*片山・芦田内閣崩壊後の総選挙で大敗し、その総括のために開かれた日本社会党第四回大会で決定された運動方針。この運動方針をめぐっては、起草委員会で階級政党を主張する稲村順三が起草した草案と国民政党を主張する森戸辰男が提出した草案が対立した。いわゆる森戸・稲村論争である。起草委員会は勝間田清一に調整を依頼し、「勝間田清一がまとめた最終草案は・・・稲村草案を下敷きにしながら、森戸案も部分的にとりいれながら、調整をはかっていた。」(月刊社会党編集部『日本社会党の三十年(1)』p210)ここでの出典は日本社会党結党四十周年記念出版『資料日本社会党四十年史』(日本社会党中央本部 一九八六.七)。勝間田清一の調停は、“階級的大衆政党”という概念の提出として、社会党史上名高いが、運動方針自体にはこの語はない。長文のため、二ページに分けて掲載する。文中の太字は原文。 次のページヘ
第一 基本的立場
一、 こゝに一九四九年度大会を迎え、緊迫せる国際情勢と悪化せる国内政局のたゞ中に、新日本建設の大任を担うわれわれは、厳正なる自己批判の上に党の再建方針を確立し、勤労大衆の要望に応え、一般国民の期待に添う決意を新たにしなければならない。
二、 社会党再建の第一は、党を社会民主主義政党として、その主体性を確立することにある。即ち民主主義を通じて社会主義革命を遂行するためのプログラムを確立し、党の一切の方針と行動とをこれに則らしめることによって、その実現に全力を挙げなければならない。
三、その第二は、従来多かれ、少なかれ、党を弱化している小ブルジョア的偏向を克服し、一切のボス的勢力を排除してわが党を労働階級を中核とする農民、中小企業者並に知識層などの広汎な勤労大衆の民主的組織体たる政党として再編成することである。
四、第三に、わが党の行動は、資本主義政党はもちろん共産党とも追って、新たな道義の上に立って厳しく規正さるべきである。
われわれは、自由と共に責任にみちた民主的な規律を確立しなければならぬ。
かくしてこそわが党は国民の持続的な敬愛と信頼をうけ、戦争とインフレーションによって順廃と混乱の裡にあるわが民族に対して道義の革新と昂揚を期する文化革命上の重大任務を果しうる。
五、なおわが党の再建にあたり、とくに重視されねばならぬのは、民主的社会革命の基盤となるべき祖国と、その民族への関心と熱意である。
敗戦日本の再建、特にその経済的建直しは、日本民族の自主に基礎をおかねばならない。しかも客観的にこれを最も強く希望するものは勤労大衆である。
勤労大衆の政治的要求を最も誠実に代表するわが党こそ、日本民族に忠実であり、真に祖国再建を担う政党である。
わが党は民主主義、社会主義実現の基盤となる祖国の復興と民族の独立を追求し、世界平和の推進と、平和日本の建設に全幅の努力を払わんとする。
六、かくしてわれわれは、社会民主主義の上にたつ日本社会党こそが、勤労大衆の積極的支持と協力を獲得することによってわが経済を再建し、わが民族を救いうる唯一の中心勢力であるとの歴史的使命の確信を新たにするとともに、特に内外情勢の客観的な分析の上にわが党の性格並に平和革命の方式に関する見解を明かにし、これに即応する現実的な組織と活動方針を確立し、当面の具体的方策を決定しようとする。
第二 国際情勢
一、 第二次世界大戦後の国際情勢は、社会主義の大勢を指向している。とくに、資本主義が戦後再建の原理、体制でありえないことが漸次明確となりつゝあるとともに他面、世界恐慌と世界革命による資本主義の崩壊が当面急速に期待されぬことも、次第に常識化してきた。と同時に凋落期にある資本主義の社会主義への転換が、民主的、建設的、漸進的な過程でなければならぬことが、いよいよ諸国民の強い要望となりつゝある。
二、なるほど「二つの世界」の中心には、民主的な資本主義国家アメリカと、独裁的な社会主義国家ソ連があって、今日、激しい対立状態にある。
しかし、前者においてさえ労働者の成長と圧力により、社会化への傾向が次第に強化されているのと同じように、後者にあっては、独裁制の民主制への転換に関心と努力が払われていることは周知の通りである。
三、さらに、両者の中間に位している諸国は、少くとも欧洲に関するかぎり、西欧の先進諸国においては社会民主主義の方向をとり、東欧の後進諸国においては人民民主主義が支配的である。
これは他の大陸の諸民族においても次第にあらわれてきようとしている二つの新しい国家の型を示唆しているといえる。
四、 だが、社会民主主義の実現は民族の独立と、経済の復興をその現実の前提とする。したがってまた、進歩的な世界諸国民の努力はこれら二つの目標に傾倒され、わけても勤労大衆の喫緊な生活欲求とつらなり、文化的、政治的再建の物的基礎をなすところの経済復興への諸国民の態度が国際情勢を規定する重大な契機となっている。
五、 世界経済は回復への傾向を示してきた。アメリカをはじめ欧洲諸国における生産は増加し、貿易もまた上昇的状態にある。ただ、インフレーションは全体としていまだ解決されず、全般的な安定は相対的にみても、なお実現されないで、危機的状勢は依然として深刻である。
六、現在、欧洲の回復を決定的ならしめるためには、その国の国内政治の安定とともに特にマーシャル・プランの増強が必要であるが、これに対してコミンフォルムは、マーシャル・プラン排撃を中心に猛烈に活動してきた。
その結果は、西欧経済に若干の影響を与えたが、東欧式の革命はチェッコを最後として、挫折し、また仏伊をはじめ、一般に保守的傾向の強化を招来しつゝあり、しかも西欧は団結してますます強く東欧と対立するにいたった。
七、 北大西洋同盟の結成が進行するや、各国コミンフォルムの代表者は一斉に起って、ソ連軍を歓迎することを公式に宣言し、その民族の立場からハッキリと離れて、ソ連擁護の国際主義を表明するにいたった。
八、 コミンフォルムの以上のような活動に対し、昨春旧第ニインターナショナル系の社会主義者がパリーに集合して「社会主義者情報宣伝局」を創設し、欧洲連盟支持を決議したことは、社会主義政党の新たなる国際的活動として注目されねばならない。
九、 このほか英、仏、独、伊その他十三ケ国の社会党代表によって開かれた国際社会党大会で「民主的社会主義を破壊しようとしている共産主義者」と闘うことが声明されたこと、また昨春、英国労働党の提唱により、十二ケ国参加の下にロンドンで開かれた国際労働会議が、欧洲復興援助に関するマーシャル・プランを支持すると共にマーシャル・プラン遂行の目的をもって設立されたあらゆる機関にも参加すると決定したことも見逃せない事実である。
一〇、かくして米ソの対立は世界を覆って、いよいよ激化しつゝある。戦争の危機はたしかに高まった。このまゝ第三次大戦には、恐らくならないであろうが、戦争準備は急速に進行しつゝある。事実上、大軍事同盟が頻りに締結されつゝあるし、軍需生産の拡大も急速度となってきた。
米ソをはじめ世界は第二次大戦後わずかに三年にして、早くもハッキリと再軍備時代に入っている。
一一、こうした情勢の展開は、第二次大戦後大きく展開された資本主義から社会主義への歴史的前進の波が、一応停滞してきたかの観を与えるが、しかしわれわれは歴史の歩みと人間生活の合理的要点が、当然に社会主義への転換を必要とすることを再確認し、社会主義の偉大なる歴史的発展のために闘わねばならない。
それと同時に、おくれた東欧諸国において行われたいわゆる人民民主主義の革命の方式はすでに限界に達して、事実上独裁に移行したことは注目に値する。
一二、しかるに最も典型的な民主主義国英国においては、労働党内閣によって、銀行、炭鉱、医療などが国有されている。これはいまだ社会主義政権とまで発展しないが、着々と社会主義革命のための準備がなされつつある。
このことは民主主義的革命方式を主張するわが党としては、特に大きな関心事でなければならない。
一三、東洋においても、中国を除けば、経済は少しく「回復」への方向を示し、日本はこれらの諸国と貿易を再開しつゝある。たゝ゛、中国はその政治的不安と相侯ってインフレーションの破局化、経済の混乱をもたらし、これに乗ずる中共軍の急激な進出は農地改革を基盤として決定的となりつゝある。
和平問題の前途はなお明かでないが、中国の将来は大きく転換せんとしている。
一四、加うるに、広く東南諸国を通じて、民族の独立、国家形成の機運は急速に高まりつゝある。これは、当面的には、ともすれば国内混乱を来して、日本経済にとって不利であるが、根本的には歴史の偉大なる進歩であり、人類の民主主義的発展を示すものである。
一五、かくして、米ソの対立、コミンフォルム、中国、東洋諸国の動向は当面重大なる関心事である。敗戦国家として、占領軍の駐屯下に、事実上、アメリカ合衆国によって管理されている日本が、複雑な国際情勢の中において中立を保ちつゝ、民主と平和の国として起ち上るためには、われわれは幾多の難関を突破しなければならない。
一六、われわれは、中立的立場を堅持しつゝ、アメリカの対日援助をうけいれ、勤労大衆の手による日本再建を押し進め、速かに日本経済の自立と民主的な安定をはからねばならない。
対外援助から、当然に予想される若干の制約のあることは、もとよりさけ難い所であるが、これを解決するものは勤労大衆の自覚と自立である。
われわれの立場と将来に確信をもち、一日一瞬も早く、日本の民主的な再建を実現することが当面の急務である。
第三 国内情勢
一、最近の国内の政治情勢は、わけても過般の総選挙の結果からみれば、社会民主主義政党たる社会党にとって極めて不利であるかに見える。
だが選挙における社会党の後退と民主自由党の肥大と、共産党の進出とは、浮動票の移動による部分が多く、わが党の再建如何によっては、再びこれを取り戻すことが出来るのであって、選挙の結果がそのまゝ各党の背後に存する真の社会的勢力の変動を示すものではない。
さらに国民の多数は、今次総選挙の結果に表われた左右両極端に立つ勢力の進出に対しても漸次批判的となり、却って、祖国を救う道を社会民主主義の強化、わが社会党の再建と強化の上に求める傾向にある。
二、また経済情勢においては、民自党内閣の手による経済九原則の実施は、第五国会を通じて、具体的に提案されるに及んでそれが公約の棚上げに終ろうとするばかりでなく、勤労大衆の全面的犠牲において金融資本を擁護する本質をバクロし、大衆の窮乏と不安は急速度に増大せんとしつつある。
かくて、勤労大衆が平和的かつ建設的な社会主義政党たる、わが社会党に最大の期待をかけるに至るであろうことは明らかである。
三、 まず、生産復興の状況をみるに、敗戦後三年余における成績は相当顕著なものがあった。昭和二十三年十二月の総合生産指数(対昭和五−九年平均)六四・四がこれを証明している。だが欧洲諸国の生産復興がすでに戦前の水準を突破している事実に対比すれば、その復興の速度はなお緩慢である。
四、 通貨は、健全な均衡財政と金融政策が完全には実施されなかったとはいえ、昭和二十三年は前年の一三五%増から六二%増に低下した。
五、そして消費者実効価格指数は基準年次に対して二十二年度の一九一%から六三%に低下し、実質賃金は名目賃金の上昇と相侯って確かに向上している。
六、だが、これら安定のキザシも、結局において、多額の補助金と米国よりの多額の援助によって支えられてきたものであり、資本と国土の喰いつぶしと、多額の輸入超過は依然として存し、実質賃金は戦前の六〇%の低水準にあることを忘れてはならない。
七、以上の経済条件の上に、吉田内閣は第五国会を通じて経済九原則を実施したが、その政策はまず民自党の公約の完全なる棚上げとなり、国民の不平は増大しつゝある。
即ち、料飲店の再開は極度に限定された範囲において実現されるだろうが、供出後の自由販売は超過供出の法制化となり、公租公課の軽減は、所得税の莫大な水増し、取引高税の据え置き、間接税の増徴等に代り、災害復旧費、六・三制国庫補助、土地改良費、地方配布金は著しく削減されつゝある。
しかも食糧の消費価格の値上げ、鉄道旅客運賃の六割、通信料金の四割のそれぞれの値上げ、酒、煙草配給制度の廃止等によって大衆負担は増大し、実質賃金は低下するであろう。
八、吉田内閣の二十四年度予算によって先ず資金は著しく窮迫化するであろう。
このことは建設公債の発行停止や、公共事業費の削減と相侯って基礎産業の生産計画実現は困難となり、更にまた集中生産方式の採用と単一為替レート設定と相侯って中小企業の倒産は統出し、失業者の増大と賃金不払は顕著となるであろう。
九、農民は災害復旧、土地改良が著しく困難となり、単一為替レート設定により養蚕経営は危機に立ち、公租公課や寄附金の増大は必至の傾向にある。
また、失業者の農村への復留はさなきだに農村人口の過剰を来すであろう。
一〇、地方配布金、災害費、六・三制補助金等の大幅の削減は、地方財政を著しく困難に陥れるであろう。
一一、なお、政府は行政整理による大量首切りを開始しているばかりでなく、労働法規の改悪、考査委員会の創設などを用意し、弾圧政策を強行しようとしている。
一二、かくして社会不安は増大し、人権擁護の叫びは都市から、村から、ほおはいとして高まり、民自党の信用は急速度に低下するであろう。
わが党は民自党の公約不履行を徹底的にばくろすると共に、経済九原則に名をかりて、勤労大衆の一方的犠牲において金融独裁支配の体制を確立せんとする反動政策と徹底的に抗争せねばならない。
一三、日本共産党は、また民主自由党のこれらの政策を自己勢力の仲長のために巧みに利用しつゝある。
われわれは、共産党の政策が全くぎまんであり、その革命方式は更に深刻な窮乏をもたらすであろうことをばくろすると共にその新民主主義なるものが独裁主義の仮面に外ならぬこと、共産党が万一にも政権を握るようなことがあれば、必ずやその仮面をかなぐり捨ててソ連式の独裁政治を布くために、無血クーデーターを行うであろうということ、その独裁政治のもとにおいては、国民の基本的人権は認められず、一切の自由は剥奪され、労働者は強制労働に追いたてられ、一切の反対党は弾圧せられ、わが国史上かつてない国民生活の暗黒時代が出現するであろうことを、国民大衆に訴えて、民主主義擁護のために、その奮起を促さねばならぬ。
一四、わが党が過般の衆議院選挙において大敗を喫した理由には、
(一)片山内閣は、第一次吉田内閣の放漫なインフレーション政策の後をうけ、経済復興が基準年度の僅か三〇%という荒廃した経済地盤の上に、主食二合三勺の配給さえ困難な事情のもとに、日本の民主化と勤労大衆の生活擁護のため悪戦苦闘したにもかかわらず、その業績が正当な評価を受け得なかったこと。
(二)昭和電工疑獄事件によって倒壊した芦田内閣の与党であったこと。
(三)党内におけるいわゆる左右両派の抗争なるものが、誇大に宣伝せられて、国民の信頼をつなぎえなかったこと。
(四)党の活動が党内抗争、国会闘争に集中せられて、対社会的な大衆運動が不敏活であったこと。
(五)党の組織自体に幾多の欠陥があって、民主的な組織労働者その他の諸団体との連絡が不充分であったこと。
(六)また、日本が占領下にあるという冷厳なる事実を無視した無責任にして破壊的煽情的な宣伝が盛んに行われたり、或は世界の動きに抗して自由経済を復活しようとするような言説が横行したことなどに対して、わが党の政策浸透が不十分であったこと。
などをあげることが出来る。
特に連立内閣が社会党に対する勤労大衆特に組織労働者の信用を失い、われわれの力を強めないで、敵の力を強めたこと、日本の民主主義革命−社会主義革命という究極の目的から見るならば、それは明らかにマイナスであったことは反省を要する点である。
一五、かくして、われわれ今日における最大の急務は過去に対する徹底的批判をなして、客観的情勢の急速な転換に対応するために社会党本来の建前を生かしてこれを勤労大衆の社会主義政党として再建することである。
しかも今や勤労大衆の中核たる労働組合は、この社会党の再建と政治戦線統一のために、いまや澎湃として立ち上りつゝあり、民主的組合のわが党への大量入党はー日本社会主義運動史上の飛躍的段階を表わすものであるがー続々と行われつゝある。われわれの前途は困難の中にも光に面している。