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附:賃金綱領改正草案
          一
 敗戦後の賃金闘争は、敗戦の負担と犠牲とを資本家が引受けるか、それとも労働者階級が引受けるかの闘争であった。そして、賃金に関する限り労働者階級は残念ながら敗退せざるをえなかった。敗戦と同時に独占資本は官僚と結託してインフレを爆発させインフレを激化し続け、物価を急激に・無制限に・どこまでも釣り上げた。物価を急激に・無制限に・どこまでも釣上げることは、そのまま賃金を急激に・無制限に・どこまでも切り下げることであった。労働者階級は急速に労働組合を結成して、かかる急激な、極端な賃金切り下げに反対し、賃金闘争を展開して、賃金を物価に同調させ、物価と賃金の開きを排除し、戦前の実質賃金を維持し、生活を確保するために全力をあげて闘った。だが、インフレと物価騰貴中は、資本家にとっては最も有効な・最も強力な・この上もない賃金切り下げの武器であった。逆に労働者階級にとっては最も抵抗し難い・仕末[ママ]におえない・最も苦手な資本の攻撃であった。賃金闘争によって賃金値上げに成功したトタンに賃金はインフレと物価騰貴によって切り下げられていくからである。かくて、賃金闘争につぐに賃金闘争をもってし、ひっきりなしに賃金闘争を続けたにもかかわらず、しかもなお賃金闘争は実質賃金を維持することは出来なかった。賃金は物価騰貴にいよいよ立ちおくれていった。物価と賃金の開きは、ますます拡大した。そればかりではない、さらに資本家階級は政治権力をもってインフレと物価騰貴を利用しながら無慈悲な低賃金政策を強行し続けた。さらにより一層の賃金切り下げを強行するために物価を六十五倍乃至百倍に賃金を二十五倍に固定化しようとした。かくて、わが国の敗戦後の賃金は、植民地的な低賃金として全世界の非難のまととなっていた戦前の賃金の三分の一乃至四分の一に切り下げられてしまったのである。 独占資本の希望通りの賃金切り下げが成功すると、インフレと物価騰貴は、ドッジライン・経済九原則に切り替えられた。企業整備・合理化による尨大な失業者が街頭に投げ出されたばかりでなく、敗戦以来の半失業者が完全な失業者に転落してしまった。一千万人を超える大失業者が出現するに至った。この大失業の圧迫によって、独占資本は戦前の賃金の三分の一にも、四分の一にも、切り下げた敗戦後の賃金を定着化し固定化しようとしている。否、さらに小刻の賃金切り下げを続けている。そればかりではない。吉田首相は、全世界にたいして公然とわが国の低賃金政策を声明している。だが植民地的な戦前の低賃金の三分の一乃至四分の一の賃金はもはや単なる低賃金ではない。それは低賃金というよりもむしろ飢餓賃金にほかならない。独占資本と官僚とは飢餓賃金によって労働者を奴隷の如く柔順ならしめ政治的な関心を放棄させようとしているのだ。このようにして敗戦の負担と犠牲はなによりもまず労働者階級に転嫁されてしまった。戦前の三分の一乃至四分の一の低賃金、すなわち飢餓賃金の土台のうえに、産業が再建され経済が復興されるに至った。その当然の結果として敗戦の負担と犠牲は農民にまで波及し、やがては中小企業者、小市民、インテリゲンチャをも捲き込んで、一切の勤労国民が敗戦の負担と犠牲の全部を引受けねばならなくなってしまった。ただ資本家だけが敗戦の負担と犠牲とから完全に解放されたのである。ただ資本家だけが戦前と比較すべくもない高い利潤を獲得することが出来るようになったのである。だからこそ朝鮮動乱が、ひとたび始まると、わが国の資本家は世界の資本家がビックリするようなボロ儲けをすることが出来たのだ。その根本的原因が、戦前の植民地的な低賃金の三分の一乃至四分の一の超低賃金=飢餓賃金にはかならないことは、なにびとも認めざるをえない明々白々たる事実である。   
 
      二
 生産は戦前に復活している。労働の生産性もまた戦前に復活している。賃金だけが戦前の三分の一乃至四分の一で我慢しなければならないという理由はない筈だ。いまやわが国においては戦前の賃金が支払えないというなんらの根拠も存在しなくなっている。あらゆる経営が戦前同様の賃金を支払うことが出来るし、あらゆる経営が戦前同様の賃金を支払うことが出来るようにすることは全く可能である。 そして、この際、われわれは、C・P・Sを基礎とする経済安定本部の見解、すなわちわが国の現在の賃金は戦前の賃金の九割まで恢復しているという見解には絶対に納得することは出来ない。雑誌「東洋経済新報」でさえも戦後の実質賃金は戦前の七割前後にすぎないことを指摘している。だが、これとてもわが国の戦後の実質賃金の不当な過重評価である。現在の物価水準のもとにおいて戦前の実質賃金を実現するとすれば、最低に見積つても三人世帯月収二万五千円を必要とする。われわれは、この事実をわれわれの作成した生計費指数とマーケット・バスケットとによって科学的に立証することが出来る。それ故に、労働者は即刻・只今、手取り二万五千円の標準平均賃金を断乎として要求すべきである。現在、手取り二万五千円の平均賃金はいささかも不当な要求ではなく、労働者の当然の要求である。戦前の実質賃金の復活、二万五千円の標準賃金の要求は、あらゆる労働組合の当面の賃金闘争の目標とならねばならない。 
 
        三
 しかしながら、二万五千円の標準平均賃金を貫徹し、戦前の実質賃金に恢復したとしても、それはただ植民地的な低賃金の復活にすぎない。われわれは、植民地的な低賃金に満足することは出来ない。敗戦後の労働組合の最大の使命は、この植民地的な低賃金を克服することなのだ。そして平和憲法が国民に約束し政府に義務づけている「健康にして文化的な生活」の最低限界を保障する賃金の獲得こそが、それ故に労働基準法の「人たるに値する」賃金を実現することが、労働組合の当面の任務であると言わねばならないのであって、戦前の賃金九二五円の標準平均賃金の貫徹に止まることは断じて許されないのである。 この平和憲法の「健康にして文化的な生活」を営むためには、鉄鋼労連の甚だ控え目な計算によっても、税抜七万円の賃金が必要であることが明かとなった。「健康にして文化的な生活」を営むための七万円の賃金は、戦前の賃金の、従って植民地的な低賃金の僅かに二倍足らずの実質賃金であって、この程度の賃金ではたして「健康にして文化的な生活」が営めるかどうかさえ疑わしい。そして、この健康にして文化的な生活」を営める賃金は戦前の実質賃金の復活の如く、即刻、只今直ちに実現することは出来ないかも知れない。しかし、労働者が戦前の実質賃金を復活し、「健康にして文化的な生活」を営める「人たるに値する」賃金ヘ一歩、一歩と近ずくに従って、それと同時に、総賃金の土台のうえに立った産業構造と経済機構とが変更されて「健康にして文化的な生活」を営める賃金を支払えるような産業構造と経済機構へと移行するだろうし、移行せしめねばならないのである。労働者は、平和憲法の約束した「健康にして文化的な生活」のための賃金を要求する権利がある。労働者は確信をもって「健康にして文化的な生活」を営める賃金を獲得すべく努力を続けねばならない。 
 
        四
 だがしかし、「健康にして文化的な生活」を営める賃金の実現はもちろん、戦前の賃金の復活さえも、単なる賃金交渉によっては絶対に貫徹出来ない。ただ賃金闘争によってのみ獲得されることを覚悟しなければならない。単なる賃金闘争によってもなお不充分であろう。賃金闘争が全労働者階級の統一闘争にまで発展したときに、はじめて戦前の賃金が復活し、「健康にして文化的な生活」を営める賃金を実現することが出来るであろう。 われわれは、戦前の賃金を復活するために「健康にして文化的な生活」を営める賃金を実現するために、そして、かかる賃金闘争を勝利に導くために、次の四つの要求をあらゆる労働組合が、それぞれの経営に対する独自の・個別的な諸要求と並べて掲げることを要求する。そして、この四つの要求の貫徹のための徹底的の統一行動・統一闘争を期待する。なぜならば、次の四つの要求こそはわが国の低賃金を克服するための前提条件であり、しかも基本的な労働者階級の統一要求だからである。一、賃金闘争をはばむあらゆる法律を撤回せよ。二、一切の労働者に八時間労働月収八千円以上を支払え。三、失業、傷病、老後の労働者生活を保障せよ。四、再軍備絶対反対、平和憲法を守れ。
 
         五
 飢餓賃金からの脱出も、戦前賃金の復活も「健康にして文化的な生活」を営める賃金の実現も、賃金闘争なしには完全に不可能である。だから、われわれはなによりも先ず労働組合の組織の自由と賃金闘争の自由とをはばむ一切の法律を排除しなければならぬ。如何なる意味においても、賃金闘争をはばむ法律を労働者は許容することは出来ない。賃金闘争をはばむいかなる法律を許容することも。それは飢餓賃金に屈服することを意味するのだ。われわれは労働法規の改悪に対して非常時態宣言を発して全労働者階級の統一行動を準備している。弾圧三法に対するわれわれの態度もまた同様である。あらゆる労働組合、一切の労働者は、この「賃金闘争をはばむ一切の法律を撤回せよ」の要求を掲げ、いつでも決然として実力行為に訴える用意を怠ってはならない。
 
        六
 一切の労働者に月収八千円以上を保障せよ。断るまでもなく、この要求は、最低賃金制の即時実施の要求であり、最低賃金法の制定の要求であり、それ故に、労働基準法の公約の実施を迫るものである。現在、わが国には、月収五千円以下という極端な低賃金、人間が一日八時間も十時間も労働して自分一人の生活も営めないようなみじめな賃金、このような無慈悲な低賃金が広汎に存在している。中小工場の賃金の七割までが月収五千円以下に集中していることは官庁統計の示すところである。失業救済の美名のもとに、ほかならぬ労働者の職業安定所が五千円前後の賃金で労働者を搾取することを支持している。臨時工の賃金も同様で月収八千円の賃金は甚だまれである。学生アルバイトの賃金に至ってはもはやいかなる意味においても賃金ということは出来ない。わが国の労働者階級はこのように無慈悲なこのように残酷な低賃金の存在を許すことが出来るだろうか。断じて否だ。このように無慈悲な、このように残酷な低賃金に悩む労働者達を救出することは、労働者階級の第一の義務であり、労働組合の最も重大な使命であるといわねばならない。一切の労働者に月収八千円以上の賃金を保障せよ。というわれわれの最低賃金法の即時制定の要求は、飢餓と窮乏の限りをつくしているかかる労働者達を救出して、労働者階級の義務をはたし、労働組合の重大使命を連成せんがためである。なるほど月収八千円の最低賃金は、フイリツピンやイランの最低賃金にも遠く及ばない貧困限りない最低賃金であり、むしろ飢餓賃金の承認であるかも知れない。だが、もしも、一切の労働者に、性、年令の如何にかかわりなく月収八千円の最低賃金が保障されるならば、いかに多くの労働者達を、現在の見るに忍びない悲惨な状態から、当面せる餓死の危機から、一応なりとも救出することが出来ることを考えるならば、たとえいかなる口実をもってしても、労働組合はかかる連帯責任の義務を怠ることは出来ないのである。しかも、この一切の労働者に月収八千円以上の賃金を保障せよ、という。最低賃金の要求こそが、現在、頭打ちしているわが国の一般的な賃金水準を上昇せしめるテコであり、大経営のより高い賃金の行詰まりを打破する最大の武器であることを忘れてはならない。より高い賃金が賃金水準を支配するのではなくて、より低い賃金こそが賃金水準を支配することは、賃金水準変動の原則である。わが国の低賃金は根本的には、農民の極端に貧困な生低水準によってもたらされた。しかし、直接的には中小工場や家内工業の低賃金によってほかならぬ大経営の低賃金が維持されて来たのである。だからこそいつでも、わが国の賃金水準が上昇するときには必ずまず最初に中小工場や家内工業の労働者の賃金が上昇したのである。三千円や四千円の賃金が広汎に存在している現在、僅か一万五千円前後の平均賃金が頭打ちをしてしまって、延びなやんでいるのは当然の結果であるといわねばならない。大経営の労働組合が、現在の低賃金から脱出し、戦前の賃金に復活するためには、なによりもまず、中小工場や家内工業の低賃金を引上げねばならない。臨時工の低賃金を引上げねばならない。一切の労働者に月収八千円以上を保証せよ。これこそが、現在のより高い賃金の上昇の道を切り開くものであることを銘記すべきである。
 
 往々にして八千円の最低賃金制では、現在の賃金水準を引き下げる結果になるとして非難するものがあるが、このような人々は、最低賃金制の機能に対する完全な無知を暴露するものであり、かかる見解によって、一切の労働者に月収八千円以上を保証させることをさまたげるものは、むしろ独占資本の低賃金政策に加担するものであると言わねばならない。 なるほど、六千円の最低賃金では、恐らく、わが国の賃金水準を押し上げることは出来ないであろう。従って六千円以下の最低賃金制は賃金切り下げの為の最低賃金制であり、賃金釘付けのための最低賃金制であると言わねばならない。だが、八千円の最低賃金は必ずやわが国の賃金水準を大きく突き上げることを確信をもって主張することが出来る。特により高い賃金、たとえば紙パルプや板ガラスや鉄鋼の賃金の上昇を阻止している目に見えない、障壁に突破口を切り開くための最大の役割を果すものこそ、ほかならぬこの八千円の最低賃金制であろう。 労働者階級はいつでも賃金水準を上昇するような最低賃金を要求する。そしてこのような最低賃金制のために幾百万の労働者が一致団結して大統一闘争を展開するのである。だが、資本家は、最低賃金制にたいして絶対反対であり、事情やむをえない場合には、賃金を釘付けにし、賃金水準を引下げるような最低賃金制を要求するのだ。 政府が、資本家のために、月収四千円前後の最低賃金制を用意していることは衆知の事実である。この政府の最低賃金制の実施に対抗し、これを阻止するためにも一切の労働者に月収八千円以上の賃金を保証せよ。という最低賃金制の要求を対置せしめねばならぬ。なぜならば、現在、四千円前後の最低賃金制が実施されるとしたならば、それこそ大変である。それによって四千円以下の賃金は排除されるが、しかし大経営の賃金は恐らく上昇を停止せざるをえないだろう。むしろ、賃金水準の低下をもたらす危険が強いことを指摘せざるを得ない。だから、四千円の最低賃金制に標準平均賃金を結合して、二本建にしようとする考え方もあるが、かかる考え方は決して労働者的ではない。断呼として排撃せねばならない。それは明々白々たる賃金釘付け以外のなにものでもないからである。これこそは戦争中の賃金を「食えるだけ」の賃金に釘付けてしまったあの改正賃金統制令と全く同一の筆法なのだ。思い出すがよい。改正賃金統制令は、初任給を決定し同時に支払賃金総額を制限することによって、「食えるだけ」の賃金に釘付けしてしまったではないか。この場合、初任給こそは賃金引下げのための最低賃金であったし支払賃金総額こそは平均賃金の裏返しにほかならなかつたのだ。そして、最近つたえられる利潤分配制度法なるものは、戦争中の労働者を欺瞞し、賃金釘付けを合理化したあの配当制限令とどこが違うのか。ピンからキリまで戦争賃金統制とそっくりそのままではないか。かくて一切の労働者に月収八千円の賃金を保障せよ、という最低賃金制の要求は広汎な労働者達を飢餓と窮乏から救出するための要求であると同時に、戦前賃金の復活=手取平均二万五千円の賃金を実現するための要求である。しかも、わが国の産業、経済の状態のもとにおいて、即刻只今実現することの出来る要求である。そして、この八千円の最低賃金を一万円に引上げ、二万円に引上げることによって、われわれは「健康にして文化的な生活」へ、人たるに値する水準月収七万円の賃金にまで、一歩一歩と近づいていかねばならないのである。 
 
        七 
失業と傷病と退職後の労働者生活を保障せよ。一切の労働者に八千円の月収賃金を国家に保障させてみたところで、その結果として、労働者が解雇されて失業者となってしまつたのでは、なんにもならない。それなら、あぶはち取らずである。一千万人の大失業者の圧迫があるかぎり、かかる危険は、きわめて深刻である。それ故にわれわれは、最低賃金制の即時実施の要求とともに、社会保障の拡大、充実の要求、失業と傷病と老後の労働者の生活を保障せよ、の要求を密接、不可分に結合して要求しなければならない。現在のわが国において社会保障の裏づけのない最低賃金制は完全に無意味である。社会保障制、特に失業保険の裏づけのない最低賃金制は百害無益である。政府の準備中の最低賃金制はこの意味においても断呼として排撃しなければならない。 なぜなら、社会保障の拡大、充実を伴わない政府の最低賃金制は、失業の圧迫を増大することによって必ず、賃金を切り下げるからである。 それ故に、なによりもまず失業保険が拡大され、充実されねばならぬ。最低賃金制の実施によって、たった一人の解雇者をも出してはならない。そのためには最低賃金の八割の失業保険がすべての失業者にたいして、失業期間中を通じてなんらの制限も条件もなしに支払われねばならない。これが、現行の失業保険の改善にたいするわれわれの要求である。かかる失業保険の拡大、充実によってのみ餓死に当面し一家心中におびやかされている幾百万人の失業者を救済することが出来る。かかる失業保険の要求によって、われわれは、大失業の圧迫を緩和し、賃金水準の上昇の可能性と前提条件を準備するのである。なぜならば、現在、八千円以下の賃金が広汎に存在するのは、ほかならぬ一千万人の大失業の圧迫が根本原因だからである。「失業と傷病と老後の労働者の生活を保障せよ」というわれわれの社会保険の拡大、充実の要求は、失業保険のみの拡大、充実に止まるものではない。戦前の低賃金の三分の一にも足りない敗戦後の極端な低賃金に苦悩の限りをつくしているわが国の労働者は、健康にたいして、極端な不安をもっている。なぜなら現在のわが国のいかなる労働者にとっても、傷病による労働の不能はそのまま餓死を意味するからである。否、停年退職といえども、労働者にとっては限りない不安である。現在の退職資金の貧困さは、労働者の停年退職後の生活を保障することは完全に不可能だからである。そればかりではない。現在のわが国のいかなる労働者も限りない死の恐怖におびやかされている。なぜならば労働者が死ぬことは、妻子を路頭に迷わせることを意味するからである。 現在のわが国のすべての労働者は、あらゆる面においてかぎりない生活不安に悩まされている。一家心中はかかる生活不安の氷山の露頭にすぎない。しかも、この一家心中は毎年毎年幾何級数をもって増大しているのだ。わが国のすべての労働者は自分の将来の生活に目をおうている。将来の生活の不安を考えたら生きていけないからである。かかる生活不安を打開するためにはなによりもまず生活を安定するだけの賃金が必要である。だが、遺憾ながら、かかる深刻な生活不安は現在のような小刻みな賃金値上げによって容易に解放されそうにもない。この限りない生活不安からいくらかでも解放されるためには、どうしてもすべての労働組合、あらゆる労働者は失業と傷病と老後の労働者生活を保障せよ。という社会保障制の拡大、充実の要求を、退職資金の要求とともに、賃金値上げの要求とともに、そして、最低賃金制の要求とともに掲げねばならない。  
 
       八
 再軍備絶対反対。平和憲法を守れ。戦争は資本家の利益のためにのみ強行される。戦争は資本家にまるで夢のようなボロ儲をさせた。戦争は工場、鉱山の規模を三倍にも五倍にも拡大させた。それなのに、戦争は労働者の生活を少しでも楽にしたか。断じて否。百ぺんも否だ。戦争は労働者の最大の犠牲と負担とによつて強行されたのだ。戦争は銃剣をもって労働を強制したではないか。戦争は賃金を食えるだけの賃金にまで切り下げてしまつたではないか.戦争は限りない長時間労働と苛酷極まりない労働強化とを労働者に押しつけたではないか。そして最後に戦争こそは、最も多くの兵士を労働者の中からかり集めて殺してしまつたではないか。しかも戦争に負けたとなると、こんどは資本家は戦争中のボロ儲けをしまいこんでしまったばかりでなく、国民の膏血の結晶ともいうべき軍需物資の一切を掠奪してしまって労働者には一物と雖えども分け与えはしなかったではないか。そればかりではない、敗戦の負担と犠牲もまた資本家はいささかも引き受けようとはしなかった。敗戦の負担の犠牲のすべては、勤労国民大衆に転嫁されたが、その最も多くを最も無慈悲に背負されたのは、ほかならぬ労働者階級ではなかったか。現在のわが国の極端な低賃金、飢餓と窮乏、緩慢なる餓死状態は戦争の結果以外のなにものでもない。労働者の生活は戦争によっては絶対に楽にはならないのだ。たとえ、戦争に勝っても、労働者の生活は決して楽になるものではないのだ。日清、日露戦争においても、第一次世界大戦においてもこの事実ははっきりと実証されているではないか。われわれは戦争にはどんなことがあっても反対である。われわれはあくまでも平和を守らねばならない。たとえどんなに大きな犠牲をはらっても、労働者階級にとって、平和は戦争よりはるかに希ましいのだ。戦争にひっぱり出されて殺されるくらいならば、労働者階級は平和を守って死ぬことを選ぶであろう。 それ故に、労働者は、再軍備絶対反対である。戦争放棄の平和憲法を制定したわが国が、再び戦前同様の軍備を再建することはなにを意味するか。それは、再び戦争に介入することを意味し、他国のお先棒をかついで傭兵の役割を果すことを意味する。だが、それは、戦争利得者たる独占資本の一部の利益に奉仕する以外のなにものでもない.敗戦後のわが国に再軍備の余裕がある位ならば、なぜ「健康にして文化的な生活」をすべての国民に保障しないのか。これこそが平和憲法に義務づけられた政府の責任を果すことではないのか。敗戦後のわが国に再軍備の余裕がある位ならば、なぜすみやかに一切の労働者に月収八千円以上の賃金を保障する最低賃金制を採用しないのか。再軍備を口にする政府には、飢餓と窮乏に泣く労働者階級の最低賃金制の即時実施の要求に対する不可能と延期との如何なる口実もない筈だ。敗戦後のわが国に再軍備の余裕がある位ならば、なぜ政府は失業と傷病と老後の労働者生活を保証する社会保障制の拡大、充実を即時実施しないのか。一千万人の失業者は餓死しつつあるのだ。一家心中は急速に増大しつつあるのだ。再軍備を口にする政府には、いかなる社会保障制の拡大、充実を拒否するなんらの逃げ口上もない筈だ。 要するに、戦争に反対し平和を守るためには、いまや、具体的な現実のうえでは、再軍備に反対しなければならぬ。「再軍備絶対反対」こそ、戦争に反対し平和を守るための当面現実の合言葉にほかならない。なぜならば、軍備があるからこそ戦争が起り平和がふみにじられるからである。軍備のないところに戦争は起らないからである。そして、侵略者どもは、いつでも国防の美名のもとに軍備を拡大し強化し、国防のための軍備を侵略のための軍備にすりかえてしまうのだ。だから、国防のための軍備というのは、そもそも侵略のための軍備以外のなにものでもない。だから、労働者階級は、いかなる美名の再軍備にも絶対反対しなければならない。 いかなる再軍備も、侵略戦争の開始と介入を意味するが、同時に、いかなる再軍備も労働運動の弾圧を意味する。というのは資本家のために労働運動を弾圧する警察権力の背後にあるものはほかならぬ軍事力である。だから、賃金闘争をはばむ労働法改悪反対と弾圧三法反対とは、結局は、再軍備反対にまで押し進められなければ、不徹底であり無意味である。 
 
        九
 最後に再軍備に反対することこそは、賃金水準のより一層の低下を阻止し、賃金水準の上昇を可能ならしめ、実質賃金を戦前に復活せしめ、「健康にして文化的な生活」のための賃金を実現せしめるための唯一の道であることを忘れてはならない。もしも再軍備が断行されるならば、「健康にして文化的な生活」のための賃金の実現は永遠の彼岸に押しやられるだろう。実質賃金の戦前恢復もまたはかない夢物語りとなってしまうであろう。否、賃金は無慈悲に切り下げられるほかはない。でなければ再軍備の費用は捻出されないし、再軍備の費用はまかないきれないからである。そればかりではない。現在の賃金が半分にも切り下げられたうえに、かぎりない長時間労働とどえらい労働強化が労働者の運命であることはついこの間の戦争中の労働者の状態がいかんなくこれを証明しているのだ。だから全労働者階級は再軍備を撤回せしめねばならない。この再軍備の財源と費用とをもって、なによりもまず、一切の労働者に月収八千円の賃金を保障する最低賃金法の即時制定と、失業と傷病と老後の労働者の生活を保障する社会保障制の拡大、充実を実現せしめなければならない。繰り返して言えば、再軍備を最低賃金制と社会保障制とに転化しなければならない。これこそが労働者階級の生活を改善し、生活の安定をもたらす方法である。これ以外に、現在の賃金を引きあげ労働者の生活に改善と安定とをもたらす方法は存在しないのだ。これ以外に、実質賃金の戦争復活と「健康にして文化的な生活」のための賃金を実現するための方法は存在しないのだ。だから、「再軍備か社会保障か」「再軍備か最低賃金」かこの二つの合言葉が、あらゆる労働組合の、すべての労働者のものとならなければならないのである。  (賃金綱領附属資料)戦前貸金水準二万五千円(手取)算出の根拠(略)〔参考〕 1、民主主義労働運動研究会の「賃金政策綱領」(討議資料) 一九五二・三   「資料労働運動 昭和二七年」 2、日経連の総評賃金綱領批判 「日経タイムス」一九五二・三・一三