ニュー社会党をめざす私の考え方
委員長論文
石橋 政嗣
一九八五年一月
*出典は『資料日本社会党四十年史』
「脱皮と再生」をめざす過渡期
新しい執行部がスタートをきって早くも一年と四ヵ月が経過し、私も委員長として二度目の正月を迎えることになりました。この間、盛んにニュー社会党をPRし続けてきたわけですが、新年に当たり、改めてニュー社会党とは何かを考えてみたいと思います。
皆さんも覚えていることと思いますが、飛鳥田さんが委員長を辞任するに当たって言い遺したのは、「党の大胆な脱皮と再生」を成し遂げて欲しい、ということでした。私は、この言葉の中には飛鳥田さんの万感の思いがこめられていると受けとめ、「大胆な党の脱皮と再生」をはかることこそが私に課せられた任務と思い定めた次第です。
したがって、ニュー社会党とは、「脱皮と再生」に成功した暁の姿であり、現在は、ニュー社会党をめざす過渡期にすぎず、しかも、ようやくスタートをきったばかりのほんの初期の、ある意味では試行錯誤の段階だということをまず確認しておくことが必要だと思います。
ところで、「脱皮と再生」でありますが、口で言うのは簡単でも、これを実行するとなるとこれほど難しいものはないと言ってもよいと思います。四〇年の歴史を持つ党がつくりあげてきたものには、良かれ悪しかれそれなりの理屈や経緯があるのです。しかし、とにかくやらなければならないのだと決意した私は、この一年有余、ニュー社会党をめざして走り抜けてきました。
それでは、私がどのような心構えで党を運営し、どのような党をめざしているのかという点でありますが、それを明らかにしたいと思います。
誤解や偏見の原因の根を絶つ
第一は、国民のわが党に対する批判を謙虚に受けとめ、その一つ一つを克服するために努力する、ということであります。
党に対する批判といえば、@内輪喧嘩の絶えない党、A何でも反対党、B労働組合一辺倒の党、C社会主義国に甘い党、D日常活動のあまりない党などが代表的なものですが、これらの批判の中には、明らかに誤解や思い違いに基づくものがあります。しかし私は、徒らに反論したり弁解するのではなく、そのような批判に対しても何故そんな誤解や偏見が生まれたのか、その原因をつきとめ、その根を絶つようにしたい、と思っています。
新しい発想、新しい方法を模索
第二は、原則として、従来の発想ややり方では駄目なのではないか、新しい発想、新しい方法が必要なのではないかと考えてみる、ということです。
党は長期低落傾向をたどってきました。八三年末の総選挙において一三議席増やすことかできたというものの、党内においてこの長期低落傾向に歯どめがかかったという者はほとんどいません。ならばなおさらのこと、先輩達の築いてきた素晴らしい伝統、方針や政策を引き継がなければならないことは当たり前のこととしても、議論のあるものについては、まず従来の発想や手法を否定してみる、そして新しい考え方や新しい方法を模索してみるというのは当然のことではないかと思うのです。長期低落傾向は依然として続いている、しかし従来の考え方ややり方は間違っていないなどというのは矛盾もはなはだしいと思います。
論議はするが、結論が出たら従う
第三は、わが党の共同戦線党的な性格を常に念頭に置戻その長所を活かすようにする、ということです。
改めて指摘するまてもないことですが、わが党は種々な考えの異なる人達によって構成された、実に唯の広い政党であります。一枚岩の党ではありませんし、一枚岩の党にはなり得ないのです。このような党の性格は、一枚岩の党に比べていかにもひ弱に見えますが、開かれた民主的な性格はわが党の特徴であり、長所であります。党に対する国民のアレルギーも最も少なく、無限の可能性を持っているのです。しかし、この党の特徴は、率直にいって最大の弱点となる可能性も併せ持っています。それはお互いに譲らず、いがみ合いを始めた時です。一般国民の眼に、また兄弟喧嘩、派閥争いが始まったと映る時がそれであります。したがって、私達は徹底的に論議はするが結論が出たら従う、という組織原則を忘れてはならないのです。まず、異なった意見の存在を認めることであります。そして。論議に当たっては常に謙虚でなければなりません。過去において絶対に正しいと思ったことが、後になって、明らかに間違いだったと気付いた経験をお互いに必ず持っているはずです。そうだとすれば、相手に対して寛容になれないはずはないと思うのです。
党内が結束できないで、どうして連立・連合を語る資格がありましょう。逆に、党内をまとめることができるということは、連立・連合の組織と運営に習熟することをも意味しているのです。
何もしないよりやった方がまし
第四は、同もしないよりは、批判があってもやった方がましだ、ということです、共同戦線党的性格から当然と言えるのですが、わが党にあっては何を言っても、何をやっても全党が一○○パーセント一致して満足するということはあり得ません。したがって批判を恐れたり波風の立つのを避けようとすれば、結局何も言えない、何もやれないということになってしまいます。これでは、党は国民に見えない存在になってしまうばかりか、何も言わず何もしないのでは、何が良く何が悪いのかを判断することすらできなくなってしまうのです。私は、何もしないよりはやった方がましなのだと信じて、批判があることを覚悟の上でいくつかの問題提起をしたり実践してまいりました。朝鮮半島政策の再検討や全国政策研究集会などはその具体例であり、結果的にもやってよかったと思っていますし、幸いにこの一年有余の間、執行部は一丸になって支えてくれました。喜ばしい限りです。
政権担当能力のあることを証明
第五は、政権を絶えず視野の申におさめながら努力する、ということです。何でも反対の党、万年野党。政権を担当する意思のない党といった批判を吹き飛ばすためには、政権をめざす意欲、そして担当する能力のあることを国民の前に示す必要があるのです。
野党として、政権党に対して批判をし、抵抗し、ブレーキをかけることは大切な任務であります。しかし、多数派になることなしには、抵抗の実績すらあがらないことは現実の示す通りなのです。平和、民主主義、勤労国民の生活と権利、いずれの面をみても残念ながら次々と後退を余儀なくされ、われわれは未だに長期低落傾向に歯どめをかけることすらできずに悩んでいるのです。
それでは、どのようにして政権担当の意思と能力のあることを国民の前に明らかにするかでありますが、私は。次のことを全党に要請してきました。
@ 中長期の目標と当面の対策とを区別して明示する。
A 反対する場合には、必ず対案を示す。
B 国民が政治に何を求めているかを逸早く読みとり、政策化していく。
C 原則を踏まえつつも、戦術や手段はできるだけ柔軟なものにする。
その他、些細なことかもしれませんが、私は「断固」とか「絶対」とかいう言葉をできるだけ使わないようにしています。それは、この言葉の語調の強さから、何でも反対のというイメージがつくられていったような気がすることと、強い言葉を使っているうちに、何でも本当に粉砕したり阻止できるような錯覚に陥る向きがあるような気がしてならないからなのであります。
とにかく、一日も早く、「影の内閣」をつくっても、誰も不自然に思わないような状況にもっていきたいものであります。
ところで、われわれにも政権担当能力があるということを、この一年あまりの間で最も端的に示したのが、一連の対外活動と言ってよいのではないでしょうか。
昨年四月の訪米は、自民党や政府・財界の者が絶対に口にしない日本国民の声を、アメリカの政府高官、議会の代表的な議員、そして各界のオピニオン・リーダー達に聞かせたという一点からだけでも有意義だったと思います。
しかし、何といっても文句なしに評価されたのは、九月の朝鮮民主主義人民共和国訪問であったことはいうまでもありません。二年半にわたって中断されていた日朝民間漁業協定の延長実現は、安倍外相自身が「政府のやれないことをやっていただいた」と、お礼を言わざるを得なかったほどの成果でありました。
それだけではありません。われわれの訪朝を契機に制裁措置は解除され、日朝間の空気もいくらか暖かいものとなり、南北朝鮮間の対話も友好的な雰囲気の中で始まっているのです。
この他にも、完全に行きづまりをみせていた日ソの関係改善をめざしてわれわれが進めた、クナーエフ政治局員を団長とするソ連国会代表団の訪日が。一〇月下旬に実現したこと等も、誇り得る成果としてあげることができると思います。
とにかく、野党外交と言っても従来のようにただ意見を交換し共同声明を出して気勢をあげるというだけでなく。政府のやれないことを代わってやる、あるいは政府の足らないところを捕うといった補完外交に発展させたことは、われわれのめざすニュー社会党とはいったいどんなものかを分かってもらうためにも格好の材料だったと思うのであります。
社会党支持の裾野を広げる
第六は、社会党支持の細野をどうして広げるかという視点を、あらゆる論議、すべての行動の基本に据える、ということです。
一五パーセント前後の支持率、二〇パーセントに満たない得票率、こんなことでどうして本当に選挙に勝つことができるでありましょう。ましてや、政権を担当するなとということは夢のまた夢であります。
労働組合依存という批判を克服するためにも、党の支持層を広げることは絶対条件です。そのためには、少なくともわれわれの側で垣根をつくらないことが大切だと思い、私はとこにでも行って話し込むことに努力しました。公然と自民党の支持団体だという医師会の役員とも会いましたし、歯科医師会、薬剤師会、全国農協中央会、青年団協議会、同盟等々の役員とも話し合いました。結論を言えば、本当に会ってよかったということです。
特に全国農協中央会の岩持会長とは二度お会いしましたが、二度目はちょうど政府が「米が足りない」と言い出し、韓国米を輸入すると決めた時を選んだだけに、完全に意見が一致しました。われわれは合意に達した五項目を先ず農林水産委員会の決議とし、次いで本会議の決議に持ちこむことにも成功したのであります。
ここまではわれわれの陣地、ここから先は保守の陣地などという先入観を持っていては、いつまでたっても多数派になることはできないでしょうし、これからもどんどん向こう側に乗りこんでいきたいと思っています。
このことは、国際的な活動の面でも必要だと思います。私が真っ先にアメリカに行くと言った理由の一つも、自ら垣根をつくらないという考えに基づくものであります。
得票率を伸ばすには、候補者を増やさなければなりません。候補者を増やすには、党員、党友、機関紙を増やし、人材を吸収し、日常不断の活動を通じて支持牢を高める以外に奇手も妙手もないのです。
「党に入ってください」「党友になってください」というのは、党の周辺にいる人達に対する働きかけですが、党の裾野を広げるためには、無党派の人、そして他党の支持者にも働きかけなければならないのです。ほんの一例ですが、市民相談活動の強化と相まって演説会を開いたら、党員の一人ひとりが、党から離れたところにいる人達に対し、「演説だけでも一度聞いてみてください」と呼びかけ、社会党の演説会に行くのは初めてという人を必ず一人連れてくる、といったようなことを実行することから始める必要があるのではないでしょうか。いつまでも仲間うちだけの集会や演説会をやっていたのでは、少なくとも裾野を広げることにはならないのです。
さらには、話す言葉、書く文章等についても、もっともっと平易な分かり易いものにする努力がなされなければなりません。これは随分前から言われながら、なかなか改まらないのはいったいどこに原因があるのか、真剣に考えてみたい問題です。
許されない思想的エリート意識
第七は、理想がないのも理想だけというのも駄目だ、ということであります。入党しようという気持を持ってもらうためにも、党員の行動力、エネルギーを生みだすためにも、理想、理念が必要であります。しかし同時に、呼びかけられる側に立って考えてみれば、何十年か先の理想よりも、それ以上に魅力ある政策や現実処理能力の方が重視されるとも言えるのです。
従来、ややともすると、党内論争の重点がわれわれのめざす理想の方に力が入りすぎ、現実問題が軽視されているのではないか、という誤解を拓いていたことは否定できないと思います。理想論も、社会主義が輝かしい光芒を放っていた時期においては、多くの人達にとって魅力あるものだったのですが、現在は、社会主義国同士が戦うといった矛盾や欠陥を露呈している時だけに、いっそう誤解を生み易いのだと思います。
われわれはそのような誤解を完全に払拭するためにも、現実処理能力の誇示といった点にもっと重心を移してもよいのではないでしようか。議会制民主主義を尊重し、めざす社会主義も平和的・民主的な方法によることを結党以来一貫して主張してきた党としては、やはり重視しなければならないのは有権者の審判であることは言うを待ちません。大衆迎合は許されませんが、思想的エリート意識はそれ以上に許されないのです。
私が最近読んだ小田実さんの著書『毛沢東』の中に、次のような一節があります。
「私は中国南部、雲南省も南のはての、クイ族を中心とする少数民族の居住地区のシーサンバーナで、一九五一年に解放軍の一員としてやってきて、そのあと幹部としてずっとそこに住みついた人の話を聞いたことがある。彼らがその中国の南のはてまでやってきた時には、少数民族はおそれをなして山中に逃げこんでしまって街はモヌケのカラになっていた。中国語で呼びかけてみても、中国語自体がろくに通用していないのだから役に立たない。結局、彼らのしたことは、山中に逃げこんだ住民の家の鶏の世話をしたり、鶏が産んだ卵を自分達で食べずにすべて残しておくことだった。そのうち山中から一人二人と少数民族は降りてきて、降りたのが口こみで解放軍の行為を仲間に知らせた、一ヵ月か二ヵ月経って少数民族はすべて戻ってきた」
(三大紀律)、(八項注意)は紅軍兵士の内部の規律であるとともに、農民、町の住民との間の接触の規律をかたちづくっている。人々は、彼らが掲げるイデオロギーによって紅軍を評価したのではなかった。彼らの行為によって評価したのだから、この規律は極めて重大だった」
実に味わい深い話であり、文章ではないでしょうか。思想とは、ナマで大衆にぶっつけるものではなく、自らの言動を支え律するものなのです。脱皮と再生を果たしたニュー社会党をめざすわれわれに今一番必要なものは、(三大紀律)(八項注意)のようなものかもしれないのです。
さらにもう一つ、この著書の中から面白い話を引用しておきたいと思います。
「いやに(矛盾論)に詳しい若者に会ったのでどうしたわけかと尋ねると「政治」の試験に出るので勉強したのだと頭をかいた」というのです。自らの言動と何の関係もない、単なる知識としでの思想などというものは一般人ならともかく、少なくとも党員にとっては百害あって一利なしと言っても極端にはならないのではないでしょうか。
私はここで、山川均先生が社会主義協会の五周年記念講演会で話した次の興味深い一節を引用しておきたいと思います。
「湯舟の中に大勢の人が出たり入ったりしますから、どうしても温度が下がりぬるくなります。ですから絶えずなんとかして温度を保つように燃さなければならない。しかし、そうかといって、湯舟の下でどんどん火を燃したならば、熱くて驚いて飛び出す人がいるわけです。ですから、これは湯舟のほかに始終熱い湯を沸かしておいて、少しずつ出すことによって湯の冷めるのを防ぐのであります」
党内民主主義の真髄を生かす
以上、私はどんな考えや心構えで党を運営し、どのような党をめざしているのかという点について述べました。賛否種々あるでしょうが、私は、この一年有余、党をとりまくムードは確かに温かくなり、好意的になったと思います。しかし、それでは、そのよいムードを利用して全党的に党勢拡大の面で実績があがったかと言えば、残念ながら答えはノーであります。
私はこのような事態を前にして、全党に訴えたいと思います。幸いに、これまでの間、内実がどうあろうと、全党の同志の御協力によって、「仲間喧嘩の絶えない党」という欠陥はある程度解消できたと思うのです。私はかつてない団結を示した執行部に支えられ、励まされて任務を遂行してきたのであり、この実績を大切にしたいし発展させてもらいたいのです。
全党員が党内で意見をたたかわせ、方針が決まればそれに従い一致して行動するという党内民主主義の真髄を生かしていただきたいのであります。またもや公然たる派閥の会合が復活し、まるで党外から物を言うような姿勢をみせたり、党員でありながら党外に向かって自らの属する党の批判をするといったような古い体質丸出しの現象がチラホラと見え始めているのですが、このような体質から完全に脱け出すことなしに、どうして国民から「頼り甲斐のある社会党」と評価され、収拾を託されることを期待することができるかと言いたいのであります。
党員の皆さん、今年は結党四〇周年に当たります。素晴らしい党建設の実績をお互いに姿び合いながら、一一月二日の記念日を迎えることができるよう、力を合わせて頑張ろうではありませんか。
(『月刊社会党』一九八五年一月号)