3 人間不在の経済成長
@GNP至上主義
六〇年代の日本経済は未曽有の膨張を示した。GNP(国民総生産)は二・八六倍、鉱農生産は四倍に、輸出貿易は三六億ドルから 一七〇億ドルに躍進し、その生産力は資本主義世界第二位にのしあがったのである。
しかし、それは、政府の産業偏重、大企業中心の成長政策に支えられ、国民の生活福祉を犠牲にし勤労者の低賃金、合理化のうえに築かれた発展であり、あらゆる面に矛盾と歪みを生み出し、国民の間に苦痛と不安と退廃を増大させている。
公害も事故も、投機や寄生的産業から生まれる所得もすべて、計量されるGNPの名目上の膨張に対する批判も次第に高まっている。
この産業偏重の成長の結果第一に現われるものは生産の集中、資本の集積が強化され、経済の寡占化、独占化が進行したことである。わが国の経済は数百の主要会社が、大金融機関と結合し、数千の系列、下請企業を傘下におき、わが国経済の中枢を握っている。これらの企業の株式の大半は金融機関その他の法人に保有され、一〇万株以上の少数の大株主がその六割を所有している。
自民党政府の経済政策は、これらの企業の助力のために他国に類を見ない至れりつくせりの措置をとっている。都市銀行は大企業の資金調達機関となり、銀行信用を増発し、管理通貨制度によって日銀がその後楯の役割を果している。
租税特別措置制度を通じて、企業と資産所得名の大減税が行なわれ、とくに佐藤内閣以来、金持減税、勤労者重税の傾向が甚しくなっている。大衆貯蓄(郵便貯金、厚生年金、簡易保険、国民年金の掛金)を吸いあげる財政投資による公共投資、海外協力も国民不在、産業偏重が続いている。
このような政府と財界の結託による経済成長は、
第一に、物価上昇を恒常的なものにし、インフレを定着化した。
第二には、あらゆる面に格差と不公平、不平等を激化した。資産と所得の格差、大企業と中小企業の格差、都市と農村の不均衡による過密・過疎の現象を激化させている。民間設備投資と公共投資の不均衡は社会資本の不足を生み出し、道路、鉄道、通信、田地、用水などの生産基盤投資はもちろん、公衆衛生、公園、上下水道、都市街路、住宅など生活関連施設の立ち遅れが激しいものとなっている。
所得配分の不公平を是正する社会保障は国民所得の約六%に過ぎず、西欧諸国の1/2乃至1/3に止まり、老後や医療の保障も全く不完全である。
第三には、公害と事故の激発を招いていることである,最近亜硫酸ガス、CO、鉛などの大気汚染、工場、鉱山の廃液投棄による水質汚濁、その他食品、薬品の公害、地盤沈下、ガス爆発など公害問題が一気にふき出しているが、これこそ営利本位、生産第一、人間の生命と健康を無視した資本主義社会の矛盾の爆発であり、GNP至上主義の結果である。
年々二万人近い生命を奪い、百万人の負傷者、不具者を生み出す自動車事故は、新経済社会発展計画のように、昭和五〇年三千万台となれば、死者二万二千人、負傷者二〇〇万人にふえる見込であり、放置し得ない課題となっている。
A勤労国民の犠牲
経済の高度成長は、産業構造と就業構成をはげしく変化させ、大きな社会変動をひき越した。十年間に約一千万人の雇用労働者がふえ、農村の若い労働力が流出し、急速な工業化、都市化をもたらした。そのなかで、農業は安い農産物と安い労働力の供給源として扱われ、独占本位の農業政策によって、農業は全く停滞している。最後の柱とたのむ「米」の管理制度もすでに空洞化され、米以外の畜産、果樹も、農産物自由化の促進によって、行詰っている。政府・財界は農産物、木材などを海外に依存し、国内の第一次産品の地位が一層低下してゆく七〇年代は、正に農業を含む第一次産業全体の危機である。
鉱工業の発展、第三次産業の膨張によって、労働者不足を生じ、名目賃金が上昇し、労働者の生活水準の向上によって、その意識も、現状肯定、あるいはマイホーム型の実利主義に傾いているといわれる。しかし、一方でははげしい企業の合理化、機械化によって、労働密度が高まり、労働の強化が進行し、労働災害がふえ、無権利状熊の下で労働意欲の低下がひろがっている。しかも労働者の過半数は一〇〇人未満の恵まれない中小企業、零細企業に働き、約三分の一に及ぶ婦人労働者の労働条件は劣悪のままおかれている。
せまい住宅、高い家賃、通勤の苦痛、少い保育所、貧弱なリクレーション施設のなかで持続的物価高が労働者の貯蓄を減価し、未来の設計を奪っている。
経済の成長はこのような勤労者の大きな犠牲の上に強行されているのである。
さらに日本独占は、その体制を維持強化し、海外への帝国主義進出を行なうため、新経済社会発展計画の「国際化のための経済の効率化」の目標にみられるように、全面にわたる体制的合理化を推進している。それは大企業の再編合併、業務提携、貿易、資本の自由化、生産性向上を名目とする中小企業と農業のスクラップ化、「社会開発」のためと称する受益代負担のおしつけ、教育制度の反動化、安上り職訓と所得政策、労資協調主義による労組の体制組み入れなど組織的に進められ、労働者を中心とする勤労国民の生活に一層の重圧を加えつつある。
B社会の荒廃と人間性の破壊
以上のような大企業と金持優先の経済と社会の仕組みは国民の生命と健康を犠牲にしているばかりか、金もうけ中心、拝金思想、利己主義の生存競争のなかで、人間相互の不信がひろがり、投機が横行し汚職と犯罪がはびこり、自殺、精神病などの社会病理現象がふえている。物質生産の豊かさのなかに、新しい社会の貧困−欲求不満と人間疎外が進行するのである。この状況にいかに対応するか大きな課題となっている。
4 七○年代への展望
以上のように、わが国は、六〇年代に生じたさまざまな矛盾と歪みに対し、政治、経済、社会のすべてにわたって、広範な国民の要求が次第に高まる状況にある。
公害問題をはじめ日本資本主義の「高度成長」政策によってひきおこされた矛盾にたいして、多様な形態で住民運動、市民運動が噴出しているのはその特徴的なあらわれである。
また六七年の東京都知事選挙の勝利をはじめ革新自治体が大きく前進している。すでに革新市長は一〇〇近くをかぞえるに至り、一九七一年の地方選挙にむけてさらに新たな躍進が期待されている。
「新全国総合開発計画」「新経済社会発展計画」などによって、地方自治の危機がさらに深まり、国民が国家独占資本の収奪の下にさらされ、公害や都市問題、人間疎外の激発している中にあって、国民は身近かな打開の道を地方自治体の革新に求めてくる。とくに最近の革新自治体の中に示される新たな活力ーー住民の直接民主主義要求と「参加」によってからとられた地域民主主義の新たないふきは、七〇年代のわれわれの運動にたいして重要な教訓を提起していると云わなければならない。
さらに民主勢力の中心となる労働運動が賃金引上げにとどまることなく、積極的に国民的諸課題にとりくもうとし、総評の十五大要求方式に見られるように労働者が国民生活諸要求の実現をめざす闘いの中核となろうとしていることは、積極的に評価されなければならない。
沖縄問題・基地問題をめぐる国民の要求と様相も大きく変化しつつある。軍事基地撤去の運動は反戦平和の側面からすすめられて来たが、いまやそれに加えて地域開発の住民生活の障害をとりのぞく立場から新たなひろがりをみせている。安保と基地はいまや幅広い身近な問題となっており、ニクソン・ドクトリンにもとづく米軍基地の自衛隊移管=日米軍事戦略の再編成にたいしても、「軍用地を住民の手にかえせ」という新しい要求となって拡大している。七〇年六月の運動の中でも小さな地域や各階層の運動の多かったことも新たな特徴であった。
このような新たな状況を背景として世論調査によっても、安保解消・軍事的中立要求・日中国交回復要求・公害・物価問題をはじめ切実な諸問題の解決を求める声は国民多数派のものとなっている。
この広範な国民的要求を基盤として、政治反動と国民不在の政策を続ける政府自民党と対決して、これを粉砕することが革新の大きな課題である。