*日本における平和革命の必然性を、初めて体系的に述べた論文。初出は『世界文化』1946年9月号。ここでの底本は向坂逸郎『日本革命と社会党』(1972 社会主義協会)。文中の傍点は太字。長文のため3ページに分けて掲載。
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一
人のよく知っているように、『共産党宣言』第一章のへき頭の文句は「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」というのである。のち、エンゲルスはこの「今日までのあらゆる社会の歴史」という一句に注を付して、これは「正確にいえば、文書をもって伝承された歴史」の意味であると説明している。いまはなにゆえにこのような注が必要になったかをのべる必要はない。わが国の今日の社会が、敗戦の結果、いかに変貌しようと、いぜんとして資本制社会であるならば、『宣言』の著者たちはそれが階級社会であること、したがって、この社会の歴史が階級闘争の歴史であることを確認するであろう。
エンゲルスは「マルクス送葬の辞」のなかで、「ダーウィンが、有機的な自然の発展法則を発見したように、マルクスは、人間の歴史の発展法則を発見した。その法則とは、観念がしげりすぎたため、いままで覆いかくされていた、簡単な事実である。すなわち、人間は、政治、科学、芸術、宗教等にたずさわるまえに、なによりもまず、食い、飲み、すまい、また着なければならない。したがって、直接的な、物質的生活手段の生産が、それゆえ、ある国民、またある時代の、それぞれの経済的発展段階が土台となり、そして、その人々の国家制度も、法律思想も、芸術も、さらに宗教的観念さえ、この土台から発展したものである。だからまたこれらのものは、この土台から説明されなければならないもので、−−けっしてこれまでやっていたように、これを逆にしてはならないのである」(『マルクス・エンゲルス選集』、新潮社版、第一二巻、二四九頁)。
階級闘争によって歴史を説明しようという思想は、マルクスの独創ではなかった。彼以前に、ギゾーやミニエやティエリなどのフランスの歴史家たちによって試みられた。マルクスの思想の特色は、階級の成立を社会の物質的生産における人びとの地位とむすびつけ、労働の搾取者と非搾取者の対立の必然をみちびき、したがって階級利益と階級意識の対立の必然をあきらかにしたところにある。歴史上のすべての社会に階級と階級闘争が存したのではない。原始的共産体の崩壊とともに階級の歴史がはじまるのである。また、いつかきたるべき社会主義の社会においても、階級とその闘争は消滅していくと予想される。
社会の物質的生産における人びとの地位が、対立の関係にある社会においては、マルクスによればつねに階級と階級闘争が存する。社会の物質的生産力が発展するにしたがって、それはこの社会における階級構成と衝突するにいたる。すなわち搾取者階級は、搾取者としての利益を固執することによって、物質的生産力の発達を抑圧するものとなり、被搾取者階級は、当該社会構造のもとに存するかぎり窮乏するという事実をとおして、生産力発達を表白するようになる。そしてこの階級は、階級として窮乏からまぬがれようとすることによって、すなわち、階級闘争によって、この生産力の発達をになう階級たるの実を示すようになる。かくして、階級闘争において支配的な保守的階級と被支配者ではあるが進歩的な階級とが存することとなる。
資本主義的生産方法は、かかるアンタゴニズム(注1)を包含している。したがってこの社会の歴史的発展は、階級闘争による以外にはおこなわれえない。階級闘争の頂点は社会革命である。この社会は、社会革命による以外には、社会自身の内包せる矛盾を解決しえない。
社会革命とはなんであろうか? 「経済学批判」の有名な序文のなかで、マルクスは「社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、自分がそれまでそのなかで動いていた現存の生産諸関係と、あるいは、その法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾におちいる。これらの諸関係は、生産諸力の発展の形態であったのに、それをしばりつけるものに変る。こうして社会革命の時期がはじまる。経済的基礎が変化すると、それとともに、巨大な上部構造全体が、ゆっくりと、またはすみやかに変革される。」(『マルクス・エンゲルス選集』、新潮社版、第七巻五四頁)云々と。これによれば経済的基礎の変化は、社会革命の原因ではあるが、社会革命そのものの主内容ではない。社会革命の主内容は政治的変革である。生産力と社会的諸関係の矛盾は階級間の闘争となってあらわれる。階級闘争には無数の形態がある。工場の湯呑場を清潔にする要求から、賃金値上げのストライキ、一般的政治的大衆罷業、武装蜂起にいたるまである。哲学上の論争から革命的内乱にいたるまである。階級闘争は、絢爛たる絵画のなかにもあれば、ドラ声をはりあげる選挙演説のなかにもある。しかし、それが社会階級間の闘争であるからには、力の問題である。守旧的階級が現存社会を維持せんとする最後のよりどころは権力である。したがってまた、進歩的階級はこの権力を奪取することによってのみ、新たなる社会に進入しうる。だから社会革命の中核は権力の移動である。権力が支配的であった階級から被支配的であった主要階級に移行すること、これが社会革命の根本的事実である。いわゆる政治革命が社会革命の土台をなしている。そして政治革命はマルクスのいわゆる「急激」に変化する革命に属する。なぜかというに、国家権力というものの性質上一定の時点において、一方から他方に決定的に移行することなくしては、権力として用をなさないからである。権力は、多かれ少なかれ、一方の階級が他方のそれを抑圧するためにしか存在しない。したがって、権力は権力であるかぎり、いずれか一方の階級に決定的に所属しなければ意味をなさない。対立するいずれの階級にも所属する権力は権力ではない。権力としての用をなさないからである。抑圧を意味しない権力はない。ここでいう権力とは国家権力のことであるが、なんらかの意味で階級的抑圧を意味しない国家権力はない。社会主義の国家においても、いやしくも国家が存在し、国家権力の行使のあるかぎり、階級的抑圧はある。被支配者から支配者になった階級が、支配者から被支配者となった残滓にたいして、権力を行使するのである。国家権力の消滅も、この残滓の消滅にかかっている。ここでは新たなる支配階級は、生産手段の社会有という基本的な構造によって、階級の消滅ということをもって、その歴史的階級的性格としているからである。ここになお残存する権力の消滅は、政治的革命をもはや必要としないのである。
資本制社会においては、このことは異なっている。ここでは、支配階級は生産手段の私有によって、階級自体の存続と維持をその階級利益としている。したがって、さきにのべたように、なんらかの意味で多少とも強力的な権力の移行、政治革命の必然がある。
プレハノフ(注2)は「自然と歴史における飛躍」という論文のなかで、漸次的に累積される量的な変化が、ついに質的な変化に移行し、この移行は「飛躍」という形態でおこなわれるものであって、それ以外には存しえないことをのべている。彼はヘーゲルによってこう論ずる。あるものの成立が漸次的にのみおこなわれるという考えの基礎には、その成立するものが、成立する以前に存在するという考えがある。それはあるものの成立が量的な変化としてのみ考えられているからである。かくて成立を漸次的のものとしてのみ考えるということは、成立すべきものをすでに成立せるものとして予定するという不合理を犯すことになる。すなわち、これは、成立すべきものが現実に、いわば顕微鏡的に存在すると考えるのである。すでに成立せるものが成立するというのは、無意義であるというのである(プレハノフ『マルクス主義の根本問題』ドイツ語版、一一三−一一四頁)。
社会的発展の研究においても、この論理は明記されていなければならぬ。われわれは「飛躍」を考えることなくして、発展を考えることはできない。革命はすなわちこの飛躍なのである。歴史的発展において革命はこのような意味をもっている。階級社会の歴史は革命なくして考えられない。そして政治的革命は、もっとも鮮明なる「飛躍」である。
二
フランス革命も、一九一七年のロシア革命も、わが国の明治維新もかかる革命である。革命には幾多の形態がある。それは階級闘争に幾多の形態があるからである。そして革命はかかる階級闘争の一定段階におこる「飛躍」であるからである。
今日平和的な革命ということがいわれている。社会革命は平和的におこなわれうるものであろうか? 明治維新は平和的な革命であったとよく人にいわれる。はたしてそうであったろうか。なるほど政治的権力はほぼ平和的に徳川の手から奪取された。しかし、弘化から明治一〇年にいたる期間に流れた血が少なかったといえるかどうか?しかしこれが平和的な革命であったとして説明され、いちおう人びとがそう思いこんだところに人びとの心理の不可思議がある。政権の移行は平和的におこなわれた、しかし、それが準備され固定するまでには相応の流血があり、内乱があった。それにもかかわらず、これを平和的な革命と教えこんで、ある程度の成功をうるというところに興味ある問題がある。いまはこの問題にかかわるいとまがない。ただ一つ注意すべきは、政権移行の平和の背後には、薩長土を中心として武力ないし強力が存したということである。この圧力のもとに「平和的な」権力の移行がなされたのであった。それは、勝利者の側に圧倒的な力の表示があり、敗者の側に多大の被圧迫感と抵抗意識、絶望感、恐怖などが存したことを十分に推測せしめる。しかもなお、これは歴史上の「平和的な」事件なのである。
ふたたび問う、平和的な社会革命は可能であろうか? 私は可能であると思う。
マルクスは一八七二年第一インターナショナルのハーグ大会の後、そのアムステルダム支部主催のもとに開かれた公開の集会で演説した。そのなかで彼はこうのべている。
「労働者は、新しい労働の組織を築きあげるために、いつかは政治的権力をその手中におさめなければならない。労働者は古い諸制度を支えている古い政権を倒さなければならない。もし彼がこのことをゆるがせにし、軽蔑したいにしえのキリスト教徒のように、『地上の王国』をすててしまおうとは思わないならば。
しかし、われわれはかかる目的に達するための道程が世界中のどこにおいても同一であると主張したのではない。
われわれは、それぞれの地方の制度、習慣、伝統を顧慮しなければならないということを知っている。またアメリカやイギリスのように−−そしてもし私が諸君の国の諸制度をもっとよく識っていたならば、多分オランダをそれにつけ加えるであろうが−−労働者がこの目的を平和的な道程によって達しうる国があるということを否定するものではない。しかしながら、かかる場合すべての国々にあてはまるわけではない……」(『マルクス・エンゲルス全集』、第七巻の三、五三六頁)。
このマルクスの演説は、『フォルクスシュタート』一八七二年一〇月二日号所載によって訳出したのであるが、同紙の編集者の記すところによると、これはブリュッセルの『リベルテ』から転載されたものであって正確ではない。この演説はシュテクロフの『第一インターナショナル史』の二三九頁以下(英訳)にもあり、これはルドルフ・マイエル(注3)の『第四身分の解放戦』第一巻、第二版一五九頁以下によったものであるらしい。そこで、マイエル所載のものと先の『フォルクスシュタート』所載のものとを対照してみると、多少文章に相違はあるが、ここに必要な個所に関するかぎり、内容は同一である。
これと同様のことをエンゲルスも一八九一年にのべている。ドイツ社会民主党のいわゆるエルフルト綱領(注4)(一八九一年)の理論的部分は、カール・カウツキーによって起草されたものであるが、あらかじめエンゲルスの意見が求められ、この意見にしたがって訂正されてエルフルト大会提出の草案となった。このエンゲルスの忠言のなかには、いろいろの興味深い問題が論ぜられている。そのなかにこういう一句がある。
「国民代表が一切の権力をその手に集中しているような、また人々がその背後に国民の多数を有する場合は、いつでも憲法にもとづいて思うままのことができるような諸国において、旧社会が平和裡に新社会に成長していくものと考えることができる。すなわち、フランスとアメリカのごとき民主主義的共和国においては、また宮廷をいまにも買収しようとするようなことが日々新聞紙上で論ぜられ、そしてこの宮廷が民意に対しては無力であるイギリスのごとき君主国においてはそうである」(『マルクス・エンゲルス選集』第九巻、新潮社、一六三頁)。
これらの引用文によって知ることができるように、マルクスとエンゲルスも、一定の条件のもとにおいては資本主義社会の来たるべき社会への転化が、平和的に可能であると考えていたといってよい。問題は、いかなる条件のもとにおいて、このような「平和的な」社会変革が可能になるかということにある。エンゲルスの右の一文のなかには、「国民代表が一切の権力をその手に集中しているような、また人々がその背後に国民の多数を有する場合は、いつでも憲法にもとづいて思うままのことができるような諸国において」という条件のもとに、新社会への平和的移行が可能になると考えられている。
これを逆の方面から補足するならば、政治的な権力がなお資本家階級の手中にあるとしても、ミリタリズムや官僚制度や警察力の暴圧が不可能にされているということである。わが国の今日において、このような諸条件が存するであろうか? 第二に国民代表が一切の権力を手中におさめているだろうか? 今日すでに確固としてこのような制度が存しているとはいえない。しかし、このような諸制度確立の可能性は十分に存している。現在わが国の勤労大衆のあいだにおこりつつある民主主義確立のための運動の前には、幾多の難関が存しているであろうことは推測されるが、その成功の見通しは存する。支配階級の巧妙な妨害方策を破砕して、政治的にもまた経済的にも、民主主義の確立の方向への強大な要求と動きとの厳存せることは否定すべくもない。今議会(注5)の最大の問題である憲法の改正においては、民主主義をできるだけ狭い限度にとどめようとする支配階級の意図と、これをできるだけ拡充しようという民衆の意図とが争っている。いわゆる「主権在国民」と称して天皇をも「国民」の概念をもって包括せんとするのは、民主主義的態度をよそおう支配階級の迷彩でしかない。相互に根本的に差別のある「民」の存在は民主主義の本質にはない。支配階級はこのことを許容するつもりであろうか。天皇が「民」たりうるためには、天皇を「天皇」たらしめている条件が取除かれなければならない。あらゆる「民」が「民」の大多数の意志に服しなければならぬと同様に、天皇が「民」たりうるには天皇もかかる条件に服しなければならぬ。この意味で主権が人民にあることは、民主主義憲法の本質に属する。
もちろん、宮廷の存することは、ただちに政治が民意によって決定されないことを意味しはしない。問題は国民代表が一切の権力を掌握しうるかどうか、人々が背後に国民の多数を有するばあいに、かかる意志を実現しうるかいなかにかかっている。一九世紀末のイギリスの宮廷のように、宮廷を買収してはどうかというようなことが、新聞紙上で論ぜられえ、したがって宮廷が民意にたいして無力であるばあいにおいては、君主国においても事態はきわめて明白である。問題の要点は国民代表の手に権力が集中しているかいなかにあるのである。このことから目をそむけてはいけない。新社会への平和的変革の見通しは、大づかみにいえば、かかる制度が確立されるかいなかにかかっている。
ミリタリズムの存在も、国民代表の力がこれを支配しうるかいなかにかかっている。ミリタリズムが一つの強力な権力をなしていたわが国の政治においては、社会発展の前途は暗たんたるものであった。ミリタリズムは彼自身の暴政によって倒れた。敗戦は日本国民に窮乏と苦悩をもたらした。しかし、ミリタリズムの倒壊は、国民の心に、どんなにあかるさをもたらしたことであろう。ミリタリズムを再生しえないまでに、制度のうえにおいて、国民の心情において、払拭(フッショク)しつくすことは、祖国を愛し、祖国の文化的発展と平和とを願うものの義務であろう。官僚制はなお存している。しかしその崩壊は可能になっている。
私は、わが国の官僚制度をただちに封建的性質としてかんたんに規定せんとするものではない。明治初年において官僚制度が絶対主義残存物の道具であったことはたしかである。また、それ自身旧封建的家臣によって多分に封建的に構成されていたこともたしかである。それ以後今日にいたる資本主義の発達は、この制度の性質を変化させないでおかなかった。近代的官僚組織の特質はつぎのことにある。官僚制は行政技術の特殊技能によって構成され自動的な機関の観を呈している。その構成員の大部分は、近代的知識階級に所属する。したがって、一方においては、無所有なる勤労者的な社会的性質をもつとともに、他方においては、特殊行政機構に精通する特殊技能者なる特権意識をもつ所有者的性格を保有している。官僚団のこの両棲的性質と自動機関的性質とが、彼らをしてあらゆる政党政派のうえにある中立的存在なるかのような錯覚をおこさせる。しかもこの機関は権力を遂行するものである。かくて、官僚の独善的意識は、政治の専制的傾向と容易にむすびつきうる。この一〇数年のあいだ支配的であった官僚のファシズム的傾向は、ここに社会的根拠をもっている。
官僚制は階位制的に構成されている。なんらイニシアティーブをもって、ことを処することなくして、彼らには年限とともにしだいに階位をたかめていくことができる。ここに官僚の守旧性と固定性とが育成される。
彼らは守旧的である。しかし、これが全性質をただちに封建的反動性とみることはできない。彼らがファシズムとしてあらわれたところに、意味のあることを考えなければならぬ。彼らは封建的武士団に帰らんとするという意味において反動者としてあらわれたのではなくして、帝国主義の時代に、金融ブルジョアジーの利益を代行せんとするという社会的意味において反動的であったのである。イタリーのファシストもドイツのナチスも、わが国の軍部および「官僚ファッショ」も、この点においてはその歴史的性格をおなじくしている。
わが国の官吏は、美濃部達吉氏の『行政法』によれば、「臣民としての義務に基づいてではなく自分の自由意思に基づいて国家の特別な選任行為に依り国家に対して忠実に無定量の勤務に服すべき合法上の義務を負ふ者である」(一一四頁)と法律学的に規定されている。この点において、官吏は封建的武士と異なっている。国家は原則として本人の意見に反して彼を官吏たらしむることをえないが、封建的武士は、彼自身の意思に反しても世襲的に武士とならなければならなかった。官吏は国家にたいして人身的に隷属するものではない。封建武士が領主にしたのと異なっている。同時に楯の反面がある。官吏には、世襲的な生活の保証はない。したがって支配階級にたいして個人的に勤労を提供する契約をつうじて、勤労の代償によって生活するほかはない。彼らは生産手段の所有者ではない。この点において、彼らは一般俸給生活者たる側面をもっている。この側面の露出は、ながいあいだ彼らの特権意識によってさえぎられていた。
官僚制をゆり動かす力も成長しつつあった。それは資本主義自身の発展が、一方において知識の普及をつうじて官僚の特殊技能によるギルド意識を破砕するとともに、近代プロレタリアートの運動を発達させ、これによってこの特権意識の面皮をはぎ、その俸給生活者たる側面を露出させたことであった。要するに、官僚制を崩壊せしめるものは民主主義の浸潤である。
敗戦は急激に民主主義を台頭させた。社会状態の激変は官僚意識をゆり動かしている。インフレーションと生活の不安は、彼らの特権者的独善的幻想を打破している。冷酷なる事実が彼らにその本来の俸給生活者的性質への反省を強いている。彼らの位階が一片の紙片であり、彼らの勲章が一かけらの金属片にすぎないことを学びつつある。かくして近代民主主義は二つの方面から官僚制の崩壊をみちびくであろう。一つは、人民の代表機関が真実に政治をその手中におさめることによって、官僚をその本来の行政技術家とし、人民のうえに存する自動的独立的権力国たる性格を喪失せしめるであろう。これはいわば外部からする官僚制の崩壊である。他方において官僚制は内部から崩壊するであろう。それは官吏、とくに中下級官吏の近代的俸給生活者たるの自覚である。彼らの生活の不安と民主主義的大勢の刺激とは、彼らをして近代的組合運動と結合させる。それは官吏を広範な全社会の民主主義的運動にむすびつけるものであって、官僚制を内実からおびやかすものである。官僚制崩壊の可能は現実となりつつある。警察制度の民主主義化も、ほぼ官僚制一般についてのべたところによってあきらかである。社会に民主主義の確立するとともに、人民の代表機関による警察の支配が可能となる。同時にこの制度そのものの内部機構の改革もおこなわれんとしている。
古風なサーベルが近代風の棍棒にかわったことは、たしかに一つの変化である。しかし、それが真実に近代民主主義の警察制度への浸透を象徴するかいなかは将来のことに属する。その可能性のあることは否定しえない。かくして、「国民代表が一切の権力をその手に集中しているような、また人々がその背後に国民の多数を有する場合にはいつでも憲法にもとづいて思うままのことができるような」国になる可能性がある。それはまだ確固たる現実性とはなっていない。それはまだ固定的現実とはなっていない。しかしたしかにその可能性はある。したがってまた、このことの反面であるミリタリズムはそれ自身の暴虐によってたおれ、官僚制の崩壊も可能となりつつある。警察が民主主義化される可能性もある。かくてわが国に平和的な社会革命の可能性は存するといわなければならぬ。
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