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連続学習会「いま《山川菊栄》を読む」A 山川菊栄のセクシュアリティ論

*出典などは第一回解題参照。  後半  
 
井上輝子・ゆのまえ知子
■性の二重規準の視点     井上輝子

 山川さんは一九一九年、二九歳で「男女道徳標準の相異」という性道徳の二重規準を問題にした論文を書いています。「華族の若婦人」である芳川鎌子という人が家付運転手と駆け落ちしたのですが、妻に寛大な鎌子の夫にたいしても男のつら汚しと非難されたのです。同じころ、岩倉桜子という人が夫の不倫を許しただけでなく「あだに散る桜をやめて光輝く輝子」と改名したというので「女の鑑」とたたえられたわけです。山川さんは「鎌子の中には、単なる淫婦、淫乱の女性としてのみ見ることを許されぬ純粋な感情、単純素朴な恋愛生活に対する熱烈な欲望が燃えているように思われるのはひが目であろうか」という書き出しで、男女の道徳標準が違うのはいったいなぜなのかと問題提起しているわけです。

 一九二八年、三八歳の時には「性的犯罪とその責任」という論文で、非常に具体的に展開しています。女子高等師範の教員になるはずだった名家の令嬢が暴行され殺された事件で「問題の令嬢が、幸いにして、または不幸にして、暴行の後、蘇生していたとしたなら、社会は彼女に対してどういう態度をとったろうか。(略)彼女の災難が、少なくとも半ばは彼女自身の責任に帰せられ、彼女自身、その代価を負担させられたのではあるまいか」といい、「法律は、『暴行または脅迫をもって』『人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ』『婦女を姦淫したる者は二年以上の懲役に処す』と規定している。して見れば貞操の加害者は、最低二年でその罪を帳消しにされる。けれども被害者の方は(略)一生涯、彼の罪を背負って歩かねばならない。『貞操は婦人の生命』だという。しかるにこの命の略奪者は死刑に処せられずに、婦人のほうが精神的死刑に処せられる」と、矛盾を突いています。
 「それはひとえに男女の地位の相異に基づいている。道徳は婦人を独立の人間としてでなく、男子の独占的私有物としての資格のうえにその価値を認めている。だからその独占的私有物としての資格にキズがつけば、人間としての価値が亡ぼされるのである。(略)もし婦人が男子と同等の人格をもつものと認められるならば、他人から危害を加えられたという不慮の災難のために、何ら道徳上の責任を負うべきではない。けれども今日では男子と婦人とは全然別個の標準を持って人格的価値を評価されることになっているので、婦人はその『貞操』を失うと共に、それが全く自己の責任によらざるものにもかかわらず―社会的に葬られる」と、二重規準を社会的な男女の位置づけの結果であるという分析をしているわけです。

 さらに山川さんはセクシュアル・ハラスメントにも言及し、「日本では日常茶飯事となっている婦人同乗客に対する『悪戯』や、婦人通行者に対する侮辱的嘲弄的な言辞は、いわゆる『暴行』と共通の性質を持っている。これらの行為の差異は、程度の差異であって、質の差異ではない」。「婦人を侮辱するということが道徳的にさほど重大なことでなく、男子自身としては何らの犠牲をも払う要なく―従ってその良心を刺戟する材料とならないということは―言いかえれば、婦人を対等の人格者と見なさず、性的玩弄物として取扱うことが通則となっているということは、知らず識らず、その侮辱の最後の段階にまで誘い易く、『暴行』の誘惑に、比較的容易に、無抵抗に陥る習性を植えつけるものである。一般に婦人の人格を尊重し、婦人に対する侮辱が、『暴行』の有無にかかわらず、道徳的に重大な意味をもち、男子自身、その名誉を犠牲にしなければならぬほどのこととなっていたならば、忌わしい性的犯罪は大いに制限せられるに相異ない」。

 二〇世紀の最後にようやくセクシュアル・ハラスメントが改正男女雇用機会均等法にもりこまれ、関心がかなり高まっています。しかし多くの組織や企業はガイドラインを作ればそれで安心という構図になっていて、男性たちは、自分の表現が女性をいかに傷つけるかということをほとんど自覚していませんし、暴行やセクシュアル・ハラスメントに及ぶ男性は自分たちと違う特別の人だと見る傾向があります。そのへんの問題を山川さんは的確に指摘しています。
 さらにそれが社会的客観的条件から起こっていると付け加えているところは山川さんらしいと思うのです。「しかし何といっても、すべての犯罪は、社会的、客観的条件から起っている。婦人の凌辱というような犯罪も、普通には貧困と、それに伴う道徳的欠陥の最も多い階級に限られていることはいうまでもない。すべての犯罪が、ある程度までは被害者の用意によって予防されるにした所で、その程度は極めて僅かなものであるように(略)性的犯罪も、これを完全に予防する道は、社会的にその原因を根絶するより外はない。すなわち一切の犯罪の原因である貧困と道徳的欠陥を根絶する方法を取るの外はない」。

■リプロダクティブ・ヘルス・ライツから見た「自主的母性」論      井上輝子

 それから、セクシュアリティ論のもう一つのテーマ「生殖に関する権利」についても、一九二〇年ごろ、三〇歳代から、非常に熱心に次々と言及しておられます。

 大正時代ですから、産児制限それ自体が罪に問われていたわけです。保守派が女性は子どもを産むべき存在なのだからそれを調節するなんてとんでもないと言うだけでなく、社会主義者の男性たちも、産児制限はブルジョアの退廃した道徳が生み出したものだとして否定するなかで、山川さんは産児制限は女性の権利として認められるべきだと、非常に明確に主張しておられます。
 「産児制限問題」は二一年にこの問題について続々と書かれたなかの一つです。「出生率が減った、嬰児死亡率が滅法に高いという声に伴って、産児制限の是否が昨今しきりに諸方で論じられております」「一体こういう問題は、非常に個人的な色彩を帯びているとみえて、他の方面ではずいぶん頑固な保守党の一人が、案外捌けたことを言っているかと思うと、平素恐ろしく個人の自由を説いてやまない人などが、この問題に限って打って変って、是が否でも生み放題生まなければならぬようにいったりします。思うにこういう問題は、大抵の人が自分の経験から割出すので、身体が丈夫なためや、お金が有り余ったためや、無神経なためや、家庭外の活動に対する欲望を持たなかったりしたために、五人七人、ないし十人十五人の子供を生んでケロリとしている人たちは(略)生まぬ者、または生むことを欲せぬ者を不道徳呼ばわりしたがります。ところが貧しい中で実際子供を生んだり育てたりした経験のある者は―一人一人がどれほど複雑な注意を要し、どれほど親の健康や精力を吸収するかを経験した者は、子どもを大切に思えば思うほど、むやみに生むことは欲しなくなります」。山川さんの姿が目に見えるような書き方です。

 続いて「私は、婦人は本来無制限な多産を喜ばぬ本能を持っているものだというサンガー夫人に共鳴しうる実証を多くの知合の婦人の中に持っております」。当時、アメリカのサンガー夫人の産児調節運動が日本にも入ってきて、山本宣治や、今もご健在の加藤シヅエさんも共鳴して運動を始められるわけです。「私の知っている婦人は自分が多くの子供を生みかつ育てた苦しみを、わが子に再び繰返さすに忍びないといって、子女に婚姻に際して多産系統の家族を避けているのがあります」「その他産児制限の何たるかを知らぬ人々の間に、自然に無意識的に子孫の無制限の繁殖を避けるさまざまの方法が行われ、今なお辺鄙な地方では、堕胎や嬰児殺しが秘密に、しかしほとんど一般的に行われているといってもよい処が決して少なくはありません」「無制限の多産を防止するのは、人間の自己保存の本能の一部であり、それを抑えれば堕胎や子殺しという恐ろしい行為となり、それを公開すれば、安全な避妊法が普及するという相違があるだけなのです。私はいやしくも婦人の自由意思を認むる以上、子を持つべきや否やを決定するその権利をも否定することはできまいと思います。もしこの婦人にとって最も重大な、密接な利害関係のある問題について婦人自身の意思の自由を認めぬならば、配偶者の選択権や、選挙権や被選権やその他経済上、政治上のいっさいの問題において、女子の自由意思を認めるということは、全く意味をなしません」。

 これには、かなり保守派の女性から批判があったようで、「私は産児制限の是否については、まずこの女子の自由意思を認むるや否やの一事が、他の一切の顧慮に先立って省みられねばならぬ、先決問題だと考えます。今後の婦人は、自分がそれを欲するからという理由より以外に、男に身を許してはならぬと等しく、自分がそれを欲するから、という以外に、子供を生んではなりません。個人の進退を左右するものは、その人自身の意思でなければならない。工場が労働を要求するから、国家が兵士を要求するから、支配階級が奴隷を要求するから、というような、一切の外的理由による懐胎と分娩は、罪の罪なるものであり、不道徳の中の最大の不道徳であります」といっております。

 また「石川三四郎氏と避妊論」では、男性社会主義者たちの議論に批判を加えています。「現在の資本主義的社会においては、産児調節は、無産階級にとってきわめて必要な、有利なことであると信じます。そして将来、社会主義の社会が実現せられた後にも、もちろん出産育児に対する経済上の負担がなくなり、それらの任務が社会化される以上、その必要は大いに減少するには相異ありませんが、絶対になくなるものとは思えません。何故なら、生まれただけの子供がすべて満足に成長しうるような仕掛けになっている将来の社会では、そうむやみに多産せずとも、人口の現状は十分維持されてゆきますし―濫産と濫死との間の、必然的の関係は何びとも否むことのできぬ事実です―個性と責任感との発達した将来の婦人は、母となるに適当な時期を自ら選び、自ら決するに相異ないからであります」。
 そして、この濫産と濫死の間の必然的な関係については、「婦人解放と産児調節問題」で五番目以上の子供の死亡率が高いことなどを、データを使って論証しています。

 「要するに子を生むということも、結婚と同じく、その人々の自由意思によって決せらるべきで、理想社会は、その自由意思を認めることをもって、今日の社会との本質的相異とすべきではありますまいか」として、「婦人解放と産児調節問題」のなかで「われわれ婦人は―在来ほとんど自己のために生きずに、もっぱら他人のために生きてきた。われわれは子を生むという最も貴重な、最も深刻な経験をさえ、自己のためにせずに、他人のために、国家のために、支配階級のために強いられてきた。今や世界の婦人は『自主的母性』の標語の下に、母となるべきや否や、また母となるべき時、子供の数、およびすべていかなる条件の下に母となるべきかを自己の意思によって決定しようとしている。そして世界を通じて母たることが、支配階級の繁栄のためでなく、徹頭徹尾ただ婦人自身の欲求のみによって実現せらるるにいたったとき、それははじめて強制的苦役の状態を脱して、婦人の神聖なる職分の一つとなることができるのである」と述べています。

 今日私たちがリプロダクティブ・ヘルス・ライツと言っていることを「自主的母性」と表現しているわけです。山川さんの母性論は、三〇歳代前半に書かれ、それ以後もほぼ論旨は一貫しております。近代国家というのは、生殖をもコントロールしようということです。例えば、戦時体制になると「産めよ増やせよ」で、産児調節、堕胎した人が処罰せられました。しかし戦後になると一転して、人口過剰を抑えるような政策に転換するわけです。
 付け加えておきますと、山川さんはマルサス主義、食糧危機のために一人以上子どもを産んではいけないといった、国家が、産む主体である女性にたいして産児制限を強制するということにも反対しています。戦後産児調節は認められましたが、その後も優生保護法の改正をめぐっていろんな議論がありました。今日でも出生率一・五七ショック以後、企業も政府も政策化を考え始めています。

 世界的に見ると、七〇年代以後というか、実際には九〇年代になってからリプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方が国際的に認められるようになっていますが、今なお、いわゆる発展途上国のなかでは、子どもを産む・産まないということについて女性の発言権がなく、人口過剰に悩んでいる社会はたくさんあるわけです。それを解決していくための基本は、どのような人口コントロールでもなく、女性自身がリプロダクティブ・ヘルス・ライツを主張できる社会でなくてはならないと国連の世界人口会議でも確認されてきています。その意味では、八〇年近い前に山川さんが述べた自主的母性論というのは、いまなお有効な議論だと申し上げて私の話は終わりにします。


■廃娼運動の評価と山川菊栄 ゆのまえ知子

 一九一五年『青鞜』で伊藤野枝が矯風会批判の口火を切って山川菊栄さんと廃娼論争になり、それは今日にいたる廃娼運動の評価の系譜に繋がっています。そのなかには、市民的な女性運動をどう評価するのかという問題と、矢島楫子(日本基督教婦人矯風会会頭)論が含まれるのではないかと考えます。伊藤野枝が「傲慢狭量にして不徹底なる日本婦人の公共事業に就て」を書き、それに反論したのが、山川さんの評論家としてのスタートでした。

 伊藤野枝は上中流婦人の慈善団体と矯風会を一応区別していますが、矯風会については「彼女達も矢張り事業そのものに興味をもつのではなく事業経営者としての自己を、より多くの人に知らしめたいと云ふ名誉心で、さう云ふ団体の存在を社会に認めさせるやうな経営方法をとつてゐる点に於いて他の団体と少しの差異をも認められない」「彼女等は殆んど人間性と云ふものには全く盲目であると云つてもよい位である。彼女等は形式化した愚劣な魂のない宗教の信者の常として全く融通のきかない杓子定規の上に凡ゆる信をおく迷信者である。彼女等の信仰が度を高むる程彼女等の人間らしい情緒は削がれ狭められ圧しつぶされて行く。さうして次第に彼女等は神の最も尊き本然の意志―乃ち愛から遠ざかり寛容を忘れて遂に小さく狭き高慢なる最も神に遠い人となるのである」と非常に批判している。
 そして文中「此度の御大典にあたつて」ということばが出てきますが、これは大正天皇の即位を祝しての行事のことですが、それに、芸妓娼妓をはべらせてサービスさせるということに矯風会は猛烈に反対したのです。そのことを前提にして伊藤野枝は、「『賤業婦』と彼女等は呼んでゐる。私はそれ丈けで既でに彼女等の傲慢さを、または浅薄さを充分に証拠だてる事が出来る」と言って、「若しも彼女たちの云ふまゝにあの花柳界の女たちのしてゐる事が賤業であるとしてもあゝした業が社会に認められてるのは誰でもが云ふ通りに矢張り男子の本然の要求と長い歴史がその根を固いものにしてゐる。それは必ず存在する丈けの理由を持つてゐるのである。彼女たちがたとへ六年間をちかつたとて十年間をちかつたとてそれを全廃すると云ふことがどうして出来やう?」。これは、大典を機に今後六年間で公娼制度を廃止すると矯風会が宣言したことをさしています。

 こういう批判にたいし、山川さんは、当時は青山菊栄だったのですが、「日本婦人の社会事業について伊藤野枝氏に与う」という反論を書いたのです。

 「『婦人矯風会』の事業の一部について私はあなたと多少異なった意見をもっております。(略)公娼廃止運動ということはあなたが仰しゃるほど無意味な無価値な問題ではないように思います。それどころかした方がよく、またしなければならぬことだと思われます。私もかつてこの問題について全然無知であったころにはあなたと同じような意見を持っておりました。しかしこのごろそれについて少しばかり調べてみた結果、公娼が名実共に私娼より不正であり有害であることを知りましたので勢い廃娼論者とならざるをえなくなりました」と言い、「あなたは『男の本然の要求』と仰しゃいます。しかし私の調べたところによると、売淫制度は不自然な男女関係の制定に伴って起ったもので、男子の先天性というより不自然な社会制度に応じてできたものなのです。女の拘束の度に比例して隆盛を極めるものなのです。ですから女を自由にすれば自然消滅せざるをえないものなのです」「私は公娼廃止の可能性を信じております。当局者の意向次第で明日にもやめうることは事実なのです。六年かかろうと十年かかろうとできることであり為甲斐のあることならした方がいいではありませんか。むろん売淫問題は婦人問題の一部にすぎず、公娼問題はまたその一部にすぎませんが特に顕著な有害な一部である以上看過しておくことはできません」と言って廃娼運動の意味を肯定しています。
 そして「私は矢島さんという方は直接には知りませんが(略)私は矢島さんの仕事の中で女子学院と公娼問題だけは小さいながらも価値を認めております」と結んでいます。
 それにたいして伊藤野枝さんが反論したので、山川さんは「更に論旨を明かにす」で社会制度を変革しなければ売春というのはなくならないのだということをはっきり言っておられます。それで伊藤野枝さんは降参という感じです。

 同じころ平塚らいてうも雑誌社から頼まれて「矢島楫子氏と婦人矯風会の事業を論ず」を書いています。矯風会のことはよく知らないと前置きしながら「氏は一個の社会改良家とは言われませうが、氏は氏本来の立場から言つても決して私共が意味するところの婦人運動者ではないと言ふことであります。(婦人運動者の総てが一種の社会改良家だとは言へますが、社会改良家の総てが婦人運動者でないことは言ふ迄もありません。)何故なら氏の事業の多くは直接婦人に関係することのみで、これを只単に外面的に観察すれば恰も婦人運動の実際的方面であるかの如き観がありますけれど、よくよくその内部精神に立ち入つて観察してみると、氏並に氏が統率する婦人矯風会の事業の背景となつている思想、信仰は、…今日私共が人類自覚運動の一つとして婦人運動…を貫く或る共通な精神…『自由』『平等』『博愛』を理想として仏蘭西大革命を惹き起し、斯くして各方面に於ける人類解放の運動となり、遂に現代の文明を産んだ、そしてなほ産みつゝあるその精神…とは全然その源を異にした別種の流れでありますから、たとへその流れは中途にして時として婦人運動の流れに出逢うことはあるとしても」、婦人運動とは認めないと言っているのです。
 公娼廃止運動そのものについては「私は、公娼廃止論者の一人として、矯風会がこの運動を開始されたことを、同会の他のいづれの事業よりも、これが有効にさへ行はれるならば遥かに価値あり、意義あるものとして、満足し、感謝するものであります」と一定の評価はしているわけです。
 そして矯風会の「一夫一婦」の請願については、平塚らいてうはご承知のように恋愛至上主義ですから、恋愛感情のない結婚こそ偽善だ、「何よりも先にまづ婦人に実力を与へること」というように、非常に否定的なわけです。


●全国公娼廃止期成同盟会への参加

 一九二三年九月一日の関東大震災のあとに被災者にたいする救援運動のために、矯風会などが中心になって婦人団体を大同団結し、東京連合婦人会というものを作りました。そのなかから、震災によって消失した遊廓の復興を許さないという公娼廃止期成同盟会というのが生まれるわけです。『国民新聞』の二三年一〇月二四日付けの記事(鈴木裕子編・解説『日本女性運動資料集成』第8巻、不二出版、一九九七年)を見ますと、山川さんが参加しているのです。これは、従来の山川菊栄の評論集とか、選集(『山川菊栄集』)には載っていません。
 「総ての女の力で公娼廃止に突進」という見出しで「此際を期して公娼の全廃を貫徹する目的で全国公娼廃止期成同盟会が東京連合婦人会研究部を母体として生れ出た第一線に立つて戦ふ人々は山川菊栄…」と最初に名前が出ているのです。あとの方に久布白落実とか守屋東という矯風会の人の名前もでています。そして「右三ケ条の綱領に従ひ早速全国的に目覚ましい活動開始」、「出版部委員山川菊栄夫人は」とあり、「今日公娼全廃は議論の余地ない問題で私共婦人は同性をしてかくも非人道的制度の奴隷たるを国家が認めてゐる事に対し徹底的に戦はねばなりません会員は婦人会費は十銭これで全国的な婦人の運動にしたい考へです」とスポークスウーマンになっているわけです。

 また「再生の東京と婦人の要求」という山川菊栄さんの文章が驚いたことに矯風会の『婦人新報』に載っているのです。ここでは「女子に性を売るより外生活の道を与へぬ今日の女子教育全体の責任をも看過することはできない」と言い、続けて「第一に吾々のせねばならぬことは、教育及び経済的地位の改善によつて、婦人が売淫生活に陥る必要のない状態を作り出すことにある。それには上に掲げたような教育の改善、失業救済、母子保護、労働条件の改善等が最も有力な手段として認められる。是等については、婦人自身の活動と共に公的設備が必要である。在来閑却されてきた婦人及び児童の幸福を図るために、この大震災を期として一致行動を採り、一般の與論を喚起し当局を動かすことが婦人団体の負ふ最も重要な使命である」。
 そして「私は信ずる。『再生の東京に遊廓と貧民窟とを再生せしめるな。』この標語の下に大いに働き、大いに戦ふのが母として市民としての婦人の誇るべき使命であると」とかなり高らかに宣言をしておられるわけです。女性が売春をしなくても良いような教育、労働、社会福祉等の社会基盤の改革を重視しているのが山川さんらしいと思います。
 それから全国公娼廃止期成同盟会発会の声明文「国民に訴ふ、公娼の全廃に就て」が山川菊栄の起草とされています。「此機会に際して、能ふ限り社会全般の改革を実行したいと思ふ者であります」ということで、「元より私共は公娼の全廃をもつてより複雑な、より広大な一般売淫問題の解決と同視するものではありません。私共は単なる公娼全廃に満足せず、進んで一般に婦人の地位改善によつて売笑婦の発生を防止するために、女子教育の改善、婦人の職業的訓練の普及、失業救済、労働条件の改善、婦人及児童保護の社会的施設等の必要を認め、公娼全廃の運動と同時に某等の方面の仕事にも、ある限りの力を尽くす手筈をとゝのえて居ります」と先の『婦人新報』掲載文と同趣旨のことを述べているわけです。

 公娼廃止期成同盟会の綱領というのが、「一、消失せる遊廓の再興を許さぬこと。二、全国を通じ今後貸座敷及び娼妓の開業を新たに許可せぬこと。三、今後半ケ年の猶予期間を付し、現在の貸座敷業者及び娼妓の営業を禁止すること」となっております。これは『婦女新聞』に載っております。
 かなり率先して活動しようとされたようですが、すぐに神戸に移られて手を引かれたようで、それ以降山川さんの文章は見えないわけです。