大会の経過
日本社会主義青年同盟第九回定期全国大会は、九月二十一日から三日間東京・社会文化会館でひらかれました。本大会は、社青同が七○年安保闘争における青年戦線の中核としてたたかいぬくために克服しなければならない課題−全同盟の統一と団結を民主的討議と行動のなかからかちとる−を背負ってひらかれました。それは、大会を前にしてひらかれた第二十九回中央委員会および同続開中央委員会で、中執原案が採択されず、ほぼ三つの見解が路線上の問題も含めて提起され、本大会での討論へもちこまれたこともあります。大会は議案をめぐる討論、会期中の執行部総辞職、第三日目の一部代議員の退場、休憩中に東京地本再建の際に再登録に応じなかった部分(通称・解放派)と反帝学評の会場乱入などがあり、かならずしも充分な討論がなされ一つの方針が確立されたわけではありませんが、大会幹部団および議事運営委員会、圧倒的な代議員の努力によって全大会日程を成功裡におわり、議運委員長の当面の行動方針を中心とする集約をかちとり、盛山委員長をはじめ十三名の中央執行委員会(定員二○欠員七)を選出することができました。以下大会の進行にそって報告をいたします。(総括は別途おこないます。)
●第一日
開会をまえに、九時半から地本代表者会議がひらかれ、ただちに大会幹部団を選出、ひきつづき大会幹部団会議。同会議では、議案のとりあつかいをめぐる議論がなされました。
中央執行委員会は、中執統一見解としての第一次草案(青年の声第三六三号)、第一、第二、第三の見解もふくめて中央本部責任で提出した大会議案であるとしました。
これに対して、宮城地本などいくつかの地本から「第二十九回中央委員会および続開中央委員会の経過から、本大会に中執統一見解がでるのはおかしい。第一次草案なるものは撤回し、三つの見解で大会は議論すべきである」といった趣旨の反対意見が出されました。
しかし討議の結果、大会幹部団としては、反対意見もあったということを今大会に報告し、中執案、第一、第二、第三の見解をあわせて大会議案とすることで一致しました。
同時に、議事運営委員会(委員長は委員の互選により福岡地本桐井代議員)、資格審査委員会(同、鳥取地本野見代議員)、選挙管理委員会(佐賀地本和田代議員、ただし委員長選出は二日目)を選出して開会。
まず萩尾副委員長の開会宣言、大会幹部団長、佐藤副委員長の大会幹部団会議決定報告。議長団選出、大会役員任命。議長団には柏尾代議員(高知)、遠藤代議員(宮城)、萩阪代議員(兵庫)。大会書記長には園田中執、同書記に村松、三本中央本部書記。
さっそく伊藤社会党青年局長の挨拶(内容は六面)、資格審査委員長の大会成立要件を満たしていると報告がありました。
この報告に対して、京都地本の代議員問題について東京西川代議員より異議が出されましたが、萩尾副委員長、資格審査委員長の「大会代議員選出のための同盟員の確定ができなかったため、同盟費の納入がなされていないことにより、正式代議員は認められない。しかしその理由が特別の組織問題にあるから特別代議員二名を認めた」という答弁を大会は了承しました。
議運委院長の日程、運営上の提案を満場一致したあと、立山中央執行委員長の挨拶。
立山委員長の挨拶要旨は、「委員長として、改憲阻止・反合理化の基調を信念として全同盟の指導にあたってきたが、中央委員会の経過にみられるように、全同盟の一致した方向を確立しえなかったことを反省する。しかし本大会が十分な討議をふまえて、七○年安保闘争にむけての社青同の方針を確立することを期待し、全代議員の協力を期待する」でした。
つづいて盛山書記長の中執議案提案。その内容は、1七○年安保をまえに、社青同が青年戦線のなかで相対的地位を低下させていることを直視し、その克服のための方向を全同盟で見いだそう2同盟内にある三つの見解の相違、運動の分散化を克服し、社青同としての統一した行動を生み出すことが中央委員会が今大会に与えた任務だと考える3そのためには見解の相違を生み出した原因を反省し、相違を放置せず民主的討論を保証し、行動上の統一をかちとらねばならない4七○年安保闘争にむけての社青同の任務は、統一した行動が、同盟内基本組織の強化とともに進められるなかで青年戦線の中核たりうることを確認しなければならないーという基本的立場からの敵の攻撃はいかに深められたか、主体の状況、社青同の直面している問題点、七○年闘争の方向性と方針について、第一次案と三つの見解の討論の接点を見いだすべきであると提起がなされました。
つづいて第一の見解について清水代議員(東京)、第二の見解について村上代議員(埼玉)、第三の見解について早川代議員(三重)から提起説明がなされました。(内容は別途地本宛に原文を発送)
ひきつづき土岐統制委員長から統制委員会報告(統制事案なし)、盛山書記長から会計報告、永瀬会計監査から監査報告がなされ、休憩。
一九時一五分再開。東京・松木代議員ら六名の代議員から、本部議案の扱いについて「四つが議案というのはおかしい。四つはそれぞれ異なった立場に立っているのだから一本にして出すべきだ。中執原案は第一次案である」とする意見がまず出されました。
また、「現状に即して大会の任務を出すべきで、四つを議案として内容討論にはいるべきだ」とする東京・星野代議員ら四名の意見が出されました。一方、「中執が原案を出しえないことは中央委で明らかになっている。第一次案を原案とはできない」とする意見も、大阪・柳原代議員ら三名から出されました。
これらに対して立山委員長は「中執の見解は第一次草案だが、他の三つの見解も議案である」と答弁しました。
議長は休憩を要請し、中執の再度の見解を求めましたが「休会には反対、原案を第一次草案とするなら採択せよ」(大阪・西村代議員)や「四つが一体となるなら三重は第三の見解はとり下げる」(三重・早川代議員)などの意見が出されたまま、二一時となり第一日目を終わりました。
●第二日
第二日は、再開冒頭に、資格審査委員長から岡山地本の代議員資格について、第一日の確認により同盟費納入の確認ができたとして四名の資格取得が報告され承認しました。ついで議運委員長の日程提案も承認。
討論のはじまりは、東京・星野代議員から議事のとりあつかいについての「議案については大会幹部団の提案どおり、四つの議案を一本としていくべきだ。内容討論をふかめるためにも、幹部団提案で採決してほしい」という緊急動議が出されました。
これに対して、大会幹部団会議に出された中執見解について、その解釈がことなっていたとして、事前にひらかれた中央執行委員の多数意見を立山委員長は「中執の運動方針草案は第一次草案一本、三つの見解は議案だが、これは討議にかけるためのものである。草案と三つの見解の相互関係は大会できめてほしい」と発言しました。
これに対して議運委員長から幹部団の確認は、「今大会が求めている必要性、必然性として三つの見解が出されたのであり、四つが一本の議案であり、原案である」という意見が出されました。これをうけて動議に対する賛否が議長からとられることになり、まず反対意見の東京・松木代議員は「動議は社青同の路線を雑多にする。改憲阻止・反合理化の基調でいかねばならない。原案に反対なら対案、修正案でいくべきで、異なる見解を一本にはできない」と発言。賛成意見の福島・根本代議員は「三つの見解が出されるところに同盟の現状があることは二九中央委以来明らかなことである。現状に即して内容討論をふかめるなかで、われわれは同盟の統一した力を七○年安保へむけるべき任務があるのではないか。議案は四つが一体のものとしてうけとめよう」と発言。
採決の結果賛成多数で緊急動議は可決成立しました。
そこではじめて内容討論にはいり、福岡地本の荒木代議員を皮切りに三名が発言。昼食休憩。
三時再開。まず立山委員長から、「四つの議案が一本であるという動議の成立は、運動方針の偏向であり、混乱の責任をとり、多数派(八名)全員が辞職する」という見解が表明されました。
そこで、盛山書記長から「われわれは第二九回中央委の確認にもとずき、本大会を成功させ、同盟の統一機能回復をめざしてきた。その立場で中執の辞任には反対してきた。しかし委員長をはじめとする八人の中執委員が辞任した現在、七名だけでその責任を担うことはできないので辞任する。辞任したうえで大会の運営にはるかぎり協力していきたい」という表明がなされました。執行部総辞職となったわけです。
大会は一時休会され、大会幹部団会議がただちにひらかれました。大会幹部団会議の決意は、次のようなものでした。
1、大会に課せられた任務は同盟内の議論を深化させることである。
2、議案は四つを一本としてとりあつかう。
3、以後の大会運営は大会幹部団、主として議運で行なう。
4、財政小委員会には旧中執の担当者の協力をもとめる。
5、京都地本問題にも旧中執の担当者の協力をもとめる。
6、大会書記長は、大会選出のことでもあり、園田前中執にやってもらう。
7、群馬提案の前中執の自己批判、新潟の大会はどうなるかの疑問は討論のなかで解決する。
この七点の大会幹部団の決意を全代議員のわれるような拍手で承認し、大会は続開されました。
続開後は議運委員長から第三の見解にふくまれている意見書、補強意見および同対案は討論のなかで行なう。山口地本提案の意見書はとりあげる(情勢分析などで四つの議案いずれとも異なっている)という提案も承認。討論再開。
山口・田中代議員の「情勢分析について」、静岡・佐塚代議員の三つの見解についての質問など、それぞれの見解を批判しあるいは一つの見解の正しさを立証する発言一八が行なわれ、第二日目を終わりました。(討論内容については三ー四面に要旨、ほかは別途発表)
なお財政小委員会も、全体討論と平行して行なわれ、四三年の一般会計、機関紙会計理論誌会計、犠牲者救済資金収支報告書および四四年度一般会計予算案、四四年四月一日から八月三一日までの一般会計、機関紙会計の収支明細が承認されました。また第八回大会で決定された同盟費の値上げおよびカンパについては、次期中央委員会で検討し決定されることになりました。
●第三日
第三日目は一○時開会。前日にひきつづいて総括討論がはじめられました。
ところが、柏尾大会議長、第三の見解に立つ大会幹部団員をはじめ、代議員、中央本部書記の姿がほとんどみえず、代議員多数の怒りがまきおこされた。議運委員長は、これらの欠席者の参加を要請するが、討論はあくまで続けるよう要請し、大会はこれを了承しました。
総括討論七名のあと、京都問題にはいりました。まず前中執の担当者の一人山崎同志から、前中執が中央委員会の三項目確認にもとづき、問題解決にあたった経過の報告。報告は、大会前に地本大会をひらくという点は解決しなかった点、双方の一致を見い出している点についてでした。つづいて当事者の京都・杉山特別代議員(京都地本執行委員会の立場を代表する特別代議員は欠席)の発言。
これを受けて、宮崎・戸高代議員の「京都地本を全同盟員の大衆討論で解決せよ。社青同として、労働者の生き方をつくるための“学び”“連帯する”作風を今一度考えなおそう」といった発言など四名の発言、それらを集約して福岡・桐井代議員の「問題は処分で解決するものではない。組織内部の矛盾をみつめ、根底的追求を行なおう。京都地本問題もこうした立場から、新執行部があっせんでなく、三項目の完遂をはかれ」という発言がなされました。
また、鳥取・野見代議員らから京都地本問題とからめて旧東京地本問題で再登録に応じないものの復権をはかれなども出されました。
発言が終わった頃、栃木・阿久津代議員から「京都地本問題解決までの間、同執行委員会を凍結せよ」という緊急動議が出され、満場一致でとりあげられ、可決決定しました。
つづいて宮城・小島代議員からも「大会に集団で意図的に欠席した大会議長、代議員に大会の名で糾弾し、自己批判を要求する」旨の動議が出され、これもとりあげられ可決決定しました。
さらに、鳥取・野見代議員から、旧東京地本問題で、再登録に応じないものについて「1本大会で東京問題を討議する2その正式代表の弁明と意見をきく3傍聴席に入れる」旨の動議が出されました。これに対して議運および大会議長は動議提出者の意向が1〜3が一括である、ということもあわせ、とりあげることになりました。
まず賛否代表討論がとられ反対の代表発言は東京・清水代議員。「この問題が明確に京都問題と異なり、二度の中央委、第七回大会でも解決されていることから、その必要性を認めない。再建された東京地本が立派に東京の青年大衆とともに運動をくりひろげているし、再登録の道も閉ざされていない」などがその趣旨でした。賛成討論は群馬・山田代議員。「戦闘的部分を再登録で除外しているのは、官僚的なしめつけと改憲阻止・反合理化の基調だったが、それが破産したのだから再度討論すべきだ」という趣旨でした。
代表討論が終わって採決の結果、道議賛成四○、反対七五、保留九その他棄権で否決されました。
これでいわゆる東京地本問題は四度にわたって全同盟の結論が出されたことになりました。道議が否決されるやいなや、突如として、会場騒然となり、議長は「一時大会の休憩」を宣言しました。まもなく、東京地本で中央本部指導の再登録に応じなかった部分(通称・解放派)および反帝学評の学生およそ一五○名が大会場に乱入し、演壇をはじめ会場を占拠しました。しかし休憩の宣言はされていながら、代議員および傍聴者のなかから立ち上がったり、動じたりするものはほとんどなく、「かえれ、かえれ」のシュプレヒコールをくりひろげ断固として大会を最後まで成功させるのだという気迫にみちていました。
この状態が、約三時間つづき、ついに乱入者を会場から退去させました。
再開された大会は、議運委員長による討論の集約(一面掲載)をうけました。
集約の骨子は
一、1大会は十分ではなかったが、同盟の一致した方向をかちとることができた。それは、日本の帝国主義的再編強化を日々の支配秩序のなかにどのような情勢としてとらえ、そのなかで労働組合をどのようにとらえ労働運動と我々の関係をみいだすのか2社会主義革命にむけての労働者階級をどのようにわれわれとのかかわりあいでとらえるのか3基調が第四回大会ではたした役割およびその後の動きのなかで何であり何でなかったか−の内容を、次期中執が大会議事録の論点を整理して討論をまきおこすことであり、それぞれが第一〜第三の見解にとどまらず守るという立場でなく相互の自己批判的総括をまず行なうこと。
二、京都地本問題については、一応の集約が行なわれた。
三、論争のまえに欠陥があったことをふまえ、行動上の統一をかちとること。そのためには、続開中央委における二つの決議の一致できる点で当面の行動方針とすること。
四、以上で克服されない点については、班、支部、地本で討論をふかめること。
五、財政方針については、財政小委をふまえ次期中央委に再度提案確認すること。
以上の集約を議長が再度確認し、次期執行部が成文化することで万場一致、決定しました。
つづいて、新役員の選出。和田選管委員長から盛山委員長ら十三名の中執の立候補(定員二○名、欠員七名)、田口統制委員長ほか三名の統制委員立候補(定員五、欠員一)、永瀬会計監査候補二名(定員三、欠員一)が報告され、これを万場一致決定しました。なお欠員については、新中執委のすいせんにより、中央委員会で了承のうえ補充されること、中央委員も次期中央委までに決定されることもあわせて確認しました。
このあと、盛山新委員長の決意表明、大会宣言(二面掲載)をえて、大会はさまざまな起伏がありながらもみごとにかちとられました。