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七○年闘争をかちぬくために 大会議案趣旨説明  次のページへ
●第一の見解趣旨説明
東京・清水代議員
 全体的にのべる時間的余裕がないので、私自身の問題意識がどういうことなのか発言し
ていきたい。
 第一にのべたいのは、今大会の中でも言われているが、いま社青同が大へん困難な時期
にある。大別して三つの意見というものがある、これをどう前向きにとらえていくのかを
ぜひ再確認する必要があるだろう。具体的に言えば、当面する佐藤訪米阻止闘争があるわ
けだが、同時に七〇年代の帝国主義段階の日本独占とのたたかい、この基本路線をどのよ
うに確立するかの問題であるといって過言ではなかろう。帝国主義段階に入って、我々の
たたかいはどういった形でもっていくのか、資本の支配がどういう内容をもっているのか
を明らかにすることが必要ではないか。その中から支配の下におかれた青年の実態が明ら
かになってくるし、我々のたたかいの基本路線も明らかになっていくのだ。
 そういう意味で七○年代の資本の支配の内容を問題にしていきたいし、それを我々の共
通の実践の中からみつめていく問題ではないか。
 単純に帝国主義に対決するということをのべるだけでは実際に我々が問題にしている討
論の課題は何ら解決されない。問題は、こういった下において青年労働者がどういった状
態にあるか、それを導き出す資本主義の支配と攻撃の形態を問題にしたい。
  第一にみていきたいのは、反戦青年委員会の問題です。第二の見解の中で引用されて
いる第六回大会の決定、「反戦青年委員会が一つの団体共闘であることと同時に、反戦青年
委員会の生命は青年大衆の自主的なたたかいのエネルギーである。・・・云々」というとこ
ろがある。この点を第二の見解は特に強調している。今日のいわゆる「第三期反戦委」に
してもこういった観点で理解をしているだろう。こういった観点が第七回大会以降なくな
ったことを問題にしているだろう。
 「青年大衆の自主的なたたかいを結集する場である」という評価だけでは一面的である
だろうと考える。というのは、団体共闘、労働組合青年部の闘争ということである。この
点が、反戦青年委員会という形で、右傾化が始まった日韓会談の時明に、労働組合の政治
闘争をなんとかしていこうというものがもう一面としてあった。これは、団体共闘を維持
していこうという思想性、それはとりもなおさず、労働組合の政治闘争を一貫して追求し
ていくということです。
 我々が青年労働者の一部の自主的なたたかいのエネルギーを評価し、それに依拠してた
たかっていくことは正しい。同時に、労働組合をどう強化していくか。政治闘争について
もどう強化していくか、当面の七〇年闘争のなかでどうかちとっていくかの問題意識を失
うならば、我々は反戦青年委員会を論じることもできないし、すべての団体共闘を論じる
こともできない。「第三期反戦」についてもその観点でしか評価、総括できない。これが社
青同全体の基本的一致点だろう。これが、社青同が五者協などと対立して追求してきた目
標である。政治闘争も含めた労働組合の強化を考えていきたい。そうすることによっては
じめて我々が帝国主義段階で追求すべきものが具体的になってくる。
 労働組合の強化の内容は、青年労働者の意識変革のたたかいということになるだろう。
そういった労働組合強化という前提、大目標をふまえたときにはじめて青年労働者全体、
一部ではなく全体に対する問題意識を我々が深刻にもち、出発せざるをえないだろう。
 その意味で「第三の見解」に何が書かれているか楽しみにしていたが、率直にいって大
へん無内容だろう。これぐらいしか三重のたたかいから学ぶことがないんだろうか、もっ
と学ぶものがあるはずだしそれが出されていないんではないか。これは単に文章表現の問
題ではなく、ものの考え方、発想の問題です。私がこの文章の中から読み取ることは、基
調にもとづく年間のたたかいをふりかえるとき基調の正しさがますます確認されるという
言葉につきるわけです。この発想の問題をぼくらは、東京地本自身の運動総括から問題に
せざるをえない。
 東京地本内の討論に関していえば、我々は基調を守るとか、反合理化というが、我々自
身がその観点で職場で大衆闘争をおこしているかということでは、自己批判しなければな
らない点が少なくない。言葉の問題としてはわかったつもりになっていても、自分の班が
自分の職場の実態の中で何を言うかつかみえている班は多いとはいえない。これが五月と
八月の二度にわたる地本合宿の中心的な問題意識である。
 この自分自身の弱さをふまえて「第三の見解」についてもう少しいえば、基調を守ると
いう意味が階級的な思想をもってたたかいぬいていくということにつきるのではないか。
同時に後半部分については、反帝・反独占の政治路線の問題がいわれている。このたたか
いぬく基調と政治路線の二つの問題に「第三の見解」はつきるのではないか。
 それだけで十分であろうかということで第一の見解になるわけです。その点については
帝国主義段階の青年労働者の現状をどうとらえるのかという問題をもう少し考えてほしい
と思う。これは、言葉としては大衆路線の追求ということになるわけです。それは、どう
いった支配がいま青年労働者に加えられているのかを考える以外にないだろう。
 中執の一次案の中で「敵の攻撃はいかに深化したか」という形でそれなりに整理されて
提起されているが、内容は不十分だろう。そこでいわれている内容は基本的には二つのこ
とだろう。一つは職制の問題であり、もう一つは、労働組合全体が労資運命共同体、帝国
主義的労働運動という方向に進んでいるという掌握になっている。この次元でいうなら第
三の見解をある程度容認してしまうことになるだろう。断固としてたたかう、反帝・反独
占の政治路線の問題だといってしまえるだろう。ところが、私たちが実際に職場でみてい
る状況でまず頭にくることは、「無関心層」の問題ということになるわけです。こういう青
年労働者の状態というのは進行しているのではないか。これを資本の攻撃の結果ととらえ
る必要があるだろう。資本の支配の方向というのは単純に職制をふやすということではな
しに、常に青年労働者のやる気を活かしていく、資本主義の中で絶えず生み出される要求、
矛盾を資本の側がとりこもうとしている。不満、要求を解決しようとする青年労働者の意
識というものを逆にいかして自分の方向、利潤の追求、海外派兵の方向へねじまげていっ
ているのだ。こういう攻撃が現段階の攻撃の特徴、支配の特徴だと思います。我々が「無
関心層」とよんでいるけれども、それはさまざまな要求をもちながらも、体制内的なやり
方で、あるいは個人として解決するという青年のことを我々は「無関心層」とよんでいる
わけです。そういう「無関心層」にどう切こんでいくかという問題として全体の方向をた
てざるをえないだろう。労働組合の強化にしても、そういった資本の支配の内容をとらえ
る中でしか考えることはできない。そういう中で我々が大衆路線を主張する理由があるわ
けです。
 もう一点つけ加えておきたいのは、「第三期反戦青年委員会」についてです。「第二の見
解」の後半部分に「七○年代に向う我々の階級闘争のあらたな質をしだいに明示しつつあ
る」という形で「第三期反戦青年委」が評価されている。だが率直にいって全然そういう
ふうには考えられない。いわゆる「第三期反戦委」というものを我々東京地本の運動の範
囲内にふくんでいる。そういった層と一緒に運動をやっていこうという班がいくつかある。
たしかに我々はそういう層があることを確認できるわけだが、しかしそれを高く評価する
わけにはいかない。なぜかといえば、それ自体としては「無関心層」といわれる大多数の
青年大衆と切りはなされた存在でしかないからだ。問題を個人としてしか解決しようとし
ない、そういう範囲内でのみ結集しようとする、いわゆるたたかう部分の結集という形で
しか一運動しえない自己完結的運動として動いているだろう。そういうところに基本的問
題があるし、労働組合全体の強化という目標とは、それ自体としてはかかわりえない運動
である。そういう意味で「第三期反戦委」については評価できない。だが我々東京地本は
そういった青年層を真っ向から切り捨てるのではなく、班のたたかい、地区の政治闘争の
中に結集してきている。それを通じてその一人ひとりを本当の活動家に高めていく、無関
心層へどう働きかけていくかという方向に成長させていく、という方向性をもってきちん
ととらえる必要があるのではないか。
 最後にもう一点つけ加えておきたいのは、基調と大衆路線の関連についてです。要は、
我々が「基調を守る」という形でだけ語っているのでは、実際には現実に進んでいる大衆
闘争を基調にそって前進させていくことはできないだろう。問題は、大衆路線に支えられ
た基調の方向の追求ということでなければ現実には大衆闘争をつくりだせない。民同、社
民をこえるという問題でも、「こえる、こえる」と言うことではないんだ。「こえる」とい
う内容は何か。社会主義革命に向って全大衆を成長させていく、労働組合をそれにたえる
だけのものに強化していくということです。反同、社民はそういうものに応えられなくな
っている。とするなら我々がやりとげることはなにか、きちんと追求しなければならない。
これは当りまえのことかもしれないが、今日それだけ切りはなされて言われる傾向が強く
ある。
 第一次中執案には、あたかも自然発生性を否定するような表現がある。しかし、運動と
は常に自然発生性の上にたつものだろう。それに依拠しつつ全体を高めていくことだろう。
自然発生性を否定し、あたかも思想なり政治方針を断固一貫して叫びつづける、そこから
しか運動がはじまらないとするならば、必ず大衆全体から切りはなされていくだろう。
 さらに基調についてふれておきたいのは、反帝・反独占という言葉がある。反帝・反独
占といいながら一方では改憲阻止といっている。反帝・反独占だとすれば、なぜ「改憲阻
止・反合理化」が基調になるのかということです。反独占のたたかいが世界帝国主義にた
いする課題をはたすのだととらえるとき、はじめて基調を「改憲阻止」ととらえることが
できるのだ。当面の戦略ということでね。反帝、反独占ということでは、「改憲阻止」とい
う基調ははじめから不十分だということになるのではないか。
●第二の見解趣旨説明
埼玉・村上代議員
 我々は六○年安保と三池のなかで社青同をつくり、六五年の日韓闘争をたたかいぬき、
そのなかで日本の社会主義革命をたたかいとっていく一つの戦略的観点を七〇年安保闘争
においてたたかいを進めてきた。私たちの一切の反戦反合・文化、思想闘争を七〇年の安
保粉砕に向けてきた。
 例えば、私たちの所属する埼玉地本、あるいは他の地本の下部末端の同盟員が、何をみ
つめ、何を討論してきたかそれは、この間我々がたたかいの戦略的目標にしてきた七〇年
安保粉砕闘争、その決戦ともいえる一一月佐藤訪米阻止闘争に向けて社青同は、今日まで
たくわえてきた班、支部、地本の力量のいっさいを発揮して、佐藤訪米阻止闘争の内容を
どのように構築していくのか予想される権力からの弾圧あるいは共産党、民同、社会党の
一部からの攻撃のなかで佐藤訪米阻止闘争の内実をつくりあげていくために、いま社青同
が何をなしうるかを同盟員は討論しているにもかかわらず社青同は、六月六、七日に中央
委員会を開いたがそこには中央執行委員会の多数意見と少数意見の二つが出される。二日
間の討論にもかかわらず、中央本部原案を採決、確認することができないなかで中央委は
七月二〇日にのばされそれでも中央執行委の見解の一致がみられないということで八月一
六、一七日更に延期される。この中央委でも、本部提出原案が採決できないという状態が
一貫して続いている。いま社青同がたたかう青年労働者の中核部隊として活動しようと思
うならば、七〇年安保闘争とりわけ目前にせまった一一月佐藤訪米阻止闘争をどのように
たたかっていくのかについて全同盟の今日までの闘争経験と総括を切り結びあい体制を構
築していく時期にある。にもかかわらず、四月沖縄闘争、反合理化闘争などの総括すら確
認できない状況がいま社青同にある。こうした社青同の現状は、佐藤訪米阻止、七〇年安
保粉砕闘争に向けて全同盟の意思統一をかちとるという社青同に与えられている任務から
みるならば決定的にたちおくれている。この間の中央委員会、あるいは、妥協的な中執第
一次案と地本代表が三つの議案を提出するという全国大会をみても社青同が七〇年安保闘
争を前に根底的危機状況にあることははっきりするだろう。それは、六〇年以来、あるい
は六五年以来、さまざまな地本、支部、班の同盟員がたたかってきたことを明らかに集約
できない中央本部、中央委員会、そういう社青同になっていることを残念ながら確認しな
ければならない。
 そして第二番目に、今日三つの見解が出されているがその「第三の見解」に「我々はま
すます基調の正しさを確認し」ということが書かれている。しかし、この「改憲阻止・反
合理化」の基調が正しいならば、それを百パーセント支持する中央執行委員会に第四回大
会以来指導される社青同が、なぜ七○年闘争を前にしてこのような現状になったのか説明
できないではないか。したがって、「第三の見解」のように、基調の正しさをますます確信
するという見解では、今日社青同が陥っている危機というものを打開できない。
 第三番目に、社青同の根底的危機というのはどのようなところからもたらされてきたの
か。その第一は、六五年以来、日本の青年労働者、学生が、社会党、共産党、総評の既成
の重たい壁を、日韓闘争を契機に一歩一歩うちやぶっていった。例えば反戦青年委員会、
あるいは東大、日大を先頭とする学園闘争などに代表される日本の青年労働者の新しいた
たかいの質に、社青同が一貫して反対し、敵対しそのようなものと無縁な同盟として存在
してきたことのなかでこそ今日の社青同が根底的な危機を迎えていると考えている。
 具体的に言うならば、六七年一○、一一月に佐藤がベトナムとアメリカを訪問した。そ
の佐藤の意図は、いうまでもなく七〇年安保に向けての日本帝国主義の具体的攻撃であっ
た。それにたいして全国反戦青年委に結集する青年労働者、あるいはべ平連などに結集す
る戦闘的市民、学生は共産党、民同、権力の攻撃いっさいをはねのけ、反戦青年委の場合、
一三〇〇という少数の労働者であっても佐藤訪米を阻止するために羽田現地に向けて激し
くたたかった。この羽田闘争にたいして、日本共産党は多摩湖で赤旗まつりをおこない、
はね上がり分子、トロツキストという罵倒をおこなっている。社青同中央本部も、羽田現
地闘争どころか、たたかった部分にたいし敵の挑発をまねく、はね上りという規定をして
いる。この一言をみてもこの間の社青同中央本部の指導が日本のたたかう青年労働者の方
向と明確に異なったものであることが立証される。
 また、今年にはいって、全国反戦委がたたかえばたたかうほど青年労働者の前進をおそ
れる総評、社会党の一部によって凍結される。
 それにたいし、社青同中央本部も、全準反戦の事務局団体でありながら具体的に総評の
反戦凍結に手をかし、反安保組織という新しい、民同と労組幹部のいうことを聞く青年行
動隊づくりに狂ほんしている。
 この全国反戦の凍結にたいし、埼玉、宮城の二つの県反戦青年委は、大阪、福岡、長崎
などの各県反戦委によびかけ、四・二〇の青年労働者の自主的な結集行動をつくり出して
いった。それにたいし社青同中央本部は、四・二〇に参加するなという電話指示を一日前
におこなっている。あるいは、四・二八に、日共から反戦青年委の排除要求が出されると
き、社青同中央本部は、反戦青年委の排除はあの時点では正しかったという総括を出して
いる。こうしたことこそ、社青同が危機に陥っていく最大の原因だろう。
 この間、日本の青年労働者がきり開いてきた新しいたたかい、特に反戦青年委に代表さ
れる新たな質のたたかいにたいし、一貫して反対し、敵対し、妨害する、そうした立場を
社青同がとり続けてきたことこそが今日の社青同の根底的危機をつくりだした。
 さらに、反戦闘争とならんで反合闘争の分野において、改憲阻止・反合理化・職場抵抗
といった四回大会が確立した基調に固執し、例えば、昨年の大会で福岡地本から提起され
た生活と権利を守る、自分たちの労働を生活の手段として割り切り、いかにその見返りを
獲得していくのか、こういった生活と権利を守る労働運動、狭い視野の反合理化闘争を進
めるかぎり、今日の状況の中では生活と権利すら守ることができない。こういったものに
いっこうこたえない形で一貫して職場抵抗がたてられていると考える。
 こうしたものとならんで、社青同を危機に陥れたものとして中央執行委員会のセクト主
機的運営をあげることができる。「改憲阻止・反合理化」の基調をドグマ化し、これに反対
する部分には組織処分をかける。その代表的な例は、六六年首都の東京地本大会において
暴力事件を口実に一挙に東京地本の組織解散をおこなってしまう。そして、今度は、その
陰謀が失敗したとはいえ、京都地本右京支部の組織解散をおこなう。こういったかっこう
で基調をドグマ化していったところに危機の一つの原因がある。
 さらに、基調についていえば、平和と民主主義の意識にもとずいた反体制運動を進めて
いく、改憲阻止ということにすべてのたたかいを集約していく一国社会主義的傾向、さら
に反独占・社会主義革命の内容を議会における五一%をこえることによって達成しようと
する議会主義的傾向が「改憲阻止・反合理化」の基調の中には明確にあるだろう。この傾
向と限界を基調の中にみとめ、これを突破していくことが決定的に重要である。日本帝国
主義の新らしい攻撃の中に、平和と民主主義、生活と権利の防衛という形でしか運動して
いけない、それゆえに没落しつつある戦後革新勢力とともに、社青同を歴史のくずかこに
没落させていくのか、それとも、社会党、共産党、総評に代表される戦後革新勢力の後退
と没落の原因を全同盟が六五年以降の闘争経験をはっきり認識し、この傾向を突破しぬく
ものとして社青同を建設していくのかどうか重要な岐路にたっている。
 最後に、先ほどの東京、清水代議員の我々に対する批判にこたえておきたい。
 我々の反戦青年委のたたかいは、無関心な大衆を切りはなしている、あるいは個人とし
てか、戦闘的部分としてしか行勤しえていないのではないか、という批判をあびせている。
この批判には、事実をもってお応えしたい。このような批判は総評からもおこなわれてい
る。反戦委は、はね上りで、孤立している。革命はもっといく百、いく千万もの大衆をゆ
り動かす重々しい車輪なのだと。しかしこような批判をあびせられる反戦委の集会が、六・
一五、あるいは一〇・一○集会にみられるように、大衆からういているはずなのに、総評
青対部の集会などより、より多くの大衆を結集しているのを諸君はどう説明するのか。
 また、全体がここまでしかきていないからたたかわないというのではなく、自らが一歩
前進してたたかいぬいていくことを通じて労働者階級、いく千、いく百万の労働者をゆり
動かしていくことができる。たとえば、一〇・八の羽田闘争を一三00名でたたかった。
それに対し、日共、総評、社青同中央本部もまた、大衆から浮くと攻撃を加えてきた。し
かし、我々は大衆から浮いて敗北だったとは総括しなかった。我々は、自分たちがたたか
いぬいた羽田現地闘争を断固として守りぬき、再度一一月一二日を羽田現地でたたかおう
というアピールを出して、あらゆる弾圧をはねのけてたたかってきた。そして、反戦青年
委は、一一・一二の行動では三五〇〇の青年労働者を羽田現地に結集し、自分たちがたた
かいたった地点、運動の質を断固として守りぬいてきた。権力からの弾圧、大衆から浮く
という攻撃にたえてたたかいぬくとき、はじめて大衆をたちあがらせることができる、と
いうことを、この間の運動の中ではっきりと確認できる。労働者全体、労働組合全体を質
の高いたたかい、佐藤訪米阻止の政治ストライキにたち上らせるためには、この間、社青
同があるいは社青同に導かれる反戦派青年労働者が多数派を占めつつある自らの拠点職場、
自らの労働組合において、全体をより一歩質の高い闘争を実現していくときに、はじめて
労働者総体、労働者全体をけん引することができる。
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