当面する政局に臨むわが党の基本姿勢
*村山富市首相の国会答弁による基本政策変更を党として追認した文書。第61回臨時全国大会(1994年9月3日)で決定。出典は『月刊社会党』472号(1994年10月号)。党大会では基本政策堅持の立場から修正動議が出されたが、賛成152、反対222、白票・無効9で否決された。
第一章 はじめに
社会党と自民党の対立と抗争を軸とした「五五年休制」は崩壊し、いま、両党中心の連立政権による新しい政治が始まっています。一九四七年の片山内閣以来、社会党首班の政権は四七年ぶりであり、党は片山内閣を短命に終わらせた過去の教訓に学び、「変革の時代」をりードする安定した連立政権への展望を切り開かなければなりません。
党は現在、国政の最高責任を担い、生活者優先の政策が実現できるという可能性を手にした半面、これまでの「政敵」を失ったことによって、新しいアイデンティティー(自己存在)の確立が求められています。党にとって「政敵なき時代」は初めての体験であり、全党員はあらゆる固定観念、慣行から自らを解放し、新時代に対応できる党へ建て直す「自己革命」の決意と決断を示さなくてはなりません。
新政権の選択を好機に村山委員長は、古い時代の政策の殼を破り、新しい時代の政策へと大胆な転換を図る政治姿勢を表明しました。これを受けて、本大会は村山委員長の積極的な政治姿勢に応え、新しい現実に対応した政策転換を断行し、一致結束して新政権を支える態勢を固めなければなりません。この基本認識に立って、新しい活動方針「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」を提案します。
第二章 村山連立政権とわが党の役割
村山新政権の特徴は、「五五年体制」の両極にあって、長い間の対立と抗争の歴史をもつ、社会党と自民党が新党さきがけとともに、連立政権を共有したところにあります。米ソ冷戦の始まりと朝鮮戦争を背景とした対日講和条約をめぐる全面対立をはじめ、自民党吉田内閣がアメリカと安保条約を締結し、軍事同盟の方向を選択したとき、社会党は安保条約反対を主張し、非同盟・中立を提起しました。吉田内閣が再軍備に踏み出したとき、社会党は非武装の憲法理念に立ち、再軍備の動きに激しく抵抗しました。両党の対立と抗争は国論を二分した論争を呼び起こしたのであります。しかし、東西冷戦の終結は、自社対立の前提を突き崩し、細川・羽田政権の成立によって「五五年体制」は崩壊しました。
これによって冷戦体制下で果たした両党の歴史的な役割は終わり、政治の再構築に向けた両党の新しい役割と責任が開われることになりました。自民党が比較第一党であるにもかかわらず、わが党の村山委員長を首相に推挙するとともに、「新しい連立政権の樹立に関する合意事項」に賛同した結果、政権を共有するに至ったことは、国際社会における体制間対立の終焉と軌を一にしています。まさに「国内冷戦の終結」であり、戦後政治史は画期的な変革の過程に入りました。
この変革過程で果たすわが党の役割には極めて重大なものがあります。党は「五五年体制」下の政治に対する厳しい総括と反省を踏まえ、自民党との無原則的な妥協や馴れ合いを拒否する政治姿勢を堅持し、同じ土俵のうえで政策論争を戦わせ、緊張した関係のもとで政治・文化の改革を推進しなければなりません。
この基本姿勢に立ち、党は新政権の最大の課題として、規制緩和を含む経済改革、行財政改革、地方分権、福祉の充実、男女共同参画型社会の実現などを盛り込んだ『新しい連立政権の樹立に関する合意事項」の具体化と、細川政権の改革路線を継承・発展させることにおき、その実現に全力を注ぎます。
村山政権の第一の課題は、「五五年体制」下で形成された利権と汚職の利益誘導型政治の社会基盤の解体をめざした取り組みを強化することです。そのためには、予算編成や政策決定過程の透明化に努め、市民的監視を可能とする情報公開法などのシステムを推進しなければなりません。また、政治汚職の再発防止と金権体質の政治を一掃し、族議員の復活など政官財癒着の構造を打破し、国民に信頼される政治を確立するため、政治腐敗防止策の確立、企業による政治献金の禁止を進めることにします。
第二は、予算編成の主導権を官僚から政治家の手に取り戻し、健全な政党政治を確立することです。官僚主導は民間企業の自主・自律性を妨げ、政治家の政策立案能力を損なうという弊害を生んでおり、日本経済の構造改革を推進する上からも官僚主導型行政の打破が優先課題となっています。公共投資配分の見直しをはじめ、予算を適正に配分するのは国民の負託を受けた政治家の任務であり、新政権の予算編成が「五五年俸制」への逆戻りや官僚主導政治に陥ることのないように厳しくチェックすることにします。
第三は、防衛予算の抑制をはじめとした軍縮を推進することです。世界の主要国は防衛費削減に動いています。わが国の防衛費は世界第二位、南北朝鮮の二・五倍、アセアン六ヵ国の三・五倍という実態にあります。この現状を招いた責任は「解釈改憲」を重ねて、自衛隊の肥大化を進めてきた自民党とそれを阻止できなかったわが党にあり、この総括に立って両党は軍縮推進を基本に九五年度予算編成に取り組むことが重要であります。したがって党は、防衛予算の縮小にとどまらず、「目に見える専守防衛」の構想にもとづき、正面装備、人員の規模をはじめとした、自衛隊や米軍基地のあり方など総合的な軍縮プログラムを策定し、その実現に努力するとともに、自衛隊員の市民的権利の確立をめざします。
第四は、世界に誇る日本国憲法の理念の尊重を鮮明にした「合意事項」に沿って、すべての政策を構想し、その具体化を図ることです。党は政策展開の基本を、新しい社会民主主義とリベラル(寛容主義)の理念に立って、主要な政策の見直しを図り、国民生活の質を向上させることにおきます。この理念は地方分権と行政改革、環境保全と軍縮、福祉の充実など「合意事項」に反映されています。これらの政策の方向性は、「成熟社会」を目標としており、この目標に沿って、これまで「効率」に片寄り過ぎていた政府の政策スタンスを「公正」と「平等」に適切にシフトさせなければなりません。
党はあらゆる差別の撤廃による人権の確立はもちろんのこと、高齢者や障害者、子どもや女性、都市サラリーマン、経済的困窮者など、これまで効率性原理のもとで重圧を受けてきた階層の生活向上を何よりも重視します。これらの政策を実現するためには、政権内部で自民党との切磋琢磨が必要であり、政策手法をめぐる厳しい対立と柔軟な協調が求められることになります。
新政権は発足と同時にナポリ・サミットをこなし、臨時国会で新政権の課題と任務を表明するとともに、韓国訪問によって未来志向の信頼関係を築くなど順調にスタートしており、これを安定・発展させるためには、党の全面的な支えが必要です。
第三章 村山連立政権樹立とその経過
社会党首班政権の樹立に至る経過と結果については、八月一日の都道府県代表者会議でも明らかにし、全党の承認を得たところであり、それに沿って簡潔に報告します。
今回の一連の経過を通じて、党内に亀裂が残り、労働組合や多くの支持者の間には不信と動揺が続いています。この現状を一日も早く修復し、信頼関係を再構築することが党中央の大きな課題となっています。今回、党は自らが主張する方針や政権構想を超える事態が起きたことによって、新たな選択を余儀なくされました。わが国の政治と国民生活、党の未来にとって何がベターなのかの即断が問われたのであります。
第七一回中央委員会方針の基本は、羽田政権に自発的総辞職を迫り、新たな政権枠組みによる安定度の高い連立政権を確立することにありました。現在の自民党との連立政権は構想せず、自民党亜流政権も認めないことを鮮明に打ち出したのであります。この方針にもとづいて、中央執行委員会は「新たな連立政権樹立に向けてー国民へのアピール」を決定するとともに、これを土台とした「確認事項案」をまとめ、連立与党をはじめ、新党さきがけ、および自民党に提示しました。これに対して自民党も大枠で賛同する意向を示しましたが、同党が羽田内閣不信任決議案を提出したことから、党中央執行委員会としては政権協議に入ることに慎重な態度をとったのであります。
社会党と旧連立与党との間では、社会党の提案にもとづく政権協議が精力的に続き、その過程で羽田首相は「進退を含め政権協議に委ねる」と表明し、本会議での不信任案採決を前に総辞職を選択しました。党は「社会党の要求に応えた総辞職」として評価し、羽田首相との党首会談を申し入れ、新連立政権樹立に向けた方向性の一致を求めたのであります。
この申し入れにもとづいて開催された村山委員長と連立八党首の会談では、首班指名の会期内決着、社会党からの政権合意案の提示、政権の民主的運営、さきがけへの参加呼びかけなどが合意され、細川政権の枠組みによる政権樹立へ大きく進展したのであります。
党は政権政策を提示し、連立与党との合意を求めましたが、連立与党側は社会党案を事実上棚上げとしたまま、別の政策案を逆に提示してきました。社会党としては、政権協議の決裂を図ったと、判断せざるを得ませんでした。このため、中央執行委員会は連立与党との協議打ち切り通告を決定し、新党さきがけとの共同政権構想にもとづき、村山委員長指名で衆参本会議に臨むことを決定しました。自民党も政権協議や政策合意に先立ち、村山委員長を首相に推挙することを決定し、首班指名選挙に臨みました。衆議院での決選投票の結果、村山委員長が二六一票、参議院では第一回投票で、村山委員長が過半数の一四八票を獲得し、第八一代の内閣総理大臣に指名されたのであります。
中央執行委員会は最後まで党決定にもとづき、その実現に努めましたが、かつて政権を共有した旧連立与党の思惑から政権協議は破産し、新たな連立政権が誕生したのであります。自民党、新党さきがけ、社会党による連立政権は中央委員会決定の予測の範囲を超えています。しかし、政治は生き物であり、政党は国家の将来と国民生活に責任を持つ立場から、政局の展開に対応した待ったなしの決断が迫られるのであります。自・社・さきがけ三党による連立は予想外の選択でしたが、この現実政治への待ったなしの対応と決断には、誤りはなかったと判断します。この選択が後世の国民の審判に耐えられるものであるかどうかは、村山政権が何をなしうるかにかかっています。
この首班指名選挙で、村山委員長以外の票を投じた党所属議員は衆議院で二四名、参議院で四名に上りました。中央委員会方針があったことや自民党と政権を組むことの是非について、党内論議ができなかったことなどから、このような投票結果が出たことは誠に残念であります。これらの議員に対し、中央執行委員会は七月二八日、@川島実議員については、決定に反する行為の後、離党届を提出されているが、党はこれを受理せず、除名処分が相当とする旨、意見を付して、七月二八日付で規律委員会に付託すること、A他の二七名については中央執行委員会として厳重注意を行った上、規律委員会に報告すること、Bこのうち、中央執行委員である二名からは辞表が提出されているが、これを却下し、臨時党大会の成功と連立与党としての政務・党務に専念されるよう求めること−を満場一致で決定しました。
第四章 新たな時代の政策展開
党は一九八六年の「新宣言」決定以来、階級政党から国民政党への転換を図るとともに「連合政権はふつうのこと」とする時代認識を示し、政権を担う党への脱皮をめざしてきました。政策面では一九八九年の「新しい政治への挑戦」で連合政権下の政策を定め、その中では「自衛隊と安保条約の維持・継承」を打ち出し、「自衛隊絶対反対」「安保廃棄」の方針を見直しています。これを受けて一九九一年の第五六回定期全国大会では「平和の創造」を採択し、ここでは「自衛隊の実態は違憲である」としつつも、「専守防衛の透明度達成にいたる自衛隊改革」を提唱しています。
さらに同年の第五七回定期全国大会で決定した「党改革のための基本方向」では「主権国家に固有の自衛権」を認め、「自衛隊の存在を直視する」として事実上の容認姿勢を明らかにし、第六〇回定期全国大会で決定した一九九四年運動方針では「自衛隊をシビリアン・コントロールの原則のもとに厳格に運用する」として、自衛隊の認知を前提としたアプローチが提唱されています。
さらに討議継続中の「九三年宣言」では「固有の自衛権にもとづく最小限自衛力と日米安保条約を許容」し、「現自衛隊に対する政府の指揮統制行為は合憲である」という憲法判断を示しています。
党はこうした改革の過程で激しい論争を繰り返し、理念と現実のジレンマに苦悩してきました。しかも党改革のテンポよりも、つねに内外情勢の変化は速く、改革の過程における一九九三年八月の細川連立政権への参画によって、党は初めて「外交および防衛等国の基本施策について、前政権の政策を継承する」ことを認めたのであります。
今回の村山委員長の政策転換発言はこうした政策改革の延長線上にあり、しかも総理大臣という国家の最高責任者としては必要不可欠の決断でした。したがって、党は自らの自己改革の歴史、冷戦構造と「五五年体制」の崩壊、首相を支える責任政党の立場を踏まえ、安保・防衛政策を含む重要政策の転換を進めることにします。
その第一は「非武装・中立・非同盟」の問題です。
「非武装」路線は党是を超える人類の理想です。党の「非武装」の主張は、第二次世界大戦における侵略戦争の反省を踏まえた平和憲法の基調を反映したもので、戦後の日本の「経済重視・最小限自衛力」の道を切り開き、文民統制、専守防衛、自衛隊の海外派兵の禁止、集団的自衛権の不行使、非核三原則の順守、武器輸出禁止など、日本とアジアの平和にとって大きな役割を果たしました。この歴史的な成果と軍事力による対立を軸とした冷戦構造の崩壊を踏まえるならば、「非武装」は人類の究極の理想として、今後なお、高々と掲げる必要があります。
中立・非同盟路線は、冷戦時代には日本の重要な政策選択として積極的な役割を果たしましたが、東西ブロックが崩壊し、東西対立が消滅した世界政治の現実のもとでは、その歴史的役割を終えたものと認識します。未来に向けた日本の選択は、国連を中心とした地球規模、地域規模の安全保障体制の確立にあります。
第二は、自衛隊と日米安全保障条約の問題です。
冷戦時代にはイデオロギー対立が防衛論議に持ち込まれ、国民の合意形成を妨げてきました。国家の基本にかかわる防衛問題で国民合意が存在しないことは国民にとって不幸なことです。自民党と連立政権を組んだ今日、党は、「専守防衛」の名のもとに自衛隊の強化と防衛費拡大を続けてきた自民党の防衛政策の転換を迫らなければなりません。
党は軍縮基調を堅持し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊を認め、現在の自衛隊は憲法の枠内にある、との新しい認識に立ちます。その理由は、第一に、戦後半世紀を経て必要最小限度の自衛力の存在を容認する国民意識が形成され、第二は、東西冷戦の終結で、歯止めなき軍拡志向の危険性が消え、イデオロギー抜きの新しい安全保障政策を論議する土台ができたことにあります。こうした国民意識の形成は、戦後、平和憲法の精神の具体化をめざした社会党を中心とする不断の努力によるものでありました。今後、党は軍縮とシビリアン・コントロールを基本に、自衛隊の任務を厳しく限定し、「目に見える専守防衛」に徹するため、防衛力の再編・整備と縮小に努めるとともに、日本国憲法の平和主義および国際協調の理念に沿って、安全保障政策の基本となる「安全保障基本法」の制定に取り組むことにします。
日米安保条約は、冷戦終結後の日米の役割増大や日本とアジアの関係を視野に入れて、引き続き堅持します。日米安保条約は冷戦時代、アメリカの極東戦略に日本を組み込むことで、日本に冷戦の加担者としての役割を負わせてきました。党が広範な国民とともに、一九六〇年の安保闘争などを通じて、その廃棄を求めたのはそのためでありました。しかし、日米両国が「共通の敵」に対して防衛するという日米安保の任務は冷戦終結とともにその役割を終えつつあると判断します。
現在、安保条約は経済協力や民主主義の発展など広範な日米友好関係の基盤となり、さらにアジア近隣諸国からは日本の軍事大国化を抑止する存在とみられ、戦後の日本がアジア諸国に受け入れられる要因となっています。党は日米安保体制を「地域紛争対応」や「PKO参加型」に変更していく動きを厳しくチエックし、将来は国連およびアジア太平洋地域の安全保障システムのなかに包摂していく努力を積み重ねることにします。
第三は、わが国の国際貢献の問題です。
国際社会の平和と安全の確立に向けて、日本が資金面だけでなく、人的な面でも責任を分担し貢献するのは当然であり、党はこれまでの主張を踏まえ、国際平和協力法にもとづく国連平和維持活動には、憲法の枠内で積極的に参加します。しかし、PKF凍結解除を含めた国際平和協力法の見直しは、PKOによる協力の実績やカンボディア、モザンビーク等への派遣という経験を踏まえて対応することにします。国連安保理常任理事国入り問題は国連改革の進展、アジア近隣諸国の推薦状況、国際社会の支持、国民的理解の度合いを判断しながら対処することとします。
朝鮮半島の平和と安定の確保に向けては、日朝政府間交渉を早期に再開し、国交正常化に向けて全力をあげます。
第四は、「日の丸」「君が代」と戦後五〇年の問題です。
党は「日の丸」は国旗であり、「君が代」は国歌であるとの認識に立ちます。党は侵略戦争の反省にたって、かつて軍国主義、国家主義のシンボルの役割を担った「日の丸」「君が代」の強制に反対してきました。しかし、戦後五〇年を経た今日、これらは国民の間にも定着しており、今後はこの国民意識を尊重して対応します。
党のシャドーキャビネットは、一九九一年に「国民を代表する国家の標識としての日の丸は、徳川時代から船の標識として用いられ、国際的にも広く認知されている現実を踏まえ、侵略戦争の反省を表す国会決議がおこなわれれば、これを国旗として認めてもよい」と提唱してきました。村山首相の「国民全体の国旗に対する愛着が高まり、国歌もそれなりに国民の間に広まっている」という国旗・国歌を認知する発言は、それらの党内論議の過程を踏まえたものです。しかし、個人の選択を狭めることになる国旗掲揚等の強制には、党は賛同できないとの立場から、文部省の動きを徹底的に監視します。また信教の自由を守り、発展させる立場から、閣僚の靖国神社公式参拝には同意しないことにします。
戦後五〇年を日本の新しい出発点とするためには、「過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議」の採択をめざすことをはじめ、戦後五〇年を節目とした、「アジアとの歴史的和解」をこの政権のもとで実現し、被爆者援護法など戦後の国家責任を果たすことに努力を傾注します。これらの戦後五〇周年の取り組みを進めるため、党内に実行委員会を設けて総合的に推進することにします。
第五は、エネルギー問題です。
党は、稼働中の原発について、安全性の厳しいチェックをしながら、代替エネルギーが確立するまでの過渡的エネルギーとして認めます。建設中および更新を必要とする原発については、地域住民の意向を極力尊重しつつ、慎重に対処することとします。党はこれまで原子力発電に対しては、地域住民とともに反原発運動を担い、世界で最も厳しい原子力政策を確立させてきました。この運動の貴重な経験に学び、党は「脱原発の日本」を長期目標に掲げ、小規模分散型の自然エネルギー中心体系への転換を図ることにします。このため省エネルギー対策、低公害性化石エネルギー、太陽エネルギーなどの比率を大幅に高めるなどの手段で原子力エネルギーを縮小し、地球環境にやさしいエネルギーの実現に努めることにします。
世界的にも安全性の確立が不可能視される傾向にあるプルトニウムの利用については、慎重な検討を加えていくことにします。
第五章 当面の活動の重点
現在、第六〇回定期大会で決定した「一九九四年運動方針」および、第七一回中央委員会で決定した「当面の活動方針」の実行過程にあり、各分野の運動は、これらの決定にもとづき、その発展を図ることにします。したがって、本大会では今日的な課題に絞って提案します。
第一は九五年度予算編成への対応です。
党は予算編成にあたって、生活者重視、減税の継続、規制緩和を軸とした内需振興、高齢化社会に対応した生活関連公共投資の充実に重点を置くことにします。そのため、公共事業に対する硬直した予算配分の見直しを実施するとともに、自民党政権時代における巨大開発やビッグ・プロジェクトによる建設事業中心の予算配分を改め、生活者のニーズにもとづく社会資本の蓄積を優先する政策を実行します。
防衛費については、「目に見える専守防衛」に徹し、軍縮過程に入った日本の姿を国民とアジア諸国に鮮明にするため、前年度に比べてマイナスの予算となるよう全力をあげます。
税制改正については、「所得・資産・消費のバランスのとれた税制」を追求し、党税制調査会の「税制改革指針案」で提示した応能負担原則の尊重、税収の安定性の確保、経済の国際化への対応、地方分権の推進などを総合的に検討し、新時代にふさわしい税制改革に取り組みます。そのため、行政改革による財政効果、高齢社会に必要な財政負担、間接税の引き上げなど、現行消費税の改廃を含む総合的改革案を提示し、国民の理解を求めることにします。
国の予算を社会党首班政権にふさわしいものとするため、全国的な予算編成運動を展開します。各省庁の概算要求に合わせて、自治体を主体とした交渉、切実な要求を持つ各社会団体などとの対話に、党組織と議員は積極的に対応し、国民参加によって透明な予算編成の実現に取り組まなければなりません。
第二は、結党五〇周年事業への取り組みについでです。
党は結党五〇年にあたる明年を、党改革への新たな飛躍と発展の年としなければなりません。このため、中央本部は「結党五〇周年事業企画プロジェクト(仮称)」を発足させ、党内外からのアイデアと英知を集めて、この事業を成功させることにします。党内論議を継続している「九三年宣言」は、村山政権誕生という新しい政治状況を受けて、結党五〇周年事業として取り組み、今日の世界と日本の現実に対応しうる理念と目標を定め、党内外の論議を進め、新たな名称のもとに策定することにします。したがって、都道府県本部においても、地域政策やローカル政党のあり方などについて住民の英知を集める催しを企画し、結党五〇周年にふさわしい自主的な取り組みを要請します。党名問題については、日本語名と英語名の党名の統一を含めて検討することにします。
第三は、社民・リベラル勢力の結集についてです。
党は自己改革を発展させ、社民・リベラルの新たな結集をめざし、政権の安定基盤を拡大しなければなりません。このため、連合を中心とした社会勢力をはじめ、与野党の垣根を越えた「政策推進グループ」を積極的に支援し、「平和と公正・民主主義の発展]を掲げる政治勢力の共同行動を多角的に推進します。
党は政界再編成問題に対し、社民・リベラル、自民党、新保守の三極構造に分極化しつつある現状を踏まえ、リーダーシップを発揮する姿勢を選択してきました。しかし、新政権の誕生によって政局は現在、社民・リベラル、自民党対旧連立与党の対抗関係にあります。この構図がそのまま、政界再編・政党再編につながると断定することは早計です。現在の局面は「五五年休制」からの本格的離陸によって、自民党改革を前提とした新たな政党再編の過渡期に入ったといわなければなりません。この現状を認識しつつ、党は野党の民社党、民主改革連合をはじめとする政党会派に「平和と公正・民主主義の発展」を軸とした連携を呼びかけるなど、新政治勢力の形成に努めます。
こうした局面にあって、当面する選挙準備については党組織や「選挙区社会党]と候補者自身の自立した支援ネットワークを各選挙区において形成することに努力しなければなりません。一人区を中心とした選挙協力については、村山政権を支える自民党、さきがけとの協力を視野に入れつつ、各県段階で準備に入ることとします。しかし、県の中には旧連立与党との関係もあることから多面的な選挙協力を追求することとします。
中央本部は、九月末までに選挙区候補の擁立を行うため、九月中にブロックごとの選挙対策委員会を関催し、意思統一を回り、九月末に中央選挙対策委員会を開いて方針の徹底をはかります。
秋の政局は、九月に行われる参議院愛知選挙区の再選挙を皮切りに臨時国会、予算編成など村山新政権にとって正念場を迎えます。また来年は統一自治体選挙、参議院選挙など全国的な選挙の年となります。全党はここに提示した方針のもとに、新政権を支え、党全体の躍進を図る決意です。この党の決意を広く国民の皆さんに表明し、心からのご支援を訴えます。