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社会主義協会第11回大会(総会)の経過
*1977年協会規制を受けて開かれた大会(総会)の記録。出典は『社会主義』五月号外  
 社会主義協会第一一回大会(総会)は、二月一九日、湯河原町・観光会館に全国から七〇〇名の代議員を集めて開かれ、成功裏に終了した。
 長期の深刻な不況(恐慌)下で深まる階級矛盾と政治支配の不安定化をのりきろうとする独占資本による革新勢力の「分断とまきこみ」攻撃を背景として、昨年の参院選以降急速に激化した社会党の「党内論争」は、第四一回全国大会における党改革方針の決定、飛鳥田新執行部の成立によってひとまず収拾され、党の再強化へのスタートがきられようとしていた。こうした状況のもとで開かれた今回の協会大会(総会)は、独占資本の攻撃をはねのけ社会主義政党としての日本社会党の真の前進をめざす立場にたって昨年九月一〇日に確認された社会主義協会と総評党員協委員長会議の合意文書と、同趣旨の党大会決定をふまえて、社会主義協会への無用な誤解の余地やいわれなき中傷・誹謗の根を絶つための自主改革をおこなうとともに、理論研究集団として社会主義協会がはたしてきた党強化の活動をさらにいっそう強力におしすすめるための意志統一をおこなうことを課題とした、重要な大会(総会)であった。
 その決定事項、討議の内容などのおもなものは、以下にすべて収録されている。ここでは、大会(総会)の経過をかんたんに報告しておきたい。
  向坂代表“平和革命論の重要性”を強調
 数日前から会場の観光会館に右翼団体からの脅迫状がくりかえし届けられ、前夜から近くに彼らが合宿しているとの情報が伝えられたこともあって、大会当日は朝早くから代議員がつぎつぎに入場し、大会を成功させようという熱気をみなぎらせて開会をまちうけた。初の公開の大会につめかけた報道陣のフラッシュと拍手にむかえられて向坂代表が登壇、定刻一〇時、福田事務局次長の司会で開会された。
 まず、御園生等(東京)、堤栄子(福岡)の同氏を議長に選出、議長挨拶のあと、向坂代表の挨拶がおこなわれた(代表が風邪気味のため佐藤事務局長が代読)。
 このなかで向坂代表は、一九四六年、山川均氏との話合いにもとづき日本における革命の条件の科学的な分析にたった平和革命論をうちたて(向坂逸郎「歴史的法則について− −社会革命の展望」、『日本革命と社会党』、社会主義協会刊、参照)、そのうえに社会主義協会が結成されたことを指摘し、「社会主義協会は暴力(武力)革命論で社会党と相容れない」といった中傷にたいし再度反論するとともに、社会党、労働組合などを強化する協会の活動は、党員、組合員としての精神的影響力によるという方法を一貫してとってきたし、これからもそれを追求していくとのべた。そして、「社会主義協会員の任務は、社会主義の理論的究明とその学習にある」と、あらためてマルクス、エンゲルス、レーニンの理論を中心とする科学的社会主義の学習、研究に全会員が邁進すべきことを強調したのである。
 つづいて、事務局から、大会参加人員の報告と、社会党の「社会主義協会検討委員会」を代表して出席された森永栄悦組織局長、曽我祐次企画担当中鵬、押田三郎組織指導部長、清本正同副部長の四氏の紹介がされ、拍手で確認されたあと、佐藤事務局長が「社会主義協会テーゼ」改正案、新規約案、幟劾改革案を一括して提案、いずれも原案どおり満場一致で採択された。
 ここで、新規約にしたがい「大会」を「総会」に切り替えることが議長より宣言され、佐藤事務局長から情勢報告「最近の内外情勢について」が提案された(討論をふまえて補強したものを本誌に収録)。
 佐藤事務局長は、われわれが情勢分析をおこなうのは、たんに知識をえるためではなく、労働者階級のたたかいの戦術を確定する基礎となる、たたかいをとりまく諸条件を科学的にあきらかにするためであり、そのような観点から十分に検討・補強してもらいたいと前置きして、約一時間にわたって詳細な報告をおこない、あわせて、@いわゆる「構造的不況」の性格をどうとらえるか−革命の客観的条件とのかかわりで恐慌を分析すること、A独占資本の統合政策である「分断とまきこみ」攻撃の実態、B「合理化」、権利侵害の具体的なあらわれ、C「イデオロギー形態としての政治」という観点から、労働階級、勤労諸階層の意識がどのように規制あるいは形成されているかを分析すること−などについて、とくに討議・研究を深めることを要請した。
 情勢報告をうけて、灰原学習部長からは、労働運動をめぐる情勢の補足報告として、真に労働者階級にもとめられている佐藤報告のような視点にたったたたかいが全体のものになっておらず、企業のスクラップや首切りの攻撃が一部の問題であるかのようにとらえられている。いまこそ三池でかかげられた「去るも地獄、残るも地獄」を合言葉として、社会党・総評を中心に全労働者階級が結集しなければならない。体制的「合理化」にたいするたたかいを、職場抵抗闘争を基礎に政治的、政策的たたかいをふくめてもっともっと提起し練磨していくこと、そのために情勢の正しいとらえ方をみんなのものにしていこう−との提起がなされた。
  盛り上がった「情勢報告」の討議
 昼食休憩をはさんで、午後には「情勢報告」を中心に質疑・討論がおこなわれ、合計一一名が発言した。その内容は本誌に収録されているとおりであるが、そのいずれもが社会党員、社青同同盟員として職場、地域で日夜活動するなかでつかんだ情勢の特徴、理論的検討の成果を提起した資重な報告であった。これらをつうじて、第一に、長期にわたる深刻な不況としてあらわれている国家独占資本主義の矛盾の様相とその理論的把握、第二に、その犠牲の転嫁による首切り合理化をはじめとする、労働者、勤労国民の生活苦、労働苦の増大と反撃の芽、第三に、階級対立の激化をおさえるための国際的な結びつきをもった労働運動体制内化の動き、第四に、保守・中道連合路線に社会党をまきこもうとする攻撃、などについて分析が深められるとともに、これらの攻撃の本質を暴露し、独占資本と真向うからたたかっていく方向に広範な労働者階級、勤労諸階層を結集していくことのできる社会党の主体的力量の強化がまさに急務になっており、そのため社会主義協会がはたすべき任務はますます重大になっていることが意志統一された。また、平和革命の追求と不可分な憲法を守り、反動化を阻止するたたかいを再強化すること、党が直面している種種の政策課題について広く専門家を結集して検討し、党に政策提言をおこなう活動を強めること、などが提起された。
 以上のような討論をうけて、佐藤事務局長は要旨つぎのとおりまとめをおこなった。
 討論のなかでだされた貴重な提起をとりいれ、できるかぎり「情勢報告」を補強するとともに、こんごの研究活動に生かしていく。
 社会主義協会が創立以来追求してきた理論集団、研究集団としての任務を、今大会(総会)を機会にさらに強力に、全員が総力をあげて遂行していくことを確認しよう。
 とくに、革命の客観的条件としての経済的、社会的、政治的な諸情勢の徹底的な分析とその普及をつうじて社会党の強化に貢献していく。
 討論のなかでしめされたように「真の労働者階級解放の理論はどんなに妨害、攻撃があろうとかならず労隠者階級のなかに広がっていく」という科学的社会主義にたいする確信をもち、ねばりづよくたたかいぬこう。
 この事務局長のまとめをふくめて、「情勢報告」は、代議員全員の拍手で確認され、短時間ながら実り多い討論がおわった。
 このあと、総会は、福田事務局次長による社会主義諸国における社会主義建設をめぐる理論問題、いわゆるユーローコミュニズム、西ヨーロッパ社会民主主義、現代帝国主義と労働者運動、労働組合組織論、「合理化」(失業・雇用問題をふくむ)問題などの、こんごの「研究課題」および編集方針の提起、吉田財政小委員長による財政小委員会報告をうけて承認したのち、役員改選に移り、大内兵衛、向坂逸郎両代表、佐藤保事務局長、福田豊事務局次長(編集長兼任)、灰原茂雄学習部長以下の運営委員を満場一致で選出、いっそうの奮闘の決意をこめたインターナショナルの歌声を会場にひびかせて、その幕を閉じたのである。
 報告をおわるにあたり、本大会(総会)に祝電を寄せられた飛鳥田社会党委員長、終始熱心に討議を傍聴する労をとられた「社会主義協会検討委員会」代表の方方に、感謝の意を表させていただきたい。
                  編集部
代表挨拶
平和革命論があって社会主義協会が成立した
向坂逸郎
 私たち社会主義協会は、社会党・総評と話合いの結果、つぎのように決定した。これを事務局長の佐藤保君と私とで皆さんに報告する。
 私たち社会主義協会は、社会主義革命を平和的な方法で考えることである。社会主義協会は平和革命という。平和革命をたんに希望するのではなく、平和革命の条件がわが国にあるということである。これは主として民主主義をできるだけ実現することである。この意味で平和革命が日本においては科学的であるということである。 このことは、山川均氏との話合いの上で、一九四六年、日本で科学的に決定したことである。だから、わが国では、平和革命論があって社会主義協会が成立した。それ以後終始一貫してこんにちまで社会主義協会は平和革命論である。正しいわれわれの理論は、党員としての、組合員としての精神的影響等による外ない。党と労働組合とを強化するには、この方法によるのである。
 それから、党とわれわれ協会の理論が相異するばあいには、原則としてわれわれ党員は党の決定にしたがうべきであり、労働組合においても、労働組合員は原則として、もちろん労働組合の決定にしたがうべきである。
 さらに、われわれ社会主義協会員の任務は、社会主義の理論的究明とその学習にあるから、このことに務むべきである。ここで社会主義というのは、主としてマルクス、エンゲルス、レーニンの理論であり、それをまなび学習しなければならぬ。
反合理化闘争の本格的構築のために
「情勢報告」に関連しての灰原茂雄学習部長の提起
 同志のみなさんと一緒に、佐藤さんの情勢分析を聞いてつくづく思うことがあります。それは、佐藤さん自身がいっておられるようにまだ補強される点があったとしても、こういう考え方こそが、労働者階級一人残らずが、ほんとうに待っていた、聞きたかった正しい分析だと思います。だから去年一年間、党内外からわれわれにたいしていろんな批判や忠言がありましたが、悪夢がまるで消え去る思いがします。今日の総会に飛鳥田委員長から祝電がきたのもあたりまえと思います。
 この「情勢報告」で、すでに春闘についての構え、日本のマルクス・レーニン主義者あるいはマルクス・レーニン主義を研究する集団としての基本的な構えがもうでていますので、補強することなどはありません。しかし、私たち社会主義協会には、ひじょうに永いあいだ日本社会党や総評と一緒に、全力をあげてたたかってきた経過があるし、これからもその課題を達成していかねばならない。そういう意味で、実践的というか、「情勢報告」を聞いたうえでの考え方という か、不十分ですが私見を披歴して、午後の討論に少しでも役に立てばと思います。
  第一番目に、私はこう思います。この「報告」は、科学的で緻密で正しいものですが、それにしても、日本の労働者階級全体では、いわゆる「構造不況産業」だけに集中していて、全体的なたたかいになっていない。これはおかしい。
 「報告」は、経済が政治の土台であり、反映しあっているということで、政治・経済の動向をまったく正しく、科学的、階級的に集約され、提起されたわけですが、全体の運動がそうなってはいないのです。それは、私どもの階級的反省をふくめなければならないことで、人のせいにはできません。
 いずれにしても、四〇〇万人の「過剰雇用」があるといわれたり、スクラップにつぐスクラップが強行されていても、どうもよそごとのように、一部の問題であるかのようになっていること、そこが私にはどうしても納得できない。
 たとえば、かつて社会主義協会は、社会党・総評ブロックとともに、「安保・三池」闘争をあれだけたたかいましたが、あのときのことを思いだしてもらうとよいと思います。それは、「去るも地獄・残るも地獄」という構えのことです。「報告」のなかにもあり、午後からも討論されると思うのですが、四〇〇万人の仲間が「過剰雇用」でおるとして切り捨てられる、首切り合理化を強行される、だから「去るも地獄だ」というだけでなく、「報告」にあるように、じつは残る者もたいへんな労働強化、災害激増、権利剥奪その他が必至なのです。したがって、「去るも地獄・残るも地獄」ということを考えますと、「構造不況産業」や過剰雇用といわれている四〇〇万人の仲間たちの問題ではなく、課題はまさに、日本労働者階級全休が、党および総評を中心として、追求しなければならないことであり、けっして部分的ではない。日本独占資本を相手とする階級的なたたかいは当面、「去るも地獄・残るも地獄」という合言葉に結集されなければならないということを、第一に考えねばならないと思う。
 体制的合理化にたいするたたかい、それは、職場からのたたかいや抵抗を基盤にしますが、政治的な政策のたたかいをふくんでいる。このさい、私たちは体制的合理化とのたたかいをもっともっと錬磨し、経験を豊富にし、大衆のものにするという任務がある。
 しかし、じっさいの身の回りは、雇用さえあればいい、職場を失いたくない、というだけの逃げ腰や、あるいは労働四団体を先頭にした上からの戦術でのりきろうとすることへのいたずらな非難があるというように、内部がひじょうに不団結の状態になっています。したがって、日本の現状を階級的にとらえる視点、「報告」の考え方などで学習して、ほんとうにみんなのものにしなければ、「去るも地獄・残るも地獄」ということが生きないということです。
 二番目の問題は、いわば階級的な視点ということです。「去るも地獄・残るも地獄」ということをわれわれはこのように考えて、礼金主義協会の指導などありながら安保・三池をたたかいました。
 どういうことかというと、敵はたしかに、職場闘争弾圧・資本主義的合理化を推進しよう、つまり高度成長をめざす入口としての集中攻撃をかけてきたわけです。
 第一に、三池炭鉱労働者一万五、〇〇〇名のなかに三井が一、二二七名の指名解雇という攻撃をかけてきたわけです。それは高度成長をねらう資本主義的合理化の過程の問題であることはいうまでもありません。しかし、私たちは、大事な活動家一、二二七名が首を切られて地獄へいくだけじゃない、残った一万数千人の三池労働者もやはり、「去るも地獄・残るも地獄」という意味で、これから差別があり、分裂攻撃をうける。だから、単位組合としてまずこのことを、三池労働者全体が意志統一し、たたかいにたちあがった。それは、いままでにまったくないような攻撃でしたから、主婦たちをふくめて家族ぐるみ・地域ぐるみのたたかいになった。主婦会の皆さんは、三一三日のストライキ期間中、ハチマキをしめ、モンペをはいて、夜寝るとき以外はハチマキをとることもないような、家族ぐるみのたたかいを組み上げました。つまり当該組合、その組織が「去るも地獄・残るも地獄」という構えーを本気になってつくるということがだいじです。
 第二はなにかというと、政府・独占資本はマスコミをつかって、石炭はエネルギー革命のもと斜陽産業である、と大大的に宣伝し、政府・独占資本の石炭政策として首切り合理化がだされていたのです。そこで、石炭産業に働く三〇数万人の労働者が、いまは、三池だけにみえる。しかし、これは産業別の、炭鉱労働者全休にくわえられている攻撃だ、という理解をして、ガンバロウとやったのです。産業別のたたかいとしては、ずいぶんその過程で内部的妥協もしながら、あそこまで炭労全休のたたかいにしたのです。たとえば、三井鉱山を相手とする企業連である三鉱連の三池以外の三万人の仲間は、三池とちがう方向にいきながらも、産業別としての炭労はあれだけのたたかいを組むことができたわけです。産業別のなかで、「去るも地獄・残るも地獄」ということを生かして、いまは三池だけだ、しかし、本質的には炭鉱労働者全体の問題なのだ、という構えがほんとうに確立されていたということを二番目にみなければならないと思う。
 まだ、第三がある。いまは石炭労働者にかけられている攻撃、エネルギー革命だといわれているが、資本主義的合理化である以上、体制的な合理化としてかならず将来全体にく
る。つまり、ある程度は、高度成長でごまかされても、かならずくるだろう。石炭労働者だけじゃなくて、日本の階級的な労働者の視点にたった闘争を組まなければならない、という意味で、「去るも地獄・残るも地獄」というあれだけの闘争が組み上げられたのです。
 「安保・三池J闘争の過程で、とうとう日本社会党の浅沼委員長がー〇月一二日に右翼の青年に暗殺されるという事件もおきました。そんなことも考えますと、われわれは、かつて、すでに一七、八年前に、あの安保・三池のたたかいで、政治的な課題と労働者階級としての経済的なたたかいをふくめて、「去るも地獄・残るも地獄」という闘争スローガンにそれだけの内容をもたせて、じつに階級的にたたかったということがいえると思います。
 日本社会党を支持し強化しようとする私たちは、いまそのことをほんとうに肝に銘じて、想起しなければならない時期だと思います。
 つまり、いま目の前にある状況はそうなっていない。各地域では、これだけの合理化攻撃、倒産、スクラップにたいして、たしかに「反失業闘争」がおこっています。しかし、それをつないで、日本中にたたかいをまきおこしながら、政府・独占に雇用改善の政策をつきつける、ほんとうの反独占闘争の展開にはまだなっていません。    

  ここできょう提案された「情勢報告」のなかにふくまれているものは、階級的視点をもって、党および労働運動のなかに、第一線にわれわれやみなさんがはいっていかなければならないという任務があるということです。したがって、われわれの実践によって、去年一年間の悪夢のようなわれわれにたいするあのやり方、あの攻撃は誤りであったということを立証させること、それをかちとることが必要だと思います。
 つまりいままで申しのべたように、「去るも地獄・残るも地獄」ということだけを考えても、われわれの任務は重く、努力はまだ仲間たちにおよんでいない、まだ日本の階級闘争が そこまでいっていない現状をどうするかということを真剣に考えることだと思います。
 第三番目は、午後の討論までふくめて、社会主義協会が考え、社会主義協会が提言していることは、日本社会党や総評を強化し、ひいては日本の階級闘争の大きな土台になる、そのことを確認するような意味で、お互いの経験を交流しあいながら、前進するほかはないと思います。そのためには、やはり学習です。
 春闘といいましても『社会主義』では、一月号、二月号、三月号と、三月号はまだお手許に届いていないと思いますが、ずっとつづけて、日本独占資本主義の分析から春闘情勢を追求しつづけております。したがって、われわれは機関誌『社会主義』を中心にしながら、もう一度、地域でいまおきている合理化攻撃のなかで苦しんでいる仲間たちに手をさしのべ、話し合いながら、一緒にたたかおうということでなければならないと思います。
 そういうことでいうと、私たちはいま、「去るも地獄・残るも地獄」ということを、一七、八年ぶりに、まさに階級闘争として想起し、これから、ほんとうに自分自身が決起しなければならないのです。少しばかりの意見のちがいはのりこえて、話し合いを深めながら、職場から地域から闘いをおこし、みんなの力を政治反動にむけて強め、政治的統一戦線をつくる力をかちとるという春闘の構えを、われわれ自身がもたなければならないと思います。
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