山川菊栄連続学習会第三回 山川菊栄の労働運動論・後半
●労働法学者は労基法第四条をどう解釈しているか
このことについて労働法学者がどう考えているのか。私が参考にしたのは、神戸大学の浜田冨士郎さんが書いている論文です(浜田冨士郎「労基法四条による男女賃金差別の阻止可能性の展望」『労働法学の理論と課題』〈有斐閣、一九八八年〉三八二頁)。浜田さんは、一時期「同一価値」という言葉が入っていたのになぜそれが消えたのかということについて「自己修正を図った」と解釈しておられます。「差し当たってはこれを強行する用意はないが、これを受け入れるだけの実態的条件が熟したときには、もとよりそれを排除するものではないという意味において、緩やかにこの原則を肯定していると解し得るのではないか」と言うのです。
つまり、厳密に解釈してしまうと労務法制審議会での議論のように生活賃金まで駄目だとなってしまうので、現行の賃金決定原則、すなわち年功給というような決定原則があるのならばそれは肯定しておいて、しかし女子だけを差別するというような場合にはそれを否定する原則として読み込むという解釈をしたのだという説明です。
しかし、浜田さんはその次に、「同一価値労働については、当時においては同原則によって同一労働同一賃金の原則のことが考えられていた公算が強い」と言っているのです。つまり、価値という言葉は入っていたけれども、当時の人は、同一価値労働ということにそれほど執着せずに、同一労働同一賃金というふうに解釈していたのではないかと。
では、いつから同一価値ということに日本が注目したのかについては、一九六七年にILO一〇〇号条約を批准した時だというのです。その時に労働基準法四条が同一価値労働同一賃金の原則をその規範内容として含んでいるのを、国会が改めて確認したのだという意味づけをしております。そのころまでは同一価値労働という意味合いを日本はあまり理解していなかったし、国際社会もあまり理解していなかったので、それを緩やかに肯定したということがさして矛盾なく受け入れられたのではないかという解釈です。
それで現在はといえば、学会ではほぼ次のように解釈しています。つまり、賃金決定方法は職務評価でなければならないとはいえないのであって、方法は「性の要素」を用いない限り自由である。ただ現実の決定方法において男女差別を許さないものである。そして使用者の考課・査定によって数値が決まる賃金部分については、基準自体が性によるものでないと立証する責任が使用者側にある、と。
●客観的な職務評価・職務分析の必要性
さてこのような経緯を踏まえたうえで、最初に申し上げた山川婦人少年局長時代に編まれた男女平等賃金論のパンフに触れたいと思います。これは一九五〇年に婦人労働資料bU「男女同一労働同一賃金について」として出されたものです。非常に興味深いことがたくさん書いてありました。ここでは氏原正治郎、藤本武をはじめとする当時の学者がかなり細かく同一価値労働同一賃金について議論をしています。これを読むかぎりは、、同一価値というのをあまり理解していなかったわけではなく、どうやったらこれを日本の実態に合わせられるのだろうかとかなり細かく議論しているのです。そのうえで当時、それを厳格に実施することを見送ったのではないかという解釈が成り立つように思います。
当時は電産型賃金が基本で、一九四六年一一月から、生活保障給部分が八〇パーセントを占める賃金制度が日本で実施されていました。そして生活保障給のなかの三〇パーセントぐらいが家族給であり、これが女子に支給されないから家族給だけでもう二〇パーセントの差がついてしまうという問題が、いろんな論者から出されている。結局家族手当があるかぎり女子の賃金は男子に追いつかないではないかというわけです。
興味深いのは、生活賃金原則と同一労働同一賃金原則が矛盾するのかどうかということが議論されております。そしてこのパンフレットのなかでは、生活賃金原則と同一労働同一賃金原則は矛盾しないのではないかという結論にいたっています。生活賃金原則というのは再生産費を払うという原則ですが、これは個々の労働者一人ずつに再生産のための賃金を払うことであって、家族の多い人には多いだけ払うということではないのだと言っているのです。ある職務を遂行する能力を得るための費用であると言っておりまして、それは賃金の総額にかかわる原則です。
そして資本家が賃金総額に当たる全労働者の生活保障に見合うだけの賃金を払うというのが生活保障給の生活賃金原則だから、まず資本家が労働者に総額として払うというのがその原則です。これは個々の労働者への分配問題とは別です。そして分配原則が同一労働同一賃金原則だったのです。だから、両者は決して矛盾しないということを議論しております。
先にみたように、両者は矛盾するといって案を引っ込めた労働基準法の制定過程の議論は、まだ未熟だったわけで、一九五〇年にはそうではないという結論に達しているようです。
さらに議論は、日本では電産型賃金であるため男子の場合さえ同一労働同一賃金原則が貫徹する条件はないではないかと発展しております。つまり、年齢とか扶養家族に応じて賃金を払っているので、男子の間でも同一労働している人に同一賃金を払うという原則が行なわれていないのだから、それを女子にすぐに及ぼすということがどういう状況で可能かは、もっと議論をしなければならないというのです。もっともそういうなかでは結局男女同一労働同一賃金の原則は、年齢や勤続年数など労働力の質を規定する基準が等しい場合には等しい賃金を支払うという原則にならざるを得ないとも言っています。職務評価をすぐに導入するわけにはいかないので、労働力の質を規定する基準が等しいときには男女に等しい賃金を払うという原則程度でいまはいくしかない。それはたいへん制限的な適用であるというわけです。
しかし、賃金支払いはもっと理想のかたちに近づける努力をしなければならず、そのためには、合理的な職務賃率を決定するための職務評価を検討しなければならないといっています。当時は職務評価の導入は資本家側が主張しており、労働者側は生活賃金を主張して、真っ向から対立していたわけです。このパンフレットでは、しかし、職務評価をすると労働者にそれが不利になるというのは浅薄な見方で、きちんと客観的に評価をすると、むしろ全体の賃金を五パーセントぐらいは引き上げなければ職務評価はできないという報告がメインになっています。それで、その評定過程に混入する人間的な誤差を最小限に食い止めるために合理的な配慮と細心の注意を払うべきだと。このように職務評価をすると、これがきちんとした同一価値労働同一賃金の実現になるのだと言っております。
最後に、第四条で同一価値労働同一賃金を実現するためには次の二つの条件を同時に実現する必要があると言っております。一つは最低賃金制度です。もう一つは、家族手当を社会保障として国家が給付するというふうに組み替える。そういう二つの条件を作ると、労働基準法の第四条はもっと厳格に適用されて、いまの賃金支払い形態は徐々に労働の質や量と結びついたかたちに変化していくことができるはずであると。将来は、賃金を労働の質と量に応じて支払う制度へ組み替えなければいけないのだということが、最終的な結論として出されています。
いま私たちが家族手当に反対し、年功給が男女の賃金格差の根底にあると言い、労働基準法がなぜそれに有効に対処できないのかと疑問を持ち、そして客観的な職務評価・職務分析が必要だと言っていることが、一九五〇年にすでに深くつっこんだ形で学者の議論として明確に出ているというのは驚きです。解決の方向として示されていることも今日とまた一致するのは、勇気づけられます。
結論的には、一九四七年に労働基準法ができた時にそこまで意識されていたかどうか分かりませんが、少なくともこのパンフレットが出た一九五〇年には、同一価値ということがしっかり意識されていたと思います。そして職務分析で価値評価をし直して同一賃金を支払う方向が出されているということであります。
■今日、山川菊栄の主張を活かすために
井上 どうもありがとうございました。議論に入る前に付け足すことがありましたら。
●働き方が問われる時代へ
広田 私は大正時代について話しましたが、一番関心のあるのは、現在はこれでよいかということです。山川さんが婦人少年局長だった敗戦直後、社会主義が広がって、世界中にそういう雰囲気がみなぎっていました。労働組合が次々に誕生し、ストライキも頻発した時代ですが、政府の高官になった山川さんにはそれなりのご苦労があったと思います。新設の労働省の幹部の古い体質、思想上の対立の激化に加えて、占領政策の右傾化なども、山川さんの悩みの種ではなかったでしょうか。
私は政治というものは、人間と人間のよい面をどう向き合わせるかが、大切な課題と思いますが、なかなかそうはいかない点が、大正期も敗戦後も現在も共通していますね。また八三年前、山川夫妻が歓喜して迎えたソビエトが、崩壊したことを単純に喜んでいる人が大勢いますが、これはそんなに簡単な問題でしょうか。そもそもなぜソビエトに革命が起こったか、なぜ崩壊するにいたったかを、いまこそ科学的に追求しなくて、人間の明るい未来はあり得ないように思います。
山川さんは、最初の論文「婦人職業問題ニ就テ」では、子どもの共同保育に大きな期待を寄せていますが、働く母親が激増した今日、複雑な保育問題にどう対処するかは、とてもそう単純には割り切れません。しかも女もまた男なみに働けばよいのではなくて、働き方が問われる時代に入っています。少なくとも法律、政治、教育上の有利さは、戦前とは比べものにならない。そういう新しい条件をどう生かして、意欲的に自分や家族や社会の、人間にふさわしい未来を築くかが、私たち一人一人にかかっています。山川さんが切り拓き、しかも試行錯誤された道を、私たちもいろいろ試行錯誤を繰り返しながら、前進したいものです。
私は戦争を知っている世代なので、日本の現状をとても恐ろしく思います。女の問題に関連して言えば、男女を視野に入れた「男女共同参画社会基本法」が成立したことは、戦前に比べると隔世の感があります。でも不況を逆手にとって、利潤が最優先される反面、人間の全生活が刻々むしばまれつつあることは許せないのです。舞台上の派手な演技は望みません。老幼男女を問わない、活気に満ちた社会づくりを模索して、実はここに出て参りました。
●新しい価値に基づいた政策決定を
浅倉 時代の流れが恐ろしいぐらいに変化していると私も思っています。しかし戦前と違い、私たちは選挙権を持っていて、男女共同参画社会基本法ができるようになっています。にもかかわらず、逆風が吹き、人びとの意識も希薄化しているという事実をみなければならない。つまり、法律上の権利を本当にきちんと生かしているのだろうかという反省をしなければいけないと思います。
男女共同参画社会基本法がせっかくできたのですが、何のために男女が参画するのかということを改めて考えます。男性の経験と女性の経験は違う、違う経験をしている女性が意思決定に参画するということは、結局新しい価値を生み出すということでなければいけないと思うのです。いままでの男性が生み出してきた価値に女性も追いつけということではなくて、女性の経験を反映させる、新しい価値に基づいた政策決定というのがなければいけないはずだと思うのです。
八五年の均等法、九七年の改正均等法でも、新しい価値に貫かれた労働という視点は入っていない。しかし、男女共同参画社会基本法が通ったいまとなっては、女性が参画する社会の働き方を変えて、新しい価値観に貫かれた労働の形態でなければいけないはずだということを、両方の法律をドッキングさせて何とか主張することができないのだろうかと思うのです。
使用者側は、均等法で明らかな男女差別ができなくなったため、雇用形態による差別ということに大きく流れています。パートタイマーとか派遣がすごく増えています。また契約労働というのも増えています。労働者ではない業務委託という形の自営業も増えています。
ILOはいま、新しい条約を作ろうとしています。例えば日本では業務委託はいままで労働法の対象ではなかった。独立の自営業者、一人親方とされるため、社会保険には加入できないし、税金も源泉徴収ではなく自分で払っています。けれども、このような人びとの労働は著しい従属労働です。そこでILOはいままでのように明らかな労働者だけを保護するのでは不十分だと考え始めました。自営業的な従属就業者も何とか保護しなければというので、一九九八年に「コントラクトワーク」という条約を作ろうとしたのです。ところが使用者側が反対して流れてしまった。二年間討議をしたのに流れたというのも珍しいのです。ILOは二〇〇二年にもう一度これを作ろうとして、各地域で専門家会議というのをやっています。私はアジアの専門家会議というのに呼ばれてこの間マニラに行ってきました。そこで聞いたのは「全世界的に労働契約以外の自営業的労働が増加している」という状況でした。
男女差別だけをなくせばいいという時代は過ぎてしまいました。同じように働いていたら同じように払われるという原則が必要です。契約形態にかかわらず、就労形態にかかわらず、公平さというかフェアネスというか、それをともかく確立していかないと本当に足をすくわれると思います。そういう意味でも、同一価値労働同一賃金というのは有効な主張なのではないかと思っております。
●山川さんが望んだことで実現しているのは少ないが
井上 浅倉さんがとりあげられたパンフは、労働省のなかでの議論ですか。山川さんが全体をまとめていらっしゃるのですか。
広田 実際には五人の労働問題の専門家の報告と討論が主な内容ですが、一九五○年のこの記録がそれなりに充実している背景には、ご自身が専門家である山川局長の影響が見逃がせません。婦人労働関係に絞って言うと、山川局長の下で谷野(せつ)課長や大羽(綾子)補佐をはじめとする職員が、とても意欲的、創造的に数々の仕事をこなしていました。山川さんや谷野さんを除けば、ほとんどすべての職員にとって、文字どおり未経験の仕事に、体を張って挑戦していたのです。いろいろな点で、現在と大きな差があります。
井上 山川さんの時代と現代では、主には女性の潜在力といいますか、教育水準が上がり、主張しようと思えばできるようになっています。しかし山川さんたちが求めていたものがそんなに実現していると思えない気もします。
それからもう一つ、広田先生がおっしゃったように、山川さんは、とくに一九一八年の段階では非常に生硬といいますか、わりに紋切り型であったと思うのです。しかし、二二年の方向転換以後は、実際の労働者、女性大衆のところに下りてこられた。さらに、戦後労働省に勤められ、現実的な政策というところにかなり変わってこられたという気もするのです。そのへんの山川さん自身の変化の過程を見てこられた広田さんとしては、もし山川さんがいまの状況のなかに生きていらしたとしたらどのようなことをなさったでしょうか。
広田 戦争が始まると「特殊要求」どころか、すでに手に入っていた「工場法」の諸権利でさえ、一つ一つ剥奪されてゆきました。「ポツダム宣言」を受諾しての敗戦は、皮肉な話ですが、米ソの駆け引きのおかげもあって、とくに女をめぐる法律、制度は一八〇度好転したのです。山川さんの局長就任も、戦前にはとうてい信じられない出来事でした。おかげですでに述べたような貴重な仕事も積み上がりました。
山川さんのもとで婦人労働課長を勤めた谷野せつさんは、日本女子大の社会事業学部女工保全科の二回生で、内務省に入り日本で最初に工場監督官補になった女性です。表向きは根っからの官僚で、役所の人間関係に馴染まなかった山川さんは、この点でずいぶん補佐されたことと思います。ただし谷野さんは官僚とはいえ、敗戦まではほとんど一人で、女子労働の調査や工場監督の仕事をこなしてきました。それこそ全くの男天下の役所で、道なき道を切り拓いてきたのです。
でも経歴から言うと生粋の官僚だし、内面を表わさないタイプだし、戦前の地道で誠実な業績が本(『婦人工場監督官の記録』上下、ドメス出版、一九八五年)になったのはずっと後だし、官僚嫌いの山川さんは、谷野さんに支えられながらも、谷野さんの真価に触れずじまいで、本音を漏らす付き合いはなかったように思います。人間社会では珍しくない関係ですが、二人とも滅多にない人材だけに、せっかくの得難いコンビがもっと柔軟に対応できたら、といまだに夢を追う気持ちがぬけません。
井上 労働省の役割自体がどこかで変わってきた…。
広田 労働省というより、むしろ地方自治体を含めて、官庁全体に大きな変化が生じています。教育水準も上がり、仕事の経験も積み、役人は昔に比べてはるかにスマートです。でも一般的に見ると役所のなかで、利潤や出世や地位保全を優先する雰囲気がとても目につきます。それが時には、かつて権力と無縁であった、女性の公務員にまで乗り移っていて気味が悪い。
それから国際婦人年以来、有難いことに女性問題に関わる課や係がやたらにできました。この画期的な条件の変化を、どれだけ人間の成長や社会の発展のために使いこなしているか。この立派な東京ウイメンズプラザも一つの例ですね。こういう社会の財産を人間のために使いこなしたいものです。山川さんもそう思っておいででしょう。
井上 組合の問題なんかはいかがでしょう。
高橋 現在組織されている労働者が二二パーセント弱、女性は一七パーセントぐらいと言われていますから、女性が組織されてものの見方が訓練されるということがすごく少ないというのがあります。それから、女性のなかに家族賃金に組み込まれているという問題がますます根深いということをものすごく感じています。そしてそういったことを労働組合がどう取り組んでいるかということがあります。
井上 同一価値労働同一賃金がなぜ日本で実現しないのかということ、それから家族賃金というものを今後変えていくにはどうしたらいいのかという問題については…。
浅倉 男女の賃金格差が日本は相変わらず一〇〇対五七とか、六二とかいうのは、均等法ができたけれども本当の意味での就労機会の平等がないということだと思います。つまり、均等法では採用差別は禁止されていてもこの規定が実際には全く機能しておりません。単に募集の表示だけが男女となっただけで、女は採用しないと言い続けている企業がすごく多い。前のほうが無駄足を運ばないだけよかったという声すらある。だから、やはり外国のように採用差別をなくすためには、採用者側がどういう採用基準でどう採用したか公表する制度がないと、採用差別というところにはメスが入らないでしょう。
それから、昇進・昇格というのもまた別の意味で差別の立証が非常に困難です。均等法というのが「雇用管理区分のなかでの平等」となっていますので、パートタイマーとフルタイマーを比較してその間に差別があったとしても、均等法の禁止の対象にはならない。雇用管理区分を越えた平等というのが規定されないのが一番のネックかと思います。総合職と一般職もそういうことです。
それにたいしてはILOが、随分前から一〇〇号条約にかかわって、日本の政府と労働組合はそこのところを修正するように、努力をした成果を見せてほしいと言い続けているのです。雇用形態による差別を解消するための方策については労働組合もあまり積極的ではない。それは、先程高橋さんがおっしゃったように、労働組合の問題だという気もいたします。労働組合がかなり典型的な男社会ではないかという気がしている。そこでのセクシュアル・ハラスメントとか差別の問題というのがなかなかうまく解消できない。
このように否定的な要素を挙げればきりがないのですが、私はずっと変わらないとは思っていないのです。一九七五年の国際婦人年のころと比べると、女性の声というのはすごく大きくなってきた。少なくとも政府が何かリポートを出そうとするとき、パブリック・コメントを求めますし、「女性の意見を聞く会」を最近は持っています。いくら意見を言っても変わらないではないかと思いつつも、長いスタンスでみれば変わってきている。それに昔は外圧で日本の女性問題が変わるのではと言っていたのですが、最近は積極的に日本の女性が国際機関にカウンターリポートを出すとか、国際機関を利用して自分たちの権利を主張するという技術・能力を蓄積してきたと思います。そういう意味では女性のNGO活動というものが、昔とは比べものにならないぐらい力をつけています。
ただ、そういうなかで、取り込まれるという問題も同時に起きてきていると思うのです。政策決定の場に参加しても、女性の立場や意見を十分に反映させることができず、単なるアリバイづくりに使われてしまうということが起きないとも限らない。そういう問題も含めて、ともかく過渡期だという気がしています。
[パネリスト略歴]
広田
寿子 [ひろた ひさこ]
一九二一年生。一九五一年労働省入省。労働経済や女子労働問題にかかわったのち、日本女子大学で教鞭をとる。著書に『現代女子労働の研究』『続・現代女子労働の研究』(労働教育センター、一九七九年/八九年)、『女三代の百年』(岩波書店、一九九六年)など多数。二〇〇二年逝去。
浅倉
むつ子 [あさくら むつこ]
一九四八年生。東京都立大学教授(当時、現、早稲田大学教授)、法学博士、労働法専攻。日本労働法学会や日本社会保障法学会等理事。『男女雇用平等法論 イギリスと日本』(ドメス出版 一九九一年)で第一一回山川菊栄賞受賞。著書に『均等法の新世界』(有斐閣 一九九九年)、『女性労働判例ガイド』(有斐閣 一九九七年 今野久子との共著)などがある。最近の公務としては、セクシュアル・ハラスメント防止のための人事院規則の策定や、東京都の男女平等参画基本条例の検討に関与した。