第三の見解(三)
二、反帝・反独占の視点の下に階級的労働運動を建設しよう
労働運動の右傾化は進行し、敵の攻撃は一定程度貫徹しています。しかし、こういった帝国主義的支配秩序の完成をめざす日本独占の攻撃は、矛盾と危機を深化させているのであり、決して支配階級の意図が思いどおりに貫徹し、労働者階級の側、革命勢力の側に反撃の展望がないというとではありません。
問題は、杜会党や民同的な体質と路線、プチブル急進主義の「新左翼」運動では、真に敵の矛盾に切り込み、独占資本を追い込む労働者階級の主体の形成をなし得ないということです。
アメリカ帝国主義の反革命のまき返しが、ことごとく敗北し、自からの危機を深めたことに明らかなように、資本主義体制の内部では日本資本主義は相対的な実力を高めたとは言え、杜会主義が勝利していく歴史の基本動向を阻止することはできません。
「アジア安保」は戦略的には必ず破産する運命を秘めており、日本独占の帝国主義的な進出の開始は、同時にその崩壊、社会主義革命の時期を近づけていることです。
今日、ただちに権力奪取を可能とする革命の客観的条件も、主体的な条件も成熟していません。むしろ一時的には資本と権力の側がより優勢となり、労働運動の右傾化が支配的となる条件が強く、反体制運動の実力は、後退しつつ反撃への調整をまさぐっている局面でありこのような客観的、主体的な条件を無視し、ないしは危機感と絶望感にかられて、七○年決戦論に立って武装闘争路線を激発させたり、職場占拠方式をとることは、決定的に誤りであるといわなければなりません。
このようなプチブル的な「極左冒険主義」では挫折はあっても決して展望は見出せないが、今日の一時期の支配階級の側の優勢右傾化の拡大にもかかわらず、日本資本主義はその帝国主義的な進出の矛盾と重圧を労働者階級の肩にますますおしつけ、一握りの独占資本の利益を擁護する政治は、各階層の収奪と犠牲を深化させています。名目的な賃金の上昇はあっても、労働密度は高まり、敵の労働者の心を奪う攻撃は、逆に労働者の精神的な孤立化と貧困、阻害を生み出します。右傾化潮流がますます資本の手先としての役割りをはたすことは、資本と労働の解決することのできない矛盾にさらされている労働者大衆に右傾化した組合幹部の本質を明らかにし、真に犠牲を受けている労働者の立場に立つ運動の正しさと団結の力以外には、労働者を支えるものはないということを明らかにする条件を生み出し、敵の攻撃の体制的な攻撃は、労働者の個別闘争を反体制、反権力の闘争へと結合、発展させる条件を生み出し、個別的な闘争を敵の側が総資本としての立場で攻略して来ることは、闘う労働者が最早、個別企業の団結にとどまらず、労働者階級としての総労働としての団結をつかみとる条件を生み出しています。
こういった発展をかちとることができるかどうかは、まさに、社会主義的活動家が、革命の問題を「空想」や「自己満足」としてではなく、現実の労働者、人民のかちとりうる大事業として長期の展望に立ってその主体的な条件を不屈に追求することにかかっています。
このように革命の問題が現実の課題として意識され、追求されればされるほど、われわれは「社会主義革命」の思想を確認することでとどまったり、客観的条件を無視した労働者権力の職場での直接的追求等に自己満足していてはならず、全力をあげて、帝国主義的労働運動の拡大を阻止し、労働者大衆の様々な意識の発展段階をふまえつつ反独占、社会主義革命の側に労働者を政治的、組織的に結集していかなければならないし、このような革命の主体である労働者の団結を形成するという観点を現実に追求する場合、民主主義を守る闘争、生活と権利を守る闘争は重要な意味をもっていることは明確です。
以上のような観点に立つ時、われわれは、組合主義的、プチブル的弱点を克服し、階級的労働運動を政治・闘争、経済闘争、文化闘争をはじめとする全分野で確立していくことに全力を集中すべきです。
民同的弱点とプチブル的弱点は姿はちがってても[ママ]、帝国主義段階における敵の本格的な階級攻撃に基本的に対決する事ができず、階級的労働運動をにない得ない共通の性格を持っています。それは社民、民同的運動が労働者大衆の即物的な戦闘的工ネルギーにのっかって企業や自民党と一面のなれ合い、一面の圧力をかけて物をとるという路線であり、他方は、このような路線が崩壊する中で矛盾の拡大による労働者やプチブル層の不満を一時的に爆発させるという路線であり、ともに敵の側が明確な階級的意識性をもって、体制的攻撃を配置している時代に、自然発生的戦闘性に依拠した路線です。職場で反合理化闘争を組織し得ない不満を街頭に流出させ、一時的にその不満を解消させるという傾向はそのことを如実に物語っており、今日の階級闘争の指導性に問われているのは、このような大衆の不満やいかりを、真の敵に対決する路線を明らかにし、組織された、階級としての実力にそのエネルギーを目的意識的に発展させ、打ち固めることです。
合理化攻撃の中で、労働組合が右傾化し、職場の団結が破壊され、バラバラにされた大衆の肩には、資本の矛盾はさらにおしつけられ、不満を拡大させます。
近代的労務管理も決して、圧倒的多数の下部労働者の上べの資本への忠実をかちとっても、決してその不満を解消させることはできません。最も近代的労務管理が行なわれているコンビナート傘下の職場で、労働者が突然すわり込みの抵抗に立ち上がったという例もあります。
しかし、このような自然発生的な抵抗は再び、資本の支配に組み込まれていきました。
われわれは、一時的、現象的な労働者大衆の「決戦」と「無関心」をどうしようもないものとして把えるのではなく、労働者の不満や不平やいかり、要求を積極的に引きだし、労働者の要求の実現をはばんでいるものは何であり、その体制は何であるかを明らかにし、団結と闘争によってのみ「生活と権利」の破壊を部分的に組織しうること。[ママ]
すなわち、労働者の団結の力を明らかにしていく指導性を発揮しなければなりません。
「改良闘争」にとどまることは誤りですが労働者大衆を階級的団結に自覚させその階級的な発展をかちとる上で、「生活と権利を守る闘争」を軽視することは誤りです。
「生活と権利を守る」ということは、労働者の本源的な要求でありこのことに応えることなく、資本主義社会では「革命以外には生活と権利は守れない」ということを切り離して強調することは、革命的な力をつくり得ません。資本主義は「生活と権利を守る」労働者の抵抗がなければ、どこまでも破壊して来ます。抵抗と団結が部分的であれ資本の思いどおりの破壊を阻止し、「生活と権利を守る」闘いを徹底的に追求する中から、労働者大衆は「生活と権利」を破壊して来る資本の本質を自覚し、社会主義的団結、その能力をかちとるのです。
そして敵の攻撃は、今日、どんなに小さな職場の攻撃、権利破壊の攻撃も階級的、体制的内容をもっており、われわれは、個別の闘争、改良闘争を徹底して追求する中で、反体制の立場に労働者大衆を結集していかなければなりません。
反帝、反独占の視点を明確にして、全同盟員は労働者大衆の要求やいかりを積極的に掘りおこし、生産点から徹底してたたかい抜く中で、敵の攻撃の階級的本質を明らかにし、企業から自立した団結をかちとり全労働者としての団結を形成し、階級的労働運動を確立させることに全力を上げていこう。
その基礎を「改憲阻止・反合理化」の基調にもとづく生産点の団結が生み出しており、とりわけ、分裂組合の中で第一組合の旗をまもってたたかっている拠点的な団結と連帯の発展は、まだ十分に革命的、社会主義的観点、政治的発展をかちとっていないにせよ、階級的労働運動建設の展望を与えています。
すなわち、われわれは企業組合としての実態をふまえながらも企業から自立した労働者の潮流を全国的にも地域的にも結集していく展望をもたなければなりません。
今日の情勢の中で、帝国主義的労働運動潮流と対決し、階級的な労働者の自立した潮流の結集の方向性を明らかにすることなしに、単に個別企業組合、職場における一般的な大衆路線や班の主体確立を主張するにとどまるならば、帝国主義の側が全国的なまさに企業を越えた帝国主義的労働運動の潮流を形成し、企業組合をテコに丸がかえに、右傾化をはかっている中で、結局は組合主義的な指導のワクの中で右傾化に追随し押し流される結果となります。
何故ならば、個別企業の闘争の限界を単にその職場の労働者の「無関心」に求めることはできないからで労働者を「無関心」にする攻撃はまったく体制的にかけられて来ており、この労働者の利益を真に徹底して発展させ、追求するならば、今日全体的な闘争にすなわち、総資本への対決、右傾化潮流への対決が迫られ、闘う労働者の全国、地域の団結に依拠する以外にないからです。このようにしてはじめて「無関心」化の攻撃を突破することの展望が生み出されます。
われわれは、今日全力を上げて職場、生産点からの闘争と団結を組織しつつ、分裂組合か分裂組合でないかを問わず、闘う労働者を全ゆる形態で反独占の力に自立せしめ、帝国主義的労働運動潮流や反共労働運動潮流の本質をバクロし、下部大衆をわれわれの側に結集していかなければなりません。
このような長期の意識的な闘争をねばりづよく組織していくためには、社青同がまさに階級的な展望を明らかにし、一つ一つの闘争を通して労働者を階級としての意識と組織的な力に打固める指導性を発揮しなければならないし、そのような立場をはっきりとさせた班と指導体制をかちとっていかなければなりません。
三、反帝、反独占、改憲阻止の政治的統一戦線に結集せよ
階級的労働運動の建設を柱にして、同盟は反帝、反独占、改憲阻止の政治的統一戦線に人民大衆を組織化していこう。
政治闘争というと、政治課題をかかげたカンパニアとして受けとめる傾向があるが、これは一つの形態であって、基本的には、独占資本の政治支配を打ち破る政治的な力に労働者階級を組織し、労働者階級のヘゲモニーの下に人民大衆を組織化することです。
同盟は、「アジア安保」にむけた敵の攻撃の本質を徹底的に宣伝しバク露し、労働者大衆を政治的に反独占の立場に組織化していかなければなりません。そして労働者、人民の生活の場に、敵の攻撃が全面的なしくずし改憲、権利の破壊、生活の破壊として展開されている矛盾を明らかにしていく、すなわちなしくずし改憲攻撃を阻止するたたかいの中で、全面的な体制のバク露を組織化しなければなりません。
そしてわれわれが何よりも確認しておかなければならないことは、敵の側は「アジア安保」にむけて労働者を体制側の政治的立場に組織化して来ているということです。
われわれは、どんなに遅れた形態であっても労働者を主体とした政治行動を組織しつつ、その中で、明確な反帝、反独占、改憲阻止の労働者の立場に立った政治的統一戦線に大衆を組織化することが重視されなければなりません。こういった政治的統一戦線の組織化なしに一時的カンパニアや物理的実力闘争によって「アジア安保」を阻止することは不可能です。労働者を中核とする広範な人民の反独占の政治的実力によって、独占資本を孤立化させること、この展望の下に、カンパニアも実力阻止闘争も位置づけられるべきです。
以上の観点に立つ時、生産点の団結を政治的に組織化する改憲阻止青年会議の運動は重要な役割りをになっており、全ゆる職場、地域に改憲阻止青年会議運動を発展させなければなりません。
また、反安保にむけた共闘組織は、遅れた大衆をも、政治行動に結集し、政治的な自覚を発展させるものを保障するという意味で、大衆のおかれている現状をふまえて多様な形態で反安保にむけて組織さるべきであり、同盟はこのような共闘を保障していく任務があります。
全国反戦はこのような共闘の保障をプチブル急進主義的党派の介入によって失なっている以上、その名称にこだわることなく正しい共闘への発展をかちとるべきです。
また職場反戦をふくむいわゆる反戦運動の評価は、単なるその組織の形式の問題ではなく、その一部に存在するプチブル急進主義的路線と運動の問題であり、物理的実力闘争に集約するこの運動から反帝国主義の力が生み出されるとするのは幻想であり、むしろ敵の弾圧体制づくりの口実を与え、民同幹部の逆利用の傾向さえ存在しており、これ等の新左翼的運動にわれわれが追随する必要はありません。
以上の基本的な視点をふまえ、全同盟が、七〇年闘争と七〇年代の厳しい本格的な階級対決をたたかいぬく強固な組織と班の建設を基礎に、単一青年同盟としての組織原則を防衛しかちとっていこう。