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                       U ソ連東欧社会主義崩壊総括の視点

 
 ソ連東欧社会主義崩壊総括の視点について、協会事務局長の山藤彰さんが『社会主義』六月号で、三点提起されています。
一、ソ連東欧はどのような社会主義だったのか
二、ソ連東欧の崩壊がマルクス・レーニン主義そのものの誤りに起因していたのか
三、社会主義協会はどういう点を自己批判するのか
この提起に従って、考えてみたいと思います。
 
 まず、ソ連東欧はどのような社会主義だったのか、ですが、これについては山崎耕一郎さんが『社会主義』六月号で、ソ連東欧は社会主義であった、ソ連社会主義は成果もあった。ブレジネフ体制時代に崩壊が準備された、という三つの視点を出されています。現時点では、討論の細部はともかく全体としては山崎さんの視点で協会内の意見がほぼ一致しているのではないでしょうか。
 次に、ソ連東欧崩壊とマルクス・レーニン主義の関係です。ソ連東欧社会主義崩壊はマルクス・レーニン主義に原因があったのか、マルクス・レーニン主義からの逸脱か、ということです。これについては、ソ連東欧社会主義崩壊は、マルクス・レーニン主義の崩壊である、という側面と、それからの逸脱である、という両側面があると思います。ソ連東欧はマルクス・レーニン主義に忠実であろうとしたのは、事実だからです。
 
 ここで考えたいのですが、マルクス・レーニン主義とマルクス主義は同義なのでしょうか。マルクス・レーニン主義という用語自体が基本的にスターリンによって作られたものであり、マルクス・レーニン主義は事実上はスターリン体制を擁護する理論でした。また、六月号でも述べたのですが、社会主義協会はマルクス・レーニン主義者の集団たりうるのでしょうか。ソ連は一貫して協会をマルクス・レーニン主義者の集団とは認めませんでした。もちろん、ソ連が認めないからマルクス・レーニン主義ではないというのはそれ自体がソ連を基準とした思考様式であり、ソ連の見解にかかわらず、自分たちはマルクス・レーニン主義者であると自己規定する立場はあり得ます。ただし、その場合のマルクス・レーニン主義はソ連でいわれていたマルクス・レーニン主義とは異なることを自覚する必要があると思います。念のために述べておきますが、マルクス・レーニン主義という用語を用いないことは、もちろんレーニンに価値がないことを意味しません。
 
 たとえソ連の崩壊がマルクス・レーニン主義の崩壊であったとしても、労農派マルクス主義は歴史的にソ連型マルクス・レーニン主義に対立する中から形成されており、労農派マルクス主義の崩壊ではない、と私は考えます。社会主義への道は多様であり、崩壊したのはマルクス主義のかなり大きな部分ではあってもその中の一つにすぎません。「マルクス・レーニン主義そのものの崩壊」は「社会主義協会それ自体の崩壊を意味します」という山藤さんの発言(『社会主義』六月号)には、私は疑問があります。マルクス・レーニン主義も社会民主主義も、その他文革期の毛沢東思想、チュチェ思想、トロツキズム、空想的社会主義などもいずれも社会主義の一部であると私は考えます。そして、社会主義思想であればすべて正しいのではなく、その中で実践と歴史の検証を受け正しさが証明されたものが、後世に残っていくのではないでしょうか。
 
 三番目に、協会は何を自己批判するのか、です。山藤さんは協会がソ連を礼賛した理由として、やはり六月号で、搾取の廃絶・社会主義の優位性の実現、社会主義者として社会主義体制に連帯する立場をとることは当然、社会党から科学的社会主義路線を排除するにあたって、反ソ反社会主義キャンペーンが徹底的に利用された、の三点を挙げておられます。
 私の考えでは、最初に自己批判すべきなのは、実証的、歴史的な社会主義研究の軽視です。ソ連を社会主義の唯一の基準としたことが、理論の単純化、硬直化をもたらしました。『現代資本主義と社会主義像』のように実証研究の芽はあったが、内部で摘み取られてきたのではないでしょうか。
 
 次に、社会主義体制への連帯を、ソ連・東独への連帯に単純化したことです。これには、プロレタリア国際主義の問題や中ソ対立、ユーゴスラビアの評価が含まれます。
 三つめに、ソ連型マルクス・レーニン主義の組織論を機械的に社会党内に持ち込んだことです。これは、すべてが悪いのではなく、支部を基礎とした党組織論の確立や機関紙の重視など肯定的側面もあったと思います。しかし、党内闘争論の単純な持ち込みや党の「純化」論など否定的側面の存在も無視できません。
 
 社会主義協会の中には、日共の「自主独立路線」への傾斜後、社会党を基礎にソ連型マルクス・レーニン主義党を作ろうとする傾向があったのではないでしょうか。そしてそれが、七七年の協会規制に至る党内対立を引き起こす大きな要因になったのではないでしょうか。
 七〇年代当時言われていた表現を用いるならば、マルクス・レーニン主義の核心問題はプロレタリア独裁です。しかし、今日社会主義協会が関わっている政党をみると、民主党、社民党はもちろん、新社会党(綱領草案)もプロ独を用語としてはもちろん概念(階級支配)としても主張していません。プロ独の否定をもって科学的社会主義路線の排除とするなら、現在の協会が関わっている三党はすべて科学的社会主義の党ではないし、今後もプロ独を明記した党に発展するかどうか疑問だとすら言えます。
 
               V 今後の討論の方向
 ソ連社会主義崩壊総括の今後の討論の方向について、私の考えを述べます。
 まず、ソ連社会主義崩壊そのものの総括です。これには、次の論点が考えられます。
 第一に、生産手段の公有制、計画経済と市場、商品の関係です。この面に関しては協会内でかなり討論が進んでいます。
 第二に、プロレタリア独裁の問題です。八十年代まではこれこそが社会主義の核心問題であるとされながら、九十年代に入ってからは、なぜかほとんど討論されていません。
 憲法での共産党の指導性明記や党内分派禁止など共産党一党独裁を柱とするソ連型プロレタリア独裁が官僚主義を生み出しソ連崩壊の重要な原因の一つとなったことは、現在の協会ではほぼ意見の一致が得られたと思います。これに関連して、社会主義社会において資本主義の復活をめざす政党を認めるか、という問題もすでに結論が出たと思います。ソ連東欧では、共産党の中から資本主義の復活をめざす勢力が出てきました。我々が目指す社会主義社会においても、民主主義を保証する限り、資本主義復活をめざす政党の存在を認めるほかないのではないでしょうか。もちろん、民主主義と法律の枠内で必要な思想論争を行なうのは、当然のことです。
 
 しかし、レーニン『国家と革命』が提起した国家における議決機関と執行機関の一致の問題、ブルジョア民主主義の三権分立評価の問題やプロレタリア独裁という概念そのものをどう考えるかについては、協会内ではまだ討論が不足しているように思われます。プロ独の重要な問題として、国家は階級支配の道具説があります。これは、現在の資本主義国家をブルジョア独裁とみるかどうかに繋がります。最近の協会内では社会民主主義再評価の声が高いのですが、それと『提言』で依然としてプロレタリア独裁を主張していることとどう関連づけるか、今後もプロ独を主張するのかどうかについても、もっと討論が必要です。
 
 第三に、社会主義社会の矛盾の問題です。社会主義社会の矛盾は必ず解決されるか、ということです。この点については、社会主義社会でも処理を誤ると解決されない矛盾が生じることは歴史がすでに証明しています。また、この考えが実際の社会主義社会に大きな弊害をもたらしたことは六月号でも述べましたので、繰り返しません。
 第四に、社会主義的人間の問題です。資本主義社会の人間と異なった思想感情を持つ「社会主義的人間」は存在しうるか、ということです。私は本来は文学芸術が専攻で、社会主義国の文化創造では、この社会主義的人間が大きな問題となるのです。かつてはソ連でも中国でも社会主義的人間は存在する、というのが公式見解でした。
 
 大きな二つめの柱として、協会の過去のソ連東欧論の直視・総括があげられます。特に、チェコ事件をめぐる対応の総括と『現代資本主義と社会主義像』批判の総括はぜひやる必要があると、私は考えます。
 それに関連して、かつて協会内で最も強くマルクス・レーニン主義を主張し協会の理論的支柱であった人たち(福田豊、田中慎一郎さんら)が、なぜ簡単に(と見える)マルクス・レーニン主義を放棄してしまったのか、協会が主張していたマルクス・レーニン主義の内実とあわせて、検討が必要でしょう。情勢の変化や実践・研究の結果、考えが変わるのはあり得ることです。しかし、その変化は、それまでの主張と整合性のある説得力をもった変化でなければならないと思います。
 
 社会主義には多様な道がある(山川均)のか、レーニンの理論はマルクス主義の唯一の正系の嫡子(向坂逸郎)か、これも討論が必要です。
 労農派は、昔から「自分の頭でものを考える」ことを強調してきました。私は全面的に賛成ですが、「自分の頭でものを考える」ためには、複数の見解が表明できる環境をつくる必要があります。ソ連東欧社会主義崩壊総括は、社会主義の根幹にかかわる問題であり、新しい社会主義を打ち立てる討論の過程でもあります。だから短期間で結論は出ないし、複数の見解が同一組織内で一定期間併存する状況は避けられないのではないでしょうか。これは、討論の自由と行動の一致、という、言うのは簡単だが実行は難しい行動様式を私たちが身につけることを、求めていると思われます。
 
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