第三章 議会制民主主義とわが党の闘い
一 ブルジョア民主主義と議会制民主主議
(一) 歴史的概念としてのブルジョア民主主義
民主主義は、広い意昧での政治概念であるが、それはイデオロギーとして、また政治制度として、階級闘争と不可分に結合して発達した歴史性を持っている。
そして民主主義は、とりわけブルジョア民主主義革命のなかで、自由、平等、友愛という政治的理念として発達し、その内容としては、個人が権力の不当な干渉によっておかされない自由、または国や団体の管理運営に主体的に参加し得る自由の二つを柱としており、またそのあるべき政治制度としては、人民による、人民のための、人民の政府として理解されてきた。そして、その形や内容には、その時代の歴史的背景があるにせよ、一貫して、被支配階層の民主主義要求の運動として発展してきたことは見落してはならない。
ブルジョアジーは、封建制による桂格から自由になることを欲し、人間解放を願うブルジョア以外の下層大衆と共に、民主主義を旗印として封建制を打倒したが、このことは、資本家、労働者という階級分化がいまだ不十分であり、下層大衆に組織的な力の結集がなく、そしてまた一面では、封建制打倒的役割をはたしたブルジョアジーに、一般的期待がかけられていたことを意味していた。
だが彼らがひとたび権力を獲得した後は、下層大衆の民主主義的権利は認めようとせず、彼らの支配のために民主主義諸制度を利用しようとした。しかも資本主義が発達し階級分化が促進され労働者階級を中心とする勤労諸階層の階級的自覚がたかまり、各種の民主主義的要求が増大するにつれて資本家階級は止むを得ず民主主義的譲歩をしなければならなかったが、その民主主義自体が今や彼らの桎梏となるに至っている。こうしてブルジョア民主主義の下においては、歴史的に要求されてきた人間解放としての民主主義は、その資本制の故に、貫徹されていないのである。したがって、ブルジョア民主主義は、民主主義としての本来的な意義と階級的支配の手段としての意義との二面性をもっているということができる。
(2) ブルジョア民主主義としての議会制民主主義
資本主義が独占の段階へと進むにつれて、国民の人口構成における労働者の比重が、ますます増大し、労働組合は強くなり、階級意識は高まった。労働者階級はみずから闘いとった言論、思想の自由や団結権・団体行動権等を資本家階級攻撃のための有力な武器に転化していった。また、政治的民主主義拡大の要求は、普選獲得運動として展開され、これは労働者階級の参加により現実的な力となった。ここに、資本家階級は勤労大衆に譲歩せざるを得ず、普選にもとずく今日の議会制民主主義が出現した。
これにたいして、ブルジョアジーは、その統治の欲求が自由から独裁へ、民主主義から寡頭支配へと志向するようになり、今日では、もはや、議会政治そのものが、彼らにとってたえがたい桎梏となっている。故に彼らは、ひたすら議会政治の制限と形骸化につとめざるを得なくなっている。
かって、ファシズムがついに議会制民主主義を破壊した世界的な経験もわれわれは肝に銘じなければならない。
(3)われわれと議会制民主主義
したがって、現存するブルジョア民主主義としての議会制民主主義を、勤労大衆は、形式にとらわれて、すべてがそのまま、価値あるものとして考えてはならないのであって、そこに資本家階級の支配が貫徹している支配機構としての側面を見抜かなければ、基本的な誤りをおかすことになる。同時に議会制民主主義が、常に労働者階級を中心として、全勤労階層が民主主義的要求として闘いとってきた歴史的事実および今やこの議会制民主主義が独占資本にとって、桎梏となりつつあるという側面も忘れることのできないことがらである。
このことはまた、ブルジョア議会制民主主義は、一方ではブルジョア支配の形態であると同時に、他方では労働者階級によって闘いとられ、確保されている民主的権利であり、政治参加の道であるということもできる。したがって、われわれが反独占国民戦線を背景とする大衆闘争と密接に結合し、その支持を得て闘うならば、この議会制民主主義は、ブルジョアの権力支配の道具から、われわれの解放の武器に変えることが十分可能となっている。特に、生産の社会化にともなって、大衆統治のために、広範な大衆の同意を必要とする今日の段階において、議会制民主主義をブルジョアのものから勤労者のものに闘いとる闘争は極めて重要といわなければならない。
したがって、われわれが追求する議会制民主主義は、その資本主義的制約を打破し勤労大衆が闘いとってきた歴史的遺産を受けつぎ発展させていくものである。すなわちこの議会制民主主義にあっては、生産手段の私的所有が廃止され、階級支配が消滅していくならば、本来の民主主義的原則が顕現されるのである。
したがって、われわれは社会主義的民主主義の下において議会制民主主義をその形式、内容ともに一そう完成させることができる。
二、日本の議会制民主主義の現状とわれわれの闘い
日本における戦後の保守党とその政府は、独占資本の復活と並行して議会の形骸化と、国民大衆の政治的自由の制限につとめてきた。
憲法に規定されている国権の最高機関としての国会の地位は、行政権優位の体制づくりによって事実上ゆがめられ、今や三権分立の名をもって国会の地位を名実共に引き下げようとする改憲の動きさえ公然化している。さらに保守党絶対多数の力によって、議会制民主主義の基本原理である審議と討論の原則が蹂躙され、代表民主主義の原則を具現する選挙は、選挙法の改悪と選挙過程におけるはなはだしい腐敗行為によって、国民の真の代表を議会に進出することを困難にしている。さらに国民の政治的自由は、各種の反動立法によって制限され、権力や経済力によって著しくゆがめられている。国民による審判の原則も議会制民主主義にとって欠くことのできない原則であるが、マスコミ、その他による大衆支配を通じて、国会における審議や討論の真実が国民に周知徹底されることはさまたげられ、いちじるしく制限されている。
したがって、議会制民主主義を擁護し、さらに国民大衆のための国会たらしめるためには、次のたたかいをすすめねばならない。
(1) 国権の最高機関たる国会の地位を引き下げる一切の策謀(三権分立論の逆用、委任立法の拡大、その他国会の機能を縮少し、行政機能を拡大しようとする諸制度)に反対すると同時に、国会の行政監査権を強化すること。
(2) 議会制民主主義の基礎をなす政治活動の自由等の基本的権利の制限を撤廃するとともに、満十八歳以上の男女に選挙権を与えること。
(3) 選挙法ならびに政治資金環正法を改正し、金権による選挙支配を打ち成って、国民がその代表者を正当に選ぶ権利を保障すること
(4) 議会の運営を民主化し、審議と討論の場とすると同時に、公聴会制度、請願を重視し、国民と議会を直結させること。
(5) 国民に議会の審議ならびに討論の事実を伝える手段を拡大すること。
支配層が意識的につくり出している政治的無関心状況を打破して国民の日常的な政治的参加をふだんに高めること。
(6) 官僚制の打破
特にこの際、議会制民主主義の擁護と発展のために、官僚制打破の重要性を強調しなければならない。
官僚は、戦前には天皇の官僚として、資本主義の発展の中で重要な役割を果して来たが、今日においても、独占資本と癒着して国家権力の行使に大きな力を発揮している。彼らは、政治の中枢を握るため、自民党国会議員として大量に進出し、現役官僚群を背景として党内で有力な地位を占め、これを指導し、議会や内閣にその影響力を確立している。そして膨大な機構と専門知識を利用して、立案過程で主導権を握り、予算編成の実権を掌握し、さらに議会操作を行なって、その意志を貫徹している。
したがって、議会制民主主義の確立のためには、同時に以上のような意味での官僚制の打破なくしては、その民主性を貫くことはできない。
議会制民主主義が、独占資本にとって、譲り得る最後の政治形態であることを考えれば、民主的改造や社会主義革命の過程で、議会闘争と院外における大衆闘争との密接不可分な結合こそが最も重要なわれわれの闘争形態でなければならない。議会闘争は、大衆闘争によって一層勇気づけられるのである。そして議会の内外において、われわれが多数派を獲得し、さらにこれを安定することができるならば、われわれは社会主義権力をうちたて、議会をして、真に国民のための、国民による、国民の代表機関、すなわち社会主義的民主主義による議会制民主主義制度を確立することができる。
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