われわれの手で、われわれの政党を!
*いわゆる山川新党の結成準備文書。出典は、法政大学大原社会問題研究所所蔵の原本。長文のため二ページに分けて掲載。
(一)現在の段階とわれわれの政党
一 労働者および勤労農民の解放のためには、経済上の行動とともに政治面の行動が必要かくことのできないことは論をまたないが、現在われわれには遺憾ながら『われわれ自身の党』として全面的に支持し、また全面的に信頼しうる政党がない。そのために多かれ少なかれ組合が政治行動の任務をも負わされることになり、その結果としてわれわれの政治行動を効果的に展開することが妨げられているばかりでなく、組合本来の機能がゆがめられて、その力が弱められている。
二 ひるがえってわが国現在の情勢を見ると、われわれが重大な望みをかけた民主主義革命は旧勢力の立ちなおりによって今やその進行がはばまれ、他方、資本の反動攻勢のために組合運動は後退また後退をよぎなくされ、労働者農民の犠牲によって資本家的経済の復興を強行しようとする政府の政策のために、勤労大衆の生活は日々に窮地に追いこまれている。労働者農民の究極の解放が政治力によらないでは不可能なばかりでなく、統制経済のおこなわれている現在の段階では、当面日常の経済上の問題も、政治に関連なくしては解決されなくなった。労働者農民の戦線を現在の状態にしておくなら、資本家的経済復興の過程が進行する車輪の下に、われわれの勤労生活はむざんに踏みにじられるのほかはない。いまこそ労働階級と勤労農民とは、その究極の解放のために、当面の生活権を擁護し、旧支配勢力と有効に闘い、われわれの政治勢力を結集して『われわれ自身の政党』を樹立するために即時積極的な行動をおこさなければならないせっぱ詰った時期に到達したのである。
三 わが國には、すでに勤労階級の利害を代表すると称する政党(社会党と共産党)がある。われわれはこれらの政党に多くの不満をもつにもかかわらず、今日まで、それらの政党の自己反省と更生とに望みをかけて、いん忍してきたのである。けれども過去二年間の体験は、かかる希望がむなしい幻影にすぎないこと、われわれがかかる幻影にとらわれていることが、一日長ければわれわれの解放の日が、十倍おくれることを立証した。われわれは現実という反ばくすることのできない力によって、すべての既成政党にもはや見切りをつけなければならないという結論に到達させられたのである。
(二)日本社会党
一 日本社会党はその結党の経過のうちに、すでに不純なものをふくんでいた。終戦直後、新政党樹立の計画は二つまたは三つの中心でおこったが、その一つとしては自由党の鳩山一郎等と結んで國民自由党を組織しようとしたボスや、有馬頼寧一派と結託して新党を樹立しようとしたボスの一団もあった。しかるにアメリかの占領政策がようやく明らかになるや、彼らは急に看板をぬりかえ、社会主義を標榜する政党を組織した。これが現在の日本社会党である。
われわれは必ずしも過去をとがめるものではない。問題は日本社会党が三年間の成長によっても、結党の過程から受けついだこの不純なボス的性格を、精算しえなかったことにある。
二 日本社会党は結党からかわが國の民主主義革命の進行をはばむブレーキの役割をつとめてきた。このような日本社会党の保守的性格と、ブルジョア政権のわけまえにあずかるためには何ごとをもあえてする日和見主義とは、新憲法制定にあたってこの党のとった態度に、標本的にあらわれている。日本社会党は主権在民に反対し、天皇をふくめての國家に主権があるといういかがわしい理論をデッちあげてこれに対抗し、現行の新憲法よりも比較にならぬほど保守的非民主的な憲法をわれわれにおしつけようとして策動した。そして國際情勢がもはやそのような保守的憲法の制定をゆるさぬことが明らかになると、日本社会党はあわててその憲法理論をすて主権在民憲法バスに乗りおくれまいとした。ブルジョア政党でさえもこれはどの醜態をさらした党はない。新憲法の制定における日本社会党のこのような保守的行動は、わが國民主主義の歴史のうえに永久に書き残されるものである。
三 そののち日本社会党は党内の健全分子や社会党を支持する労働者農民の反対をおしきって、ブルジョア政党と二度連立内閲を組織した。日本社会党はこの二度の機会に、われわれに約束した『社会主義政策』なるものを、せめて一つでもまんぞくに実行したろうか。かりに社会党に、そのような政策とそれを実行する熱意とがあったにしても、政府の諸機関が官僚の堅固な組織によって占拠されているかぎり、その実現の不可能なことは初めから明らかであって、社会党が政策の実現に誠意をもつならば、政策の実現そのことよりもまず官僚組織の破壊に全力をかたむけるはずだった。しかるに社会党はなんらそういう方向への意図をも努力をも示さなかったばかりか、出身閣僚は、ただ旧い官僚組織の上に乗っかり、彼らからボイコットされないために反対に彼らに迎合し官僚の作った書類に盲判をおすことに満足して、わずかにその地位をたもったばかりでなく、彼らと結託して破廉恥な疑獄事件をさえもひきおこした。
四 かくて日本社会党の最高幹部のなかから収賄事件のために現に強制収容された者、検察当局の取調の対象となっている者や家宅捜索をうけた者を出したばかりでなく、少なくともまだ数名の幹部が危険線上にあるとされている。この事実は、日本社会党が反動資本家の荒かせぎのおこぼれによって輸血をうけるブルジョア第三党に変質したことを大衆のまえに暴露したものである。日本社会党をそのまま真実の社会主義政党、すなわち『われわれ自身の政党』に成長させることの絶望的なことは、いまや何人の目にも明白である。日本社会党は、かっては組織労働者と農民の多数の支持をうけていた。いまやその反作用として、うらぎられた労働者農民の憎悪のまとになっている。
五 しかし日本社会党がわれわれに最後の望みを失わせた小ブルジョア性の根拠は、もっと深いところにある。
(1) 日本社会党は自ら社会主義政党といい、『社会主義の断行』を綱領にかかげ、いくつかの社会主義政策なるものを並べている。けれども労働階級が決定的に政権をにぎることなしには、社会主義の断行はありえない。資本主義政党との連立協力によって社会主義政策が実行しえられるかの如く主張するのは労働者農民大衆への最悪の欺瞞であるばかりでなく、社会党が理解している社会主義なるものがどのようなものであるかを告白しているものである。わが国現在の諸條件のもとでは此会主義の断行はもとより、直ちに社会主義的な政策を実行することさえも不可能であって、われわれは日本社会党にそれを要求するものではないが、資本主義政党との協力によって社会主義政策が実行しえられるかのように考える社会党の主張は、この党の指導原理が社会主義ではなくて、せいぜい修正資本主義だということを証拠だてることによりこの党の本質的な性格を物語っている。
(2) 日本社会党は三年前に定めたその綱領のなかに党の性格を規定して『勤労階層の結合体』といい、勤労階級の利害を代表するとか勤労階級を基盤とする政党であるともいっている。日本社会党は今日でも労働者農民大衆の方を向いては階級的の政党であるかのごとくいっているが、ブルジョアや小ブルジョアの方を向いては、階級を超越した國民政党だとか、党より國家というブルジョア政党のイデオロギーをつとめて強調しつつある。また社会党は片山委員長の口を通じて社会党の社会主義は『階級を超越した新社会主義運動』であるといっている。近代労働階級の歴史的使命の指さす方向、これがすなわち社会主義であって、労働階級の階級性からはなれた社会主義はなく、また階級的性格のない社会主義政党なるものはありえない。しかるに日本社会党は過去三年間の成長により、階級政党から、党の労働階級的な性格を恥じつとめて階級性をおおいかくそうとする政党に変質した。
(3) さらに日本社会党が労働階級を基盤とする政党であるかのように考えるのは単なる幻影であって、少なくとも組織された労働階級の圧倒的な多数は日本社会党を『われわれ自身の政党』として支持していない。もし彼らが社会党に関心をもつとしたならば、それはブルジョア政党に対するのと同じ意味において、利用しえられるときにこれを利用するということに過ぎない。もし日本社会党が真実に組織された労働者農民の信頼の上に立ち、真実に階級的な影響力をもつならば、社会党は当然により高い階級的見地から組合戦線の統一と再編成の上にも重要な役割をはたすことができ、またはたすべきはずである。しかるに社会党の現実は、ただ組合運動のボス的勢力と結びつき、組合戦線の整理と統一とを妨げている。かかる現実は、日本社会党がなんら組織労働者の上に指導力をもたないことを物語っている。
以上あらゆる角度から見て、日水社会党がもはや社会主義政党としての階級性を失った政党であることは争えない。
(4) われわれの自身の政党、すなわちわれわれを解放にみちびく社会主義政党は、労働階級と勤労農民との統一された意志を代表し、党の全組織が一体をなして強力な行動をとりうるものでなければならない。しかるに日本社会党は、その結党の経路からしてそうだったように、現在においても党の構成は、統一された一つの党ではなく、幾つかのボス的勢力が集まっている寄せあつめ的な共同事務所であって、彼らは日本社会党という共同の看板を背景にして、おのおのそのボス的縄張り的利益を追求しているにすぎない。かかるボス勢力の集合体に、党としての統一された意志や統一された行動のあるはずがない。
(5) 財力もまたこれらのボスの手ににぎられている。日本社会党にあっては財力のある所、権力のある所である。社会党は労働者農民の意志によってではなく、多くのボスのなかの最も財力の大きなボスによって指導されており、党の最高の首脳者もそのロボットたることによって僅かにその地位を保っている。
(6) 日本社会党は労働者農民の大衆的政党ではなくて、単なる議員政党である。社会党の党内では、議員でない者には発言力も指導力もない。われわれは國会における闘争を重要視せぬものではない。けれども政党が議員政党となった瞬間から、それは階級の政党としての性格を失ったものである。日本社会党が第一党に躍進したのは、労働者農民大衆の支持をえたからではなく、豊富な選挙資金をもちながら、しかもブルジョア大政党から公認権をえることのできない地方の戦時利得者やヤミ成金(中小の工場主や会社重役の類)が社会党になだれこんだからであった。現に社会党議員のなかには社会主義にたいして何らの理解も関心もないこの種の要素が重要な比率をしめている。そして日本社会党は、このような構成内容をもった議員政党いがいのものではない。
(7)日本社会党の支部もまた、その多くは以上のような党の姿を地域的に縮図したものであって、支部の多くは地方的なボスによって握られており、ヤミ行為者が摘発をまぬかれる避難所として社会党支部の看板の下に集っているところさえもある。
六 以上の点がら見て日本社会党が社会主義政党から完全に小ブルジョア政党に変質したという事実は、もはや争うことができない。しかも、このような変質の要素は、結党準備の段階にすでに社会党のなかにかくされており、ボス的指導の三ヶ年を通じてこの要素はますます成長し、いまや日本社会党の性格を決定的に固定化したものである。社会党は内部から改革し更生させるべきだと主張する人がある。かかる主張がもはや一片の夢にすぎないことは、社会党内の健全分子(左派)の悪戦苦闘にもかかわらず、ついに社会党をこの傾向から救いえなかったことによって証拠だてられている。
最近、西尾事件を転機として、社会党内のボス的勢力は戦術的に後退した。これは社会党内の左派的勢力を一時優勢にしたかのように見える。また社会党が在野党となった翌日から、ボス的指導者らは、厚顔にも社会主義政党本来の立場にたちかえったかのような言辞をろうしている。けれどもボス的勢力が戦術的に後退したことによって、日本社会党の本質や性格が変化するものではない。反対に日本社会党の無原則と日和見主義を暴露して、かかるヒョウ変は日本社会党の無原則と日和見主義を暴露しているものにすぎない。そして日本社会党の内部に一大変革の爆発せぬかぎり遠からぬ将来に、社会党が三度びブルジョア政党との連立内閣を組織して、労働者農民をうらぎる日の来ることは疑いがない。
七 しかしながら日本社会党の内部には、労働者農民の階級的利害に忠実な、そしてボス的支配から党を守ろうとして闘っている健全な要素のあることを、われわれは忘れるものではない。また地方支部のなかには、無産政党時代からの正しい伝統の上に立って、真実に労働者農民大衆のために闘っている支部が少なくない。われわれは全体としての日本社会党にたいしてはもはや何らの希望をもかけないが、社会党内のこれらの要素にたいしては深甚な敬意を表すると共に、これらの人々がボス的支配の障害を突破してわれわれと手を握る日の遠からざることを予期するものである。
(三)日本共産党
一 日本共産党は戦略目標を民主革命の徹底におき、労働者と貧農ばかりでなく富農をも含めての農民全体、中小企業家の一部、産業資本家とも味方にしなければならないと規定しているにもかかわらず、実際には暴力革命の前夜的な戦術をとることにより労働階級とその同盟者たるべき農民や勤労市民層とのあいだに日々に深まりゆく溝をうがっている。
二 かかる季節はずれの革命戦術の結果は、民主革命を推進する力としての労働階級を孤立化し、弱体化し、労働階級の全面的な後退をよぎなくし、反動期をみちびき入れる契機を作り出した。
三 共産党の当面の闘争は、ヨーロッパにおけるマーシャル・プラン打倒運動の一翼として。アメリカの経済的援助によるわが國の復興計画を失敗させることに、集中的に向けられている。共産党の指導する争議の目標は労働階級の生活をまもることではなくて、生産の回復と経済の安定を妨げることにある。共政党は民族の独立をとなえているが、わが國の経済復興を一日おくらすことは、わが民族の自主と独立一をそれだけ危くすることである。共産党は全人民に対する闘争を展開しているものである。
四 日本共産党はあらゆる機会を単純素朴な民衆、とくに青年分子の対外民族感情の煽動に利用しつつある。共産党は二た口めにはファショ反対をとなえつつ、青年を民族主義的特攻精神にかりたでることによって、ファッショの台頭のために道を用意しつつある。
五 日本共産党は日本社会党と激烈な泥仕合を演じているが、客観的には社会党との緊密な分業を行って民主主義の完遂を妨害しつつある。終戦直後、共産党は日本の労働組合運動を左右両翼に分裂させることで、社会党右派を満足させた。民主戦線の結成では、社会党右派の救國民主戦線とイニシアチーヴ争いを行い、それによって民主戦線を流産させることによって社会党右派と協力した。インフレの昂進に対応する労働者大衆の賃金値上げ運動においては、社会党は大衆の前進にたいしてブレーキをかけたが、共産党は社会党のブレーキのきかぬ大衆をうしろから突きとばして溝の中につきこんだ。季節はずれのゼネスト号令や、組合組織の自壊作用以外のなにものをももたらさぬ地域闘争、職場闘争などがそれである。特にさいきんの國鉄・全逓等における職場離脱、炭坑における寮生ストなどの煽動は、組合機関の正常な運営を妨害するばかりか、組合員大衆の中において青年層と壮年層との対立、地域的対立、職別的対立などを激成し、一般的には廣汎な労働者大衆の中に一切の闘争を忌避する気分をかもし出し、組合無用諭さえ出るにいたらしめている。さらに共産党の最近の組合政策は、戦線統一の考えをすて、組合を分裂して党に隷属する赤色組合を固める方向に進んでいることが顕著にあらわれていることを見おとしてはならない。要するに、日本共産党は小市民左翼たるインテリゲンチャの自然発生性に全く屈服しているという意味で、社会党とおなじ小ブルジョア党である。しかも終戦後の結党からや三年、日本共産党のかかる傾向はますます強まりつつあり、党内においてこれを克服することは全く不可能である。