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第二章 社会主義協会の性格と任務
第一節 社会主義協会の任務

一 日本社会党の階級的強化(一)

 社会主義協会は、日本における社会主義運動の歴史のなかでその具体的条件に対応してうまれた科学的社会主義、すなわち、マルクス・レーニン主義を研究する集団である。科学的社会主義すなわちマルクス・レーニン主義は、資本主義社会から社会主義社会への移行が歴史的必然であること、この歴史的必然は、たゆまざる階級闘争の実践によってはじめて実現されるものであることを教えている。
 このような科学的社会主義、マルクス・レーニン主義を土台とする政党として、われわれは質的にも量的にもなお不十分ではあるが日本社会党をもっている。社会主義協会は、この日本社会党の階級的強化をつうじて日本に社会主義社会をうちたてることを、その最大の基本的任務とする組織である。いうまでもなく、社会主義政党は、その綱領に規定する革命の戦略‐戦術にもとづいて、社会主義革命を実行することを任務とする組織である。したがって、社会主義政党は、なによりも科学的社会主義、マルクス・レーニン主義による思想、理論の統一と、そのうえにたつ革命の戦略の一致を前提とし、土台としなければならない。さらに、このような革命の戦略にもとづいて具体的な戦術をさだめ、日常のすべての闘争(政治闘争、経済闘争、理論闘争)を指導し、遂行しなければならない。また、これらの階級闘争を指導し、遂行しうるだけの組織と規律とをそなえていなければならない。

 社会主義政党は、革命の指導部隊であるが、それは、たんに社会主義革命の遂行においてそうであるばかりではない。労働者階級を中核とする一般勤労国民の日常の政治的、経済的階級闘争を指導し、その先頭にたってたたかう。同時に、それは、あらゆるかたちでたえず再生産されるブルジョア・イデオロギー、労働者階級・革新陣営のなかに、あらゆる形態でくりかえしあらわれる改良主義・右翼日和見主義、左翼小児病、極左冒険主義等等との理論闘争、思想闘争をも、徹底的にたたかいぬかねばならない。
 日本社会党は、結党以来の歴史と現状がしめすように、このような条件をなお十分にはそなえていない。それは、理論的にも組織的にも、質的にも量的にも、なお弱体であり、不完全である。したがって、党を階級的に、理論的・組織的に強化し、真に社会主義革命をにないうる党にきたえあげることが急務である。このことは、むろん、たやすくなしうることではない。けれども、日本社会党は、日本におけるきたるべき革命を社会主義革命と規定し、それは国家権力の平和的移行によって達成されるという基本的に正しい革命の戦略を定めている。

二 日本社会党の階級的強化(二)
 日本社会党は、また結党以来こんにちまで労働者をはじめとする勤労国民の多数の支持をうけ、日本の民主主義勢力の中心にあって、世界の平和と日本の民主主義、独立、勤労国民の生活向上のために努力してきた。日本共産党や民社党とちがって、外国の共産党や社会主義インタナショナルにあつまる社会民主主義政党の路線に模倣(モホウ)追従することなく、戦後世界のなかで、日本の客観的におかれている地位や、日本資本主義の実情の把握のうえに、日本の民主主義勢力の運動を正しくたいおうさせる努力をしてきた。日本社会党のかかげた「積極的中立」や「平和革命路線」は、その理論と実践における一貫性をつうじて、勤労国民の多数をひきつけ、やがては国際共産主義運動の理論的前進によって、その正当性を評価される結果ともなった。日本の勤労階級の圧倒的多数が、日本社会党の将来につよい期待と希望をいだいていることは、否定しえない事実である。

 日本社会党が、このような正しい路線を確立するには、党内での組織をかけた理論闘争が不可避であった。それは、一九四七(昭和二二)年の片山内閣の失敗に象徴されるような、思想的、理論的、組織的矛盾が、一九四五(昭和二〇)年一一月の結党の当時から、すでに内包されていたことに由来する。講和条約、安保条約締結をめぐる左右両派への組織分裂(一九五一(昭和二六〉年一〇月)、安保条約改定に反対するにあたっての西尾派の脱落(一九五九(昭和三四〉年一二月)など、文字どおり組織を二分する党内闘争が展開された。社会党の性格とそのすすむべき道にかかわる論争は、森戸・稲村論争(一九四九(昭和二四〉年四月)以来、こんにちまでやすみなくつづけられている。一九五四(昭一九)年一月の大会で採択された「左社綱領」をめぐる左社内部の論争、左右両社統一(一九五五(昭和三〇)年一〇月)以後の、党再建論争(一九五八(昭和三三)〜一九五九(昭和三四)年)、構造改革論争(一九六〇(昭和三五)年一〇月〜現在)などが、その主要なものであった。
 協会の思想と理論にもとづく、日本の社会主義革命への道は、一九五四(昭和二九)年一月、左派社会党大会で採択された綱領のなかにもっともよく反映された。しかし翌一九五五(昭和三〇)年一〇月の左右統一大会において、この綱領は右派によって大幅な修正をうけ科学的社会主義の思想と理論にる一貫性をうしなった。平和革命と民族独立闘争に関する主要な部分がひきつがれたことは、日本社会党によって日本の社会主義革命を達成しようと志す人びとにとってせめてもの救いであった。

 いわゆる構造改革路線をめぐる党内論争のなかで、一九六二(昭和三七)年一月、第二一回党大会は、社会主義理論委員会の設置を決定した。社会主義協会を中心とする党内の理論闘争と理論委員会の活動によって、いわゆる構造改革論のもつ右翼改良主義的発想は、社会党の正規の理論からほとんどしめだされ、あわせて現綱領のもつ不十分な点、誤った点なども、相当程度是正され、補強された。
 日本社会党は、このような内部論争をつうじて、その思想と理論を、しだいに科学的社会主義の基礎のうえに統一する方向にむかっている。そして党内にあって一貫してこの方向を推進する役割をはたしたのは、社会主義協会に結集した科学的社会主義者たちの忍耐づよい努力であった。
 われわれは、日本社会党のこのような基本性格からして、これを理論的にも組織的にも、そのあらゆる面で真の革命政党に強化することは可能であると考える。いな、それ以外に日本における革命の主体的条件をきずきあげる道はないと考える。

 むろん、日本には、マルクス・レーニン主義を標榜している政党として、日本共産党がある。しかし、日本共産党は、日本資本主義の分析において、戦前から根本的な誤謬をおかし、こんにちもなおその誤謬をあらためるにいたっていない。日本共産党の現綱領(六一年綱領)における、いわゆる「二つの敵」論や二段革命論、日本の社会における民主主義的な力の過小評価、革命の形態における「敵の出方」論などは、すべて高度に発達し、国家独占資本主義の段階にある日本資本主義の分析の誤りに由来している。しかも、このような日本共産党の日本資本主義分析の誤りは、国際共産主義運動にたいする盲目的な追従という、戦前以来の同党の宿命的な体質に起因している。

 また一九六〇(昭和三五)年のはじめ、安保闘争の過程で、日本社会党から脱落した分子を中心に結成された民主社会党は、現在の世界情勢を「社会主義体制対資本主義体制」の対立としてとらえるという、社会主義政党としての最低限の観点すら放棄し「全体主義対民主主義」の対立とみる立場をとっている。また、労働者階級の反合理化闘争や、ベトナム、沖縄その他反帝国主義闘争の問題などについても、民社党の思想と政策は自民党との本質的な差異をほとんど喪失するにいたった。したがって、この党を広義の意味ででも、社会主義政党とみることはできない。
 さらに、公明党は、結党以来日が浅く、また創価学会という宗教団体を組織的基盤とし、小市民的、ルンぺン・プロレタリア的分子を多くふくんでいる。したがって、その政治的性格は小市民的であり、動揺的である。こんにち、当面する反戦平和、憲法擁護、小選挙区制反対の戦線の一翼を、社、共両党とともに、になってはいるが、その持続性については、保証できない。

三 社会主義協会の性格と思想闘争
 社会主義協会は「世界の平和と日本の社会主義革命を達成するため、理論的・実践的な研究・調査・討議を行ない、日本社会党、労働組合、農民組合、社青同、日本婦人会議等の階級的な強化」(社会主義協会規約第二条)を任務とする科学的社会主義、マルクス・レーニン主義を研究する集団である。したがって、その任務の具体的内容は、日本社会党の理論的・組織的成長とともに、また日本の労働運動を中心とする階級闘争の発展に対応してかわりうるし、またかわらなければならない。
 けれども、社会主義協会は、あくまでも日本社会党の階級的強化を目的とする組織であり、それ自身が一つの党となることをめざしてはいない。また、協会を党内の一分派(派閥)に変質させようとする企図にたいしても、これをみとめることはできない。こんにち、日本社会党のなかにはいくつかの派閥が存在している。むろん、これらの派閥の存在にはそれなりの理由があり、また一定の派閥(いわゆる左派)が党内の、たとえば構造改革論争において一定の役割をはたしてきた歴史的事実は否定できない。

 しかし、社会党内の派閥は、その思想的靭帯よりも選挙その他の個人的利害関係でよりつよくむすばれた集団であり、したがって、思想闘争を徹底的にすすめることができず、政治的かけひきやときには取引によって、思想闘争にブレーキさえもかけるという欠陥を露呈している。このような派閥の存在が、党の統一的な機能を妨げ、党の階級的強化の重大な障害となっていることは、いまや明白な事実である。
 したがって、このような事態を克服しなければならないことは、いうまでもないことである。けれども、それはあらたな派閥を一つくわえることによって、可能となるのではない。かんたんにいえば、派閥の存在は、党内の思想統一のよわさの反映なのである。したがって、われわれがおこなわなければらないことは、党全体とくに末端組織にまでおよぶ思想闘争、理論闘争とそれを支え、それと密接にすびついた全党員による科学的社会主義の実践的把握である。それ以外に道はない。

 社会主義協会は、その創立以来一貫して、科学的社会主義の思想を堅持し、この認識の武器をもつ日本の階級関係や情勢の分析をおこない、左右の日和見主義にたいして、徹底した理論闘争をやってきた。この理論闘争、思想闘争のほこ先はそのときどきの具体的な情勢に応じ左右いずれの危険がより大きいかによって、ときとしてはより多く極左主義、左翼小児病と冒険主義に、また、ときにはより多く右翼偏向と改良主義にむけられてきた。
 こんにち、日本の社会主義運動と労働運動とが直面している最大の危険はいわゆる右傾化である。いうまでもなく右翼偏向、右翼日和見主義は、反動期の特徴である。しかしまた同時に、反動期は左翼小児病と極左冒険主義の温床でもある。
 したがって、われわれの当面する思想闘争の中心は、このような右傾化傾向、労資協調の反階級的勢力の克服におかなければならない。このことは、日本社会党の内部における思想闘争についても基本的にあてはまる。われわれは、労働運動の右傾化傾向に支えられ、それと密接にむすびつきながら、たえず社会党内に再生産される右翼改良主義の克服に、当面する思想闘争の中心をおかなければならない。

 けれども、このことは、このような右傾化傾向、右翼改良主義にたいする機械的反発として、いわば右傾化のうらがえしとして、しばしばあらわれる極左傾向、左翼小児病との思想闘争をなおざりにしてよいということではない。このような左翼小児病の一つの典型が、いくつかの分派からなるトロツキスト・グループである。かれらがいかに労働者階級のたたかいから遊離しているかは説明を要しない。
 かれらは、すでにその一部は日本社会党のなかに潜入し、社会党をかくれみのとし寄生虫として、かれらの勢力の拡大をはかっている。かれらにとっては、社会党への入党は自分たちの勢力を伸ばし拡大するための手段・戦術(いわゆる加入戦術)にすぎない。かれらは社会党員という仮面をつけているにすぎず、かれらの目的は社会党の階級的強化ではなく、社会党という看板を利用して自派勢力の拡大をはかることでしかない。つまり、文字どおりの別党コ-スである。旧社会主義協会の一部にも、このような左翼日和見主義がうまれた。したがって、社会党の階級的強化のためには、徹底した理論闘争によって、右翼改良主義とともにこれらの極左的傾向をも克服することが急務である。

四 社会主義協会の任務と運動
 社会主義協会は、その社会党を強化するいっさいの活動において、いかなる派閥の拘束、掣肘(セイチュウ)をうけるものでもなく、また、いかなる派閥の利害にも拘泥(コウデイ)するものではない。社会主義協会は、社会主義政党としての日本社会党の原則的立場、これを支持する日本プロレタリアートの革命的な立場をつねに代表する。社会主義協会は、国際プロレタリアートのかたき連帯と、日本における社会主義運動、労働運動の自主的立場とを堅持する。

 社会主義協会のもつ多様な任務は、日本社会党の階級的強化に有機的に集約される。
 したがって、社会主義協会員は、日本社会党の強化をめざす科学的社会主義者、マルクス・レーニン主義者でなければならない。このことは、主として理論活動に従事する学究者であれ、労働運動、党活動の第一線で働く活動家であれ、すべて協会員たりうるための最低の条件である。社会主義協会員は社会主義者としてなによりも誠実かつ純潔でなければならない。協会員は、理論的・思想的にも、組織性や規律の面でも、人間としてその品性、モラルの面においてもマルクスやエンゲルスやレーニンのようにつねに自己をきびしくきたえ、日常の生活とたたかいのなかで目的意識的に自己をたかめる努力をしなければならない。そして、一人ひとりのおかれている具体的条件のなかで、いかにたたかい、いかに行動すべきかを、自分の頭で考え正しく判断する能力を身につけなければならない。そのためには、なによりもまずマルクス・レーニン主義の哲学、経済学などの基本的・原理的な学習と研究をおこない、科学的社会主義、マルクス・レーニン主義にたいする理解をふかめなければならない。もしも、われれのなかに「行動が第一だ」という口実で学習を怠り学習を軽視する者があるとすれば、協会員としての資格はない。なぜなら、かれはマルクス・レーニン主義が科学であり、したがって学習されねばなぬということを忘れているからである。学習の意義についてエンゲルスはつぎのようにいっている。

 「ことに次のことが指導者の義務となろう−すなわち、あらゆる理論的な問題についてますますおのれの理解を深め、古い世界観の一部にほかならぬ伝来の空文句からますますおのれを解放し、またつねに、社会主義は科学となったときから、やはり科学として取扱われることを、すなわち研究されることを必要としているのを忘れてはならないのである。このようにして獲得され、ますます深められた洞察を、労働者大衆の間にいよいよ熱心にひるめ、党および労働組合の組織をますます強く固めることが大切であろう」(エンゲルス 「ドイツ農民戦争」第二版の序文)。

 マルクス・レーニン主義が科学的社会主義とよばれるのはまさにそれが科学であるからである。われわれはこのことを寸時も忘れてはならない。マルクス・レーニン主義は科学であり、したがって、それはあらゆる科学の学習と同様の用意と準備をおこない、独断におちいることなく謙虚さと努力と忍耐とをもって学習されねばならない。そして、その本質を学び方法を把握し、その理論を真に自分のものとしなければならない。けっして「上っ皮」だけを学び、たんなる「ものしり」となってはならない。

 このようにして、個人でまたは学習会のなかでマルクス・レーニン主義の思想と理論とその精神を全面的かつ徹底的にふかく学び、それを毎日の生活と行動のなかで活用し、真に自分の血とし肉とする努力をたゆみなくつづけていくことによって、われわれは真のマルクス・レーニン主義者となることができるのである。しかし、このことは科学的社会主義者、マルクス・レーニン主義者ではないが、あるいはその思想と理論をまだ十分身につけてはいないが、協会の運動に賛同し協力をおしまない人びとを協会の周囲にひろく結集することと矛盾するものではない。またそのような努力をなおざりにし怠ってよいということでもない。それどころか、社会主義協会がその目的を首尾よくはたしうるかどうかは、このような人びとをひろく結集しうるかどうかにかかっているといっても過言ではない。
 学習会、読書会などを積極的に組織し、一人でも多くのりっぱな協会員をうみだす努力をしなければならない。その際労働大学との密接かつ有機的な協力が必要である。さらに、協会の機関誌『社会主義』や理論誌『唯物史観』をはじめ、労働大学で発行している『まなぶ』『月刊労働組合』その他の出版物、労働太学の本科および通信教育の活用なども重要である。

 協会員の政治活動、いわば政党次元における実践的諸活動は、原則としてすべて日本社会党のなかで、その党決定にしたがい、党員としておこなわれなければならない。そうでなくては、党の強化をなしとげることはできない。そしてもっとも先進的、献身的に活動し、その実践のなかで、党をきたえ党勢の拡大をはかるとともに、協会員は文字どおり活動をつうじてみずからをきたえ、学習によってえた理論と方法を生きたものにし、すぐれたマルクス・レーニン主義者となるよう努力しなければならない。
 協会員が、党活動のなかでなさねばならぬことは、協会の理論と思想をふまえて党の各級機関での決定をできるだけ正しいものにし、だされた方針や指令に誤りがあればできるだけそれを正す工夫と努力をしながら、その具体化に全力をあげて努力するということである。このような努力の日常不断のつみかさねによってのみ、われわれは一歩一歩党強化の道をきりひらくことができる。社会党のなかで、協会員がどんなばあいにも正しい適切な意見をだし、それによって可能なかぎり正しい党決定をかちとる努力をおこない、一度決定された方針にたいしては誠実かつ献身的に(むろん、方針に誤りがあればそれを正す努力をしなければならないが)党活動の先頭にたってたたかうこと、このようにして社会党の姿勢を正し、その行動力をつよめ、党勢の拡大をはかり、真の革命政党にきたえあげることが一人ひとりの協会員の任務である。このような努力なしに、口先だけでどのように党の欠陥を批判してみても、それは無責任な放言でしかありえない。

 社会主義協会と協会員の党にたいするこのような関係は、社青同、労働組合、その他大衆団体にたいする協会の関係およびそれらの組織内での協会員の活動のありかたにも基本的にあてはまる。要約していえば、社会主義協会は、党、労働組合、その他の大衆団体のなかにおける一人ひとりの協会員(間接的には読者など協会の影響下にある人びとをもふくめ)の活動をつうじ、これらの組織を強化しつつこれらの組織を媒介として、その思想と理論の実現をはかることをその運動の原則とする組織である。
 したがって、社会主義協会が組織としてはたさなければならない任務は、一人ひとりの協会員のこのような活動を組織的に推進することであり、党、社青向、労働組合、その他の大衆組織のなかに科学的社会主義の立場にたって自分の頭で考え行動する能力をもつ誠実な協会員、協会の理論と思想を支持する献身的な活動家を一人でも多く育てあげることである。

 さらに、それに劣らず重要な任務は、マルクス.レーニン主義の哲学、経済学、政治学などその全面的かつ徹底的な研究と学習を推進することである。そしてそれを武器とする国際国内情勢の分析、それをふまえた革命の戦略と戦術、階級闘争の発展にたいおうした可能なかきりの基本的方針をあきらかにしていくことである。そのためには、全会員が日常的に、活発な調査・研究・討議をおこなうよう努力することが重要である。

第二節 日本社会党強化の基本的方向

一 思想統一の推進
 われわれは、こんにちの日本社会党になお多くの欠陥をみとめざるをえないが、そのもっとも根本なものは、党がそのうえにたつ科学的社会主義による思想統一のよわさである。
 日本社会党の綱領は、基本的に正しい日本革命の戦略を規定している。さらに、それは、社会主義理論委員会(一九六二(昭和三七)年一月の第二一回党大会で設置)の報告とそれをめぐる討議のなかで、科学的社会主義の理論と思想によってふかめられ、補強され、欠陥がある程度是正された。けれども、なおそれは不十分であり、不徹底である。しかも、なお重要なことはそれは紙のうえに印刷はされたが、一人ひとりの党員の血肉となり、真に党の思想統一の土台にまではなりえていないということである。だが、このような状態では、党が一つの統一した意志にしたがって、全神経をそれに集中し、力づよく機敏に動くことは不可能である。
 日本社会党は、組織性、規律性がきわめて不十分であるといわれる。たしかに、このことも、重大な欠陥の一つである。しかし、より根本的な問題は、党の理論的、思想的統一のよわさである。このよわさの克服なくして、かりに規約をどんなにきびしく、統制をどのようにきつくしても真の革命の党にふさわしい組織性、規律性の確立はありえない。科学的社会主義、マルクス・レーニン主義による党の思想統一を土台としない組織性、規律性は、かりにそれが実現されえたとしても、それは社会主義政党のそれとは無縁のものである。いうまでもないが、社会主義者の規律は本来他律的ではなく自律的でなければならない。外からしめつけられタガをはめられて保たれる規律ではなく、自発的に内からにじみでる規律でなければならない。だが、そうであるためには、科学的社会主義、マルクス・レーニン主義の理論と思想が学習と反省と自己検討をつうじて、真にみずからの血となり肉となっていることを必要とするのである。

 このようにして、日本社会党強化のための社会主義協会員のもっとも基本的任務は、科学的社会主義、マルクス・レーニン主義を土台とする党の思想統一のための努力を、思想闘争、理論闘争さらには学習活動をつうじておこなう。これがいわゆる分派闘争をおこなうことではなく、それと無緑のものであることはもとよりである。

 「われわれは、党内にあって党規約にしたがって、党の活動をなすことが当然である。したがって、党員である協会員の活動は党組織と党綱領にしばられている。ただ、党員である社会主義協会員の活動は、つねに、社会主義革命家として、模範的でなければならない。
 したがって、社会主義協会の党強化の手段は、主として精神的影響力である。精神的影響力は、協会員である党員の党内における相互協力と模範的党行動と社会主義協会の出版物その他の文書という手段をつうじて生まれる。党の機関を握ることによって、党組織を協会の理論にしたがって、ひきまわすことによって生まれるのではない」(向坂逸郎「マルクス・レ−ニン上義における理論と実践」『社会主義』一九六七年九・一〇月合併号所収)。

 このような活動を、党の機関のなかにおいて全協会員が全力をあげて推進することは無論であるが、同時にわれわれは、そのための重要な武器として機関誌『社会主義』をもっている。これを、読者と扱者の協力をえて十分に党強化の思想闘争と学習のために活用しなければならない。『社会主義』の量的な拡大と普及とが急務である。あわせて、協会員は、可能なかぎり『社会主義』の読者会や、学習会の組織化を推進しなければならない。ことにこんにち、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの古典の学習による科学的社会主義の基本的理解の必要が痛感される。
 さらに、このような思想闘争、理論闘争の重要な一環として、全協会員の理論武装が組織的に推進されねばならない。協会員が、マルクス・レーニン主義によって十分武装されていなくては、その影響を他におよぽすことはできないし、協会が強力な実りある思想闘争を遂行することもできはしない。いうまでもなく、科学的社会主義、マルクス・レーニン主義の思想は、階級闘争の実践からはなれてはありえないし、革命の戦略とそれにもとづく戦術〔たたかいの方針)は、たえざる具体的な情勢の変化に十分たいおうしうるものでなければならない。マルクス・レーニン主義の理論は、固定的な死んだ体系ではなく、生きた現実の諸情勢を正しく分析し把握するための武器である。したがって、われわれの理論武装は、マルクス.レーニン主義の公式を暗記すればそれでことたりるというものではむろんない。そうではなくて、みずからのおかれている具体的情勢を分析し、それに正しくたいおうする能力を養うこと、いいかえれば、具体的な条件のなかでいかに考えどのように行動すべきかを自分の頭で考える力を養うということでなければならない。

二 真の社会主義政党へ
 日本社会党は、日本の国家権力を労働者階級の手に平和的に奪取することを、その戦略目標としている。したがって、そのための戦術の基調は、民主主義に依拠しつつ、労働組合をはじめとする勤労国民の組織的な力量をつよめ、そのたたかいを党の指導のもとに、反独占、民主主義、反帝国主義戦争の方向に発展させ、労働者階級を中核とする広範な統一戦線を結成して、日本独占を孤立化させるところにある。
 したがってまた、日本社会党は、こんにち、非合法の形態をとらない。党の組織は、労働者をはじめとする広範な国民各層との公然かつ日常的な接触、交流をつうじて、その要求をとりあげ、これを大衆運動に組織する。また、大衆運動のなかに党の指導権を確立し、これらの運動を反独占の方向に発展させる。

 社会党の主要な機能は、このようなものでなければならない。また党の組織形態も、このような機能に適合するものでなければならない。国民各層の要求を広範にとりあげ、これを組織する大衆的性格とこれらの運動を反独占の方向にたかめ、あるいは反帝国主義の方向に発展させる前衛的な性格とが、党の組織的機能として、有機的に統一されなければならない。

 このため、まず第一に、党中央の指導が、国内情勢の変動に機敏に対応して、大衆運動を組織し、指導していく具体的指針を明示するものでなければならない。党務の中心が、従来のような国会フラクションのベースを脱皮して、院外の国民各層の動きに慎重な配慮がはらわれ、積極的に大衆運動を組織し、たかめていくことにおかれなければならない。このことは、党中央が、階級闘争の司令部としてつねに機能しなければならないということであって、中央執行委員会の構成も、議員中心主義を是正し、この機能がよりよくはたされうるようあらためなければならない。

 第二に、党の地方組織を、中央の指令、指示をうけとめ、地域の条件におうじてこれを適用し、実践する能力と体制をもったものにたかめなければならない。党の総支部、支部などの下部末端の組織は、党が大衆と密着し、大衆のなかに根をはり、大衆のなかから血液と活力とを吸収し、党のあらゆる活動の基本となり源泉となるものである。したがって、これを、真にいきいきとした、大衆のなかに根をおろした組織につくりあげていかねばならない。
 日本社会党の基本的欠陥の一つとされている日常活動の不足は、党の下部末端の組織の未確立に、その最大の原因がある。党の下部末端の組織が未確立ないしは未成熟であるため、党の日常活動が議員などの個人的な世話役活動に解消されているばあいが少なくない。そしてこのことがまた党の末端組織の確立を妨げるという悪循環を生みだしている。この悪循環をたちきるためには、全党員がそれぞれの所属する末端組織において、下からの党づくりに全力をあげてとりくむほかはない。党の思想統一も一人ひとりの党員と党の末端組織における科学的社会主義の原則的な理論とそれを土台とする実践的な諸課題についての、たゆみない徹底した学習活動、思想闘争に支えられなければ困難である。このような活動とたたかいの推進力となる党の専従活動家、オルグが、質量ともに整備されなければならない。またその周囲に党員の機能別の対策委員会が各分野にわたって確立され、日常的な機能をはたしうるまでに強化されなければならない。

 第三に、このような党の能力と体制は、何十万という党員に支えられなければ不可能である。これはわれわれの戦略構想が、国民の多数をわれわれの側にひきつけることからしても、とうぜんである。しかし、このためにこそ、党内の活動的な分子の質をたかめ量を拡大することが必要であって、中核のない組織は、いかに量的な大きさを誇ろうとも、社会主義政党の機能をはたすことばできない。むしろ、中核体の質と量とが一定程度にそなわっていてこそ、党勢の拡大が党の組織的な強化に直結され、党の量的拡大と党の質的な強化とが統一されうる。この意味で党勢拡大運動は、つねに科学的社会主義の理論で武装された活動家の育成、強化を基礎とし、それと統一して展開されなければならない。

 第四に、党内民主主義の確立が、党の活動家層に依拠して推進されなければならない。
 こんにちの社会党は、国会、地方議会の議員、労働組合その他大衆団体の幹部、社会主義青年同盟や職場・生産点の活動家その他という三つの層から構成されているが、ともすれば、党内民主主義の基盤である党員の権利、義務の平等が実質上ふみにじられるという弊害におちいりがちである。だが、どんなばあいにも、議員や大衆団体の幹部に、活動家党員、一般党員をこえる特権がみとめられてはならない。
 党内民主主義は、活動家が大衆との結合をつよめ、大衆運動の発展に依拠してたたかいとっていくべきものである。その活動をぬきにしては、その前進をはかることはできない。

 第五に、日本社会党は、諸外国の共産党、社会民主主義政党の路線に追従するものであってはならない。
 国際情勢の変動が国内の階級闘争にあたえる影響は、こんごともいっそうつよまるであろう。われわれが、国際プロレタリアートの連帯性の立場をつよめなければならないことは、とうぜんである。たとえば、ベトナムにたいするアメリカ帝国主義の侵略に反対し、反戦、平和のたたかいを強化するというかたちで、われわれは国際プロレタリアートの反戦闘争の一翼を担って行動している。この活動は、いっそう強化されなければならない。
 しかし、このことと、中ソ論争をめぐる中ソ間の対立に便乗して、かつての日本共産党や「日本のこえ」などのように中国共産党やソ連共産党に、一方的に追随するという活動のあり方は、厳重に区別されなければならない。日本社会党の内部にも、一部にこれに類似する偏向があらわれているが、われわれは、日本社会党の日本の運動にたいする主体性、自主性を堅持するという立場をいっかんして推進しなければならない。

 日本社会党は、こんにちの世界情勢の把握において科学的でなければならない。こんにちの世界革命運動の総路線についても、一定の見解をもたなければならない。その見解が、中ソのいずれかに接近するということはありうることである。しかしそのことによって、日本における運動の展開にあたっての自主的立場を喪失して、機械的な追随に走れば、日本の勤労国民の運動を混迷と分裂にみちびく結果となる。ここ数年の平和運動における日本共産党の偏向は、このことを実証した。日本社会党は、この教訓を「他山の石」とし、あくまで日本の勤労国民の自発的な意志を尊重して、運動を前進させるよう努力しなければならない。

 第六に、われわれがふかい考慮を払わなければならない問題は、党財政の確立である。財政の確立なくして、党の質的量的発展はない。しかし、また党の質的量的発展なくして党財政の確立もありえないことを忘れてはならない。

 われわれは、日本社会党強化の基本的方向を以上のように考える。
 日本社会党の強化が、労働組合、農民組合などの階級的強化、社会主義青年同盟の活動と組織の発展とも密接にかかわりあうものであることはとうぜんである。われわれが、社会党の強化にあたって、このような視点を軽視してならないことは、いうまでもない。しかし、社会党の機能の強化を土台としてこそ、こんごのきびしい情勢のなかで、労働組合その他の運動の階級的な前進も可能となるのである。

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