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第一の見解
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A 第九回全国大会の課題と任務
 ―社青同の団結のために−
 社青同は、今日きわめて危機的な状況に陥っている。日本独占の攻撃が、帝国主義体制の確立をめざしてなみなみならぬ決意をもって、すべての青年労働者の肩にふりかかってきているとき、まさにこのあらたな情勢にどうたち向うのかをめぐる問題(社青同の基本路線)について、わが社青同が統一したたたかいの方向性を確立しえていないという現状がある。
 意見のちがいは、単に部分的な戦術の次元にとどまるのではない。日本帝国主義に対決しうる基本路線をどう確立するかをめぐっての対決となっている。四日間にわたっておこなわれた第二九回中央委員会は、最終的に統一した一月〜四月の闘争総括をおこなうことができず、その結論は本大会の討論にかかっている。
 本大会の最大の課題は、このような基本路線をめぐる意見のちがいを謙虚に、そして徹底的に相互批判・相互点検するなかで、正しい思想と方針を一人ひとりの代議員が発見しそのことによる統一した方向性、新たな情勢に対する新たな団結を再構築すること−その自覚的努力を開始することである。第二九中央委最終日の討論は、その可能性があることを明らかにした。
 われわれ社青同は、独占の熾烈な攻撃の下にさらされ呻吟している青年労働者の導きの糸であり、したがって青年労働者に対して最大の責任を負っている。
 だとすれば、我々の相互点検と相互批判とは、今日青年労働者がおかれている状態、何より独占の攻撃がどのように青年労働者にふりかかり、一体青年労働者はどのような要求をもっているのか、青年労働者の意識はどうなっているのかを徹底的に把握することが何より大切な基礎である。その上にたってのみ、我々は正しく現在の社会主義運動、組合運動の状況をふまえ得るし、確固たる青年の大衆運動の方向性をあきらかにしてゆくことができるのだ。
 また、こうすることによってのみ、青年労働者大衆とはなれた思想=プチブル急進主義的傾向の誤りが鮮明になるだろうし、社青同のたたかいの方向性と新たな団結がかちとれることを確信する。
 社青同内の論争は、帝国主義的独占資本の創り出した青年労働者の状況、その諸組織の状況を基礎とし、それを反映して生まれた。この論争の止揚はただ、この帝国主義への対決の基本路線を確立する、という形でのみあり得る。
B 情勢
−何が要求されているのか−
 一、世界情勢
 今日われわれは、世界史的に社会主義革命の時期に生きている。
 世界情勢を規定する基本的対立は、社会主義および人民民主主義諸国、民族独立闘争、資本主義諸国内でたたかっている労働者階級の三つによって構成される社会主義勢力と、帝国主義諸勢力とである。この両者の力関係は、ベトナム侵略戦争におけるアメリカ帝国主義をはじめとした反動勢力の後退に象徴的に表現されているといえよう。世界資本主義の一般的危機は一層深化し、したがって帝国主義勢力の死にもの狂いの、「反撃」をいっそう激化させ、そのために二つの勢力の矛盾は、三つの戦線の各々においていっそう鋭いものに発展している。
 第一に社会主義国・人民民主主義国においては、その社会主義建設の前進という主要な流れに対して、帝国主義は内部の不団結につけこみつつ、とくに周辺部の小国へ向けた転覆破壊工作をつづけている。中ソ論争に介入したCIAの「ソ連武力侵入」のデマゴギー、チェコ反動派へのテコ入れとNATOの威嚇的軍事「演習」、ヴェトナム民主共和国につづく朝鮮民主主義人民共和国へのたびかさなる軍事挑発などを我々はみてきた。本来世界共産主義運動の理論的実践的中枢たるべき、資本主義国プロレタリアートの停滞の中で、止揚され得ずにつづく中ソ論争は重大な弱点として困難な情勢を生み出している。また、軍事力による対決を事前に不必要とするべき、真のプロレタリア独裁−−有効な指導性が展開されないことも、必然的に生まれざるを得ぬ社会主義建設途上の内部矛盾を利用される結果を生んでいる。しかしそれにもかかわらず、帝国主義は世界史の主要な流れを変えることはできない。
 第二に、かつての植民地人民の民族独立闘争の押えることのできない発展と勝利という、三つの中で最もめざましい流れに対しては、帝国主義は反共かいらい軍事政権の樹立とその確保によって最後のあがきをつづけている。それは具体的には、同時に資本輸出でもあり得る経済「援助」と軍事援助、さらには帝国主義自身の軍隊による強力な反革命軍事体制の整備としてあらわれている。アジアにおけるその展開は、日本帝国主義の台頭を主要な要素として大きく再編成されようとしており、われわれの七○年闘争の課題となっている。七○年闘争における反日本独占のわれわれのたたかい、とくに反革命軍事拠点沖縄をめぐるたたかいは、強く反帝国主義の任務をも同時にはたす。
 それはまず経済「援助」を中心に、四次防に伴う軍事面を含めてすでに開始されているが、この時インドネシアとならんで、とくに南朝鮮朴反共軍事政権のさし迫る危機は、われわれにとっても決定的な重要性をもっている。それは七○年闘争に鋭い「現実感」を与えるものでなければならない。
 第三に、帝国主義国内部の労働者階級のたたかいは、きわめて自然発生的な矛盾の爆発の形にとどまりながらも、イタリーなど西欧にならんで今やアメリカ自体の中にも顕著である。生まれるべくして生まれる矛盾の山積と怒りの爆発という主要な流れに対して、帝国主義的独占資本とその政府は、一定の物質的譲歩(アメ)と思想攻撃を中心的武器としつつそれを基礎に先進部分を分断孤立させ武力弾圧と威嚇によって無力化する支配体制を確立している。
 この帝国主義的支配体制の前に、フランスの五月「革命」は自然発生的−−一時的爆発として抑えこまれた。その経過の特徴はファッショ的弾圧にではなく、「参加の哲学」「共産主義の危機」という思想攻撃、資本主義への幻想の維持という点にこそあった。この特徴をもつ帝国主義支配体制に対決し、不断に発生する資本主義の矛盾にたいする怒りをそのまま発展させ、社会主義への自覚的意識をいかにかちとってゆくか−−ここにたたかいの中心的問題がある。
 以上述べてきたように、二つの勢力と三つの戦線でのたたかいの中で帝国主義勢力はその内部矛盾を一層深化させ、したがって、その挑発、思想攻撃を強めてきていることが明らかになった。一方反帝勢力、資本主義国内のプロレタリアート、民族独立闘争、社会主義、人民民主主義諸国人民の間には、中ソ論争、チェコ問題等内部矛盾が存在しつつも、ともかくソ連共産党を中心とする国際共産主義運動の再編成が進みつつあることを示している。
 今日、国際共産主義運動の中でもっとも重要なことは、帝国主義勢力のきわめて巧妙な思想攻撃のなかで再度プロレタリアート独裁の内容を再把握することにあるといっても過言ではない。
二、日本独占の位置
 弱点を含みつつも前進する全社会主義勢力にこのように「反撃」しつつ、帝国主義はそのこと自体による矛盾を生み出し、さらにその苦もんを深めている。それはとくに、最もめざましい前進をかちとる民族独立闘争の戦線にあらわれる。帝国主義の「反撃」すなわち経済援助と反革命軍事体制とを続行することは、今や帝国主義がそれをする理由−利潤の追求そのものにとって、「採算がとりにくい」ものになりはじめている。ドル危機はその一つの表現であり、ヴェトナム派遣軍の敗退もそうである。これらの主要な担手であったアメリカ帝国主義は、自己の利潤の確保を基礎にしたニクソン路線を登場させることによって、このジレンマの解決をねらっている。
 それは民族独立闘争に対抗する経済「援助」、弾圧と侵略の車事行動を「肩がわり」させ、アメリカとしての負担を減らす路線に他ならない。民族独立闘争の主要な戦場はアジアであり、「肩がわり」の主要な担手は台頭する日本帝国主義である。六〇年安保体制の中でさらに発達した日本独占資本は、その商品とさらに資本の市場をも、本格的に国外に求めざるを得ない。国外市場追求の主要な方向の一つはアジアであり、ここにこの「肩がわり」が成立する必然性がある。
 日本独占資本は除々[ママ]にではあるが帝国主義の任務分担をより積極的に担い、自からの反共軍事政権の確保を支えようとしている。それは八月の日「韓」定期閣僚会議における尉山製鉄「援助」、またインドネシア・スハルト政権への列強中第一位を占めるに至った「援助」額急増としてあらわれている。また防衛二法の強行(陸上兵力の増強)、海上自衛隊の急テンポの拡大を含む来年度予算案F4長距離戦闘爆撃機を含む第四次防計画など、軍事面にもあらわれている。
 民族独立闘争、いいかえれば後進国市場確保における後退は、もう一方で別の表現をもっている。それは資本主義(帝国主義)国相互間の、激しい商品と資本との市場追求−関税戦争・資本戦争に他ならない。七月の第七回日米経済貿易委員会はその一層高まった緊張関係を示した。日本独占資本にとっても、国外市場追求のもう一つの方向は、アメリカを中心としEECでの拡大を含む、帝国主義国への切りこみである。二つの方向、現代帝国主義の両輪の双方で、日本独占資本は帝国主義列強の「対等のパートナー(共同経営者)」となり、「対等の競争者」となった。
 しかし、今日日本帝国主義は、完仝に“アメリカの核とドル”から独立して、まったく別個の歩みをはじめるほど強力ではない。あくまで軍事面では、アメリカ帝国主義に依存しつつ、経済力面で重大な限界に直面したアメリカ帝国主義の間で、一つの分業体制の確立が画策されつつあるとみなければならない。
 こうして日本帝国主義にとっての第一の課題は、ドルからの相対的独立をなしとげるためにも、独占資本の強力な再編成をせまられている。公取法を無視した強引なまでの八幡・富士の合併はその端的なあらわれである。独占の再編成は、一層の合理化攻撃の強化となってあらわれるし、中小企業の整理、統合も進行するだろう。
 このように、独占資本の再編成を基礎にしつつ、経済、政治、軍事、教育等全面的支配体制を確立しようとしてきているのが今日の大きな特徴である。
 日本帝国主義にとっての第二の課題となっている「安保」、その焦点としての「沖縄」について、日本独占と政府、自民党のねらいは、「有事全面自由使用」(有事自由発進、有事核持ちこみ)にあり、この線でアメリカ帝国主義との間も基本的に一致するだろう。表面的には“核ぬき、本土なみ”を主張しつつアメリカ帝国主義との間で沖縄返還にくいちがいがあるかのように欺瞞的な宣伝をおこなっている。
 今国会には、このことが象徴的にあらわれている。相次ぐ強行採決によって、ファッショ的ともいえる強引さで、防衛二法、大学臨時措置法、健保特例法等をおし通した。こうしたブルジョア独裁の強化と民主主義の破壊は、機動隊の拡大、裁判の反動化など司法、行政のあらゆる面にわたっている。
三、労働者階級への支配体制
 二方向での市場追求(帝国主義国間とアジア)のための、産業、外交、政治面等の日本独占の策動はいずれも、労働者階級との間に更に山積する矛盾を生み出す。その矛盾が怒りに、反独占の実力に発展してゆくことをどう抑えるか−−それは行政司法の「政治」面より深く、産業平和路線の労働者大衆組織そのものの丸めこみ、破壊として進行している。政党次元でも分断されまいと涙ぐましい努力をつづけている日本共産党をすらも大衆全体からはすでに切り離し、日本社会党には丸めこみ体制内化の圧力が集中している。
 しかし問題はさらに深く、これら労働者階級の諸組織、その指導部の丸めこみ、破壊の基礎をなすもの−−大衆そのものへの支配の貫徹である。
 これら労働者に封する支配の方法・内容は、欧米先進帝国主義国のそれに近づいている。無数に不断に発生する労働者と資本主義との矛盾が、自然発生性のままに放置された、いわゆる「戦後」の支配体制は終った。結成九年の社青同が、その歴史をとうして対決してきた転換期は進み、われわれは本格的な帝国主義支配体制成立の情勢のもとにある。階級的意識変革の援助=その表現としての労組強化というわれわれのたたかいの目的(社会主義組織の独自目的)を実践しうる能力が問われている。
 この新たな支配体制の内容上の本質は、「思想攻撃」ということばであらわすことができる。それは一定のアメを基礎に反共の恐怖と資本主義への幻想をあおりつつ労働者の不満・要求を歪曲し、他ならぬこうした一人一人の主体的関心を「それを解決するにはこうせよ」と資本主義の利潤追求の枠組みに引きこみその枠内で駆りたててゆく支配である。この労働者のヤル気を「生かした」支配の実態は、総括の項で具体的に明らかにされる。
 それは職場末端のみならず、小中学校からの教育過程の中にすでにある。また生産関係の中のみならず政治的・国家的次元にもある。「アジアの平和のために」「アジア後進国への日本の責務」これらの帝国主義思想動員もまた、まったく同じくヤル気を生かし歪曲する本質をもって貫ぬかれている。
 このような「大衆運動」さえともなった資本の攻撃の中では、従来の“自然発生的な労働者の戦闘性にのっかった組合運動”“網をかぶせる運動”といったことでは対応できなくなっている。このことは、反共と企業ゆ着によって組合を維持してきたいわゆる民同運動の限界をはっきり自覚し、民同運動からの自立をかちとらないかぎり社青同運動の発展はありえないことを意味している。
 しかし、この「自立」ということを、組織行動の分離に矮小化することによっては、真に組合の階級的強化をかちとることはできない。
 民同運動の危機と、それによる総評、ひいては社会党系勢力の停滞は−民同運動が労働者大衆(とくに青年)の階級的成長を保証しえなくなったことに原因がある。それは資本の側の支配体制強化によって引きおこされた。民同運動が自然発生的な矛盾の爆発、そしてさらにこれもほとんど自然成長による階級的自覚の夢に酔っている間に、帝国主義資本は思想攻撃を全面的に展開する体制と能力を確立したのである。
 この支配体制を打ち破り、労働者大衆の怒りを時々の爆発におわらせないためには、意識変革の方法としての大衆路線が根性と能力の両面で必要である。また意識変革を育て支援する強い目的意識性をもった強大な活動家集団=とくに社青同の強化・拡大が必要である。民同運動の弱点とは、たんなるたたかう姿勢の弱さ、政治方針・戦略の欠落だけ(それもあるが)ではない。資本の新たな支配体制に対抗し得る、思想と能力の獲得がこれらに限らず仝面的根本的に検討されねばならない。その中心が長期抵抗にたつ大衆路線であり、それを担う活動家集団の建設なのだ。
 思想攻撃の展開は、労働者の側に対抗しうる中核がないままに全面的にすすみ、民間基幹産業をはじめとしてとくに青年労働者の中に「無関心層」をつくり出している。この基礎の上に進行するのが労組の右傾化であり、それは下部では企業の利益の代弁者、上部では鉄鋼労連にみるような民族労働運動ともいうべき姿をとるに至った。
 日本社会党の停滞、たとえば都議選の敗北も、このような大衆そのものの次元からの問題、大衆自体を資本の支配がとらえつつあることの反映として理解されなければならない。一方で共産党の進出があり、ノンセクト・ラジカルの一定の存在があるとしても、それは共に圧倒的「無関心層」から切り離なされ分断された形でしかないことにこそ、根本的な問題がある。社会党の党派性の弱さなどとして矮小化して理解することはできないのだ。
四、七〇年闘争の基本的内容
 以上のように見るならわれわれは(狭義の)七O年闘争の後半を迎えるにあたって、その基本的内容を次のような点で確認することを要求されている。
 第一に、このたたかいの政治的内容は、帝国主義段階の世界体制に追いついた日本独占資本の二方向での市場追求、そのために引きおこされる諸矛盾に他ならない。この諸矛盾の集中点が七〇年安保体制と産業再編成へ向う合理化・教育攻撃との二つである。われわれはたたかいの本質的目標を日本独占資本の打倒にすえなければならない。と同時に狭義の七〇年闘争(安保廃棄) にとどまらず、これを政治的集中点としながらも、とくに合理化・教育過程改編を重視した、全面的な反独占闘争としての目的意識的組織化が必要である(「基調」の全面的な実践化)。
 第二にこの七〇年闘争の組織的内容は、すでに、帝国主義に対決しぬけるものとして要求されている。つまり大衆路線にもとづき、資本の思想攻撃に対抗し得た時のみ、七〇年闘争をたたかう実力をきづくことができる。反日本独占資本の政治ストを実現する階級的労働組合は、大衆路線に立ってのみ、かちとってゆくことができるのだ。われわれは七〇年代をつうじるこの追求の第一歩を、今年度のたたかいの中から開始しなければならない。
 第三に、このように反独占の視点(基調の視点)に立つ大衆路線の七〇年闘争を創り出してゆくためには、その思想性と能力とをもつ大群の活動家集団−とくに青年層での社青同の建設が決定的な意味を持つ。それはわれわれが今小さな範囲であっても、この方向でのたたかいをまず開始する。班段階から主体的に開始することによってのみ可能である。自分自身のたたかいの経験の積み重ねだけが、質とそして量の前進を保証してゆくだろう。