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昭和二四年度日本社会党の運動方針をめぐる論争・二
 
弾圧をする以外は政権をとっていた政府は不利である
 森戸 ぼくは何も区別しないのです。違いはありますけれども、片山内閣の多くの政策の点では、もう少し期間が連続的であって、一年半なり二年なりないと、防禦工作が十分にいかぬのではないか。ただ政府に対する反対は時がたつだけ大きくなるのは当然で、英国のような労働党でも、今選挙をやれば、地方選挙ではだんだん不利になって来たし、だれかに不自由をさせているのだから、こういうときに選挙をやれば、弾圧をして言論の自由のないところ以外は、政権をとっていた政府が不利という結果になるので、それが不利になったからその政策は非常に間違っておったということにはならぬと私は思います。英国の労働党が不利だから、あの政策が非常にだめだったという結論にはならない。単独内閣でもそういうことはあるので、かりに社会党が単独内閣をつくっておっても、一年ばかり政権をとってやったら、よけい支持を受けたかどうか、私は必ずしもそうは考えていないのです。経済的にも非常に不況なときに、言論の自由なところで政権をとっていくというものであれば、その経済状態の悪いことが、全部じゃないけれども、かなりの部分がその政局担当者の政策がまずいということに帰せられるという点があると思うのです。ぼくは別に弁護している意味じゃないのですが、そういうわけもあるから、連立が全部ネガチブだったというわけじゃない。欠点ももちろんあるし、ことに主体性等の問題で社会党が十分でなかったという点で効果を明らかにしませんでしたが、これはある程度強力なものだったと思います。
 
社会民主主義の政党に対する定義
 勝間田 では、大体自己批判の問題についてはその程度にいたしまして、今読者が一番悩んでいる問題は、運動方針のうちで、一般的な問題でありますけれども、社会民主主義というものについて、どういうものかという疑問−――これは誤解も、また正しい意味の見解もあると思うのですが、社会民主主義というものについて、稲村さんは社会民主主義という言葉じゃもの足らないということを特に主張されたように思うのですが、そのもの足りなさということはどこにあったのですか、その点をひとつはっきりしてもらいたいと思うのです。
 
 稲村 ぼくは国際的に、歴史的に見たところの社会民主主義、それから日本に繁栄したところの社会民主主義という、いろいろな条件を考慮して、日本においては社会民主主義は社会主義じゃないという気持が相当一般にある。現実にそういう人を私は知っておるのです。社会民主主義の政党だというので入ったけれども、社会主義の政党だ、とんでもない政党だと漏らした人を知っている。これは何でもないことだけれども、それほどまでに社会民主主義という言葉が社会主義よりも幅広く解釈されている傾向がある。これは日本的な特殊な民主主義というものが抬頭して来て、今まで民主主義というものがなくて、急に民主主義が抬頭したというところから、何でも民主主義とつけばOKなんです。社会民主主義であっても、国家民主主義であっても、民主主義というからよいだろう、こういう気持が相当強く大衆の間にあった。こういう条件から、社会民主主義という定義がはっきりするような何かほかのよい表現がないだろうか、民主的社会主義とか、社会主義的民主主義とか………
 
 勝間田 行動的とか……。
 
 稲村 ええ。何かそういうよい名前がないものかというものが事実ぼくのねらいたった。そこでゴータ綱領に対するマルクスの批判を読んでおって感じたのだが、ドイツにおいても同じような誤謬があった。それでマルクスは、ゴータ綱領批判の中で、社会主義に重点を置くのか、民主主義に重点を置くのかということで相当批判しておる。そうすると、あの当時の社会民主主義というのは、社会主義でなく民主主義者の政党という意味なんですね。この間偶然にというか、問題になっておったから読み返してみたんだが、やはりそういう時代があったわけなんだね。しかしそれが社会民主主義というものを、少くともヨーロッパにおける民主主義者が、社会主義の実現を民主的方法によってなすという方向に次第々々に基礎づけていくことに成功したわけなんだね。これは長い間の歴史によってそういうふうに規定されたのだけれども、日本の場合はそういう期間がきわめて短かった。きわめて短いといっても一年や二年じゃないが、ドイツあたりよりもう少し短い期間においてなされなければならぬということを考えてみると、この際われわれは、社会主義の政党であるということを何よりも明確にして、いわゆる社会主義プラス民主主義の政党、社会主義者プラス民主主義者の共同政党だというような、こういう意味は持たせない方がよいのではないか、こういう意味で実は言っているわけです。
 
 勝間田 そうですか。それでいっぺん森戸先生にお尋ねしてみたいと思っておったのですが、森戸さんにこの点をひとつ思想史的に解明してほしいと思うのですが、社会改良主義というものと、社会民主主義というものと、社会主義というものの違いですね、これは思想史的にどう違いましょうか。
 
社会改良主義・社会民主主義・社会主義
 森戸 これは私は、ドイツでは社会主義の方が先にできたと思います。マルクスの思想を政党的にはラッサールが持って来て、そうしてさらにリープクネヒトとかベーベルが加わって社会民主主義の政党になるのですが、社会主義の政党は社会主義の実現を標傍するということで、それからラッサールなどのいわゆる普通選争論と結びついて、普通選挙による社会主義の実現ということになった。それが一方ではドイツに力を占めて来、他面ちょうどドイツは帝国主義の興る近所でしたから、自由主義の運動が非常に強かった。その間にあって、いわゆる自由主義的な資本主義もいかぬ、社会主義もいかぬという立場でワグナーや、シュモーラーやプレンタノが立って、これらの社会政策学会のとっておる政策が普通社会改良主義といわれておるわけです。あるいは講壇社会主義ともいわれているのだが、これは資本主義をかえるということではなくて、資本主義の欠陥をためていって、ことに資本主義のわく内で勤労者の生活を改善していくということを標榜したわけで、正常な形での社会改良主義というのはその傾向を指すと思います。それから日本でもその影響で、実はこの間死なれた高野さんなども中心となって、社会政策学会というものをつくられた。それが日本でやはり社会改良主義というものを表明して来たわけです。これは一面、資本主義反対、社会主義反対ということで、社会政策主義とはいわないけれども、大体、社会改良主義というような言葉で通じていると思うのです。そういうようにして社会改良主義が起ったのですが、社会民主主義の方は、実はマルキシズムの党派が社会民主主義とずっと言って来たので、ロシアのボルシェビキがわかれて社会民主主義の多数党となるまでは、大体マルキシズムの政党が社会民主主義の政党と言われておったわけです。だから社会民主主義即マルキシズム、こういうようなことで、その傾向がずっと、ことに第二インターナショナル結成以来ずっと支配的であったということです。ところが第一次世界戦争の終りごろから、いわゆるロシアの革命から共産党ができるようになって、社会民主主義がわかれた。共産党と社会民主党ということになり、同時に社会民主主義の政・党はマルキシズムのうちの共産党これに対する政党だけでなく、たとえば英国の労働党その他北欧の社会民主主義政党、これらは必ずしも全部マルキシズムじゃないのです。そういうものを含めた、共産党と反対な社会主義の方向に向っている政党を総称して社会民主主義の政党と、こういうふうに呼ぶようになったと思うのです。そこで共産党分裂前の社会民主主義という言葉と、それから共産党分裂後の発展における社会民主主義の政党ということに考えられる意味とが、ややかわって来たというのが、社会的発展の現実じゃないかと思っています。
 
 勝間田 そうすると、社会改良主義というのは、資本主義の所内において、資本主義の害をむしろチェックしていく。その意味においてやはり、資本主義の存立のためにむしろ必要な条件として生まれておるかもしれないわけですね。だが社会民主主義、これは共産党と分裂した後の社会民主主義、それから同時に共産主義というものは資本主義の否定の上に立っていこうとする考え方、従って両者ともに一つの社会主義をつくり出していこうという考え方については、これはやはり社会主義政党と見てよろしゅうございますか。
 
 森戸 よいとぼくは考えておりますね。
 
 勝間田 そうしますと、社会主義政党をつくるために、社会民主主義でいくか、コミュニズムでいくかという考え方が、現在、厳然としてある。その中で、社会民主主義のいき方が社会党の行き方であり、共産党はコミュニズムのいき方をとっておるというふうに考えられるわけです。いずれにしても資本主義の否定であるということにはかわりはないのですから、社会民主主義政党としての社会党の革命プログラムというものをつくっていくということについては、当然といわねばならぬことになりましょうね。
 
 森戸 ただ革命ということの内容ですがね。
 
 勝間田 あと、その問題が残りますが、革命を遂行するためのプログラムをつくっていかなければならぬということについては両者とも一致しておるというように解釈してよいわけですね。
 
 森戸 そうです。
 
 勝間田 そこで今まで文字上の争いがあったけれども、大体これで一致したということを言ってよろしゅうごさいますか。どうですか稲村さん、そこまでのところは。革命の内容についてはまだ問題があるが・・・・。
 
 稲村 ぼくも革命の点について、さっき言ったように、日本の現実から考えて、社会民主主義というものが、うっかりするとソシアリスト・アンドーデモクラット、こういう危険がきわめて濃いということを前提として、その誤解を避けて行くということを前提にすれば、一応それまてのコースとしては、否認も何もしないわけだ。
 
 森戸 それから社会改良主義の問題ですが、共産党は、社会民主主義は社会改良主義の党派である、資本主義を変革して社会主義をつくる党派ではないと、こういうような言い方をするのです。これは共産党が社会党を、ことに社会民主主義の政党を攻撃することであって、共産党と同じようなやり方で社会主義を実現する党派ではないということを、共産党のかってな言い方で言われておるので、その意味での共産党が言う社会党は改良主義だということは、私どもは気にかけるに足らぬのじゃないかと思う。共産党は、社会民主主義の党派は改良主義の党派だと言うのです。
 
社会民主主義政党の革命
 勝間田 それで大体わかったような気がするのです。そこで革命ということがどうかという、先ほど森戸さんからの留保の条件がありましたが、革命ということはどうなんですか。資本主義を変革して社会主義社会をつくるという抽象論にはなるけれども、社会民主主義政党としての革命とは何ぞや、これはこの前から花を咲がした重大な問題なんだが、ひとつ森戸先生からお話していただけませんか。
 
 森戸 これは社会主義の実現を目標とするのが社会主義政党であって、この社会主義の中心点は経済組織の変革、資本主義的な経済組織が社会主義的な経済組織にかわるということであって、この場合革命というのは根本的な変革ということを意味するとは考えられない。あるいはそれは質的と言ってもよいのですが、つまり資本主義経済が社会主義の経済になる。これが社会党の目ざしておる一番根本的な革命である。その革命にいく順序はいろいろありますが、それはしばらくおいて、社会党が目ざしておる根本の変革というのは経済的な状態の変革だ。こういう点にぼくは中心がなければならぬと思う。それが社会主義革命あるいは社会革命と言わるるものである。ぼくはこう思うのですがね。
 
勝間田 先生はどっちかというと経済主義に重点を置かれる方ですね。稲村さんはどうですか。
 
 稲村 ぼくは、経済的に見れば、あらゆる基礎的な条件は社会主義に向って進行している。これは森戸さんのそれを否認しないけれども、あらゆる社会現象というものは政治の上に集中的に表現されていく。これも事実なんだね。占い経済的な支配階級は、必然の形で社会主義へ向って資本主義の基礎が動いていくのを、これをどうしても食いとめよう、チェックしようとするために集中的政治権力を常に用いておる。したがって、いかに経済的に最高に発達しても、これをチェックしている政治力というものを除去しない限り、日本は結局において大きな矛盾を蔵しつつも資本主義の段階を出ることができない。ぼくはそう考える。それで質的転換をするためには、チェックするものを取除いてそうしてそれを推進する新しい政治権力というものが生まれなければならない。従って革命ということは、森戸さんのおっしやったように、事実において経済的にそういう進行が長い間になされて、その矛盾が増大して行って、その増大した矛盾が社会主義の方向へいくということは、これは私は認めておるが、それは革命でなくて進化であり、進展だと思う。革命という以上は一つの質的変化を表徴するものでなければならぬ。チェックしておるものを取除くことによって、質的に変化させる、その作用がなければレボリューションということは言えないと思う。そういう意味において、革命とはすなわち政治革命によって表徴されなければならぬ。従って、経済的変革は、革命的要素を帯びる、そういうふうにぼくは解釈しておるのです。この点はまだどっちの議論も議論する余地は十分あり得ると思うけれども、見解の相違といえば、見解の相違なんですね。
 
 勝間田 それで問題の所在点をお二人にお話し願ったわけですが、今後は一回ずつ、お互いに対する批判をしてほしいと思うのですが。今稲村さんのおっしやったことについての森戸さんの批判をひとつお願いしたいと思います。
 
社会民主主義の革命は一時的に行われるものではない
 森戸 ぼくは社会革命あるいは社会主義革命と言われるものは、資本主義の社会主義への転換の過程であって、これを実現していく方法はいろいろ考えられる。その方法のきわめて重要なものが政治であるということは疑いない。これはもう議論は一致しておるわけになります。けれどもその政治のプロセスも、一体瞬間的に行われるのか、あるいは相当の長い期間によって行われるのか、その点はいろいろ違うと思うのです。そこで私どもは、民主主義の下では、これはそういわゆる劇的な形で行われるのでないのではないかというような考え方を持っておるわけなんです。政治的革命だって結局は政権が動いてゆき、また場合によってはそのうしろにある階級間の勢力の移動があるけれども、それは何と言いますか、場合によっては一詩的に現われ、多く暴力的に現われるのだが、そういう形をとらないで行われる可能性を持つというところに民主主義の意義がある。社会主義を民主的に実現していく可能性、あるいは場合によっては可能性よりももっと強いプロバビリティーを強く持っておる。必然ということは社会生活には求めがたいことで、プロバビリティーというものをそこに置くのはそういう点にあるのではないかと思っておるわけです。したがってまた、政治的な面から言っても、政治の一つの場面に、権力の獲得というか、それが集中されないで、中央の政治もあり、地方の政治もあり、また政治の面と並んで経済の面、文化の面等に新しく社会主義をつくろうという力が浸透して行く。そういうことによって、それが同時に一瞬間に競合するということでなくして、それぞれの条件がありますから、条件が満たされるにしたがって実現されるという形で、並行的に、また互いに交錯しながら進んでいくという形が変革の過程である。そういう意味で民主的な変革というものが一時的のものではなく、ある程度漸進的であり、段階的であり、したがってまたそれは建設的、平和的なものであるということになるのではないかとぼくは思っておるのです。おそらく、稲村君の言われることも、それに反対ではなくて、そういうことが、あとから考えると、一つの瞬間的に、質から量へ、量から質への転化が行われた時期がどっかにあったに違いないということになるのではないかと思うのですが、どうですか。
 
 勝間田 稲村さん、どうですか。
 
 稲村 ぼくはもう少し違うのですが、民主主義というものと、平和とか暴力とかいうものに関する考え、ことに平和とか民主主義とかいう考え方については、もっとも広くぼくは解釈したい。これは前にも問題にしたのだが、それはそのときになって、そのときの条件によっては−民主主義的方法というものはどういうふうにするかといえば、原則として議会主義の法則、議会というものを中心にしてやるということが、その議会を中心に合法的にやっていくということに、平和的推進というものが問題になって来ると思う。これは暴力といい、平和といっても、実を言うと、いかに平和的にやったとしても、やはりある程度力の行使というものはやむを得ぬ場合もあり得るんだね。なぜかというと、こっちが行使しないでも、敵が行使する場合があるから、そうすれば、力の行使というものは限界があるといっても、力は行使せぬといっても、やむを得ない場合もある。ただ力は議会を通じて合法的にやるのだ。これがぼくはやはりわれわれの言う民主主義的、平和的という解釈になると思う。そういうふうな建前から、ぼくらはどうかというと、一応やはり政治権力は確保するというある時期なり、段階がある。これはもちろん経済的条件のないところにはできぬ。経済的な一定の条件が成熟したとき、それからこちらの方の政治的条件が成熟したとき、このときにおいては、ぼくは議会というものを中心にして、議会主義の原則にのっとって、政権を確立し、その政権をもって今までチェックされておった一切のものを解放して社会主義的な質的変化をさせる。こういうエポックがある。このエポックを目ざしておるところに社会主義革命がある。こういうことが言えるのではないかと思う。この点は、民主主義、それから暴力とか力とかいうものをきわめて狭く解釈すると、非常な大きな疑問ができるかもしれぬけれとも、それはたとえば、いかなる場合においてもわれわれは戦争に反対である、こういう平和主義運動があったとしても、それならば平和を撹乱するような勢力に対してどうするかというと、やはり実力を行使しなければならぬということも起きる。力の行使とか、平和主義というものについて、平和的手段といっても、平和をあくまで維持するために、平和を撹乱するエレメントを押えつけるというこの態勢が、ぼくらにとってやはり考えられなければならぬと思う。民主主義的な勢力が存在しておる場合はいざ知らず、民主主義的勢力でないものが議会にある場合には、それを議会から放逐するということが必要であり、力によって放逐することもやむを得ぬこと。がある。そういうふうに見ると、それはどういう条件かというと、一々ぼくは考えられないけれども、そういうふうな平和のために民主的な力を行使しなければならぬという時代ができる。ただそのときには、ぼくらの問題として、常に議会を中心になされるということだけは、いかなる場合にあっても、日本の実情から考えてなさなければならぬものだ、こういうふうに考えている。この点については、平和とか民主主義とかいうものの解釈を非常に幅広く解釈して、あんまり狭く解釈して自縄自縛にならぬようにしていくのがほんとうじゃないかと、こうばくは考えておるのだがね。
 
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