不合理がこのうえなく露わになった。地価・株価の暴落、不動産業に融資などの焦げつき(不良債権化)で欠損が拡大し、とりわけ金融部門が痛んだ。山一証券、拓銀、長銀、日債銀など大手も破綻した。不況対策の大出動も、欠損穴埋めというブラックホールに吸い込まれてしまい、資金が流れない。そのうえ橋本内閣の緊縮政策が不況の二番底に落とす失敗を犯した。マイナス成長がつづき、失業率は五%水準を超え、旧来の制度の矛盾も露呈された。

 明らかにすべての責任は資本主義にあり、具体的にはバブル時の経営と政策運営にあるにもかかわらず、その責任はとられず、いっさいが労働者に、また勤労国民に犠牲転嫁されている。

 

 大幅に低下した成長率、過剰生産力と過剰負債・不良債権、破壊的な国際的過剰資金による不安定、高齢化の進展、財政赤字の累積といった問題を前に、独占資本と政府は、暴走的なリストラ、市場万能主義的・新保守主義的なそぎ落とし合理化(「規制緩和」など)、また同時に利潤獲得の条件を整備拡充する諸措置の強行、という方向を押し進めようとしている。このことは、労働者はもちろん、これまで保守基盤であった部門も含めて、勤労国民を厳しい生活不安にさらす。社会主義勢力の態勢再構築は、そこから生じる不満を、説得力ある改革の運動に組織できるか、またそのなかで資本主義への批判の思想を組織できるかどうか、にかかっている。

 

第二節 独占資本の支配とその矛盾

 独占資本主義の成熟と日本企業の対外進出を背景に、自民党を中心とする保守勢力は軍事大国化と政治反動を一層強めている。軍拡については、独占資本は度重なる「防衛力」整備計画によって自衛隊に欧米諸国に匹敵する近代的兵器を装備してきたが、一九九二年の国際平和協力法(PKO協力法)によって遂にその自衛隊の海外派兵への道を切り開き、一層の軍隊化を推し進めた。

 さらに、日本独占資本はアジアにおいて支配的地位を築くためにアメリカとの軍事協力関係の一層の緊密化をはかり、七八年には「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を制定するとともに、冷戦終結とソ連邦崩壊という新情勢に対応して、日米安保条約の再定義=実質改定を推進した。九六年の日米両首脳による「日米安保共同宣言」、九七年の新ガイドライン策定を経て、九九年の周辺事態法では日本周辺での米軍の戦闘行為などに対する自衛隊の支援も定められ、日米安保体制の帝国主義的性格が一層明確にされることになった。

 

 以上のような日本の軍事大国化と日米軍事同盟の強化は、憲法九条の平和主義の理念を踏みにじり、アメリカがおこなう戦争に対する日本の積極的な荷担を意味するものである。国会での改憲勢力の増大を背景に、独占資本と保守反動勢力による憲法九条否定の明文改憲への策動はかつてなく強まっており、憲法改悪阻止のたたかいに労働者階級を中心とする国民階層を広く結集することが急務の課題となっている。

 また政府・独占資本は、教育面においても憲法の理念を体現する教育基本法の見直しを進め、反動的な改革を推進しようとしている。日本の教育は、「学力低下」「不登校」「いじめ」「学級崩壊」など危機的状態に陥っているが、政府・自民党はそれを教職員の管理強化、教育内容の統制・画一化によって乗り切ろうとしている。

 

 日本独占資本の帝国主義的膨張と軍拡の動きを反映し、九九年の国旗・国歌法制定にみられるような復古的民族主義の教育現場への押しつけも強まっている。また侵略戦争賛美の「自由主義史観」にみられるような反動的な歴史観による思想宣伝もおこなわれ、一定の草の根的な影響力をもつにいたっている。民主主義教育を守る運動が一層強化されなければならない。

 さらに独占資本は教育においても市場万能の新保守主義改革を推進しようとしている。それは教育の規制緩和、学校の自由化・民営化を柱とし、競争原理の導入による効率化=安上がりの教育を進めようとするものに他ならない。

 

 大学教員任期法(九七年)や国立大学の独立行政法人化、小中学校での学校選択自由化、学区制の見直し、学校設立の自由化、修業年限弾力化など、相次いで新保守主義改革の具体化が進められようとしている。しかし、それは国民の教育費負担の増加と教育労働者の労働条件の悪化をもたらすものに他ならず、決して現在の教育危機を解決するものではない。

 教育危機の克服には、憲法と教育基本法の原点に立ち返った教育改革の推進が不可欠である。憲法と教育基本法の改悪を阻止し、教育における民主主義を確立するとともに、教育労働条件を改善するたたかいを地域、教育現場において推進することがますます重要になっている。

 

 被差別部落に生まれ、育ったという理由だけで、人間として当然受けるべき権利を奪う部落差別は、独占資本の支配のなかで、体制的な差別として今日に至ってもつづいている。それに対して反差別の運動は全国水平社いらい部落解放同盟を先頭として八○年のたたかいによって一定の前進を見てきた。しかし、被差別部落の仲間の三人に一人が「人権侵害を受けた経験がある」と答えている他、不況の長期化、深刻化が大きな要因となって、悪質な差別事件は後を絶たない。これまで「同和」行政を支えてきた[地域改善対策特別措置法]が二〇〇二年三月に期限切れとなっており、人権運動の重要な柱である解放運動は重要な局面を迎えている。今後一層、部落の完全解放をめざす運動とあわせた人権を基調とした幅の広い反差別の運動の強化が求められている。

 いまや巨大権力と化しつつあるマスコミを通じた資本主義擁護の思想攻撃も強力におこなわれている。国民がメディアを通じて誘導され、政治の方向を左右される危険が大きくなっている。だが同時に、情報公開を通じて権力や資本の動きを監視する条件も強まっており、IT技術の発達によって、国民に真実を知らせる手段も豊富になっている。それを生かすか生かさないかは、われわれの活動にかかっている。

 

 地方自治をめぐる独占資本支配と地域住民の矛盾も激しさを増している。独占資本の中央集権的な地方支配の行き詰まりはますます明らかになっており、情報公開法(条例)と環境基本法(条例)などに示される市民立法活動、住民投票の活用による住民自治の蓄積によって地域における民主主義は大きく前進した。

 そして地方分権改革も、より一層住民自治の前進をはかる運動、民主主義闘争として重要な意味をもっている。九三年の地方分権推進決議、九五年の地方分権推進法の制定、九九年の地方分権一括法の成立は、以上のような地域住民の民主主義闘争の前進を背景にするものに他ならない。

 

 しかし、他方で独占資本は住民の地方自治の要求を逆手にとって、新保守主義的方向に地方分権改革をねじ曲げようとしている。それは、地方行政への競争原理の導入や地方住民の負担による財政再建であり、「効率化」を名目にして、教育や福祉など住民生活に密着したサービスを切り捨てる路線に他ならない。

 また、地方分権一括法で実現した地方分権改革は、機関委任事務の廃止などの前進面はあるものの、権限の委譲は不十分にとどまり、税財源・財政構造の抜本的改革や住民投票制の実現など重要な課題は先送りの状態にある。さらに九九年の地方分権一括法の成立と同時に改正された合併特例法は、合併による効率化のみを追求するものであって、住民自治に逆行する危険性を含んでいる。

 地域住民の民主主義的要求に立脚した地方分権改革を推進するには、独占資本の中央集権的な地方支配に抵抗するとともに、地方分権の新保守主義的な歪曲に対するたたかいを強化しなければならない。

 

 資本主義が弱肉強食と投機への傾向を強めるとともに、国民の間の貧富の格差が拡大し、社会保障の役割が一層重要になっている。しかし、政府は財政難を理由に社会保障分野においてもサービス水準の切り下げや国民負担の増加を推進しようとしている。年金における給付水準の切り下げと保険料の引き上げ、医療における患者負担の増加が推進されている。失業率の上昇により失業保険財政も悪化の一途をたどっているが、独占資本はそれを給付水準の切り下げによって切り抜けようとしている。生活保護など社会福祉の諸制度も国民に最低限の生活を保障する機能を果たせなくなっている。

 二〇〇〇年四月から実施された介護保険制度は、高齢者の生活安定と人権擁護をめざす国民運動の大きな成果を意味するものであったが、一方で介護保険料の国民負担増や高齢者医療費の抑制など、独占資本にとっての社会保障コストの節約のねらいも含まれている。

 

 政府の進める財政再建路線とは、独占資本の蓄積基盤を支える財政支出の抑制は回避し、社会保障を中心とする国民生活に密着した経費の節約を推進するものに他ならない。社会保障の水準の低下を阻止し、一層の充実をはかる幅広い国民運動の展開を進めなければならない。

 最後に、独占資本の利潤追求は環境問題における矛盾の蓄積となってもあらわれている。高度成長期には四日市ぜんそく、イタイイタイ病、水俣病など、公害病による住民被害が拡大した。しかし、政府の公害対策や独占資本に対する規制は不十分なものにとどまり、その後も各地で公害をめぐる住民闘争がつづき、環境悪化に対する国民の不安や怒りも高まっている。

 

 最近では大量の産業廃棄物の発生やごみ問題が深刻化し、ダイオキシンなどの有害化学物質による土壌や水質の汚染も大きな問題になった。また、酸性雨問題、フロンガスによるオゾン層の破壊、炭酸ガスの温室効果による地球温暖化など地球規模の環境破壊も深刻の度を増している。日本の企業の海外における植林をはるかに超えた森林伐採による自然生態系の再生バランスの破壊は国際的な批判を浴びている。

 環境破壊の深刻化に対し、九〇年代には国連環境開発会議(地球サミット、一九九二年)や国連環境特別総会(地球サミットU、九七年)などに見られるように、地球環境問題への国際的取組みも進展した、地球温暖化防止京都会議(COP3、一九九七年)では二酸化炭素削減の数値目標が定められ、わが国政府もそれに対応し地球温暖化防止などの施策を迫られることになった。しかし、環境規制の拡大への日米独占資本の反発が、実効ある取組みの具体化への大きな障害となっている。

 環境破壊の多くは、独占資本による地域住民の健康や生活環境、自然環境を無視した利潤優先の大規模開発や企業活動がもたらしたものであり、また、政府や企業の秘密主義も環境破壊を深刻化する大きな要因となっている。政府や独占資本に対して環境問題に関する徹底した情報公開を要求するとともに、大規模開発に対する地域住民の監視活動の推進や環境破壊につながる企業活動に対する規制の強化が重要な課題となっている。

 

 エネルギー政策においても、わが国政府は国民の批判にもかかわらず国際的に孤立した原子力発電推進政策をとりつづけている。九六年の高速増殖炉「もんじゅ」の事故、九七年の東海村再処理工場での爆発事故、そして九九年の東海村核燃料転換工場での臨界事故に見られるような重大事故が続発し、原子力推進政策に対する国民の不信感はかつてなく高まっている。しかし、政府と電力独占資本は、原発や原子力関連施設から発生する使用済み燃料や放射性廃棄物の処分問題すら解決せずに、原発の拡大をはかっている。

 世界の大勢はすでに脱原発と炭酸ガス排出規制を両立させたエネルギー政策の採用へと向かっている。しかし、わが国では政府の原発偏重政策の結果、自然エネルギー開発への取組みは大きく立ち後れ、火力発電所などの炭酸ガス排出への規制や原発・原子力施設に対する安全規制や核廃棄物の排出規制も極めて不十分なものにとどまっている。

 脱原発と自然エネルギー開発促進へと一刻も早く政策転換を進めることが必要でありそのための国民的運動をさらに強化しなければならない。

 

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