当面の党改革についての方針
附:党改革委員会の経過と問題点、協会改革の「合意確認書」
*いわゆる協会規制に関する決定文書と関連文書。出典はいずれも日本社会党結党四十周年記念出版『資料日本社会党四十年史』(日本社会党中央本部 一九八六.七)。 二ページに分けて掲載。
第四一回全国党大会一九七七年九月二六日
第四十回定期全国大会および第五十四回中央委員会で決定された方針にもとづき、中央執行委員会は、全中央執行委員をもって構成する党改革委員会を設置し、八項目の党改革の課題について検討をおこない、当面、次の方針を決定した。
一 社会主義協会について
社会主義協会(以下協会)は理論集団を逸脱しているとの満場一致の確認にもとづき、党や労組との関係を正常化するため、次の措置をとる。
1 協会組織機構・運営について
(1)「社会主義協会テーゼ」は、理論研究集団(いわゆる研究会)の「研究綱領」にふさわしいものに改廃する。
(改廃の視点)
@ 協会の性格、任務:・「科学的社会主義者、すなわちマルクス・レーニン主義者の集団である」を「科学的社会主義、すなわちマルクス・レーニン主義を研究する集団である」ことを明らかにする。
A「協会テーゼ」一〇六頁中の「社会主義協会は、その任務とする日本社会党の強化をなしとげたときには、その組織を解散する」、および同テーゼー○七頁中の「日本社会党強化のため、当面なによりも重要なことは、科学的社会主義、マルクス・レーニン主義を土台にすえた党の思想統一の推進である。そのためには、徹底した党内の思想闘争、理論闘争が必要であり………それによって、かりに一時的に党内に波乱が生ずるとしてもそれをおそれてはならない。」を「協会は思想統一のためフラクション活動をおこなわない」とすることをあきらかにする。
(以上を基本とする改正)
(2) 決議機関(全国大会−中央委員会−支局大会−都道府県支部大会)及び活動方針は廃止する。役員の選出、研究方針(計画)や予算の決定、などは、支局、支部代表による「総会」(仮称)をもって行なう。
また、研究の成果.の発表、討議・交流などのため「研究集会」(仮称)を企画する。
(3) 執行機関(中央常任委員会)は、「研究運営委員会」(仮称)の性格に改組する。
したがって、組織部(オルグ)、労働・政治・青年グループなどは廃止し、理論研究の運営に必要な代表・事務局長・次長等の役員と、理論部門、編集部門等とする。
(4) 公開の原則を確立する。
協会の開催する諸会議及び各種出版物・文書類は、社会党員及び党を支持する労働者に対しては原則として公開とする。
各種出版物、会合通知など、協会の発刊文書は、社会党、総評及び「協会検討委員会」(仮称)へ送付する。但し、単なる事務連絡文書等はこの限りでない。
(5) 機関誌類及び協会ニュース等のあり方
すべての理論研究誌・紙の域を逸脱しない編集内容に限定する。いわんや社会党を支持している特定の労働祖合と大衆団体及び個人を名指しで誹ぼう、中傷あるいは悪意にみちた攻撃にあたる執筆・編集は厳に謹しむ。なお、「進路」は廃止する。
(6)活動の範囲
協会の活動は、その性格からして、理論研究とその成果の提言にとどめ、党や労働組合の主体性を尊重し、いやしくも介入、干渉にわたる活動はいっさい行なわない。
協会員である党員及び労組長は、どこまでもそれぞれの機関の決定にしたがって活動し、党及び労組の決定と協会の提言とが異った場合は党及び労組の決定を優先させる。また、協会は役員人事等には関与しない。
2 今後の改革手続と保証について
(1)協会は一九七七年末(遅くとも一九七八年二月末)までに、全国大会(公開)をひらいて、所要の改革を完了する。
(2)党は、協会が純粋な理論研究集団として健全な活動がなされることを保証するため、当分の間社会党中央執行委員会のもとに「社会主義協会検討委員会」を設置する。
@「検討委員会」は、党中央執行委員会の責任において設置し、党が中心になって運営する。
A「検討委員会」は、党及び労働組合、大衆団体の内部から、協会の活動に関して問題提起がなされた場合は、速やかに実情を調査し、中央執行委員会に報告し適切な措置をとる。
二 党改革の八項目課題について
1 党風刷新委員会の設置
党の統一と団結を強め、友愛と信義を重んじる党風を初心にたちかえって築きあげるため、「党風刷新委員会」を設置する。
その具体的内容は、新執行部において検討する。
2 党内派閥の解消
@ 派閥を解消する。
A「政策・理論研究グループ」の存在は、容認する。その在り方については、ひき続き検討する。
3「日本における社会主義への道』の再検討について
@『道」については、新中期路線と国民統一の基本綱領をふくめて、党の長期路線を情勢の変化に対応させるため、今後それらを創造的に発展させていく。
A 再検討にあたっては、(イ)若年労働者の結集、(ロ)要求の多様化に対応、(ハ)共同戦線党的性格の明確化など考慮する。
4 党内民主主義の確立と少数意見の尊重
@ 党内民主主義を確立するため、決定にいたる過程では徹底的に討議し、決定すればそれに従い、それを実践に移す場合少数意見を常に念頭におく。
A 少数意見を機関誌紙に発表する機会を保障する。
B 完全連記制はとらない。
5 革新政策の研究体制を確立する
党の政策形成能力を高めるために、民主団体、党支持大衆との交流連携を深め、国民のニーズを把握するとともに、各分野の学者専門家を広範に結集し、党のブレーンとして貢献できるように具体化を図る。
6 党の教育機関を常設する
@ 総評など各団体の協力をえて、党独自の学校を常設する。
A 労働大学は、独立した教育機関であることを確認し、党委員長の学長就任、補助金交付、「まなぶ」の党機関によるPRなどをやめる。
7 政権プログラムを明確化する
百万の党建設をめざし、党の主体性を確立しつつ、政権プログラムの検討をひき続きおこなう。
8 青年対策の強化
@ 現在の社会主義青年同盟とだけの支持協力関係をもつものではなく、社会党を支持する複数の青年組織の協力関係を平等に結び、将来統一をめざす。
A 援助金、規約上の支持団体関係は、各青年組織と平等にもつ。
附:党改革委員会の経過と 問題点
第四一回全国党大会一九七七年九月二六日
一 党改革委員会の経過
1 昨年十二月におこなわれた総選挙は、参議院同様衆議院でも与野党伯仲を実現したとはいえ、わが党自身にとって必ずしも満足すべき結果ではありませんでした。
これを受けて開かれた本年二月の第四十回定期全国大会において、われわれは「党の不統一が、党内外から厳しく指弾され、さらに政策、組織、運動の各分野にわたる体制の不十分さが党の前進にとって制約条件になっていること」を反省し、参議院選挙にむけて党建設を一層推進することを決定いたしました。
ところが三月にはいって、江田前副委員長の離党問題が表面化し、成田委員長や佐々木前委員長、党三役らが慰留につとめたのでありますが、三月十六日、江田氏は離党したのであります。
この間、総評および総評党員協委員長会議は、党の状況について終始深刻な関心を払い、まず一月十四日には「社会党のあり方」についての七項目提案をおこない、さらに三月十七日、江田離党問題に開運して「四項目」についての申し入れがおこなわれたのであります。
2 このような労組および労組内党員の要望を背景に、党大会の決定をふまえて、われわれは四月十一日の第五十四回中央委員会において、中執全員をもって構成する「党改革委員会」を設置し、全中執が不退転の決意をもって、党改革にとりくみ、七月の参議院選挙までに、@党の危機の認識についての統一、A党風の刷新、B党の各グループの検討、C「綱領」と「道」の調整、ならびに「道」の検討、D党内民主主義の確立と少数意見尊重の方法、E革新政策研究体制の確立、F政権プログラムの明確化、G青年対策の強化、Hその他、を主要テーマとする党改革案を作成することを決定いたしました。
党改革委員会は、四月十八日の第一回党改革委員会の会合をかわきりに、今日まで計二七回、のべ約二〇〇時間におよぶ検討をかさねてきたのであります。
この間、党と総評、および主要単産の代表との間で「合意確認書」がかわされたのをはじめ、中立労連、新産別などと、数次におよぶ会談がおこなわれたのであります。
討議は、さきにのべました「八項目」について、項目別に順次進められたのでありますが、「党の危機の確認」および、「党内グループの検討」に関連する社会主義協会の資料提出の問題が、別にのべる経過をたどって、問題になりました。
しかし、九月にはいって、党改革委員会はほぼ連日討議をおこない、さらに、石橋改革委員会事務局長の協会側との度重なる折衝や、曾根[ママ]祐次、山本政弘委員による個別作業、および槇枝総評議長らの努力もあいまって、党改革案の大筋をほぼ作りあげることができたのであります。
3 党改革委員会の作業の内容は、参議院選挙の以前と以後に大別することができます。まず参議院選挙以後は、中央委員会で決定された八項目について、基礎的な討議がおこなわれ、ほとんどの問題について意見が対立し、具体的な合意に連することは困難な状況にあったのです。
(1) 第一のテーマである「党の危機の認識」については、(イ)今日の党の危機は、党外の秘密政治集団である社会主義協会が党や労組への支配・介入を深めるにつれて、党内の不統一が深刻化しているところに根本的な原因があるという意見と、(ロ)党の危機は、決定されたことが守られず、党の不団結が国民に印象づけられてきたことにあり、江田離党問題がその具体例だとする見解などが、のべられました。
これに関連して、社会主義協会の性格規定、党と協会の関係が、重要な争点となり、この問題についても、(イ)協会は党外の政治集団であり、党への加入戦術をとっている疑いがこい、したがって、協会所属の党員に対しては、党規約一三条を適用しなければならない可能性があるので、調査し徹底的に究明すべきだとする意見と、(ロ)協会は部分的なデッパリがあったとしても、一貫して理論集団として、日本における社会主義理論の発展に大きな役割りを果し、マルクス・レーニン主義者の集団として、党に貢献してきたとする主張が対立したのであります。
(2) 第二の課題である「党風の刷新」に関連して、党の性格が討議されました。ここでは、(イ)党は、多様な思想潮流の存在を相互に認めあう共同戦線党であるとする立場と、(ロ)党の性格や路線は「道」、新中期路線、統一綱領などによって明らかであり、これらの全党的実践が課題であるとの意見が、表明されました。
(3) 第三の課題である「党内各グループの検討」においては、既存の派閥の弊害が満場一致で認められ、その解消と政策・理論グループヘの脱皮の必要性が、一様に強調されました。
そのため、(イ)各グループは、検討材料として内部資料を委員会に提出すること、および、(ロ)党外団体である社会主義協会に対しては資料の提出を要請することが、委員会集約として決められました。
(4)「綱領と『道』の調整、ならびに『道』の検討」については、(イ)『道』は、客観情勢の急激な変動に立遅れているので、これを書きあらためるべきだという意見と、(ロ)『道』は、日本において社会主義を平和的に議会を通じて実現する通を示したものであり、基本的には正しい方針である。情勢の発展にみあって検討することは当然である、との見解がのべられました。
(5)「党内民主主義の確立と少数意見の尊重の方法」に関しては、(イ)「機関尊重」と今日の党運営の実態との乖離が克服されるべきだという意見や、(ロ)決定にいたる過程では徹底的に討議し、決まればそれに従い、それを実践に移す場合には少数意見を常に念頭におくべきだ、などの意見が表明されました。
(6)第六の課題である「革新政策研究体制の確立」、および第七の課題「政権プログラムの明確化」については、七月の参議院選挙を目前にして、きわめて現実的な討議がおこなわれ、それをふまえて、政策審議会長と両企画担当中執をもって構成する「政権構想小委員会」が設置され、参議院選挙委員長遊説第一声となった、五月九日の委員長広島談話や、参議院選中の委員長・書記長談話が発表されたのであります。
また、革新政策研究体制の確立についても、その必要性が強調されました。
(7)第八のテーマである「青年対策の強化」については、この段階ではほとんど検討されなかったのであります。
すでに述べましたように、総評が「七項目」提案を、また総評党員協委員長会議が「四項目」申し入れをおこなってきましたが、五月末参議院選挙の切迫にともなって、党に対してその回答を求めてまいりました。
すでに党改革委員会は、その下に、党三役、総務局長、両企画担当中執からなる委員会を、五月一九日に設置しておりましたので、この小委員会は、これまでの討議の中から集約できるものを成文化することにいたしました。これが、五月二十八日の党と総評との「確認・合意事項」であります。
4 七月の参議院選挙は、わが党にとって「敗北」に終り、思いきった党改革の必要性がますます強調されるにいたりました。
選挙後の党改革委員会の作業は七月二十八日から再開され、選挙前の「八項目に関する一般討議」を受けて、まず第一のテーマである「党の危機の認識についての統一」とその克服について、さらに具体的な検討をおこなうところから始められました。とくに社会主義協会の問題、および協会と党との関係を正常化するためにはどうすればよいかについて、今日まで検討を続けてきたのであります。そして、社会主義協会問題に関する具体策を、ようやく作りあげるに到ったのであります。
さらに委員会は、「八項目」の他の課題についても、解決のためのー定の方向を示すことができました。
(1) 今日の党の危機について、二四名の改革委員中多くの委員は、主要な原因が、社会主義協会がマルクス・レーニン主義による党員の意思統一を強引におし進め、党をマルクス・レーニンの党にするための組織的な活動を党の外から指導したため、党に亀裂を生じ、不団結を助長した点にある、との立場にたっております。
一三名の委員は、協会の理論と行動の内容を具体的に知って、党と協会の関係についての正確な判断を下すべきだとの理由をあげて、改革委員会の当初から、協会の資料を要求したのでありますが、選挙後、いよいよ協会の問題を検討する段階になって、資料が不可欠になってまいりました。
一方、他の委員からは、社会主義協会は、労農派マルクス主義の伝統をひきつぎ、戦後直ちに平和的に社会主義を実現する理論を内外に明らかにし、さらに労働運動、社会主義運動の発展に大きな貢献を果たしてきたことを具体的に指摘して、その積極的な役割りを強調しました。また協会が内部資料は外部に出さないことを不文律としてきた立場を理解し、党とは別人格の協会にたいし、党中央執行委員会といえども内部資料提出を指示することはできない。また所属党員にたいし党が内部資料の提出を求め、拒否すれば統制処分も辞さないということは、党は党員の全生活を統制することになり、自由と民主主義にたいする過剰な干渉であると主張し、内部資料提出の要請を拒否する態度をとり続けてきたのであります。しかし、これがなければ党改革委員会の作業が進められないという委員多数の要請があり、八月末になって、改革委員の所持する協会資料を現物と「照合」するために党員佐藤保が党員石橋政嗣にたいして協力するという立場でこれを受け入れるにいたったのであります。
この間、八日にかけての総評党員協委員長会議の「党改革に関する意思統一」や中立、新産別の申し入れ、および地方議員団の決議など、党を支持する諸団体の党改革推進に関する熱烈な決意表明があいついでおこなわれました。
こうして、党改革委員会は、九月にはいってようやく軌道にのり、社青同、労大および、党と協会との関係について、方針を決定することができたのであります。
この過程で、総評の槇枝議長をはじめとする、党を支持する大衆団体の方々や、自治体関係者らが、党の再生のためにおこなわれた努力に対して、改革委員会は、あらためて謝意を表明する次第であります。
二 討議経過の問題点
1 協会内部資料の提出について
社会主義協会の性格を正確に判断するうえで、協会の内部資料を検討することが必要との意見に基き党改革委員会は、五月十九日、石橋事務局長名をもって、正式に協会事務局長にたいし、内部資料(@社会主義協会の大会議案ならびに関連資料、A社会主義協会ニュース、B通達、文書)の提出を要請しました。
これにたいし五月三十日佐藤事務局長より文書はすべて内部文書であり、外部には発表しないとの回答がよせられました。参議院選挙後、八月四日の第六回党改革委員会において、同委員会の討議をふまえ、八月五日、石橋書記長と佐藤事務局長との会談がおこなわれました。その結果、内部資料については、提出できないが、党員佐藤保として党員石橋政嗣に協力するとの態度が表明されました。しかし、その内部資料を改革委員に配布することはできないとのことでありました。
その後、改革委員会での深刻な討議をふまえ、内部資料がなぜ提出できないかの問題と党改革に関する協会の意見とをきくために直接、協会側から協会の性格、組織、機構、活動などについてただすとともに資料問題についてもその提出を強く要請しました。しかし佐藤事務局長は、党改革委への資料提出はできないと回答しました。
八月十一日の党改革委員会では、委員一三名の連署をもって、党員佐藤、福田、灰原三君にたいし党中執決定として、資料の提出を強く指示するよう決議することが提案されましたが、他の委員から強い反対があり、資料問題は一時暗礁にのりあげたのであります。
しかし九月一日の党改革委員会は、資料問題でこれ以上実質審議をおくらせることはできないとして、やむを得ず石橋書記長に党員佐藤保君より提示される資料を森永祖織局長が加わって照合選別し、協会性格問題を判断するに必要な内部資料を全改革委員に配布することで合意し、佐藤事務局長もこれを諒承して、九月二日と九月八日の党改革委に資料が配布されたのであります。かくして資料問題は約一ケ月余のながきにわたって論争の対象となり、そのため協会問題の実質審議にはいることが大幅におくれたことはまことに遺憾であります。
2 協会の性格規定について
協会の内部資料である大会議案、協会ニュース等の検討にもとづき九月一〇日の党改革委員会は、実質七時間にわたって協会の性格問題について、テーゼ、組織、運営機構、グループ活動、労組等大衆団体におけるフラクション活動など各分野からの検討が続けられ、しばしば激論がたたかわされました。
改革委員会の見解は、協会は「党外の党であり、党や大衆団体に支配、介入している政治集団である」とするもの、協会は「歴史的経過のなかで理論集団から政治集団化への変質をとげている」とするのも、協会は「協会員個々には出っぱりもあるが、理論集団であり、党に大きな貢献をしている」とするものなどにわかれましたが、最終的には、全改革委員(二名欠)がそれぞれ協会の性格規定にたいする見解をのべた結果、満場一致「協会は理論集団を逸脱している」と決定しました。
また一四名の改革委員は「協会は政治集団化している」との見解を発表し、成田委員長の決断をせまりましたが、委員長は、満場一致の賛成でないかぎり採択はできないとして、協会性格問題の討議は一応終了したのであります。