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                         日本社会党(左)綱領清水私案
                                         −帝国主義下の行動綱領−

                                                                    (自筆原稿)
                                                                               
 日本社会党(左派)の綱領討論にあたって、綱領委員であった清水慎三が1953年9月に提出した綱領私案。左社綱領原案に対して民族独立闘争の意義を強調。多数意見にはならなかったが、党内で広く議論を呼んだ。出典は 高木郁朗編『清水慎三著作集 : 戦後革新を超えて』(日本経済評論社, 1999年)収録テキスト。文末に【本著作集編者(高木郁郎氏)注】があり、校訂経過が書かれている。掲載に当たって、原文の傍点は太字とした。『社会主義』1953年12月号掲載テキストでは、「反対提案の理由」が冒頭に置かれている。長文のため二ページに分けて掲載。掲載にあたって著作権継承者清水克郎氏の同意を得た。    PDF版
                                                                               
目次
 
序文
第一、民族独立と社会主義革命−−革命の展望
(一) 敗戦日本の権力構造
(二) 諸階級の状態
(三) 戦略の基調と展開
  1 戦略的集中点=民族独立
  2 民族独立と社会革命の結合−−民族闘争の性格規定
  3 戦略展開の方向−−平和四原則の戦略的意義
   a 民族政権の権力基礎の培養
   b 平和運動を通ずる完全独立の要求
   c 国際平和の努力と中立外交の展開−−第三勢力の課題
   d 内外独占資本の搾取構造への挑戦−−統一的生活要求と民主主義の防衛
(四) 平和革命を基調とする組成的革命方式の提唱
(五) 過度的政権と共同戦線の可能性
第二、政策綱領 別冊
第三、組織綱領 別冊
 
序文
 二十世紀を迎えて社会主義は地上のものとなった。もはや、社会主義は空中にえがかれたまぼろしの楼閣ではない。近づきがたい壮大な思想体系にとどまるものでもない。それは汗にまみれ、土によごれた働く人々が、資本主義下の長い搾取と圧迫の体験を通じて、自らを解放する戦列に加わり、搾取なき社会、働く能力あるものすべて職を得、働けば必ずその生活は向上し、いかなる人も平和な最低生活を保証されるような社会の建設をめざして、自らその戦列を組織化し、闘争と建設の大衆的試練を経て、具体的に作り出してゆくものとなった。それゆえ、社会主義社会は、それぞれの国の国内的国際的諸条件の上に、平凡なる無数の大衆の手によって、その組織されたるエネルギーと頭脳によって、いくたびか誤謬を冒し、自己批判を重ねつつ現実的に創造されるものである。
 わが日本社会党は、このような大衆的進軍の戦略的組織拠点として、祖国をめぐる国際環境に対応し、逆にこれを調整しつつ、民族的土壌の上心、この国にふさわしい社会主義社会を実現する使命をもった政党であり、指導的中核組織体である。

 党は、かつて数年前、党の基本的性格と任務、平和革命方式をめぐって白熱的な討論を経験した。その結果、党は社会主義原論の教科過程を一応学習することができた。この学習を通じて、党は資本主義社会の基本的階級である労働者階級の歴史的使命を代表するものであり、それは農民をはじめ、肉体的、頭脳的に働く人々の協力をえなければならないということ、社会主義社会は社会革命によって実現されるものであり、その革命の全過程を通じて政治権力の階級間の移転即ち政治革命が最も根幹となるということ、政治的形式的民主主義が確立し浸透している社会では平和革命方式が可能であること、等の社会主義一般論を党の内外に明らかにした。
 だが、原理原論の解明は、必要なことであるにしても、それだけで啓蒙段階を脱した社会主義政党の組織と行動と政策を確立するものではない。党を革命指導組織として仕立てあげることはできない。

 一九五三年度の党大会は、新綱領の作成を要望した。それは党活動の第一線に挺身する社会主義戦士たちが、党従来の一般原則の宣揚と経済主義的情勢分析と政策論集のみではあき足りないことを明らかにしたものと解すべきであろう。
 たしかに、党に不足していた重要な事項がある。それは権力闘争のための基本的な戦略論がなかったことだ。そのことが党活動に戦略目標をあたえず、行動的な組織展開の方向を不明確からしめた基本的原因の一つである。新しい行動綱領は大会の要望に答えて、党の運動のために、基本的な戦略規定を明示するものでなければならない。とくに、平和四原則によって分裂し、平和四原則によって成長を示したわが党にとって、この四原則の戦略的意義を明らかにすることはもっとも大切な焦点となる。

 もちろん、社会主義原論を無視するのではない。それは更に深められて党の教科書の編集にまで進められねばならない。政策論も従来の実績で十分なわけではなく、あらゆる政策領域にまで充実されなければならない。更に具体的に、より権威あるものに高められねばならない。だが、行動綱領の焦点は、それにもかかわらず、戦略論に指を屈しなければならない。組織と行動と政策の基調を明瞭にするために……。
 
第一 民族独立と社会主義革命−−革命の展望
(一) 敗戦日本の権力構造
 党は社会革命を実現するための社会主義政党であり、社会革命は支配階級からの政治権力の奪取を根幹とする。それ故、党活動の基調である戦略規定は、敗戦日本を支配する政治権力はどこに所在するか、権力構造はどうなっているのかという究明からはじまるのが当然である。
 敗戦以来、祖国日本は一貫してアメリカの権力支配の下にある。敗戦直後の「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官に従属する。日本との関係は契約的基礎の上に立つものでなく、無条件降服を基礎とする」と通告された時代はいうまでもなく、ガリオア、エロアの両資金援助に助けられ、アジア市場におけるアメリカの資本主義的補完国の任務を課せられたドッジ・ラインの時代も、サンフランシスコにおける講和・安保両条約、行政協定、M・S・A機構への統合と打ちつづく一連の諸条約に緊縛されたアメリカのアジアにおける反ソ反中共の重要戦略基地と化した現段階も、最高権力の所在が一貫してアメリカにあるということについては何ら変るところはない。
 アメリカの対日支配の方式は占領以来引きつづいて間接統治である。そのことは、権力構造の面において、きわめて複雑な課題を提供した。
 敗戦直後、アメリカの権力が、日本の軍事力を破壊し、アメリカ型民主主義を大幅に採用したとき、戦前戦時を通じて軍事型に築き上げられていた日本の権力構造は大きくゆり動かされた。軍部の解体、枢密院・貴族院の廃止、憲法による天皇制の象徴化、特高警察の廃止等により、旧来の権力構造の中における封建的要素、絶対主義的要素の力は大いに減殺され、一時は解体的傾向さえ見せていた。だが、その時代でさえ、アメリカの支配権力は、日本の官僚制度を間接支配のための窓口機構として活用した結果、客観的には権力構造の中に温存してしまった。このような過程は、敗戦後の日本の権力構造に重要な影響を及ぼした。

 その第一は、日本の権力機構が敗戦後大いに単純化したこと。第二に、封建的勢力や絶対主義的勢力が立てこもる権力組織的拠点がほぼ消滅し、官僚制度さえも、戦後においては大体、金融資本を頂点とする日本の総資本の行政制度という性格に落ちついてきていること。そしてこのことは、最近の逆コース下においても、官僚独自の権力組織的な拠点をもたざる限り、大体変らないであろうということ。その第三は、アメリカの権力が、日本の過去の一切の権力機構を解体して、新たなる純買弁的下請機構を別途つくろうとしなかったこと。
 われわれは、以上のようなことを着目しておく必要がある。
 ドッジ・ラインの時代、アメリカの対日政策が日本資本主義を再建し、アジア市場支配のための補完的任務につかせようと進路を定めたとき、日本の独占金融資本は颯爽と復活した。それは、労働者・農民、中小企業に対する搾取方式においては戦前と全く同様の性格のものとして再建されたが、独占金融資本自体の型はかつでの財閥の遺産を継承しつつも、財閥型ではなく、巨大銀行資本を中核とする新しいコンツェルン型をとり、いわば近代的な衣裳を身にまとって登場した。同時に、その経済的王冠は、かれら白身の実力によるものでなく、アメリカ独占資本という資本主義の法皇庁から神授されたものであり、この王権神授なき限り、かれらの王座は成り立たないという特色をもつに至った。

 朝鮮動乱以降、アメリカの対日権力支配は、サンフランシスコにおける形式的独立の附与にもかかわらず、実質的にはこれとは逆に質的な前進をとげた。日本の地位は、ドッジ・ライン時代のように、単なるアメリカ資本主義の補完国にとどまるのではなく、アジアにおける対ソ対中共の最前線の重要戦略基地に変貌したのであるから、アメリカの軍事的、政治的、経済的権力支配が一段と強化されてくるのも当然であろう。軍事基地の設定と拡充、米軍指揮下の傭兵再軍備の強要をけじめとし、講和条約からM・S・A協定に至る一連の諸条約、諸協定による実力に基づく超憲法的政治支配、中ソに対する貿易制限と特需の発註操作を通ずる日本経済全体の隷属化政策(日本資本主義の経済規模ばかりでなく経済循環自体の拘束)、更に為替市場における外銀の支配、技術提携に対する過酷な諸条件等々、アメリカの支配力は間然するところがないまでに浸透した。
 朝鮮特需三ヶ年の経済過程を通じて、金融資本を頂点とする日本資本主義は、制度としてアメリカ資本主義に隷属せざるをえないようになった。それは個々の資本家の主観的意図をこえた客観的な事実となった。もはや、日本資本主義はイギリスのそれと異なり、総資本の立場において、アメリカ経済からの自立を主張することができなくなってしまった。

 このような政治的軍事的経済的諸条件の下における日本の政治権力の所在とその構造は次のように考えるべきであろう。
 敗戦日本を支配する最高の権力はアメリカ独占資本の手中にあり、日本は完全にその帝国主義的支配に隷属を余儀なくされ、今やその度合はますます強化されつつある。

 かつての日本の政治権力の中核体であった独占金融資本は、アメリカの庇護の下に完全に復活強化し、朝鮮動乱の過程を通じてその物的基礎において完全に隷属化し、その自立性を失ってしまったが、一方アメリカの支配権力はこのような立場の日本の独占金融資本とその政治勢力(代弁政党のほか戦後の官僚をも含めて)をその権力機構の中に組入れて間接統治する方法を利益としたので、この両者は利害関係の一致から、アメリカ側の指導下に敗戦日本の権力構造の中で完全に融合をとげるに至った。
 日本の独占資本は、その純経済力の弱さを戦前以来の独白の搾取構造の復活強化によって補強しなければその機能を発揮しえず、新しい支配者アメリカ独占資本の要望にさえそいえないので、その承認を経て、天皇制復活の努力をはじめ、都市や農村の前時代的ボス支配、工場鉱山等における身分的職制支配を強化し、これらを支柱として自らの搾取構造を確立し、権力組織を整備することに狂奔しはじめた。
 かくして、最高支配権者アメリカ帝国主義は、その買弁であり謙遜なる助手である日本独占資本を、その権力組織と搾取構造のまま丸抱えにして、一路アジアにおける戦略的なかなめとして押し進めている態勢にあり、日本は独立主権をもたない意味において植民地と異ならず、一単位の独占資本の国であり、その権力組織と搾取構造が解体されておらず全体として隷属している意味において従属国となっている。総括して植民地的従属国ともいうべき地位にある。
 
(二) 諸階級の状態
 朝鮮動乱以降、特需を中心に経済循環が形成され、制度としての日本資本主義が対米隷属を離れては自らの進路を見出しえなくなった以上、金融資本を頂点とする日本の総資本自体、運命的にアメリカの対日権力支配の支柱とならざるをえない。いいかえれば、日本資本主義は、制度として、もはや西欧先進資本主義諸国のように、アメリカとの間に、時として資本主義国間の対立をかもし出しうるだけの経済的基礎をもたなくなったのである。
 だが、このことは個々の資本家に対米不満がなくなったわけではない。又、中共ソ連との貿易に、アメリカの意思や思惑をのりこえて熱意と行動性を示しうる資本家がいなくなったという意味ではない。ただ、民族資本と名付ける特殊の持続的任務をになって、労働者階級と共に、アメリカ帝国主義に常に対立する固定的な階層を、日本の資本家階級の中に見出すことは不可能だということである。個々の資本家を断続的にアメリカ帝国主義の好まないカンパニアにも動員できるというのがその限界である。
 日本資本主義の基本的な対立階級であり、日本型の独自の搾取構造の中で非民主的身分的な労務管理と世界に名高い低賃金と労働強化に宿命的に悩まされている労働者階級は、アメリカ帝国主義の支配の強化と共に、内外独占資本の二重の搾取と圧迫を、ますます身をもって感じとるようになってきた。
 日本の労働者階級は終戦直後の「あたえられたる民主化時代」に驚異的速度で労働組合を結成した。六百万の労働者が組織化され、今や数十の産業別組合に整理され、総評のような全国的な統一舞台をもつに至った。すぐれた組合では家族を含めた大衆闘争を根強く闘うことができるし、職場討議と職場活動を通じて強靫な底力をたくわえるものもできてきた。
 だが、反面、日本の労働組合は、あたえられたる組合として、労資の新婚旅行下に巣立った組合として、はた又、日本の特異なる労働市場の投影として、企業別従業員型組合という致命的な組織上の弱点を背負った組合である。それゆえ、企業毎に労務管理の枠をかけられて分断される傾向も強く、その結果組合運動は全体として闘争力にムラが多く、たえず分裂的傾向に悩まされている。又、大企業と中小企業の組合間の共闘に十分な成果を未だに発揮していない。企業の壁をこえた産業別、地域別統一闘争の習慣は、諸外国にくらべてなお未熟である。
 それにもかかわらず、幹部だけでなく、大衆が参加する運動であり、大衆が内外独占資本の二重の強圧下にさらされている現状から、素晴らしい闘争力が爆発し、大衆的な昂揚が見られる条件は多い。従って、帝国主義支配と、これに隷属し融合する国内独占資本に対決する大衆的エネルギーを、持続的に汲みとりうる主要な源泉は労働者階級の中にある。少くともその主力はこの階級とその組織化以外には求められない。
 農民、漁民も又、その大部分け内外独占資本の二重の強圧下にあえぐ大衆的な階層である。権力の末端機構につながるボス支配に最も苦しむ層である。とくに、軍事基地とその周辺にあって、農地を奪われ、漁場を荒された農漁民は、失われた生命の糧を求めて、激しい民族的な怒りに燃え、根強い闘争を随所に展開している。
 だが、終戦直後の農地制度改革は、不徹底であったとはいうものの、農民の日常闘争の組織たる農民組合運動を低調ならしめ、農民の持続的な闘う組織拠点を事実上弱めていることはいなみ難い。又、労農提携という基本的課題についても、例えば二重米価のような政策要求を主要舞台とするのでは、闘う大衆同志の理くつ抜きの共闘には組織しにくい面がある。その社会的経済的条件から、当然内外独占資本に対立する陣営に属すべきであり、労働者階級と並んで主力を形成すべきにかかわらず、闘争力組織化の面に相当むずかしさが伏在している。
 
 中小資本と独立経営者層も、客観的には内外独占資本の二重の搾取の被害者の側に立つ。しかしながら、とくに中小資本家の場合、その企業の生態により多種多様な利害関係が伏在しており、内外独占資本の搾取をうけるからと言っても必ずしもそれに対立するものとはいいかれない。対立よりも隷属を選ぶものも多い。反面、対中ソ貿易等のカンパニアでは常に先頭をきる層も多い。政策面の要望に至っては、反帝国主義・反独占資本の側に立つ公算が大きい。全体として見る場合、この層を中立化させうる客観的条件は十分存在する。
 
(三)戦略の基調と展開
 1 戦略的集中点=民族独立
 われわれは、さきに日本の現状はアメリカ帝国主義の植民地的従属国であると規定した。最高権力はアメリカ独占資本の掌中にあり、日本の独占資本とその権力組織は、帝国主義支配のための権力構造の中にあげて組み入れられていることを指摘した。日本の労働者階級と、農漁民、中小資本、零細独立経営者等の諸階層の大部分は、内外独占資本の二重の搾取下にあることを述べてきた。
 このように見てとるとき、社会主義の実現を目標とするわが党の第一の任務はまず民族の完全独立を闘いとることでなければならない。けだし、支配権力の主人公を見のがす権力闘争はありえないからである。将を射落とすに馬を射ることは戦術的にはありえても、この場合といえども目標はあくまでも将でなければならないからである。従って帝国主義支配下の政局の中心的課題は単純な「保守対革新」ではなく「隷属対独立」の対決である。
 われわれが戦略の基調を民族独立におくことを主張するとき、ファシズムとの混同を指摘される場合がある。われわれは、日本資本主義が制度として対米隷属したものと見るが故に、戦後型ファシズムは発生当初の主観的意図はともかくある程度成長するならば必ず米国の傀儡的存在となることを確信する。帝国主義支配を受けている以上、われわれの階級的勢力が民族の担当者となり、正しく指導するのがむしろ、ファシズムを防ぐ道であると考える。

 2 民族独立と社会革命の結合−−民族闘争の性格規定
 帝国主義支配下に隷属する国の社会主義者の闘争は民族闘争を基調とするが、日本の現状に即してこれを見るとき、その民族闘争の性格がどのようなものになるか、叉、ならざるを之ないかを見てとることはきわめて重要な実践的意義をもつ。
 われわれは、さきに、日本の資本主義が特需経済を通じて制度としてアメリカ経済に隷属せざるをえない状態に陥ったことを指摘した。それゆえに叉、たとえ個々の問題で、われわれの陣営に好意的な資本家があるにしても、後進地域に存在する民族資本という機能を果しうる固定した階層はありえないことも述べてきた。従って、われわれの民族独立の達成は、後進植民地又は半植民地のように国内的に見てブルジョア民主革命の成就を意味するものではなく、その未完成部分を完全になしとげるというだけのものでもない。この点において、われわれは共産党の考え方と明らかに対立する。
 日本資本主義が制度として対米隷属に陥っている以上、民族独立の達成は、日本の独占資本を先頭とするブルジョアジーをして自信を喪失せしめ、深刻な動揺をまきおこさせる。然も、われわれの独立運動が、内外独占資本の二重の支配下の労働者階級を中核とするものであり、農漁民、半プロレタリアート、中小資本、独立経営者、インテリ等の諸階層を同盟隊とする階級構成をもつ以上、独立の完成は容易に社会主義革命に直結しうる条件をもつ。われわれは戦略目標である民族独立を、社会革命との結合関係においてとらえてゆくのである。
 反面、われわれは、当面の闘争を階級闘争に単純化してはならない。階級闘争を基調として民族闘争を副次的にのみ評価するようなことでもいけない。われわれに対立する支配権力の中核を国内の独占資本の政治権力として理解し、アメリカの帝国主義支配を軽く評価する傾向は明らかに誤謬である。

 結論的に言って、われわれの戦略的基調は民族独立であり、それは社会主義革命に直結する性質のものと規定さるべきである。

 
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