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機関中心の党づくりを
成田知己
*第三十四回日本社会党全国大会(1970.11.30〜12.2)での開会あいさつと委員長再任あいさつ。出典は『成田知巳・活動の記録』第二巻(成田知巳追悼刊行会 1981.3)。文中にみられる社青同への高い評価は、翌年2月の社青同十回大会承認につながり、七十年代の社青同躍進を可能にした。なお、同書には大会答弁も含まれているが、ここでは省略した。 
 
●第三四回党大会委員長あいさつ
 第三四回大会の冒頭のごあいさつを申し上げるに当たりまして、まず私はみなさんのお許しを得、ご協力を願いたいことがごさいます。
 ご承知のように戦前から戦後二五ケ年間にわたって、わが党のもっともすぐれた指導者として、私たちを導いていただきました鈴木茂三郎元委員長は、去る五月七日永眠されたのであります。私はここに、全生涯を日本の社会主義運動のために捧げられた故鈴木茂三郎委員長の遺志を、全党のみなさん方とともに、さらに前進させることを改めて誓うとともに、そのご冥福を心から祈りたいと思います。全党を代表する代議員のみなさん、来賓、傍聴者のみなさんのお許しを得まして、ここで故鈴木委員長の霊に黙祷を捧げたいと存じます。どうかご起立をお願いいたします。
 
 さて、全国から第三四回定期大会に結集されました代議員のみなさん、来賓並びに傍聴者と全国の党員のみなさん、前大会から今日まで、わが党は党活動面で党員のご協力により少なからぬ成果をあげてまいりました。とりわけ最近の沖縄国政参加において、わが党の新議員上原康助君が沖縄県民の大きな支持の下に当選されたことは、参議院における喜屋武真栄氏のトップ当選と衆議院における革新三候補の全員当選とあいまって、党の再生の上できわめて重大な意義を持ったものであり、お互いに心から喜び合いたいと存じます。
 沖縄選挙における革新の完勝は、日米共同声明路線に基づく軍国主義復活と、その下での核付き、基地自由使用の欺瞞的な沖縄返還の自民党路線を、沖縄県民の名において国民的に拒否したものであり、佐藤内閣の政策に大きな打撃を与えたものであります。この輝かしい勝利は、なにより沖縄県本部を中心とした党員すべての一致協力のたまものであり、やればやれるということを事実をもって示したものであります。わが党の安保体制打破、沖縄反戦復帰の路線の正しさを再び証明したものと考えます。
 
 私たちはこの間、ソ連をはじめといたしまして、ドイツ民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム民主共和国並びに中華人民共和国を訪問し、これら社会主義諸国の政府と党との間で友好と連帯の話し合いを進めてまいりました。帝国主義国としての日本政府が、反社会主義、反民族解放運動の路線をますます強めておる今日、全党のみなさん方のご支援をいただきましてこれを実現し、これら諸国との連帯・友好の成果を得ましたことは、まことに大きな意義を持つものと考えております。とりわけ、中国の指導者との話合いを通じまして、「小異を残して大同につく」という立場で、日中両国国民の友好と連帯の共同声明を作成することに成功したことは、国連総会にみられる世界情勢の変化とともに、一九七〇年代の日本外交の最大課題である日中友好、日中国交回復の道を、わが党の手で切り開いたものといえるのであります。日中共同声明に基づきまして国内での運動を幅広く展開し、真に日中友好、国交回復を祈念する全国民の期待にこたえたい決意でございます。
 一九六〇年代の高度成長はたしかに日本独占に繁栄をもたらしました。しかし今や、その繁栄は、私たちが繰り返し指摘してまいりましたように、労働者階級をはじめ、国民諸階層の犠牲の上に花咲いたものであることは、だれの目にも明らかになりました。公害・高物価・重税・住宅難・過疎過密・農漁業の荒廃・中小企業の倒産等は、独占の資本蓄積の裏側で進行した貧困と非人間化の蓄積の現われにほかなりません。名目上の絶対的低賃金はある程度解消したとしましても、資本主義がもたらす貧困と非人間化は、なお形を変えて勤労諸階層を苦しめておるのであります。
 
 こうした貧困と非人間化に反対し、人間性を取り戻そうという各種の運動が、今、全国的に展開されております。この運動の中で、わが党が十分に責任を果たしたとは残念ながらいいえません。それは今後のわが党に課せられたもっとも重大な課題だと思います。しかし、わが党の先進的な都道府県や支部は、貧困と非人間化に反対する大衆的な闘いのなかで、先頭に立ち、また、すぐれた独自活動を展開してまいりました。
 現に今年に入りまして、一昨日までに党独自で自民党と対決し、あるいは党と共産党との共闘を中心といたしまして、地方自治体選挙におきまして一六の新しい革新首長を作りましたが、昨日の新潟・五泉の市長選挙でさらに、党独自で自民党と闘ってこれを破り、一七名の新しい市長を私たちは獲得いたしたのであります。党は確実に着実に、地方自治体において前進を続けております。このことはなによりも、地域におけるこうした地道な、しかも粘り強い闘いの結果でありまして、七〇年代の闘いに新しい展望を示す重要な意義を持つものであります。
 
 組織面からみますと、この期間、絶対数においてはもちろんまだまだ少数でありますが、若い新しい党員を党の戦列に迎え入れることができております。これら若い党員諸君の多くは社会主義青年同盟のなかで育ち、行動面でも思想の面でもすでに立派な水準に達した同志であり、各地で党に新しい血液を注入しておるのであります。
 もちろんこうした成果の反面、なおわが党は多くの弱さを持っております。党の停滞を脱却したとは絶対に申せません。二年前に私は、「日本社会党は保守支配層からはおそれられる党、国民大衆からは愛される党」にならなければならないし、また私自身そのために全力投球するということをお約束いたしました。この二年前を振り返って、私自身静かに反省する時、私の主観的な全力投球にもかかわらず、このお約束を果たしたとは残念ながらいいえないのであります。いまだ党は、全面的な上昇過程に入ったとはいえません。
 
 それには、客観的にも主体的にも、いくつかの原因があると思います。とりわけ日本労働者階級の闘いの砦である社会党並びに総評への資本の側の攻撃がきわめで強くなっておるということであります。しかし、資本はいつでも私たちに攻撃を加えてくるものでありますから、相手の力が強いから党が伸びないというのは自己弁解にすぎないと思います。私たちは、私たちの主体のなかに、党がなお停滞を続ける原因を見出し、解決していかなければなりません。
 一つの問題は、党が正しい方針を持ちえたかどうかということであります。この点において、現代資本主義の政治・経済や、国民生活についての科学的な分析が不足し、社会状況の変化に機敏に、有効に対応しえなかったという大きな欠陥があることを認めなければなりません。勤労諸階層の自然発生的な要求を受け止めて、これに対し、労働者階級の未来の利益の観点から、正しい政策を示し、かつそれを運動として組織していくという具体的な活動内容が、不足しておったことも事実であります。これらの点については、本大会でみなさん方の積極的な討議をとおしまして、立派な方針として結実させていただきたいと存じます。
 
 しかしながら振り返りまして、党の最大の欠陥がなんであったかを静かに考える時、私は、私自身を含めて中央指導部の責任を痛感せざるをえないのであります。なにより党中央が、政治的判断と具体的諸問題について強力な指導性を発揮しえなかったという点であります。私自身、党内のさまざまな意見の調整に、ただ追われて、明確な理論的、実践的指針を示し、これを貫きえなかったことを深く反省し、みなさん方におわびする次第であります。
 この点を考えますと、本大会の最大の課題は、強力な執行部を選出することであります。その指導部はなにより、民主集中制の原則に従って、大会、中央委員会等党員の結集された意思を担って、これを強力に推進していくものでなければなりません。党中央執行部は、各地の党機関においても同様でありますが。多少の個人的な意見の違いがあれ、決定されたことは忠実にかつ強力に執行するものでなければなりません。党が、思いつきや個人的感情で運営されることは絶対に許されないのであります。いうまでもなく、私たち現在の執行部は、昨年の総選挙の敗北の責任をみな、負っておるのであります。
 
 以上の観点から本大会では、七〇年代の社会主義運動を強力に前進させる新しい執行部を、全党の統一した意思として選出していただくことを心から願う者であります。私たちは、この七〇年代を六〇年代の繰り返しにさせてはなりません。もしそれを繰り返せば、わが日本は荒廃し、国民生活の貧困と非人間化はさらに深まり、軍国主義日本への坦々たる大道を開くことを許すことになるでありましょう。情勢は私たちに一刻の猶予も与えておりません、かかる情勢を考えます時、私は、故鈴木委員長が生涯をかけて貫かれた社会党づくりの意味を、改めで思い出すのであります。一言で言えば、これは二つの柱からなっておったと思います。その一つは、反動化した帝国主義ブルジョアジーに対して、労働者・農民・中小企業者・市民を問わず、いっさいの階層を糾合し、民主主義を守り、確立するという一線で、大衆的な党を作っていくということであります。もう一つの柱は、反動的な帝国主義グループに対するこの大衆的な民主主義闘争を闘うなかで、科学的社会主義の思想で武装した真に革命的な主体性を形成し、発展させるということであります。
 今日、いわれております野党再編成や、労働戦線統一の問題提起につきましても、こうしたわが党の性格に立って正しく対処すべきだと思います。すなわち、政府・自民党、独占資本と対決するという前提に立って、目標が一致する限りでできるだけ広範な政治勢力と共同行動をとることは望ましいことであり、またぜひやらなければならないことであります。しかし、それは社会主義の党としてのわが党の主体性を放棄するものであってはなりません。鈴木元委員長が、「共同戦線党」を言われた時、いつも幅広い統一行動の場と、社会主義者としての主体づくり、その双方を推し進めてこられたのであります。私どもは今日、社会主義者としての主体を作るという努力を抜きにして、野党再編成等に、言い換えれば、議員の数さえあればなんとかなるという考え方で、七〇年代に対処することは不可能だと思います。私はその意味で、党が労働者階級と国民諸階層の当面の利益を守る改良闘争を強力に展開し、この闘争を通じて社会主義の主体形成の任務を持っておることを全党員が改めて確認していただきたいと思う者であります。
 
 本大会に対し、社会党を混乱させ、日本における護憲・反安保の中心勢力を分散解体させて日本軍国主義復活の総仕上げをしようとしている反動勢力の動きがあることは、みなさんご承知のとおりであります。三島事件も、たんなる個人的な、偶発的な孤立した事件ではなく、憲法改悪、軍国主義復活の政府・自民党の政治路線と同じ根につながっておるのであります。昨日の府県連代表者会議におけるトロツキスト集団の乱入も、これら反動勢力に手を貸すものであることはいうまでもありません。平和と民主主義、社会進歩と国民生活の向上を闘いとりつつ、社会主義社会実現の水路を切り開いていこうという党の歴史的使命を、今こそ全党員は肝に銘じ、本大会を「統一と団結の大会」としてみごと成功させなければなりません。党大会の成功をかちとり、反動勢力の期待が幻想にすぎないことを、彼等の策動は必ず失敗するということを、大会の名において示そうではありませんか。いうまでもなく、党大会における討議はあくまで自由であります。お互いに代議員の発言に対し謙虚に耳を傾け、いやしくも先入観を持ってレッテルを張るような態度は絶対に慎んでいただきたいと存じます。自由闊達な討議の結果、決定された方針は、全党員がこれに服し、ただちに行動に移すという民主集中のルールを本大会で確立していただきたいのであります。
 本大会を通じて、以上の課題を十分に論議され、当面する生活闘争、春闘、日中国交回復運動から統一地方選挙と参議院選挙に至る諸闘争の勝利の基礎づくりを行なっていただくことを、心から代議員のみなさん方にお願いして、私のあいさつを終わる次第であります。
 

●新委員長就任あいさつ
 第三四回党大会に参加された代議員のみなさん、私は本大会で新しく選出された執行部を代表して、一言ごあいさつを申し上げます。
 まずはじめに、私はかつてない深められた討議を経て、一九七一年度運動方針、「新中期路線」、その他の重要諸議案を立派に決定された代議員のみなさんに、心から感謝と敬意を表したいと思います。
 同時に、代議員のみなさんのお許しを得て、本大会を極左反党集団と右翼の暴力から身をもって守り抜いた、党員、社青同のみなさんに、全党の意志として厚い感謝の意を表したいと思います。
 
 率直に申し上げますと、私は今次大会を控えて、総選挙敗北の責任をどうして負うべきであるかと考え続けてまいりました。しかし、今全党を代表する大会の意志によって再度委員長の任を課せられた以上、前向きに、積極的に全力を尽くして委員長の任務を果たす決意であります。私は、みなさんが、今までどおりの成田でよいのだ、という意味で私を選出されたのではないことをよく承知しております。
 私は、改めて今日、今大会までの成田は責任をとってやめたのであり、私自身、文字どおり再生した成田として、みなさんの付託にこたえることを、ここに真剣にお誓いする者であります。
 
 大会における代議員のみなさんの論議を通じて浮き彫りになった二つの政治課題があります。すなわち、日中国交回復運動の推進と、公害絶滅をはじめとする生活闘争であります。代議員のみなさんの関心が期せずしてこの二つの課題に集まったことはけっして偶然ではありません。軍国主義復活路線を歩む日本の支配階級は、外、アジアの社会主義、民族解放勢力に対する敵視政策を、内、政治のファッショ化と巧妙な大衆収奪の政策を軸としております。
 今日、物価、公害、年金、減税、住宅等の生活上の諸要求を、正しい分析と政策の下に闘い、その成果をかちとることは、ただたんに勤労諸階級の当面の利益をはかるだけではなく日中国交を回復し、日本帝国主義、日本軍国主義の根を絶ち切る闘いでもあるのであります。この反戦平和の闘いと生活闘争を一体不可分のものとして発展させることこそ、党の任務であると確信する者であります。
 大会で満場一致決定された運動方針と「新中期路線」は、かかる視点を明確にしています。
 
 わが党の当面する課題は、明年の統一自治体選挙と参議院選挙に勝利することであります。これら選挙に勝利するために、全党員が一丸となって活動しなければならないことはもちろんでありますが、なによりも強力な政治宣伝を展開しなければなりません。権力も金力もないわが党にとって、ただ一つの武器は説得と行動により大衆のなかに入り、大衆に依拠して闘うことであります。全党員が火の玉になってこの実践に徹する時、必ず勝利への道は開けるでありましょう。
 本大会で、繰り返し指摘されたように、わが党の今日の停滞の大きな原因は、中央執行部の強力で統一した指導性が欠除していたことであります。私は六〇年代の党内論争は、「日本における社会主義への道」を生み出した点において、大きな積極的な役割を果たしたと思います。しかし同時に、党内派閥闘争と相互不信の激化等のもたらした弊害もまた大きかったと思います。この弊害を除去するためにも、これからの任期中、私は機関中心主義に徹し大会の意志を忠実かつ強力に執行いたす決意であります。
 
 みなさんは、この大会で、私たちに大きな責任とともに、強力な指導の権限をも付託されたのであります。党員のみなさんは、雑音にまどわされず、執行部の指導を信頼し私たちとともに統一と団結を守って前進していただきたいのであります。私自身も、そのような信頼される委員長となることに政治生命をかける決意であります。
 鈴木茂三郎元委員長は、よく「棄石、埋草」という言葉を使われました。社会主義政党は、労働者階級と勤労諸階層の現在と未来の利益のために闘う自覚した人々の集団であります。また、個人的野望や出世欲にとらわれず、まっすぐに未来をみつめて活動する人々の集団であります。この大会の防衛に当たってくれた若い党員、同盟員たちの目の輝きは、はっきりと党の再生の芽を示しています。今、この何十倍もの若い党員が、全国で育ちつつあることに私は意を強くしている者であります。
 
 代議員のみなさん、全国の党員のみなさん、私はみなさんとともに、一致団結して「棄石、埋草」となる決意を確認し合いたいと思います。なお、この機会に今回中執から去られる江田さんはじめみなさんに、今日までのご労苦を心からみなさんとともに感謝いたしたいと存じます。
 最後に、私は全国民のみなさんに訴えます。第三四回大会を機に幾多の試練に耐え茨の道を乗り越えて、七〇年に生きる党として立ち上がった日本社会党に対し、どうか温かいご支援とご鞭撻を賜わるよう、心からお願いして止まない者であります。
 以上、ごあいさつを終わります。
(一九七〇年一一月三〇日〜一二月二日。大会議事録により収録。タイトル、小見出しは編者 サイト転載にあたり小見出しを一部変更)
 
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