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労働組合運動・農民運動と統一戦線(3)
農民運動と統一戦線
      一
 こんにち日本の農業と農民の生活は、きわめて困難な状況におかれている。一方では、たしかに、農業の一定部門で、生産の発展がみられ、一部の上層農民の富農化、ブルジョア化がすすんではいるが、総じて農業生産は停滞し、大多数の農民は、農業だけでは、最低の生活さえまもれない状態にある。
 こうして農民の兼業化、わけても賃労働兼業へ依存する度合いは、ますます深まっている。さらには零落して、脱農民化してプロレタリアになる農民の数も、あとをたたない。
 すなわち農家の専兼業別構成でみると、専業農家はますます減少し、昭和四五年の時点において、一六・五%と全体の六分の一弱にすぎないが、他方、兼業農家とりわけ二種兼業農家の増加はいちじるしく、今や五〇・七%と半分をこえるにいたっている。
 また昭和三〇年に、一・〇haを分岐点として上層は増大し、下層は減少するというかたちで明確になった両極分解傾向は、その後も一貫して継続し、分解の基軸もしだいにひきあげられて、昭和四五年には二・〇haを分岐点とするにいたっている。しかし上層農家の拡大といっても、いぜんとして一・〇ha未満層が約七〇%をしめており、二・〇ha以上層はわずか六%にすぎず、零細農的構造がくずれているわけではない。要するにこれらの現象は、小農的規模の下限がたえずひきあげられ、この下限を分解の基軸として、上層は上昇するが、いまだ資本家的富農の形成にはいたらず、大部分の下層は落層し、プロレタリア化しつつあるということである。
 このような多数の農民の窮乏と零落は、農産物の商品化が高まるにつれて、独占の農業にたいする搾取と収奪が強まったことのあらわれである。
 商品生産の進展は、農民を営農改善にかりたて、農業生産の農薬、肥料の大量使用と機械化にむかわせた。農業労働力の減少と老齢化、婦人化は、この傾向に拍車をかけた。むろんこうした営農改善は、上層農民を基軸にしてすすめられたが、しかし中下層の農民のあいだにもかなり広がりをみせた。しかしこの結果は、「機械化貧乏」に端的にあらわれているように、多数の農民の経営を不安定にし、彼らを貧乏に追いやった。この根源は彼らが農業資材を独占から高い独占価格で買わされていることにある。
 農民の窮乏は、たんに独占資本による生産手段の供給のみならず、独占資本による農産物の購入、加工によっても促進され、それはとりわけ畜産や果樹生産部門において、いちじるしいといわねばならない。
 農民の窮乏化は、昨今とみに、国家の農業「近代化」政策によって、促進されていることに、注意しなければならない。農業「近代化」政策は、旧来の農民「保護」政策を完全に放棄したわけではないが、しかし、零細経営を大幅に整理し、畜産、果樹園芸を中心に、より効率的な「自主農家」経営の育成をめざしている。いうまでもなく、この政策のねらいは、農業生産の「効率化」をはかることによって、独占の搾取と収奪の体制を、一段と効率化することにある。なぜなら、農業「近代化」政策は、財政負担のかからない安い農産物と、独占にとって必要な大量の安い労働力、それに独占の産業基盤としての土地と水とを、大量に安くつくりだし、あわせて独占の農村における市場を拡大することにあるからである。
 このことは、農業「近代化」政策の一つの柱である、米から畜産、果樹、園芸への「選択的拡大」が、独占の階級利益を追求するためにうちだされたことからも、明らかである。独占は今日、ますます海外市場の拡大の必要にせまられているが、このことのためには、その見返りとして、アメリカ、東南アジア諸国から米や飼料をはじめとする農産物を輸入せざるをえない。
 海外農産物への依存、「選択的拡大」、「構造改善」を住とする農業「近代化」政策は、さらに農地制度と食管制度の大がかりな改廃によって補強されようとしている。「総合農政」は、これを言いあらわしたものであるが、経済効率化の観点は、いっそう強く前面におしだされており、この政策の進展は、農民の窮乏と零落を加速化するであろう。その内容とするところは、農産物価格のすえおき、米作農業からの転換、零細農家の離農促進による経営規模の拡大であるが、めざすところは結局において農業近代化の名による、財政負担の縮小、安上がり農政の実現にほかならない。従来、収奪と同時に小農保護的性格を所有していた農政は、総合農政において、完全に保護的性格をかなぐりすて、むきだしの資本の政策として登場してきている。そして、このような農政を必然にしているものは、現段階における日本資本主義の存立条件のきびしさである。とりわけ国際通貨危機の下におかれた日本資本主義は、「スクラップ・アンド・ビルド」の産業構造政策の推進によって、農業合理化をいっそうおしすすめるだろう。総合農政といわれるものは、要するに、国家独占資本主義段階における農業合理化政策にほかならない。独占資本と農民との敵対関係が、今日ほど明確になったことは、また、ないであろう。

 当面するわが国の農民運動の直接の目的は、農民にたいする独占と国家の搾取・収奪攻撃に反対して、農民の経営と生活と権利をまもることにある。この反独占のたたかいは、反独占、民主主義擁護、帝国主義戦争反対のたたかいの一環であり、組織された農民のカはその統一戦線の一翼をになうものである。
 しかし農民運動のこの統一戦線への参加は、農民の特殊な要求を無視して、他の階級・階層との共通した要求と課題の追求によってのみ実現されることを意味しない。おなじことは、労働連動をはじめ他の国民大衆の諸運動についてもいえることであって、ひとり農民運動にのみ特殊なことではない。
 反独占をめざす農民運動は、農民自身が労働者的であると同時に、経営者的であるという立場から、当然に二つの要求課題をもつ。一つは農民の労働者的要求であり、いま一つはその経営者的要求である。農民運動は、このいずれか一方を解決するためにあるのではない。そうなれば、そもそも農民運動は、そのものとして、なりたたなくなるほかない。
 この二つの要求は、むろん画然ときりはなされた二つの独立した要求ではない。それはこの要求が、農民自身の立場が本来もっている二つの側面、労働者的であり経営者的であることから、当然に生まれてくるものだからである。労働者的要求の解決は、経営者的要求の解決と不可分であり、また経営者的要求の解決が労働者的要求の解決をもたらすのである。
 労働者的要求は、農民自身がみずから労働をおこなうものとして、都市労働者とおなじ生活の保障を獲得しようとするものである。この要求の中心は、自家労賃を保障することにある。しかしこの要求は、農産物の販売相手である独占資本と政府にたいする経営者的要求、つまり価格ひき上げの要求と不可分であって、その基礎をなす。
 労働者的要求には、農民の出かせぎ先および通勤先の労働条件の改善と社会保障の獲得・拡充もふくまれる。こんにち賃労働兼業農民がますます多くなっているもとでは、この要求の解決をめざすたたかいは、いっそう重要になっている。この要求は、賃労働兼業農民の直接的な要求ではあるが、しかし同時に、この要求獲得は都市労働者の問題でもある。これらの農民の労働条件の劣悪さは、都市労働者の労働条件改善闘争をさまたげる重要な要因のーつとなっている。この意味において、この要求は、労働者と農民とをむすびつける。労農提携の一つの要求は、ここにあるといってよい。賃労働兼業農民の組織化は、今日の農民にとってだけでなく、都市労働者自身にとって緊要な問題である。
 しかしこのことから、その点にのみ、農民運動の基本方向を求めることは、正しくない。なぜなら賃労働兼業農民の農業経営は、主婦と老人の苦汗労働によっていとなまれ、いぜんとして困窮のなかにあり、荒廃の危機にたたされているからである。
     三
 農民の経営者的要求は、営農改善をめぐる諸要求である。それは、さしあたりつぎの項目に集約することができる。農業「近代化」政策反対、農産物の販売条件と農業用資材の購入条件の改善、土地改良、開拓、水利、農道などの農業生産基盤の改善、低利長期の営農資金の借入れ、農業災害の国家補償、課税負担の軽減、農協の民主化等々。
 これとともに、自由化政策が独占資本の製品の輸出促進とひきかえに農産物の輸入を増大させ、農民の生産をいちじるしく圧迫していることにかんがみ、農産物のこのような自由化政策に反対することは、営農改善をすすめる基本的前提条件であり、農民の切実な要求の一つである。
 これらの諸要求は、要するに、食管制度をはじめとする農民の小経営保護政策を拡充し、独占の市場支配と搾取に反対して、営農改善をはかることを、主な内容とするものである。
 この経営者的要求とさきにしめした労働者的要求とを結合してたたかうこと、これがわが国の農民運動の課題である。この課題は、いうまでもなく、自主的で恒常的な全国農民組合が組織的にたたかうことによってのみ、よく達成される。こんにち全日農は、このような組織にふさわしい力量をまだもつにいたっていないが、この組織の拡大と強化をぬきにして、たたかう全国農民組合の発展はない。農民組合は上部、下部の組織のいかんをとわず、農民の自主性を尊重し、民主的で大衆的な組織活動を保証するものでなければならない。
 もちろん多くの地域で、農民組合のない現状では、なにはともあれ、農民の要求にしたがって、カンパニア的に運動を組織したり、あるいは、米、酪農製品、果樹、かんきつ類、葉タバコなどの業態別に、農民のたたかいを組織したり、さらには課税軽減や「地域開発」反対などの地域別闘争を組織することも、不可欠に重要である。しかし肝要なことは、これらの組織を定着することに努めるとともに、全日農との提携、さらには全日農の組織拡大をめざす方向に発展させることである。
 こんにち農民はなんらかのかたちで、国家と独占がつくっている農業団体に組織されている。たとえば農協、土地改良組合、耕作組合、四Hクラブなどが、それである。これらの団体はすべて農民の自主的な組織ではなく、多かれ少なかれ、独占と国家に奉仕するものとなっている。わけても農協は、農業生産と農民生活に関連した流通部門のほとんどを媒介していて、この役割をはたしている。
 この意味から、これらの農業団体の内部で、農民の民主化闘争がおこり、これらの農業団体を反独占闘争の一つの足場にすることの意義は、けっして小さくない。むしろこのような闘争をぬきにしては、農民の反独占意識は生まれてこない。なぜなら、これらの農業団体をとおして、独占と政府は農民の反独占意識の発揚をおさえているからである。
 農民運動の組織化とその発展は、農民の自主的な力によらなければならないが、農業関係の労働組合が農民をたすけることによって、いっそう急速にすすむ。全農林、全林野、全専売、自治労、それに農協労働組合といった労働組合が、このような役割をになえるようになることは、労農提携ひいては反独占、民主主義擁護の統一戦線をつくるうえで、きわめて重要である。地区労もまた、この一端をになっている。
 農村が全般的に過疎化し、その結果、医療、交通の機関を統廃合され、農村の生活基盤が大きく破壊されているもとでは、こうした労働組合と農民との提携した力によって、政府と地方自治体にたいして貧村の荒廃化に反対する闘争を組織することは、今日ますます緊要になっている。
     四
 農民運動の組織化と発展にとって不可欠的に重要なことは、しかしなによりも、社会党が農村内で献身的に活動する党の専従オルグを、全国的に育成し、配置することである。これは緊急な課題である。なぜならこれなくしては、農民の活動家を把握することもできないし、したがってまた農民を大衆的に組織することは、不可能だからである。
 しかしまた、党員オルグと農民活動家は、農民の経営と生活と権利をまもるたたかいのなかから育ってくるものであることを忘れてはならない。したがって社会党は、農村内でおこってくるあらゆる問題の解決のために、献身的な活動をつづけなければならない。農村の党組織は、この点で、とくに大きな任務をになっている。党の日常的な活動と指導なしには、農民を自主的に組織化し、さらには党の影響力を農民のあいだに浸透させることはできない。
 党の指導性とはなにか。それは、農民の経営と生活と権利をまもるには、組織された農民の力とそのたたかいをはなれてはどこにもないことを、農民に自覚させることである。個個の農民の営農改善や生活防衛だけでは、かえって農民の競争を激化させ、多くの農民の経営を不安定にし、独占と国家にとってかっこうの餌食となるだけである。多くの農民の団結なくして、公民の窮乏と零落に抵抗する力はない。
 しかし党の指導性は、たんにこの点に集中され、そこにとどまってはならない。農民の経営と生活をまもることは、今日の資本主義のもとでは、窮極のところ不可能である。価格保障や資金保障をたたかいとっても、結局は農民を小経営者としての困窮からすくうものではなく、かえってかれらを小経営者として存続させることによって、困窮させることでしかない。党は、この厳然たる事実を、農民にあきらかにしなければならない。党の指導性が、ただ農民保護だけに求められるならば、つまるところ党はできもしない相談をあたかも解決できるかのようにいうことによって、農民をだますことになる。このことは、社会党の小ブルジョア的農民党への転落である。
 党が社会主義政党として発揮しなければならない指導性は、農民をまもるということと同時に、小経営が農民の困窮をもたらす基礎であることを農民にあきらかにし、共同経営化の運動を組織することにむけられなければならない。共同経営は、こんにちすでに限界にきている小農経営の改善の枠を拡大するとともに、その内部で農民の競争を排除することによって、共同の階級敵である独占と国家とへのたたかいをいっそう容易にする。このことを農民に教えなければならない。
 いうまでもなく、農民の小経営者的=小所有者的意識は、共同化をこばもうとする。しかしこんにちの農業危機のもとでは、この意識そのものが動揺をきたさずにはおかない。いろいろな形態を追求することによって、共同化運動は、拡大するであろう。たとえば、農業機械の共同出資による購入と共同利用もその一つのあり方である。しかし圧倒的に小農民の多いわが国で、農民の土地私有をただちに否定する共同化を農民のまえに提起することは、あやまりである。このことは、反独占、民主主義擁護の統一戦線の結成を当面の課題とする、わが国の社会主義政党にとって、厳にまもられるべき農民運動の原則である。またつぎのことが銘記されるべきである。すなわち反独占をめざす共同化運動は、仝日農傘下の自主的な農民組合がなければ、組織し推進されえないということである。
 共同化は、それ自体で農民の窮乏をなくすものではない。ましてや共同化の拡大によって、農業の社会主義化が実現されると錯覚されてはならない。今日の状態では、農民をたすける社会主義工業もなければ、社会主義国家もない。共同化が社会主義農業となるのは、ただ社会主義権力のもとにおいてである。共同化運動が、農民解放のきめてではない。
 社会党が指導しなければならないことは、窮極的には社会主義権力を樹立することに農民運動のすすむべき方向があることを明示することであるが、しかしその道は、反独占、民主主義擁護、帝国主義戦争反対の統一戦線によってひらかれる。それは小農民を擁護するたたかいであって、けっして彼らの土地を収奪したり、その経営を破壊することを目的とするのではない。今日のおかれた社会的歴史的条件のもとでは、小農民の農業をまもり、発展させるたたかいが、そのまま反独占・民主主義擁護のたたかいの一環となっているのである。
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