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大会議案趣旨説明(2)
●第三の見解趣旨説明
 三重・早川代議員
あくまでも三重地本の意見として出したい。現在の帝国主義的支配体制そのものが、労働者階級そのものをいかなる形で支配するか、そういうふうな職場生産点における問題として分裂組合なり活動家排除の問題に対してどのようなたたかいをやってきているのか、コンビナートという貫徹された資本の労務管理体制のなかで、われわれは厚い資本のカベをどうぶちやぶっていくのかということです。
 六〇年の三池、安保のなかで、三池の労働者のたたかいというものをわれわれ自身がどのように展開してきたのかそして職場の生命を守るたたかいのなかでカンパなり、支援オルグなりに[ママ]行なったわけです。そのようななかでわれわれのたたかいがなぜ敗北したのか、なぜわれわれのたたかいが進展しなかったのか、そして結果的に安保条約が改定され、三池闘争のなかで労働者階級に敗北感がでてきたのかという事実は、ぼくたちにとって否めない状態であったと思うわけです。
 安保を総括するなかで、改憲阻止・反合理化の基調をみちびきだした四日市の仲間が、七〇年安保を前にして全労働者階級に何を課せられたかを提起したい。
 一つは労働者支配の分裂攻撃、活動家排除の攻撃について。単に東海糖業のなかにあらわれてきたと感じた同盟員もいましたが、労働者大衆を支配する方向性として組織分裂と活動家排除、そういうものが打ち出されていたというものをわれわれは改憲阻止・反合理化の基調でたたかっていくという立場で総括することができました。
 その観点で東海糖業における安定賃金反対闘争をたたかってきた。資本の攻撃そのものは、社青同の同盟員を「あれは革命分子だ」とか「近よるな」「話しをするな」という形だけではなく、資本家自らが労働者の家庭のなかに入って土産物をもって、「お前が第一組合を抜けたら・・・」・という形でオルグしていったわけです。
 第二組合の結成というものはバスの中につれこんで強制的に、職制監視の下で、「お前は第二組合へ入れ」という形で第二組合へつれこんでいった。
 われわれはそういうなかで分裂させられた仲間が憎かった。本当に憎かった。木剣で殺してやりたいくらい第一組合から抜けていった仲間が憎かった。憎しみは約半年ばかり続いたわけです。       ゛・
 われわれが憎しみをもち続けていくかぎり、われわれの要求する多くの労働条件の問題、安保条約の問題、沖縄奪還という全人民的な課題に本当に立ち向かってきているのだろうか、と考え、職制管理のなかで第二組合に抜けていった労働者に対して反省してもらういろいろな活動をやったりしたわけです。
 賃金要求のアンケートの回収率も五〇ー六○パーセント、組織人員として第二組合から八〇人くらいの回収率しかなかったわけです。そういうなかで第二組合にはいれば良くなるんだ、資本家からの攻撃は弱くなるんだ、そういうふうなありきたりな宣伝にぼくたちのまわりの労働者はのっていく資本家の甘い言葉にのっていくなかで、第一組合のわが社青同の指導する部隊が、いろんな活動のなかでつみあげてきた日常活動、それは第二組合に緻密にやっていった。たとえば百姓が忙しいから行けないからというので、夜勤明けでその人の家へ支援に行ったり、ともに桜の花を見に行ったというふうに。
 そういう扇動のなかで、第二組合に行った労働者に第一組合が正しいんだ、もどろうではないかという機運が高まったわけです。そこに資本の再分裂攻撃がかけられた。第一組合にもどろうとした第二組合の労働者に職種職階級賃金というものを上積みしていった。それで逆に第一組合の労働者と三千円、五千円、一万円と差別をつけていった。そのなかで第一組合の組合員も少なくなっていきました。社青同の同盟員もそのなかにいました。残念でした。しかし、そういうふうな悲壮感とか、感情的なそういうふうな問題の中では、とうていもどりかかった労働者を支えることはできない。
 第一次分裂、再分裂の中で、資本はさらに第二組合の労働者を資本の側につくりあげ、最終的には第一組合の人数は三九名、あと三○○名位の労働者は、中立組合と第二組合。そのなかでたたかいの旗があがるわけですけれども、ここで、福岡の西日本新聞と東海糖業の進んできた道を比較しながら報告したい。
 西日本新聞は、権力の職場支配の帝国主義的な侵略の基礎を崩壊しようとする。現在の帝国主義的な侵略、機動隊の実力による労働者の排除、そういうふうなものが物理的にあるから、それに現在の労働者は対応できない。そういうふうな形で西日本新聞の敗北を総括していると思います。そういうものに福岡では、現在の帝国主義的な国家権力的な独占支配の攻撃に、対置しうる、対抗しうる反戦青年委員会というものをつくりあげていかなゆればならない、そういうふうな論理が出されていると思うわけです。
 職場生産点なり地域の問題の中で不満というものが出てきたなかで、全部反戦青年委員会に結集し、資本の職場生産点における攻撃そのものとたたかおうとする、労働者を守っていこうとするものがない。
 再分裂をうけ、三三名の圧倒的少数になり、西日本新聞のように結果として安定賃金をのみ、そして組織分裂をして、微底的な労働者支配の貫徹というものをその当時許した。完敗であったと思います。そして、その時点で社青同は、そういうふうな少数になったけれどもどのようなたたかいというものをつくりあげていくのか、ここに資本帝国主義的支配攻撃から、たえぬいていく階級的な労働運動の組織化がある。私たちは、現在総評の右傾化とか、民間幹部の批判というものをやってきたなかで自分たちが主体となってやっていこう、たたかいの中で貫徹していこう、この中で大衆にたいする、組合にたいする活動というものをどういうふうにつくりあげていくのか。そこを圧倒的に完敗し資本に屈服した社青同同盟員が真剣に考えた。そして、そういうふうな中で職場労働者のなかにどういうふうな影響力をもっていくのか追求してきた。
 そのなかにおける闘争は、賃金なり一時金なり、職場の要求というものを常に基本として第二組合批判と資本の支配批判、そのようななかで労働者は、かならずたちあがらなければならない、そういうふうなものを一般的な形ではありますけれどもさまざまな形でやっていった。東海糖業の闘争というものは、常に第二組合と資本との矛盾点を追求していった。四〇%−五〇%アンケートの回収が、しだいに八〇%−九〇%と圧倒的な回収率をえて、去る夏期一時金闘争の中では八八%のスト権の支持を第一、第二組合を問わず得て、ストライキを貫徹した。ここに、三三名が思想的に高いとか、思想的に低いとか、そういうふうな問題ではなく、自分たちがたたかう主体というものを自分たちの全職場の中にどういう闘いをつくりあげてきたかが第一組合の少数の人間が全労働者を把握し、代表したかたちというものをつくりあげたということを確認しあえるわけです。
 そのなかで、福岡における反戦青年委員会の職場生産点での見方、「ついに民主主義擁護のたたかいはついえ去った」とか、そういうふうなことを言っている人たちが、本当の意味で民主主義擁護のたたかい、労働者の気持というものを本当の意味で知っているのか。ただ、いま言われましたけれど、中間の低い層にという言葉で労働者を、ぼくはそれは労働者を逆に侮辱していると思うわけです。
 資本主義的支配の貫徹というものが単に東海糖業だけでなく、全国いたるところに、活動家のいるところにあらわれてきているのは、総評内部を問わず階級的にたたかう労働組合であれば、かならず経験は出ていると思います。
 そういうなかで東海糖業のたたかいをうけついだ地域の労働者は、東海糖業と東海精糖、羽津病院、平和コンクリート、三宅毛糸とあいついで出てきたわけです。そのあいついで出てきた分裂支配攻撃、首切り攻撃、活動家排除のたたかいに社青同同盟員が現地へ行き、おれたちはこいうふうにたたかった、こういうふうな成果をもった、資本の攻撃というのはにくいかもしれないけれども、たたかいを全体的に深め、学習していこうではないかということで一つの学習会を組織した。話し合いで社青同が中心となって地域に運動を広げる中で、七単産という集中的な話し合いの場をもつようになった。それは今までのように単に労働組合の論議をあれこれと自己満足的に話し合いするのではなく、現在の帝国主義的な支配体制の労働組合に対い[ママ]する労働者支配の分裂攻撃など、あらゆる支配の攻撃にたいして、われわれはどのようにたたかっていき、どのような闘争の場をつくれば守っていけるのか、そういうような連帯の場をつくり出していったわけです。
 それが単に自然発生的状況のなかでの意識的な単組の地域的結集とそれを全国的にひろめていくふうなものに現段階では発展してきた。
 それまでの三重地区労の傾向は、ほとんど活動がなかった。青年労働者、最近、ぼくたちのまわりにいる人たちもそうですけれども、右傾化した労働組合の青年部の役員たちは、組合幹部が悪い、当局が悪い、そういうふうな中で活動はやりたいけれどもできない。帝国主義的な職場管理体制の下に貫徹されているわけです。そういうふうななかで、我々はコンビナートに対して、地域の未組織労働者に対して、OO研究会というものを組織しました。それは完全に秘密組織です。
 われわれが秘密を守ってもらいたいという。それは弱さです。けれども、その弱さというものを守るなかで、コンビナート労働者に対して、我々はあらゆる正しい労働運動の追求、私たち自身をも追求していく観点で、地域の○○研究会、というもの組織しました。ほとんど手のつけられない重化学産業、コンビナートに、すでに十数名のOO研究会というものを組織しています。社青同の原則を、一貫して貫き、闘ってきました。そしてそういうような基盤にもとずき活動家集団というものを、現在の支配体制が何を追求し、アジア安保なり、核安保なり、沖縄の問題なり、ベトナムの問題を通じて、すでに帝国主義的に進出をしていくことを言葉だけではなく、現在の自民党政府と独占資本が、我々自身に攻撃としてかけていることを闘いの交流なり、たたかいの報告のなかで追求するそういった活動家が一体となって、改憲阻止青年会議、そういった部隊を構築していこうではないか、こういう問題が出てきたわけです。
 改憲阻止四日市青年会議は、四・二八の中央巣会なり、六・八のASPAC、三重県の自衛隊ヘリコプター基地撤去闘争等、あらゆる政治活動に不十分ではありますけれども、一〇〇名−五〇名の動員というのは常に確保できます。
 しかし、われわれ社青同がどこにも遠慮のない、われわれ自身が東海糖業の教訓を通じて、地域に労働運動を、大衆にたたかうということの意味というものを肌で感じ、これをうけつぎ、実践化してきた。この成果が、四日市に千名以上の労働者大衆を結集できる安保・沖縄奪還という政治集会に結集できうる力をつくりあげてきたことを確認したいと思うわけです。
 われわれは、このような帝国主義的な支配体制、職場での反独占のたたかい、そして政治闘争としての反帝・反独占のたたかいというものを、そういうものを貫徹していくことを三重地区本部として確認し、報告を終わりたい。
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