山川菊栄連続学習会第六回 21世紀フェミニズムへ(4)
■質疑応答
加納 最後の竹中さんへの質問が集中していますが、整理のご都合もありますので、角田さんからお願い致します。
●女性の視点から捉えなおし、批判しよう
角田 一つは「貞操権」についてのご質問です。女性が「権利」を持つと言うときには女性がその権利の主体となるはずですが、さっきお話ししましたように「貞操権」の真の権利者は男性で、女性は男性のために「保管」を命じられている人にしか過ぎないのです。しかし現在でも裁判の中で「貞操権」という言葉が聞かれます。婚約不履行で女性の側が慰謝料を請求するとき、ほとんどが精神的苦痛に対するものですが、その根拠として「貞操権の侵害」と使うのです。「貞操」というのは女性に対して抑圧的な働きをしていたものですから、このような言い方はおかしいわけです。セクシャルハラスメントの裁判で、女性弁護士が「貞操権の侵害だ」と書いた訴状があったので仰天したことがありました。
同じく意味が理解されずに使われているのが、強姦罪の保護法益という言い方です。何のために犯罪として処罰するのかということを「保護法益」と言うのですが、その説明に「性的自由ないしは貞操が強姦罪の保護法益」と書いてあるのです。山川菊栄の説明を理解する限りでは全く相対立する概念ですが、学生たちが勉強する教科書にそう書いてあるのです。「貞操」という言葉が持っている歴史的意味が全く理解されていない。この言葉を許すことによって、そういうものの見方を結局撲滅できないままになっていくということで、大変問題ではないかと思っているわけです。
現在の若い人は結婚前に性的関係を持つこと、あるいは結婚するかどうかに関係なく性関係を持つことの抵抗は非常に減っています。そのことは、女性の主体性が確立したことを示すという見方があります。しかし結婚という形に整い始めてそれが壊れたときに貞操権の侵害と反転していくのであれば、それは違うのではないか思うわけです。それから、非常に自由になった性的な関係の中で望まない妊娠というのが起こる。拒否すると男に捨てられるという気持ちが大きく作用している場合もあるわけで、ここの行動から見られる主体性と見えるものと、その内実とはかなり大きなずれがあるように私は思っています。
もう一つのご質問は、「強姦と強制わいせつの刑が非常に違うというのはなぜなのか」ということですが、刑法の教科書のような所では説明されていないと思います。非常に不思議なのですけれども、家父長制の「貞操」という考え方をもとにすれば筋が通っていることなのです。つまり、強制わいせつ行為というのは性器の挿入・結合を含まない行為を言うわけで、それはどんなにひどい行為であったとしても妊娠という結果、つまり家父長制への侵害は発生しないわけです。ところが強姦というのは家父長制の侵害ですから、貞操保護というかたちで女性に対する非常に過大な注意義務、「命を懸けても守れ」となるわけです。
強姦未遂行為と強制わいせつ行為は被害者の側からみれば同じ行為であることがあります。ところが刑は非常に違う。侵害されるものが女性の人権であると見ていないからです。家父長制に対する侵害度を主眼にして見ているからです。これは非常におかしいのですが、おかしいと言われたのは最近、つまり女性の運動がそういうことを発見してからです。ご存じのように今の刑法は明治四〇年、一〇〇年も前に作られたままだからです。そういうところはきちんと批判していかなければいけないのではないかと思っています。
加納 ありがとうございました。では竹中さん。
●無償労働の社会・経済的評価制度を確立しよう
竹中 最後の「アンペイド・ワークの社会・経済的評価の制度確立」へのご質問からお答えします。レジメには、「労働権としての育児・介護制度の拡充のほか、家庭介護者への労災・失業保険・年金受給権、介護疲れに代替休暇を保障する制度など」と補足してあります。
「育児・介護休業法」というのがありますが、社会的な再生産活動であることを評価して、その間の経済的な保障をするということです。育休は二五%の所得保障しかない(ただし二〇〇一年一月より四〇%に引き上げ)。所得保障が十分でなければ、ほんとうにはその権利は保障されない。そのやり方もいろいろな選択肢があったほうがいい。例えばスウェーデンでは、若干所得保障の金額は下がっておりますが、両親休暇というかたちで男女いずれでも取れます。しかも連続して一年半取る方法もあれば、子どもが小学校に行くまで労働時間を半分にする、三分の二にする、あるいは四分の三にするという選択肢もある。正規の雇用保障のまま短時間労働に切り替えるわけで、時間当たり均等な給料を保障する。そしてあくまで自発的に選択できるということです。
そういうことも含めてアンペイドワーク、つまり家庭の中の無償労働として妻の役割になっていたものを、両性が共にその権利を取得できて、しかもそれをきちんと経済的にも評価をし、その範囲を拡大していくことが一つです。
もう一つの「家庭介護者への労災・失業保険・年金受給権、介護疲れに代替休暇を保障する制度」ですが、基本的には「介護を社会的にする」ということです。
ホームヘルパーを職業としてやっていきたいという人たちに対しては、きちんとそれを保障するということがないといけないわけですが、現在は資格を持っていても登録というかたちでしか就労できない。そこには、雇用労働者としての権利も保障されていないという問題があります。ボランティアはボランティアとして意味があると思いますが、現実は混在しているわけです。ヘルパーの場合フルタイム労働はきつくて無理だと思いますけれども、仕事としてやりたい人には、パート的な働き方にしても、きちんと職業的な自立ができるような保障が必要です。
ではそれを誰がやるのかですが、例えばヘルパーがヘルパー組合をつくるなどして、自らの労働を正当に評価せよと声を上げていくことです。今、労働組合運動がかなり弱体化してしまっている中で、これを再生していく可能性は、地域ユニオンとかパートの組合が大きな役割を担っていくのではないかと思っています。そういうことが一つです。
それから、介護保険が始まってみても圧倒的な部分が家族介護として残されています。全部が社会化できるという条件は現実的には乏しい。家族介護者に対するわずかな現金給付には反対ですが、例えばドイツでは家族介護で疲れてしまう介護者に対して、代替介護人の費用を負担して四週間の休暇を保障する制度があります。それから介護のために働けなくなった人には失業給付期間の延長も行なっている。また、家族介護者にも労災保険を適用する。つまり、週一四時間以上の在宅介護をしている介護者に対しては、労働災害保険の給付対象として労災補償を受けられるようにしている。そういう具体的な要求を上げていっていいのではないかと思っているのです。 いま一つ。家事労働の社会化というか、多くの家事は商品に替えることができますが、一番問題なのはケア。育児とか介護は最後まで残ると思います。そういう面では家庭内のケアも社会的に必要な労働を代替しているということで、介護や育児をしている期間の年金受給権を保障するということです。育児についてはすでにいくつかの国で実施していますが、介護についても保障すべきだと思います。ドイツの場合は、国民金庫が要介護者の介護等級に従って年金保険料の二分の一を負担しているのです。
そういうことは、やはりアンペイド・ワークに対する社会経済的評価の一環として私どもは主張できるのではないか。ボランティアにしても、いろいろな地域社会あるいは環境改善のための活動に対しては、その期間を年金の受給の資格期間に入れるということをやっている所もあります。そういう意味では、一つにはケアの労働を積極的に社会に一つの自立した労働として立ち上げていくことと同時に、実際に残っていてどうしても負担しなくてはいけない家族的なケアの問題については、社会保障制度の中で一定の評価をしていくこともその一環になるのではないかということです。
加納 竹中さんの話もまだまだなのですが時間の関係で申し訳ありません。鈴木裕子さんへのご意見は菅谷直子さんからですので、直接自己紹介も含めて、お願いします。
菅谷 性暴力の問題は大変参考になったのですけれども、山川先生はよく日本の軍国主義の発達にいかに女性が利用されたか、その典型が遊郭であると書いていらっしゃいました。例えば、師団司令部には必ず遊郭を持ってきました。若い男性の吐け口を設けなければ士気にかかわるということで、義務的に強制的に設けさせたということが一つありました。
それから検梅は非常に女性の地位・人権侵害の問題なのですが、それを設けさせたのは、軍隊に性病が随分蔓延していて、士気が落ちるということからだそうです。昭和になって慰安婦の問題が出るわけですけれども、始めは商売の人が行ったのです。みんな既往症を持っていたので、うつれば戦意を落とさせるからというので、朝鮮の若い女性から慰安婦を募集しろとなったわけです。
いずれにしても、日本で軍国主義と売春、女性蔑視、これは切っても切れないものだということをちょっと触れてみたいと思いまして、失礼しました。
加納 菅谷さんは山川菊栄とずっと一緒に活動なさってきて、この記念会の創立者のお一人で、今九一歳でいらっしゃいます(拍手)。ありがとうございました。
鈴木 今日はお話ししませんでしたけれども、いわば女性の奴隷化システムである公娼制度を軍国主義拡大のために利用したと思っています。公娼制度がなければあのような組織的な国家的犯罪である日本軍性奴隷制度はできなかったと思いますので、その点は同意見でございます。
●女性労働の前進のためにこれからも山川菊栄の勉強を
加納 では他に。たくさんお手が見えますね。ではどうぞ。
高橋 仙台から来ました。労働組合の役員をしていますので、竹中先生のお話はとても興味深く、もっと聞かせていただきたかったという感想を持ちます。鈴木さん、角田さんの話も、山川菊栄が先進的な提案をしていて、現在に生きているというのを実感することができました。
こうしたシンポジウムを来年も開いていただきたいというのがお願いです。私は最初の均等法を制定する時に総評、婦人局の仲間たちと一緒に運動しました。そして改正均等法の時も一緒に活動してきて、女性労働をどう位置付けていくのかというのが大変な問題であると、身をもって思っているわけです。
均等法ができた時に、女性の中に分断を生み出すのではないかと危惧しましたが、じっさいそういう方向に動いてきていると思います。しかし、女性の意識もまだまだ十分ではないですし、当然、性別役割分業の中で補助的労働に甘んじている人たちも中にはいます。先程言われましたように、社会を変革する政党に属して運動している労働組合の男性であっても、まだまだ女性労働をどう位置付けていいかわからず、平等に働き生活できるところまでいっていないのが現実です。そういう意味で、ぜひ山川菊栄記念会のシンポジウムを続けていただきたいし、本当ならば勉強会も続けていただけたらと思います。
加納 何か重い課題を背負わされて…。私たちがそれぞれの地域に参りますので、ぜひそちらで開催してください。よろしくお願い致します。ほかにどなたか。
●「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」に支援を
柴 私は日本婦人問題懇話会で長らく勉強させていただきました。この三月で残念ながら解散することになりましたので、この山川菊栄記念会が山川菊栄さんのことを学んでいく大きな場所になっていくのではないかと思います。今ご発言なさった方の意見に私も賛成です。
私は台湾の「元慰安婦」だった人たちの裁判支援を行っております。台湾だけでなく、韓国、フィリピン、オランダ、それから中国は三つ、裁判が起きています。(二〇〇〇年)一一月三〇日に中国山西省の万愛花さんの口頭弁論があります。同じ日に在日の宋神道さんの高裁判決があります。ぜひ皆さんの傍聴をお願いしたいと思います。傍聴に来てくださるかどうかがものすごく大きな力になるのです。一二月五日に中国のもう一つの裁判の口頭弁論があり、翌六日にフィリピンの高裁判決があります。今の状況では、多分負けで、「慰安婦」問題が勝っていくということはまだまだ困難な状況があります。
社会的にはマスコミも含めまして、「慰安婦」問題に触れることが九〇年代初頭から半ばにかけてのような勢いはなくなりまして、もう終わったみたいな発言している人もいます。でも問題は何も終わっていない。高齢のために亡くなる方も増えていますが、恥だと五〇年も沈黙して自分を責めてきたおばあちゃんたちが、自分が恥ずかしいのではなくて日本の政府、軍隊が悪いのだという認識をする、そういう方が多くなってきました。おばあちゃんたちのほうがそういう意味ではどんどん学んで成長しているという実態があります。
ぜひそういう意味も含めまして、一二月八日から一二日まで東京で開かれます「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」をご支援ください。これは以前サルトルたちがやったラッセル法廷の民衆法廷をモデルにして準備しているものです。「慰安婦」だった女性たちだけではなくて(「慰安婦」というのは全部かぎ括弧付きだと思って聞いていてください)、現代の紛争地ユーゴやコソボなど、メキシコなど中南米の先住民たち、それから各地の米軍基地の被害者など、性暴力の被害にあったがそれを乗り越えて戦ってきている女性たちがこの国際戦犯法廷を、さっき鈴木さんが何回もおっしゃいましたけれども、性暴力犯罪を起こした人間の処罰というものを明確にするという意味で戦犯法廷というのを開きます。東京、日本で行われるということも大きな意味を持つと思っております。被害者と言われた、今はサバイバーと言ったほうがいいのですが、その人たちが六〇人以上集まります。
そこでお願いですが、実は右翼からの攻撃がもう始まっています。「皆殺しにしてやる」などの言葉も出ていますし、当日もすごくうるさくなるだろうと思っています。ぜひ男性の皆さまには、警備などの協力ボランティアで参加していただけるとありがたいと思っています。それと、チケットは完売に近く、千人を越える人が集まることになっていますけれども、お金のほうはすごく足りない状況なのです。ぜひカンパとか皆様のご協力をいただけるとありがたいということで一言お願いさせていただきました。 「慰安婦」問題等はまだ全然終わっていないし、法律でちゃんと国の補償をさせようという運動も起きています。私たちの力が弱くそれは実を結ぶものにはなっておりません。先はまだまだ長いと思いますので、どうぞ皆さんずっと関心を持ち続けていただきたいと思いましてお願いするしだいです。よろしくお願いします。(拍手)
●どうすれば若い人たちへ伝えられるか
加納 まだ質問したい方はいらっしゃると思うのですけれど、最後に「この会場で見かけたところ、どうもある年代以上の人が多い。今日のお話をじゅうぶん分かったうえで、若い人にどうやれば伝えていけるのか」という質問カードにお応えして終わりたいと思います。
竹中 戦後五〇年を経てつくづく思いますのは、歴史というのは下手をすれば繰り返すということです。その意味で、自らの経験の反省の上にたって時代を紡いでいく役割をもっと私たちがやっていかなければいけないのではないかということです。
現在は大きく発展してきたという一面と非常に危険な状況とが共存していると言えるのではないかと思います。それをトータルにとらえながら勇気を与えるかたちで、私たちが新しい時代を開いていかなければならないということを言い続けていくことが非常に重要ではないかと思っています。
一言付け加えさせていただきたいのは、アンペイド・ワークをゼロにしてしまったらいいと言っているのではないということです。二〇世紀は経済効率至上主義でアンペイドでやっていたものを全部そぎ取ってきているのです。実はそのアンペイドの労働の中に非常に重要な、例えば人間関係的なケアも含めてあるわけです。社会が担わなければいけないと同時に、女だけではなくて男女が共に本当に人間にとって重要なものとして、それを実案で確保していくという要求がもう一方では必要であると思っています。
加納 ありがとうございました。よくぞ言ってくださいました(拍手)。では、角田さんお願いします。
角田 すごく難しい質問です。何もこの集まりに限らず、女性の問題について語る集会というのはほとんど同じような傾向があると思います。世代間に伝わるには、いろいろな機会をとらえて私たちが話すしかないと思うのです。
私自身のことを考えてみますと、母を含めて上の世代の人たちが私に何かを伝えたいということがあったと思います。自分が生きた時代よりはよりいい時代を次の世代に伝えたいということは多分誰でも思っていると思いますので、その思いを伝える。その伝え方はいろいろあると思っております。
私が、性暴力に関する仕事を始めた時には女性の弁護士で一緒にやるという人は少なかったのですが、少しずつ若い弁護士が出てきております。「そういう問題があったのか」、つまり問題視されなかったためにそこで働くことができるということも知られていなかったのが、明らかになるにつれ、それに興味を持つ人が出てきたと思っています。
ただ、若い人に「フェミニストは何か暗くて汚い」と言われた(笑い)ので以後なるべく気を付けているのです。つまり、フェミニストでいるということはどういうことか。それは楽しいことなのだと、口で伝えるのではなくて、私自身がどう実感するかだと思うのです。実感していれば、裁判所などで力まなくても自然に伝わっていくのではないかと思っています。そしてフェミニストでいることの一番楽しいこと、つまり山川菊栄から何を学ぶかですけれども、ものごとの本質が分かるということは楽しいことだと私は思っているのです。私自身がその楽しみをどう発見してどう味わうかということに、結局は何が伝わるかということは尽きるのではないかと思っています。(拍手)
加納 ありがとうございました。では鈴木さんどうぞ。
鈴木 お二人に大変いいことをおっしゃっていただきましたので、私としてはとてもしゃべりにくい。
今、とても伝えにくい時代になっていると思うのです。例えば天皇制反対でも、一昔前と違って二つも三つも説明する言葉が必要な時代です。私どもは以前、「グループ・性と天皇制を考える」という会を作りまして、セクシュアリティ、性の問題と天皇制は関係があるのだと言い続けてきました。 ところが今、行政関係の集まりなどでは、私の顔を見ると、「あまり過激なことを言わないで」とあらかじめ釘を刺される状況です。
先ほど柴さんがおっしゃられたように、右翼の暴力がまかり通っている。本来は国や行政が市民の皆さんの表現や思想の自由を守らなければならない立場、義務があるにもかかわらず、右翼的・暴力的介入を許してしまっている状況があって、自主的・自立的な学習をすること自体が今や決心をかなり要する時代になってきていると思います。そういう意味で、今日、日本で戦争指導者の責任をあらためて裁くということは極めて重要な意味があることだと思います。今日はそのことを念頭に置きながら、「山川さんが発したメッセージとはいったいどうなったのだろうか」と考えました。山川さんが現在生きておられたら恐らく頑張れと声援してくれただろうと思います。
学習することが私たちの未来を切り開く。歴史的主体・歴史形成の力を蓄えていく、そのことを山川菊栄を通して私自身が教えてもらったように思っております。ご質問いただいた方のお答えになるかどうか分かりませんけれども、一応これだけでございます。
加納 ありがとうございました。(拍手)今日の状況は悪くなっていますけれど、山川さんの時代、バツバツバツ(伏字)の本を読んでいた時から比べれば、私たちはできることがまだまだあると思います。
今日のシンポジウムのタイトルが「二一世紀フェミニズムへ」、山川さんのビデオのタイトルが「二一世紀女性たちへ」、そしてこれまでの山川菊栄記念会の歩みをまとめた本が『たたかう女性学へ』です。この「へ」と言うところが大事だと思います。これからの二一世紀の中で可能性というものをみんなで実現していくための今日の機会として、それぞれ「あんな楽しいことならやりたい」と若い人が思うように生きていこうということで終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)