歴史的法則について(3)
五
エンゲルスは、さきにのべたように、平和的革命のおこなわれうる条件として「国民代表が一切の権力をその手に集中しているような、また人々がその背後に国民の多数を有する場合はいつでも憲法にもとづいて思うままのことができるような諸国」であることをあげている。このような「諸国において旧社会が平和裡に新社会に成長していくものと考えることができる。すなわち、フランスとアメリカとのごとき民主主義的共和国においては、また宮廷をいまにでも買収するということが新聞紙上で日々論ぜられ、そして宮廷が民意に対しては無力であるイギリスのごとき君主国においてはそうである」というのである。これに反して「政府がほとんど全能であり、帝国議会とすべての他の代表機関とが実際上権力のないドイツにおいて」右のようなことを宣言するならば、それは欺瞞であるとしている(前掲書、一六三頁)。
要するに平和的な社会革命の遂行にたいする条件は、資本主義的社会における民主主義の確立ということである。他方においてエンゲルスは、民主主義的共和国をもって階級闘争の消滅した国であると考えていない。たとえば、彼はその著『家族・私有財産および国家の起源』(一八八四年)のなかで、「……民主的な共和国……。プロレタリアートとブルジョアジーとの最後の決定的闘争が、そこでのみ闘いぬかれうることができる国家形態なのであるが」(『マルクス・エンゲルス選集』、新潮社版、第九巻、一二九頁)とのべている。われわれがさきに論じたように階級闘争を考えると、この民主主義的共和国において「闘いぬかれうる」階級闘争は、さきにのべたような意味で「平和的」でありうるのである。かくして、「無産階級の革命独裁」という階級闘争の形態も、「平和的」な形態をとることが可能であると考えられているのであろう。そうでなければ、エンゲルスがエルフルト綱領草案にたいする忠言のなかで、「民主主義的共和国は無産階級独裁のための特殊なる形態ですらある」とのべていることは理解できない。この最後の一文でみられるように、エンゲルスは「平和裡に新社会に成長していくものと考え」られる民主主義共和国が同時に、「無産階級独裁のための特殊なる形態」であると考えているからである。したがってマルクス、エンゲルスは彼らの思惟方法の当然として、「無産階級の独裁」を固定して動かしがたい概念であると考えていない。そこには幾多の形態が存しうると考えている。そして一定の条件のもとでは、それが階級闘争の「平和的」と考えうる形態をとることを除外しないのである。
レーニンもまた、このように考えているものと理解される。
さきに引用した一文のなかで、彼はブルジョア諸国の形態はきわめて多様であるが、その本質は同一であって、あらゆるブルジョア国家がブルジョア階級の独裁であるとのべている。もっとも民主主義的な共和国においても、資本家階級と労働者階級があり、一方は他方を搾取することなくして存立しないとすれば、両階級のあいだに階級闘争があることは当然である。したがってまた、国家権力が存し、それが階級的独裁の形態をとることも当然である。だからこの社会につねに両階級間に武力闘争があると考えるのは常識を逸脱している。かかるもっとも民主主義的な社会においては、もっとも強力的な強力の行使は、その制度そのものによって排除されうると考えられているのである。しかしなお、これが階級独裁であることにかわりはない。
レーニンは一九一七年のロシア革命の一定期間に、「全革命に対して前進発展の平和的な途を開き、また確保した・・・」とのべているが、このばあいに彼は「無産階級の革命的独裁」の思想をどこでも否定していない。ここでも独裁の概念に武装蜂起や武力的内乱がかならず付随するものと考える理由はない。
一九一七年のロシア革命とともに「独裁」の問題について、レーニンとカウツキーのあいだに猛烈な論争がおこなわれた。「プロレタリア革命と背教者カウツキー」というレーニンの著作は、この論争の産物の一つである。この小冊子のなかでレーニンはこうのべている。
「ソヴェトは、プロレタリア独裁のロシア的形態である。もしプロレタリアートの独裁にかんする労作を書くマルクス主義的理論家が、この現象をほんとうに研究したのなら(そしてカウツキーのやっているように、メンシェヴィキ的メロディーを歌いなおして、独裁反対の小ブルジョア的歎声をくりかえすのでなければ)、その理論家は、まず独裁の一般的規定をあたえ、つづいて独裁の特殊な民族的形態、すなわちソヴェトを考察し、プロレタリアートの独裁の一形態としてのソヴェトを批判したであろう」(『レーニン全集』、大月版、第二八巻、二七二〜二七三頁)。
またこの小冊子の他の個所では、「搾取者から選挙権をとりあげる問題は、純ロシア的な問題であって、プロレタリアートの独裁一般の問題ではない。」「われわれは、コンミューンの実例を知っている。………この資料にもとづいて、私は十月変革前に書いた私の小冊子『国家と革命』のなかで、たとえば民主主義と独裁の問題を分析した。選挙権を制限する問題については私は一言も述べなかった。いまもまた、選挙権制限の問題は、独裁のある民族に特殊な問題であって、独裁の一般的な問題ではない、と言わなければならない。選挙権制限の問題は、ロシア革命の特殊な条件、ロシア革命の発展の特殊な条件、ロシア革命の発展の特殊な道を研究するときに、これを取りあつかわなければならない」(前掲書、二七〇、二七一頁)等等と論じられている。これらの言説はあきらかにレーニンが「独裁」の概念に十分の弾力性をもたせているのを示している。それはまた彼の思惟方法の当然の帰結である。
一九一七年のロシア革命の例が少しも一般的形態であると考えられていない。また無産階級の独裁には、きわめて武力的な、また最高度に強制的な形態から、きわめて緩和され、「平和化」された形態まで存することを、独裁の政治的形態であるソビエトにたいする選挙権制限の問題における考え方が示している。
このようにして、マルクスやエンゲルスやレーニンにおいては、社会革命の「平和的」な進展と「無産階級の革命的独裁」とのあいだには、なんらの矛盾の存しないことを知るのである。
しかし平和的な無産階級独裁とはどういう様相のものであろうか? このことを考察するのは不可能に近い。われわれは歴史上まだ民主主義の確立を前提条件として成立した「無産階級の革命的独裁」の例をもたないからである。無産階級の独裁は、いうまでもなく、階級闘争の一形態である。いかなる状態であれ、それは階級間の闘争である。闘争である以上平和ではない。したがって、われわれが「平和的」というのは、より非平和的なるものにたいしていうのであって、かかる相対的な概念である。
最高度に民主主義の確立した共和国においても、二つの基本的な階級は存在し、搾取と非搾取の関係はある。このことなくしては、この社会(資本制社会)は存在しえないからである。この社会において、いかに民主主義が確立していても、だれも知らぬまに社会主義社会になっていたなどということを考えるわけにはいかない。モリスやベラミーのような理想境小説ででもないかぎり、そう自由に社会的転換を処理するわけにはいかない。「権力の問題があらゆる革命の根本問題であることを忘れてはいけない」(レーニン)。階級闘争の一定の段階において、社会主義的傾向が「その背後に国民の多数を有する」にいたったとする。そして、その社会の対外的、対内的諸関係、支配階級の状態が、社会主義者をして、したがって、プロレタリアートをして、権力の問題を問題としうるにいたらしめたとする。端的にいえば、プロレタリアートが政権を掌握しうる状態が成立したとする。しかもこのようなばあいにも、相手の支配階級がまったく無気力になったというような好都合なばあいは考えられない。そしてもし、そのショックや摩擦のゆえに、被支配階級が権力をうることを遠慮することはありえない。それは十分に意識的な社会主義者であるからである。少なくとも、その指導下に結集した国民の大多数であるからである。
このようにして闘争は、一定段階において権力掌握のための闘争となるであろう。ここで社会革命の段階にはいるのである。社会革命は権力奪取の闘争であるから、漸次的ではない。一つの「飛躍」である。しかし、ここでは仮定にしたがって、民主主義の十分に確立せる社会であるから、社会革命は「平和的」に遂行されるであろう。しかもなお、さきにのべたところにしたがって無産階級は独裁を樹立する。すなわち、奪取した権力は旧支配階級にたいしてなんらかの程度の権利の制限として使用される。独裁はなんらかの程度における旧支配階級の抑圧としてあらわれる。これによって、旧支配階級の社会主義建設を妨害せんとする試みを破砕する。旧支配階級の再起運動を抑制する。さらにおそらくは、旧社会の物質的土台と精神的残滓とを死滅せしめるまでには、権力の相当長期間にわたる活動が必要とされるであろう。
このような事態を予想しない社会革命は、現在においてわれわれの考えうるところではない。社会革命は「平和的」に遂行されるかもしれない。しかし、それは「平和的」と名づけられるにもかかわらず、階級闘争であることを忘れるべきではない。「革命的独裁」が存せざるをえないゆえんである。エンゲルスのいうように、民主主義的共和国は平和的社会革命を可能にするにかかわらず、そこで無産階級とブルジョア階級とのあいだに最後の決戦がたたかいつくされる国家形態である。
六
民主主義制度の確立は階級対立を緩和して、社会主義社会の実現を遅らせるものではないかという質問を受けることがしばしばある。私はそうは思わない。なるほど武力闘争を遠ざけるという意味において、階級闘争はおだやかな形態をとるかもしれない。その意味で個人的ヒロイズムは消失するかもしれない。しかし、相対立する両階級の団結せる力と力の抗争は激化するであろう。民主主義は搾取の存続を否定するものではない。搾取の強化を除くものではない。恐慌と大衆失業、産業予備軍の増大を防ぎうるものではない。プロレタリアートの窮乏にたいしてなんらの保障をなしうるものではない。すべて資本主義そのものの有する根本的な矛盾を止揚しうるものではない。階級闘争の方法は変化するであろうが、階級闘争が社会革命の段階に高揚するのを妨げるなんらの理由も存しない。
民主主義の確立は、かならずしも社会主義の実現を、手をこまねいて待つがごとく容易ならしむるものではない。労働者階級が組織化され、団結するとともに、資本家階級も団結力に依頼する。両者のたたかいはさほど容易に決せられるべきものではない。
支配階級の闘争方法は巧妙になるであろう。金銭をもってする買収方策や、分裂政策や、プロレタリアートの党の孤立政策や、議会その他の国民代表機関の腐敗政策、等等はいわば支配階級の民主主義的闘争方法である。改良主義の助長によって革命的党派を無力化することもできないではない。
最後に、エンゲルスが「家族・私有財産および国家の起源」のなかでのべたように、所有階級は、普通選挙権によって、民衆を直接に支配する。教育言論の機関を独占せる支配階級の民衆にたいする精神的影響力は、かんたんに撃破することのできるものではない。普通選挙は容易に支配階級の民衆支配の手段となりうる。しかし、労働者階級が成熟するにしたがって、彼らはそれ自身の真実の代表者を選ぶようになる。この意味で「普通選挙権はこうして労働者階級の成熟の尺度である。それは今日の国家の中でそれ以上であることはできないし、それ以上ではないであろう。しかしそれでも十分である。普通選挙権の寒暖計が労働者の間で沸騰点を示す日には、労働者も資本家も、どこに彼等がいるのかを知る」(「家族・私有財産および国家の起源」、新潮社版、『マルクス・エンゲルス選集』、第九巻、一二九頁)。
無産階級は、民主主義の確立によって、このようにかならずしも安易なる地位におかれるのではない。しかし、この制度の確立によって、彼らに政治、経済、その他一般文化の各部面にわたって、参加する可能性が与えられる。そのかぎりにおいて、無産階級はしだいに資本主義社会を見渡すことを学び、この社会における自己の歴史的地位と使命を知るであろう。かくして、無産階級の社会主義社会への成熟が早められるであろう。そして実現した社会主義の完成は、民主主義の確立せる社会におけるほど急速で容易であると考えられる。
(1) 敵対性、対立・反目関係をいう。
(2) 一八五六年生。ロシアにおける初期マルクス主義運動の重要な理論的指導者。第二インターナショナルの創立に参加し、レーニンと協力したが、一九〇三年ロシア社会民主労働党分裂ののちメンシェビキとしてソビエト政権にも反対。一九一八年フィンランドに客死した。
(3) 一八三九〜一八九九年。ドイツの経済学者、ジャーナリスト、最初ビスマルクの政策に反対して亡命したが、のち保守的な立場にかわった。「第四身分の解放戦」は一八七二年から七四年にかけて書かれた。
(4) 一八九一年一〇月、エルフルト大会で採択された、ドイツ社会民主党の綱領であって、それ以前の綱領(ゴータ綱領)のラッサール主義的要素を除き、マルクス主義政党としての社会民主党の理論と実践的課題をあきらかにしたといわれる。しかし重要な国家権力の問題に不十分な点があるとして、エンゲルスは「エルフルト綱領批判」をあらわした。
(5) 帝国議会(昭和二一年六月二〇日〜一〇月一一日)。この議会に日本国憲法案が上提され、一〇月七目、衆議院を通過した。
(6) ロシアの一九一七年二月革命によってできた臨時政府の首相。反革命的な役割をはたしたため、一〇月革命によって失脚、亡命した。