一、一九七○年闘争の基本的性格
二、当面の内外情勢
三、われわれの要求と政策
    後半
一 一九七〇年闘争の基本的性格
(1)「日本における社会主義への道」の示す当面の任務
 わが党の社会主義理論委員会報告「日本における社会主義への道」は、日本社会党の任務を次のように明らかにしている。
 「それは労働者階級を中核に農漁民、中小商工業者、知識人等の勤労大衆を結集して、その強大な組織的支持を背景に平和的、民主的に社会主義政権を確立し、この政権をテコとして資本主義制度を社会主義制度に変革し、もって豊かで明るい社会主義日本を建設することである。」
 理論委員会報告はまた社会主義政権確立以前の段階において、それへの接近のために過渡的政権が樹立されるであろうという展望を示している。この過渡的政権は護憲・民主・中立の民主主義的性格を基本とするが、同時に独占支配の制約と社会主義をめざす諸政策の遂行、アメリカ帝国主義の対日支配の排除という重要な役割をはたしうるものである。それは過渡的政権であるとともに社会主義政権確立への序幕をひらくものである。
 この過渡的政権の基盤は護憲・民主・中立のもとに結集する反独占の国民戦線であり、この政権樹立にいたる道程は、きわめて緊迫した激動にとんだ階級闘争の連続となるであろうと理論委員会は指摘している。
 理論委員会報告は、また憲法擁護の闘いと安保条約廃棄の闘いは固く結びつき、二つの闘いは一つであり、平和的、民主的に社会主義革命を遂行しようとするわが党の戦略のなかで、重大な結節点となるであろうと指摘している。
 以上の規定をうけて、ここ数年のわれわれの闘いを展望するとき、一九七〇年闘争がすべての闘いの軸となることは明らかであり、この闘いを通じて護憲・民主・中立の政権を樹立することこそ、われわれの中期路線の目標である。
(2)一九七〇年闘争の意義
 一九七〇年闘争は安保廃棄の闘いであり、この闘いは政治的にはベトナム反戦、沖縄返還闘争、日中国交回復、基地撤去などの闘いを中軸に、同時によりよい生活を求める闘いとして発達する。日本及び日本をとりまくアジアの情勢がベトナム戦争、沖縄問題を軸とした一九七○年闘争の戦機を、急速に成熟せしめていることは理論委員会報告の正しさを立証している。
 アメリカのベトナム侵略戦争への協力を通じて、自民党政府は、自ら進んでアメリカの戦争政策に加担し、中国をはじめとする社会主義諸国に敵対し、民族解放運動を抑圧する帝国主義者としての機能をますます果すようになった。日本は日米安保条約のために戦争にまきこまれる危険がますます増大しているのみならず、日本の支配層はそれを使ってアジアの諸国民に対して政治的・経済的・軍事的にふたたび加害者としてたちあらわれようとしている。日本をベトナム侵略の実質的な参戦国とした自民党内閣の責任を徹底的に追及し、侵略の道具となった日本の基地の撤去を要求してたたかうこと、また中国に対する恐怖感をあおって安保体制を強化拡大しようという宣伝を粉砕して日中両国の友好と国交回復を要求し、アジアの諸国民と真の人民連帯を求めてたたかうことは、日米安保条約を廃棄するためのもっとも重要なたたかいである。
 戦後二十三年、アメリカは沖縄の不当な占領を続けている。ベトナム侵略のために、アメリカは沖縄をその最大の基地としてB52を常駐させ、連日ベトナム人民を殺りくするために出動している。アメリカは日本の支配層と共同で沖縄を反社会主義、反民族解放の恒久基地として維持しようとしている。しかし沖縄の新主席に屋良氏が当選したことは、沖縄の即時無条件全面返還と基地反対の県民意志の反映であり、われわれの一九七〇年闘争の一歩前進を画するものであるが、自民党政府はあくまで安全保障上の要請をみとめると称して国民合意を強要している。
 とくに一九六〇年闘争に正しく位置づけられなかった沖縄問題は、いまやわれわれの闘い如何によっては自民党政府の死命を制しうる闘いの環となっている。それは平和と民族的権利と基本的人権の闘いであり、従って国民を最も広く、強く結集しうる課題である。一九七〇年闘争とは、一九七〇年に日米安保条約の期限の一区切りが到来することを中心に安保体制の長期固定化・強化・拡大を許すか、それとも条約を廃棄して安保体制を打破するかの岐路をめぐる闘いの総称である。それは必然的に日本国憲法を改善するか、それとも憲法を擁護して平和的・民主的条項の完全実施をすすめるかの岐路と結合している。これは同時に日本とアジアの戦争か平和かの岐路でもある。日本国民はいま、以上の二つの進路の選択を迫られている。すなわち反動と独占の秩序か、民主主義と勤労大衆の秩序かの選択である。
 前者の道は戦争と破滅の道であり。後者の道は平和と繁栄の道である。
 この二つの道の選択は妥協を許さぬあれかこれかの闘いである。われわれは七〇年安保闘争を主軸とする二つの路線の選択において、保守支配層の企図を粉砕して国民の大多数を革新のコースに結集させ、局面の決定的転換を闘いとる運動の道筋を明らかにしなければならない。
 日本の独占と自民党政府は戦後二十余年一貫して平和と民主主義の日本国憲法をじゅうりんし、国会を空洞化し、日米安保体制の維持強化をはかって日本の運命を反動と戦争の道へ誘導してきた。しかも彼らは目では.平和と民主主義を唱え国民を欺瞞する「アメ」の政策をも行使してきた。だがいまや一九七〇年を迎えるにあたり欺瞞の仮面をすら脱ぎすてて、国民の前に安保体制の拡大・強化、自衛力の飛躍的増強の進路を示し、強権をふくむあらゆる手段を総動員して国民に同意を強制しようとしている。
 佐藤首相の南ベトナム訪問、アジア反共国家群の歴訪、その総仕上げとしての訪米と日米共同声明はそのための大きな布石である。また国内では貿易と資本の自由化を進め、熾烈な合理化をおしつけ、その政治的土壌作りとして政治資金規正法の改悪、小選挙区制、デモ禁止立法など一連の反動政策で支配の強化をはかろうとしている。
 もちろん、それは日本資本主義の矛盾と危機の深化のあらわれであると同時に、アメリカ帝国主義とー諸になった日本独占のアジア侵略のあらわれであるが、それだけに彼らはいよいよ露骨に軍国主義復活を行ない、権力支配を強化しつつある。
(3)われわれの課題
 このような情勢の下でわれわれが闘いの方向を見定め、確固たる闘いの体制を打立てなければ、彼らの帝国主義的野望によって、日本の進路は反動と戦争の方向に長期にわたって固定化されるであろう。
 しかし一方ではこの選択をわれわれの側、民主主義と勤労大衆の利益を守る側の手によって行ないうる可能性も充分存在している。
 さきの総選挙で保守支配層の得票ははじめて過半数を割り、東京においては都市問題の爆発を背景に革新首長が誕生した。産業再編成の進行による合理化攻撃、農業・中小企業の切り捨て政策は、労働者階級を中軸として国民内部に新たな憤りを呼びおこしている。また高度経済成長の破綻は、インフレといわゆる「財政硬直化」、国民生活の圧迫をもたらし国民大衆の不満と憤りを強めている。さらに社会の基底部分には、資本主義の生みだした様々な人間疎外の現象に対する不安と不満が充満している。このようにして日本独占と自民党政府の反動と戦争の政策は、勤労大衆の反撃をよびおこす条件を自ら成熟させつつある。問題はわれわれの側における主体の如何にかかっている。われわれは情勢に立遅れることなく積極的に勤労大衆の先頭にたち、その反撃を組織化し、これを指導し得る主体の結集をはからねばならない。
 一九七〇年の闘いはそれを一つの頂点としつつ、その前後にわたって数年間の激動と闘いの連続する一時期をもたらすであろう。
 この闘いのなかでわが党は主体的・客観的条件の成熟にもとづき、民主的多数派の結集に成功して過度的政権を樹立する。それはいわゆる「護憲・民主・中立の政府」であり、具体的には憲法擁護・安保条約廃棄・生活と権利を守ることを任務とする政府である。
二 当面の内外情勢
(1)重大な転機にたつ情勢
 一九七〇年闘争をめぐる内外情勢は重大な転機に直面している。
 第二次大戦後、社会主義陣営、植民地従属国の民族勢力、資本主義国の革新勢力は全世界的規模で連帯して、アメリカを先頭とする帝国主義勢力に対し、優位に立つ力をもつにいたった。しかしここ数年来、社会主義陣営の内部対立に加えて民族独立勢力の一角も、帝国主義の新植民地政策にまきこまれた。資本主義諸国の労働運動、西欧諸国に顕著に見られるように反体制の戦力を後退させている。その結果、帝国主義勢力は世界の力関係を規定する主導権を奪回し、再び自らの優位をうちたてようとはかっている。
 特にアメリカの世界戦略の重点は、欧州における相対的緊張緩和につれてアジア・アフリカヘ指向され、アメリカ帝国主義の巻き返しによりこれらの地域では逆流を生じつつある。
 アメリカのベトナム侵略、アメリカに支持されたイスラエルの中東侵略などはそのあらわれである。またインド、インドネシア、ラオス、ビルマなど従来の中立国を「自由主義陣営」の側にひきよせ、韓国、台湾、フィリピン、タイなどとともに、アスパックの反共アジア人連合へ結集させているのもそのあらわれである。
 しかし、これらの動きは一時的な逆流現象にすぎず、全世界の革命と解放の勢力はそれを乗りこえて成果をあげつつあるのが、今日の世界情勢の特徴である。アメリカはベトナム侵略戦争の泥沼のなかにあえぎ、朝鮮戦争のピーク時を上回る五〇万の兵力を投入しながら多大の出血と敗北を強いられている。そして社会主義諸国のベトナム援助、アメリカ国内の反戦運動、世界各国のベトナム戦争反対の運動の包囲のなかに孤立しつつある。ベトナム戦争のエスカレーションは、アメリカの経済財政力を弱化させインフレとドル危機を招いている。
 六八年三月と一〇月のジョンソン演説は、北爆を停止し、南ベトナム解放戦線を事実上承認した「条件つき降伏宣言」にも等しいものであった。それは、民族独立を求めるベトナム人民と平和を求める世界の人々の勝利への重大な一歩であった。それはたんにアメリカのベトナム侵略の失敗を示すだけでなく、その世界戦略の破綻を示すものにほかならなかった。
 ポンドの切下げは英国のちょう落の弔鐘であるのみならずドルの信用をゆるがし、アメリカは金の交換停止、ドルの切下げの瀬戸際においつめられている。このことはドルによる世界支配のIMF体制の危機を示すものである。ベトナムにおけるアメリカの軍事的敗北は、同時に世界金融市場におけるドルの敗北と結合し、世界の資本主義体制全体を決定的にゆり動かすであろう。
 フランの動揺、ポンドの再動揺などの事態はドルの危機がたんにアメリカだけの問題でなく、資本主義の通貨制度全体にかかわっていることを再び証明した。
 それは発達した資本主義国の労働者を中心とする階級闘争および植民地、従属国の反帝民族独立闘争の、二つの大波を同時にまき起こさずにはおかないであろう。また資本主義諸国の利害の対立激化の局面をもたらし、資本主義、帝国主義の国際的戦線の鎖がたち切られる新しい情勢が進行するであろう。
 こうした情勢の発展は資本主義、帝国主義の法則的矛盾に深く根ざしている。この矛盾の発展を防ぐためにアメリカと日本の支配層は、アジアにおける帝国主義秩序の再建に必死となっている。そのあらわれとしてアメリカ帝国主義と日本の独占資本およびその政府は一九六七年一一月佐藤・ジョンソン会談において中国敵視、ベトナム侵略戦争への積極的協力、ドル防衛の経済協力、日米安保体制の拡大・強化の路線をつくりあげた。
 ニクソン新大統領は、ベトナム侵略の失敗で破綻した世界戦略をつくろうことを任務として登場した。アスパックの軍事化、日本の軍事分担の強化などをなかみとした「地域的集団安全保障体制」の強化をいっそう積極的にうちだしている。三選された佐藤内閣は、佐藤・ジョンソン共同声明でしかれ、ニクソンのもとでより積極化される安保体制強化の路線を、ただひたすら忠実に歩み続けている。自民党は、安保条約の自動延長をうちだしているが、条文はそのままであっても、そのなかみは質的に大きな飛躍をとげようとしている事実をわれわれは見落してはならない。
(2)日米安保体制の本質
 今日のアメリカ帝国主義の世界戦略は、その中心をアジアにおいているが、それだけに現在の安保体制は中国封じこめを焦点とするアジア反共軍事網の一環であり、アジア民族の独立と解放を防止せんとする抑圧体制であり、さらには、日本の労働者階級をはじめとする平和と民主と社会主義の勢力に対する支配と抑圧の体制である。
 それは日本の国民の生命・生活・財産の安全を保障するものではなく、政治、軍事、経済、文化、教育などあらゆる分野にわたる、総合的な資本主義体制維持のための、帝国主義反動支配強化の体制である。
 アメリカ帝国主義は、ベトナム侵略戦争の手痛い経験から日本のもつ経済力、軍事力を全面的に引き出し、アメリカのアジア戦略のなかに組み入れようとしている。日本の独占資本もまたアメリカの大番頭として多くの矛盾をはらみながらも、アメリカの要請にこたえながら、再びアジアに「大東亜共栄圈」をつくりあげようとしている。こうした両者の利害と思惑の一致の上に、日米安保体制は次の三つの方向において推進されつつある。
 第一は、佐藤・ジョンソン共同声明に明らかなように、日米安保条約の長期固定化を軸とし核安保体制を確立することである。「核抑止論」の立場に立って中国の核に対抗しその封じ込めを企図する以上、アメリカの核の傘にしろ自前の核武装へのふみきりにせよ、安保が核安保の性格を帯びることは必定である。いずれの場合も核兵器のひきがねの管理権はアメリカが握り、日本は完全にアメリカの核の傘のもとにおかれるのである。
 第二は、日米安保体制をアジア安保体制へ拡大することである。六〇年安保が軍事同盟を中心とした日米関係の確立に主目標があったとすれば、七〇年安保は中国封じ込めとベトナム戦争を中心に、アジア全体の、不安定な情勢に対処するための「アジア安保」としての性格を強めることに、主たるねらいがおかれている。
 すでに沖縄をかなめとして米韓、米台、米比など軍事同盟が結合されNEATOの実質の進展がはかられてきたが、いまや日本全土がこのかなめになろうとしている。すでに小笠原の返還により、日米安保体制は南鳥島から沖の鳥島をふくむ、広大な太平洋の中心地域へ拡大されようとしており、引き続き日米政府は沖縄の「核つき、自由使用」返還により、核安保体制を東シナ海全域に拡大しようとしている。
 この核安保・アジア安保のほこ先は主として中国に向けられる。それだけに日中友好・国交回復の闘いは、中国の脅威を口実とする日米両国政府の、アジアの緊張激化の政策を根本からつきくずし、アジアと日本の平和と安全をもたらすものである。
 第三は、日米安保条約をテコとして、日本国内の政治的経済的反動支配のために帝国主義、軍国主義体制を一層強化することである。日本独占資本にとって勤労大衆を抑圧支配する体制を維持し、強化することが絶対的目標であることはいうまでもないが、アメリカ帝国主義にとっても、アジアにおける唯一の頼りになる日本の資本主義体制の維持強化は絶対的必要事である。今日、日本資本主義はあらゆる分野でその矛盾を拡大している。それは、労働強化と職場における労働者の権利のはくだつ、物価の連続的高騰、住宅難、公害など都市問題、中小企業の記録的倒産、農村・山村の荒廃と農業の破壊、地域、産業、階層問の格差の拡大、受験地獄、交通災害などの激化となって国民大衆に犠牲を強いている。この結果、国民大衆の不満と批判は拡大し、昨年の一連の選挙が示すように、自民党が総選挙においてその得票が半数を割り、また統一地方選挙において、首都東京に革新知事をゆるすなど支配層の基盤は大きくゆらいでいる。これに対抗するため自民党政府は小選挙区法、警察権力による弾圧体制の整備、デモ規制法、秘密保護法の制定、自衛隊の質的強化、三次防の推進と軍需産業の育成、国防省の設置、防衛意識の高揚,国益論や明治百年の宣伝、言論統制など軍国主義化と憲法改悪の事実をつみかさねて、その一定の蓄積の上にたって、明文憲法そのものを改悪しようとしている。
 こうした安保体制の拡大・強化は一九七○年の時点において現行安保条約の条文が再改定されるか、あるいは自動延長されるかにかかわらず、現在すでに、日米両国政府の協力によって、かなりの速度をもって既成事実として進められつつある。その意味で昨年一一月の日米共同声明はきわめて重視すべきである。
 しかしながらすでにみたようにアメリカ帝国主義は万能ではない。ベトナムにおいて政治的にはもちろん軍事的にも侵略政策は破綻をみせ、またその経済・財政もドル危機に象徴されるように大きな障害にぶつかっている。日本独占資本も、アメリカに代ってアジアの盟主たらんとする野望は大であるが、いわゆる「財政硬直化」外貨危機にみられるようにその実力は野望に比して小である。だからこそ大幅賃上げ、生産者米価引き上げ、減税、社会保障拡充、物価値上げ反対等の国民生活向上の闘いは反安保・憲法擁護の政治課題と結びつき、これを支える土台となるのである。かくしてわれわれは、日本独占の帝国主義的アジア進出の野望を打ち破る闘いに十分の確信をもつことができる。
 だがまた、日本独占がその弱さの故にもつ凶暴なファシズムヘの傾斜を、決して軽視してはならない。その危険性は三矢計画にはっきり示されている。
 またアメリカ帝国主義はベトナムにおける退勢をもりかえそうとして、ラオス、カンボジア等インドシナ半島全域および、朝鮮、中国などへ戦火を拡大させる危険性をもっている。
 われわれは、こうした危険に対する警戒心と、これを未然に阻止する努力をかた時もゆるがせにしてはならない。
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日本における社会主義への道と一九七○年闘争
−中期路線
*一九六八年一月二四日〜二六日開催の第三〇回党大会で決定。出典は『日本社会党綱領文献集』(日本社会党中央本部機関紙局 一九七八)。サイト上では長文のため、三ページに分けて掲載する。画像は1970年6月23日反安保集会。