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                         真の独立としあわせのために
                                −労働者農民党の新しい綱領(草案)−
                            昭和三十年五月二十七日
                                       
労働者農民党、略称労農党は、片山・芦田内閣を巡る日本社会党の混乱の中で1948年12月に結成された政党。結党時に簡単な綱領はあったが、本格的綱領をめざして1956年第五回大会で新綱領草案が基本的に承認された。一年間の討議を経て次期党大会で正式承認の予定であったが、1957年1月日本社会党第一三回大会での承認を経て同党は解党し日本社会党に復帰したため、草案のままに終わった。出典は日本社会党結党20周年記念事業実行委員会『日本社会党20年の記録』(日本社会党機関紙局 一九六五)長文のため2ページに分けて掲載。表題日付の昭和30年(1955年)は昭和31年の誤植か。
PHD版は『日本社会党20年の記録』ページのコピー  PHD版  PHD版2

党の名称から時々誤解されるが、労農党は労農派の政党ではない。社会党と共産党の中間にあってその共闘の仲立ちを目指した政党である。綱領草案にも、日本のアメリカ従属、独立民主革命と社会主義の二段階革命論など講座派、日本共産党に類似した内容がみられる。黒田寿男、岡田春夫、石野久男ら労農党所属議員は、社会党合流後は平和同志会、安保体制打破同志会として社会党内左派となり、中国の文化大革命中はいわゆる中国派として行動した。文革終結後は、中国の路線転換の打撃を克服できず、後継者をつくれず、政治潮流としては消滅した。そのためか、1986年出版の『資料日本社会党四十年史』には労農党関係の資料は収録されなかった。
 
前文
日本の現状
独立民主革命の道

付帯決議
 
                                      前文
 日本は、うつくしい国土と九千万の勤勉な国民をもつ国である。
 この国土には、よくたがやされた農地とゆたかな山林、そして、たくさんの発達した工場と都市が、われわれの祖先からひきつがれている。長い伝統の上に、現代文明の成果を結びつけた民族文化のかがやきが、東洋の先進国、日本をてらしている。
 わが祖先の、汗と血の歴史できずかれたこれらの遺産は、日本の誇りである。わが国民は、これをまもり育てて、平和でゆたかな祖国の生活をうちたてることに、かぎりない愛国心をそそいできた。
 だが、この数十年間、日本の軍国主義者がくりかえした侵略戦争は、アジアと世界の人民にはかりしれない被害をあたえ、わが国の誇りをきずつけ、わが国民の生活をとことんまで破かいした。日本は最後に、第二次世界大戦の敗北をむかえ、はじめて、外国軍隊の占領下におかれた。

 アメリカが、おもな占領者となった。
 わが国の立法、行政、司法の全機構と、産業、金融、貿易、および文化、教育の一切が、アメリカ占領軍当局の厳格な統制と管理のもとにおかれた。国民の基本的人権でさえ、占領者の都合しだいで、自由にふみつぶされてきた。
 日本帝国主義をうちやぶった連合国人民の共通の要求は、日本から侵略の牙をとりのぞき、かわりに日本国民にたいして、平和で民主的な発展の道を保証することにあった。それは同時に、日本国民が長いあいだもとめてきた道であった。これにおされて、占領者は、はじめわずかのあいだ、日本の武装解除、戦争責任者の処罰と追放、農地改革、財閥解体、新憲法制定など若干の民主的政策をとりあげた。それによって、日本のもとの帝国主義支配層は、一時的にかなりの痛手をこうむり、そして進歩的な国民の勢力が、かなり急速に前進した。

 だがアメリカ占領者は、けっして本心から、日本の平和的、民主的改革をもとめたのではない。かれらが必要としたのは、帝国主義侵略の道で、かつて有力な競争相手だった日本の支配層を必要な限度だけ去勢し、その上で、これを忠実な家来にかえ、じぶんの利益と政策に奉仕させることであった。このために、はじめの「民主化政策」がゆがめられ、骨抜きにされて、まもなく極端な反動支配にかえられたのである。
 アメリカの占領政策の根本は、わが国民にきびしい圧迫とさく取を加え、わが国から、アメリカ独占資本の途方もない利益をうばうことであり、また同し(ママ)目的で、アジアと世界の支配をねらう新しい戦争を計画し、占領制度のもとで、わが国土と国民を侵略の道具にしたてることであった。かれらはこのために、おもな占領者としての地位と権力を利用し、日本を、アメリカ一国で支配した。
 この占領政策にひたすら忠誠をはげんできた日本の反動勢力は、アメリカ占領者の権力によって民主的変革の「危機」をすくわれ、また、その援助によって資本主義の再建をおこない、国民にたいするその支配的地位と力をとりもどしてきた。なかでも独占資本は最もめざましく立直り、国内支配層の中で、決定的な立場を占めることになった。

 一九五一年のサンフランシスコ「平和条約」は、これに調印した諾国にたいして、日本を形の上で、「独立国」とした。だが実際には、この「平和条約」およびこれと同時におしつけられた「日米安全保障条約」 によって、日本は、アメリカに半ば占領された従属国の地位におしこめられ、いっそう反動的なアメリカの支配をうけることになった。日本の支配層は、この両条約によって、アメリカ帝国主義の家来から従属的な同盟者となったのである。
 こうして、日本の反動支配層は、わが祖国の独立をおしげもなく売りわたしてきた。かれらはいま、アメリカ支配層と共同して、そのさしずをうけながらわが国民を圧迫し、さく取し、あさましい欲望をみたしている。かれらはまた、かってのアジアにおける強盗的支配の夢をふたたびえがいている。このために、アメリカの侵略計画にすすんで加担し、その手先となっているのである。

 サンフランシスコの両条約を支持し、これにしたがういまの「自由民主党」政府は、日本の反動支配層を代表する民族うらぎりの政府であり、恥すべき戦争準備の政府である。
 いま、わが国民は、このような二重の支配の結果、史上かつてないくるしみにおちこんでいる。国民が、このくるしみからじぶんじしんをすくいだすためには、どうしても大きな変革が必要である。
 労働者農民党は、わが日本の勤労国民を代表し、その究極のしあわせのために、党のしめす道によって、社会主義の達成をみちびく基本的使命をになっている。だが、祖国がうらぎりものの手でアメリカに売りわたされ、独立をうばわれた国民が、そのために非常なくるしみをなめているとき、すべての国民の課題は、同時に、すべての社会主義者の課題でなければならない。
 労働者農民党は、いまの目標が、何よりも祖国の真の独立であることを強く主張する。このためにまず、祖国を愛する全国民の力を結集して、いまの「自由民主党」政府にかわる、独立、民主の国民政府を樹立し、祖国の独立を売りわたした反動支配層をうちくだかなければならない。このことなくして、わが祖国の自由と独立はない。このことなくして、わが祖国の平和も繁栄もありえない。このことなくしてはまた、いかなる社会主義への道もないのである。
 労働者農民党が、九千万国民にたいし、同胞の愛情をこめて、ここに提出する綱領は、まさにこのための綱領である。
 
                                  日本の現状
 わが国民は、いったいいま、どんな状態におかれているだろうか。
 労働者は、最低生活もおぼつかない低い賃金で、肉体の限度をこえた重い仕事を強いられている。職場には、どれい的な労働制度がもちこまれ、労働組合の諾権利はうばわれている。栄養失調や結核や職業病がひろがり、仕事の上の死傷者は、まいとしふえるばかりである。
 農民は、人間らしいくらしをうばわれている。猫のひたいいほどの土地で、あくせくはたらいてつくった作物は、一方的に安く買いとられ、その上に重い税金がかかってくる。しかも、肥料や農機具のねだんが高く吊り上げられるので、借金の重荷は、生涯、農民の肩をはなれない。こうして多くの農民は、日やといや出かせぎで、やっとくらしをたもっている。そして、すくない土地をさらに手放す農民がふえはじめている。

 小商人、家内工業者、中小企業家たちは、大資本の圧迫、購買力の低下、資金難のために深刻な赤字をかかえ、また、とうてい負担できない重税でおしつぶされている。かなり大きな企業家でさえ、アメリカ資本と独占資本の圧迫、および中国貿易の制限でしめつけられ、企業の自由な発展は望みをたたれている。
 そしてこれらの状態が、一千万人以上におよぶ失業者と半失業者の数を、さらにたえまなくふやしており、そのほとんどが、生きるための何の保障もあたえられていない。
 知識人、芸術家の多くが、じぶんの生活におわれて、良心にしたがい才能をいかした創造的活動の自由をうしなっている。文化と教育の仕事は、民族の伝統と自主性に立つ道をはばまれてしいる。
 青年の進歩性と積極性はゆがめられている。婦人は、社会的にも経済的にもいぜんとして低い地位におかれている。子供たちは、健康な環境と個性に適した教育の機会からひきはなされている。
 国民のこれほどの窮乏にもかかわらず、一方では、日本の再軍備がどんどんすすんでいる。生活の道をとざされ、生きがいをうしなった青年たちが、アメリカ兵の身がわりとして「自衛隊」にかりたてられており、さらに、微兵制度と海外派兵の準備さえすすめられている。

 わが国は、アメリカの軍隊によって、半ば占領された状態におかれている。侵略のための、かれらの基地と施設は、わが国土を綱の目のようにおおい、国民の土地と漁場がうむをいわさずもぎとられている。そこには、広島、長崎、悲惨な体験をさらに数百倍するという、原子兵器さえもちこまれているのである。
 そして世界の破減をともなうかもしれない原水爆戦争の不安が、たえず、おもくるしく国民にのしかかっている。
 これらのくるしみにたえかねた国民の反抗は、すべてきびしい迫害にさらされている。いたるところで、基本的人権がふみにじられ、民主主義と自由の空気は消されている。それににかわって、わが国民の上に、ふたたび軍国主義とファシズムの支配がせまっている。憲法でさえ、強引なやりかたで、その改悪をはかられている。

 こうしていま、日本国民は、まともにはたらいてしあわせに生きる権利をうばわれ、何の希望もない生活におちこんでいる。
 これはなぜだろうか。だれが、何のために、わが国民をこんなひどい目にあわして(ママ)いるのであろうか。
 国内で、国民をくるしめている日本支配層の中心は、ひとにぎりの独占資本家どもである。わが国の重要な産業における巨大企業のほとんどは、それぞれ中心的な大銀行と一体になった幾つかの企業集団にわかれている。独占資本家は、これらの支配的な独占体をにぎり、自由にあやつっている億万長者どもである。かれらはつねに、最大限の、途方もないもうけをもとめ、あらゆる手段で国民をしぼっている。それ以外の大資本家も、独占資本に従属し、多かれすくなかれ、これと結びあいからみあっている。
 戦後における日本工業の生産回復率は、資本主義護国で第一位であり、資本蓄積率も同様に高くなっているが、これはとりもなおさず、日本支配層の労働者と国民にたいするさく取が、それだけひどいことをしめしている。

 戦後の農地改革で、それまでの半ば封建的な寄生地主はほとんどなくなったが、これにかわって独占資水は、残された大山地主をしたがえ、価格、税金などの政染をつうじ、農村にたいする支配をひろげ、強めてきた。大多数の農民は、じぶんの仕事や不安定な低い賃金収入では喰えないので、工場やその他の経営で家族をはたらかせ、あるいは、山林や上地を借りてくらしている。漁村でも、事情はほぼ同じである。そこでは、大網元が独占資本にしたがっている。こうした事情は、同時に、労働者の低い賃金とどれい的な労働制度をもたらす、おもな足場の一つとされている。
 わが国の政治は、独占資本によってあやつられ、国の全政策が、かれらの利益に沿ってきめられている。いまの政府と一切の国家機関は、すべて独占資本の道具となっている。「自由民主党」の大幹部や高級官僚どもは、独占資本の代理人である。反動的なもとの将軍連中もそうである。天皇のかなり根づよい影響力も、独占資本の利益のために利用されている。こうして、日本の国家権力は、独占資本家とその手先どもににぎられている。

 だがかれらは、サンフランシスコの両条約以後でも、この権力を、まったく自由につかっているのではない。それは全体としてアメリカにおさえられ、アメリカ政府・独占資本の意思と利益に従属させられている。日本の頭上には、アメリカ帝国主義が立っており、その支配と干渉が加えられているのである。
 日木経済の内部には、アメリカの資本と技術が特権をもって入りこんでいる。とくに石油産業は、アメリカとイギリスの資本に分割され、ほとんど完全にかれらのものとなっており、ゴム、アルミ、電力、電気機械部門も、アメリカ資本の強力な介入をゆるしている。その他の産業でも、ほとんど全部の巨大企業がアメリカの「技術援助」をうけて、法外な特許料を払わされている。世界に「新しい産業革命」をもたらすという原子力産業についても、日本はアメリカヘの全面的な依存を強いられている。さらにまた、原材料の面でも、わが工業は、アメリカにかなりの部分を依存させられ、わが農業は、アメリカのかった農産物のおしつけで、ほとんどの耕作が、ひきあわない不安定なものとされている。その積立円代金は、アメリカが実権をにぎる世界銀行の融資とならんで、わが経済を、金融面でおさえるためにつかわれている。また、中国との貿易は、アメリカによって制限されている。
 アメリカ帝国主義は、このような経済支配の上に、わが国を、軍事、外交、その他の面で、きびしくしめつけている。このために、まいとしの国家予算と重要政策は、アメリカ支配層からさしずをうけ、または、その承諾の上できめられている。

 アメリカ帝国主義の最もひどい支配は、軍事面にある。サンフラシスコの両条約とその附属協定は、わが国を、ソ同盟や中国にたいする、公然たる侵略基地とした。いまアメリカ軍隊の占領には、「日本の防衛」というあつかましい口実がつき、国民の税金が、かれらの占領費にさかれている。世界に類のない治外法権の上で、その軍隊は、まったくわがもの顔にふるまっている。
 しかもアメリカの侵略的支配層は、日本に軍隊をつくらせ、これを大きくさせ、そして自国の軍隊の弾丸よけにしようとかんがえている。かれらは、こうして日本の軍隊を「アジア人部隊」の頭に立てようとかんがえている。このために、日木の発達した工業、九千万の人口、低い賃金水準、および反動勢力の支配を、ぜんぶ利用しようというのである。この非人道な計画に沿って、「自術隊」が増強され、経済の軍事化がすすみ、国のいたるところで、軍国主義体制の復活がはかられている。またこのために、平和産業はおしつぶされ、国民の全生活が、はかりしれないぎせいをはらわされている。
 アメリカ帝国主義は、こうしていつまでも、日本を足もとにつなぎ、かれらの利益と侵略的な政策のために、役立てようとしている。

 日本のいまの支配層は、すすんでこれをうけいれ、サンフランシスコの両条約やMSA協定を証文として、かれらにたいする従属的同盟をむすんでいる。それによってアメリカの「保護と援助」にすがり、やがてじぶんの足で、アジアにおける帝国主義支配者の地位を、もう一度とりもどそうというのが、日本支配層の「願望」である。それは、すでに若干の効果をあらわしている。かれらは国内で支配力を回復しただけでなく、対外面でも、とくに経済の分野で、日本独占資本の実力は、アメリカ独占資本にとってさえ、しばしば厄介なものとなっている。だが、アメリカと日本の、反動支配層の共通のねらいがどこにあろうと、世界の歴史は、たえず、新しく大きなあゆみをすすめている。
 第二次世界大戦のあと、世界の土地と人口のほぼ三分の一を占めるにいたったソ同盟や中国、その他の社会主義諸国は、平和と繁栄の強化にむかってめざましい発展をとげ、その国際的な地位と影響力は、いちじるしく強まっている。これとあいまって、インド、インドネシア、ビルマ、エジプトなど、がっての植民地、半植民地諸国が、独立し、あるいは、帝国主義の支配をおしのけ、大きく解放の道をすすんでいる。さらにまた、地球上のいたるところで、かつてない多くの人々が、新しい戦争をふせぐための、あらゆる熱心な行動に立ちあがっている。
 こうして、全世界の平和と独立の勢力は、不断にのびゆく社会主義陣営を中心にして、侵略者どもの手出しをゆるさず、いまや全人類の前に、はっきりと永久平和への道をひらいている。それはまた、帝国主義が不当に他の民族をおさえつけ、ほしいままにふるまう道を、いっそう強い力でせばめている。
 このような事情のなかで、アメリカ帝国主義は「力の政策」にしがみつき、手のとどくすべての国を、その道づれにしようとつとめているが、その実、イギリスをはじめ、すべての資本主義諸国と、しだいに対立をふかめている。いま、アメリカ帝国主義は、まぎれもなく孤立と後退の道をたどっており、その支配の力は、としごとにくずされている。
 まったく同じ事情が、アノリカ帝国主義と従属的同盟関係にある日本の支配層を、なおさらすくいがたい破たんにおいつめている、戦後、日本の独占資本主義は植民地をうしない、またいかなる意味の安定市場ももたない。資本と生産の集中・集積は、日本独占資本主義のこの弱みを、いっそうたえがたいものにしている。この危機をのがれようとするかぎり、日本支配層は、他の資本主義諸国、そしてまた、アメリカとの競争と対立をはげしくさせ、かれらの同盟に、ますますみぞをふかめてゆく道をたどらないわけにはゆかない。だが、その反面で、アメリカ帝国主義と日本の売国的支配層は、わが国民にたいする圧迫とさく取を、いつそうきちがいじみて強めようとするにちがいない。このことは、かれらが同盟をつつけようとする最後の理由である。そして、そのことはまた、わが国民が労働者階級と全勤労階層を中心に、幅ひろく統一してたたかう条件をいっそう強めてゆく。
 アメリカ帝国主義と日本の売国的支配層の同盟が、一歩一歩、矛盾をふかめ、また孤立をふかめてゆくことは、否定できない事実である。わが国民が、これと決定的に対決し、断乎としてたたかいぬく道こそ、わが祖国と国民に、真の独立としあわせをもたらす、ただ一つの道である。
 
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