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日本社会党綱領ーいわゆる統一社会党綱領

*1955年から1986年までの綱領。出典は『日本社会党綱領文献集』(日本社会党中央本部機関紙局 1978)。『日本社会党綱領文献集』収録テキストをPDFで付す。ここ
 
前文 第一章  第二章  第三章  第四章
前文
 
 1 資本主義は封建制度を打破し、旧来の階級制と農奴制度を解放した。一九世紀以来、世界の資本主義は飛躍的な発達を示した。それは生産力の増大、国民生活の向上、民主主義の成長、近代文明の発展などをはなばなしく展開した。しかし、資本主義は、その固有の特質である人による人の搾取、無計画的な生産のため漸次大衆生活の不安定、周期的な恐慌、大量的な破産や、失業問題をひき起こした。とくに、賃金労働者は、資本主義の正面の犠牲者となった。

  資本主義は、その発展とともに、生産技術の改善と進歩をもたらし、膨大な富を蓄積してきたが、それはほとんど資本家階級の握るところとなった。労働者階級をはじめ、その生産に努力し、協力した人々には労働の報酬にもみたない僅少な部分しか与えられなかった。
  資本主義は発達して国内から進んで国外におよび、植民地、後進国、勢力圏の獲得に狂奔するに至り、列強の対立抗争を急激に高めた。資本主義は、これら未開発地域の民衆を直接に、または土着資本を通じて残虐に搾取することによって、特別の利潤をあげ膨大な富をつくり出したが、これらの未開発国の住民はいぜんとして貧窮と未開のままに放置された。世界はその意味では、富と文明を満喫した強大な資本主義帝国主義の国と、貧乏と非文明にしんぎんする植民地、後進国とに分裂した。
 
 2 資本主義は、国内的、国際的にかかる不均衡と不安定をもたらしながら、この間不断に急速な資本の集中集積を行なった。その結果、各国それぞれに固有の型を示しつつも、全体として独占資本、独占金融資本の発展をみるにいたり、資本主義の苛こくな歴史的傾向は、さらに画期的に大規模かつ公然と展開されてきた。自己の労働力を売る以外に生活の道のない労働者階級はますます増大したばかりでなく、失業者が大量的に街頭になげだされて、勤労大衆の生活は窮乏と不安におびやかされた。農業も、中小企業も、開花した大資本のかたわらに倒産するか、かろうじて隷属的な存在を許されるにすぎなかった。
  資本主義とともに発生し、その発展とともに増大した労働者階級が、なによりもまず資本主義社会は、労働者を搾取し、従属化せしめる階級社会であると認識したことは当然である。労働運動が発生して、資本主義の惨害から労働者階級の生活擁護の運動を展開するにいたり、さらに進んで資本主義社会そのものにかわるべき、あらたなる社会秩序、すなわら社会主義社会を建設しようとする政治運動、社会主義運動が台頭してきたことも、また当然の事態であった。

  資本主義はかくして独占資本の支配するところとなった。独占資本は内においては、労働者階級の搾取をますます強化し、膨大な失業者群、中小企業や農民の破産、不安定なる中間知識層などを産出して、貧富の差をますますはなはだしからしめるとともに、外にたいしては最高の利潤をめざして植民地の獲得、後進国の争奪、他国の領土権益の侵略を企て、巨大な近代武力を背景として帝国主義政策を強行した。その結果第一次大戦がぼっ発した。地球の一角には共産主義国家が出現するとともに、他面植民地の民族解放運動が発展した。世界の資本主義は、体制として重大な危機に立たされた。
 
 3 第一次大戦後の世界の資本主義は矛盾と対立に悩みながらも比較的急速に回復した。敗戦国ドイツや獅子の分け前にあずかり得なかったイタリアは、日本とともに、他国や他民族にたいしてほしいままにみずからの「生活圏」を主張し、偏狭な国家主義と独善的な民族主義をあおりたてた。近代労働者階級のような自発的民主的な組織や経験をもたない中産階級、農民、個人経営者などはその陣列に動員され、独裁政権が樹立された。自由な労動運働や社会運動は極度に弾圧された。その結果ついに第二次大戦がひき起こされた。世界がファシズムの正体を見とどけるのはあまりにおそかった。大戦でファシズムは敗退した。しかしその末期から東ヨーロッパ諸国を中心に共産陣営は急激に拡大され戦後の世界はしだいに米ソを中心とする東西両陣営に分裂した。
 
 4 共産主義運動ははじめは、革命の方式にたいする理論と批判の結果、各国の社会主義政党から分離して出発し、世界の労働運動もこれにともなって分裂した。各国の共産党はその後コミンテルンの名のもとに一枚岩の国際的組織となり、共産党とその支配下にある労働組合は、今日においてもコミンフォルムの厳重な規制のもとにおかれている。共産主義体制のもとでは、資本主義変革の過程には一つの意志に統合され、鉄の規律をもった共産党がプロレタリアートの前衛であることが主張され、その共産党が革命後の国家を支配することが当然とされ、その国家は何者にも優先してオール・マィティの権力を行使することが要求されている。しかも一時的と称されたかかる事態が長く継続することにより共産主義は事実上民主主義をじゅうりんし、人間の個性、自由、尊厳を否定して、民主主義による社会主義とは相容れない存在となった。
  社会主義は民主主義によって達成され、民主主義は社会主義において完成する。ゆたかな生活、自由、人間の尊厳も、社会主義のもとにおいてのみはじめて確立される。
 
 5 社会主義は生誕いらい、いく多の迫害と挑戦を受けたが、その苦難をきり開いて、第二次大戦後の世界においては、先進国と後進国とを問わず、今やろう固としてぬくべからざる世界的運動となった。古いインターナショナルの伝統をもつ西欧では社会主義インターナショナルの名のもとに世界的な機構が復活した(一九五一年六月)。長く植民地状態にあったアジア社会党会議が誕生した(一九五三年一月)。この二つの社会主義運動の国際組織は、いずれも民主主義による社会主義の世界的勝利をめざし、共産主義を克服しつつ資本主義、帝国主義とたたかい、真の自由、平等、正義と、平和で、ゆたかなる国際社会の建設にまい進しつつある。
 
 6 日本社会党の運動は単に日本における運動たるにとどまらない。社会党は社会主義インターナショナルおよびアジア社会党会議の一員として、ひろく世界の社会主義者と提携し、世界の社会主義の前進と、確立に貢献する。わわわれは、アジア社会党の立場を社会主義インターナショナルに反映せしめつつ、この二つの組織の間の架橋の役割を演ずることにより、窮極的には世界の社会主義運動の一本化に貢献する歴史的使命をもっている。
 
 7 日本社会党は一○年前に結成され、一九五五年一一月二日をもって満十年を迎える。われわれは共産主義を克服して、民主的に平和のうちに社会主義革命を遂行するとともに、あらたに課せられたわれわれの任務−民族の完全な独立−の達成にむかって前進また前進し、結党いらいの伝統の上に立ち、本綱領を堅く遵守して、最後の勝利を獲得することを誓う。
 
第一章 日本の現状
 8 日本は一八六八年の明治維新により、近代資本主義への大道を切り開いた。日清日露の両戦役をへ、第一次大戦を通じて、日本の資本主義は政治、経済、社会上いく多の半封建的関係を残存しながらも、独占資本主義の段階に進んだ。一九三0年代のはじめから、日本には、軍部を中心としてファシズム勢力が台頭した。第二次大戦では、日本は、アジアにおける帝国主義戦争の主役を演じた。
 
 9 この大戦の結果、世界は、資本主義と共産主義との二大陣営に分裂し、しかも共産陣営は急激な膨張をとげた。後進国、植民地は相ついで独立を獲得した。アメリカ資本主義もいちじるしく進出した。大戦後の資本市場はこうして格段にせまくなり、世界の資本主義は、全体として重大な危機に陥った。それは、経済、政治、社会の全面にわたる包括的な危機であった。
  資本主義は、しかし、これを打倒する主体的な闘争のない限り、自動的には死滅しない。戦後十年間いろいろな不安と動揺の過程をたどってきた世界の資本主義は、体制として根本的には深大な矛盾と困難をはらみながらしだいに再建されてきた。
  一方、大戦末期いらい、急速に拡大された共産陣営も資本主義陣営との激しい抗争を示しながら、強力に、独自の政治、経済、生活の再建を進め、その勢力圏をひろげてきた。
 
10 この米ソ二大陣営の対立は、時には激しい軍事的対立を来したが、一九五五年夏ジュネーブの四巨頭会談で大戦回避の傾向があらわれてきた。しかし、元来異質の経済と政治をもつ両陣営が膨大な軍事力をもっていることは、根本的には世界の平和に不安を与えている。原因や理由はともあれ、資本主義陣営の側に、当然帝国主義的な国際緊張の積極的な要因が存在すると同時に、共産主義陣営の側にも、その世界革命方式や軍事力に内在する戦争の危機がはらまれている。ただ両陣営がともに原水爆を製造し、所有していることは第三次大戦の危機をかえって防止しているとみるものもあるが、原水爆は根本的には戦争の脅威をなしており、全般的軍縮の意味がますます高まっている。
 
11 大戦後の世界には、さらにこの両勢力のいずれにも属せず、自主独立の立場から、世界の平和を確保しなければならぬとするあらたなる勢力が台頭している。それは、話し合いによって世界の緊張を緩和し、世界の軍縮を実現し、本来あるべき一つの世界の機関としての国連を完成して、世界の平和を実現せんとするものである。この勢力は強弱濃淡の差はあるが、それはひろく全世界にわたって存在し、発展している。ことに多年極度の窮乏と植民地主義に苦しみ、自由と平和を求めて独立したアジア地域では、とくにその社会主義勢力のうちに、この傾向は集中的にあらわれている。
  かかる財界の情勢のなかにおいて、世界の資本主義はいまや、全体として長期にわたり、諸国民の生活を向上、安定させることができなくなった。かれらはあらたなる−民主主義的な平和革命による−社会主義に席をゆずらねばならない。社会主義は、すでに世界の随所において実践の段階に入っている。
 
12 ひるがえってわが日本は、うたがいもなく資本主義国である。それも高度に発達した、独占金融資本の国であり、かつては、アジアにおける第二次大戦の張本人となった帝国主義の国であった。しかし、戦争による破壊、領土植民地の喪失、連合国の占領政策、世界の新情勢等は、独占資本主義としての日本資本主義の構造と体制を混乱させ、一時崩壊の危機に瀕せしめた。
  占領政策として遂行された民主化政策、すなわち軍隊の解散、政官財各界、学働、言論、教育各部門にわたる追放、労働三法の制定、農地改革、独占禁止、集中排除、財閥の解体、新憲法などは、民主革命の言葉が流行したほど、日本資本主義の民主化、近代化としての歴史的意義を果たした。この事態を背景に、政治における言論、集会、結社の自由と、経済における極端な窮乏とは相まって、あらたに労働組合を飛躍的に発展させ、日本の労働者階級はここに資本家階級と抗してぬくべからざる組織力をもつにいたった。これは日本の資本主義の資本家階級にとって根本的な脅威である。
  日本資本主義のかかる危機は、われわれの資本主義を変革せんとする力の不足に乗じて漸次のりきられ、アメリカの対日援助とわが国資本に守護された資本家階級の再建工作は、次第に奏功し、独占資本の地位もまた回復してきた。しかし日本資本主義は根本的に重大な矛盾にかこまれており、真に体制として安定的に再建される見通しを欠いている。再軍備の強行と、経済生活の安定とは、相反せざるを得ない。日本経済の軍事的再編成は、これを奇形化する傾向をもたらし、とうてい将来の安定を約束しない。
 
13 日本資本主義には、元来、戦前から構造上のぜい弱性があった。一方では、独占資本の発展をみながら、他方では広範に中小企業が残存し、農業は世界にまれな地主制と過小農制に支配されていた。日本資本主義は、急速な資本の集中にもかかわらず、労働大衆を近代工業に吸収しえなかった。零細な農業、中小企業は過多の人口をかかえてあえいできて、膨大な失業の源泉を作ってきた。八百万人をこえるといわれる潜在失業の問題は、このままでは解決される見込みはない。
  敗戦後行なわれた農地改革は、中途半端であった。施行後十年を出ないうちに、小作料引上げが行なわれ、農地の自由売買制までも行なわれんとしている。中小企業も、せっかくの集中排除、財閥の解体、独占禁止などがしだいに有名無実と化して、合理化、近代化、系列化の美名のもとに、大資本に隷属するかまたは併呑されている。
  日本資本主義の本来もっている機構的な矛盾はほとんど解決されず、反対に独占資本は再軍備政策とともに、逆コースの線に沿い、あらたに資本の集中と搾取の強化に拍車をかけている。
  いまや資本家階級がMSA再軍備政策とともに強行せんとする露骨な反動政策は全面的である。労働三法の改悪、独占禁止法の空文化、財閥の復活、小作料の引上げ、警察法改悪、破防法、教育二法、秘密保護法、自衛隊法の制定、平和憲法の無視と改悪の企図等々。
 
14 敗戦で日本に一兵も残さなかったアメリカは、冷戦の激化とともに、みずからのあらたなる世界政策にのっとり、改めて日本を軍事基地たらしめる方針をとってきた。合衆国を中心とする連合国の意図は、当初は米ソの対立がいまだ重大化していなかった世界情勢、とくにアジア情勢を背景として、非武装、永世中立を基本に、戦争の原因と能力を日本から永久にせん除することにあった。日本自身も戦争にたいする自己批判とあらたな決意にもとづき、主権在民、基本的人権の擁護とあわせて絶対平和を信条とする新憲法を受け入れた。
  しかるに、戦後列強の新勢力圏をめぐっての紛争、植民地の相つぐ独立、'東西両陣営の対立激化があり、さらにアジアでは、中国において革命が行なわれ、朝鮮、仏印において、あるいはまた台湾をめぐって、両陣営の武力衝突が起こり、一方では日本とその同盟国を対象とする軍事的な中ソ友好同盟条約が結ばれ(一九五〇年二月)、他方では朝鮮動乱(一九五〇年六月)を契機に警察予備隊が新設された。やがて、対日平和条約が決定し、日米安保条約が結ばれて、アメリカの対日政策は、中ソを対象とする軍事的、戦略的な体制を整えるにいたった。日本に対するアメリカの制圧は何よりも軍事上の必要に由来する。
 
15 この事態の上に立って、日本の経済にたいしても、アメリカの重要な制約が加わってきた。それは種々なる対日援助を根幹として貿易、特需、外国為替などを通じ、また産業にたいする投資を通じて行なわれた。それも当初は一般経済的な傾向をも示していたが、しだいに、軍事面を中軸としてきた。MSA協定はその好例であるが、進んでアメリカは日本の予算の編成にまで事実上干渉するにいたり、その日本経済をしてアメリカ経済の線にそって進まざるを得ざるにいたらしめている。
 
16 政治的には講和条約の締結自体が示すように、日本は一応形式上独立国であるが、しかし事実においては、安保条約、行政協定が結ばれ、アメリカ軍隊の無期限駐留、無数の軍事基地網の設定などによって、重大な急所をおさえられている。安保条約、行政協定、MSA協定などは不平等条約であり、日本の自由なる独立国としての立場を拘束し、憲法無視、通商阻害の結果をもたらしている。
 
17 日本は戦後十年にして、独占資本主義の段階を回復し、日本の支配階級たる独占資本、これにひきいられる資本家階級とその政府は、高度の近代的資本主義構造を築き上げた。このあらたな日本は、他面民主主義の基盤を広範に確立し、近代的政治機構と、能力をもっている。日本の独占金融資本は、その本来の念願たる最高利潤を追求するために、国内では労働者の搾取はもちろん、中小企業の併呑、農業への圧迫を強化するとともに、外にたいしては、アメリカの独占資本、帝国主義に結びついた。日本の独占金融資本はかくして、まず国際情勢の変化とアメリカの積極的な世界政策に即応して、軍事的にアメリカの支配のもとに立ち、その関係を中心に、経済・政治上重大な急所をとらえられて、全体として、アメリカに従わざるを得ない事態にたちいっている。
 

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