構造改革のたたかい
*党本部書記グループの論文。日本社会党内構造改革論の代表的文献の一つ。初出は『社会新報』一九六一年一月一日。ここでの出典は『資料日本社会党四十年史』(日本社会党中央本部 1985)。
『社会新報』一九六一年一月一日
構造改革とは何か
社会主義の実現をめざす社会党の日常活動は、勤労国民の日常的な要求や利益を守って闘うことであり、それを通じて具体的な社会的改革をただそれだけに終わらせるのではなく、社会主義への道程として位置づけ、現在の独占の支配を具体的につき崩し、権力の獲得に接近するために勤労国民大衆を結集することである。これには当然に二つの内容が含まれている。その一つは国の政策を変えること、つまり独占の利益本位の政策を国民の利益の方向にかえることである。他の一つは資本主義の土台である資本主義の構造(生産関係)の中に労働者が介入して部分的に改革をかちとることでありこれは相互に相関連している。
国の経済政策の転換や労働者の介入によって生産関係を部分的に改革するということは、利潤、価格、投資などフローの規制をはじめとして、各種の経済機関の民主化(労働者の参加)による独占の制限や工場内の経営変革のための実効ある参加(主体的条件や情勢を考慮して)など、所有関係には手をつけない民主的規制から、さらに一定の条件のもとでの公有、国有などまでが考えられる。
このように生産関係(構造)に介入し、これの部分的な変革を通じて、しだいに搾取の根幹をほりくすしていくところから、われわれはこれを「構造的改革」と呼んでいるわけである。
さきに社会党が発表した構造改革ブランの骨子には、このような基本的な立場にたって生活の向上(貧困と失業の解消、二重構造の打破)、反独占(独占の権力とその活動の規制)、貿易構造の変革(中立)の三つの目標が明らかにされている。
この経済的改革を「構造的改革」の縦の軸とするならば、主権の回復、軍事同盟の打破など平和、独立、民主主義などの要求と闘いは「構造的改革」の横の軸であり、この二つは固く結びつけられており、その結節点が社会党の中立政策なのである。
「構造改革」についての社会党のこの新しい路線は、単なる思いつきや、一時的な選挙の闘争戦術として出されたものでもなく、ましてイタリア方式の単なる模倣でもない。構造改革路線は、憲法に保障された政治的民主主義諸制度の活用と、大衆的な闘いによって平和的、民主的な手段によって社会主義を実現しようとする社会党の綱領の基本路線にたって、それをさらに豊富化し、具体化したもので、これまでばく然として理論化し、体系化し、行動化することのできなかった社会党の今日までの政治路線をより明確にし、体系的、行動的にしたものである。
構造改革の闘いは、現実の個々の改良的闘いをそれだけに終わらせないで、社会主義の実現という一つの政治路線の上にたって次第につみかさね、陣地を拡大していって社会主義への道を準備し、その闘いを日常不断に前進させるものである。社会主義の実現は、このような構造改革の闘いの基盤の上に、権力の移動という質的な変化をともなった闘いによってはじめて実現されるものである。構造改革路線は社会主義路線に代わりうるものではなく、従って「構造改革路線か社会主義革命か」というような二律背反的な問題のたて方は正しいものではない。
なぜ出されたのか
社会党が最近になって、この構造改革の路線こそが日本において社会主義への道を準備し、それを前進させるための最も効果的な道であるとの確信をもつにいたった直接の契機は、つぎのような理由によるものである。
第一は広範な国民大衆を動員して闘われた最近までのいくつかの画期的な諸闘争−特に重要なものは戦後一貫して闘われた平和を守る闘い、さらに小選挙区制粉砕の闘い、警職法改悪反対の闘い、新安保条約反対の闘い、三池闘争など−の成果と欠陥に対する厳正なる評価と反省にもとづくものである。
われわれは独占と、保守政党が新憲法の改悪を強行するための院内態勢をつくろうとして企図した小選挙区割への選挙法の改悪を、みごとに粉砕した。また国民の基本的人権をおかし、ファッショ的警察政治をもくろんだ警職法の改悪の野望をも阻止することに成功した。さらに日米軍事同盟によって再び日本に軍事体制をつくろうとした新安保条約との闘いについても、完全な成果をあげることはできなかったが、日本の支配層に重大な打撃を与えることができた。これらの闘いでわれわれは、単に民主主義を守り抜いただけでなく、憲法に保障された民主主義のもとで、院内闘争と院外における大衆的闘争を結合して闘うならば、独占の支配のもとにおいても「政策転換」の闘いに勝利することができるという自信をもつことができた。さらにまた、憲法に保障された政治的民主主義をより完全に実施させ、その幅を広げていく闘いを強めるならば、より大きな政策の転換と国民大衆の前進をかちとることが可能だという確信をうることができたのである。
このような成果の反面、われわれの側におけるいくつかの重要な弱点も明らかとなった。安保闘争において反独占の闘いの展望が不十分であり、安保条約反対の闘いが、独占の支配に反対し、独占の政策を転換させる闘いであるという明確な視点にたった指導が行なわれなかったために、中央での闘いではかなりの成果をあげたにもかかわらず、地方や職場において十分な大衆闘争を組織し、独占の企図を粉砕する闘いを成功させることができなかった。この反面、三池においてあれほど偉大な闘いが行なわれたにもかかわらず、中央における安保闘争と十分に結合させ、独占と真に対決する闘いに発展させることができないという欠陥をもたらした。
これらの成果と欠陥の中から、独占の支配のもとでもその政策を規制し変更させて、国民の利益を守ることが現実的に可能であり、闘いの指導的立場にたつべき社会党が、明確な将来の展望をもって議会における闘いを強化し、さらに地方や職場の大衆闘争を組織し指導し、これを正しく結合することができれば、より大きな成果をかちとることができるという確信をもつことができた。
第二の理由は、安保闘争のあと、特に池田内閣の手によって特徴的に進められてきている独占のための「構造政策」に対決して「真に国民の要求を実現し、その利益を守るためには、われわれの側で国民大衆のための構造改革のプランを対置して闘うことがどうしても必要である」ということである。このためには独占の出す政策に「反対」をさけぶ従来のような闘争方式から、積極的な提案をもって先制攻撃をかける闘争方式への転換が必要であり、これなしには、これまでの日本の革新運動の最大の欠陥とされてきた資本の側からの政策や攻撃の結果に反対し、これをはねのける闘いは組織しえても、自から積極的な政策を提案しそれを実現させる闘いを十分に組みえなかったという、われわれの弱さを克服することはできないことを教えている。
構造改革路線を出した第三の理由は、三池闘争をはじめとした最近の労働運動で経験したように、われわれの前にたちはだかっている厚いカベは、いずれも雇用の二重構造といわれる経済の二重性に根ざしたものであり、これを打ち破ることなしには労働運動にとって重要な課題である最賃制の実現も、企業意識の打破も、また組合の分裂を根本的に阻止することも、とうてい実現することはできない。さらにまた、当面の他の多くの労働者の要求を獲得するためにも、労働者の闘いを構造改革にもとづいた政策転換の闘いに発展させなければならないという、労働運動の内部の事情によるものである。
第四の理由は、党内問題である。率直にいって、これまで党内には社会主義の実現をめぐってさまざまな考え方があったことは事実である。その一つは、特殊な革命的な情勢−例えば恐慌や戦争など−を前提にした、いわゆる“恐慌待望論”的な革命路線である。この考え方は、一時とくに一部の党員をとらえていたことはいうまでもない。他の一つは院内を中心にした、改良さえつみかさねていけばひとりでに社会主義は実現できるのだという、権力の獲得をぬきにした、いわゆる“なしくずし革命論”−改良主義である。
しかし、この二つの間違った“革命論”は警職法や安保闘争などの経験によって、その非現実性が極めて明確になった。好況のときでも院内外の闘いを正しく結んで、憲法に保障された民主主義的な手段によって政府を一応の危機に追いこむことができたという経験は“恐慌待望論”的な考えを改めさせたし、警官と右翼とに対立した激烈な闘いの教訓は“なしくずし革命論”を空論化させた。そして社会党がこれまでとってきた階級的大衆政党としての闘いの原則が正しかったことを、再確認させたものである。社会党の構造改革路線は、以上のような結論から提案されたものである。
構造改革を可能にする条件
社会党のこのような構造改革路線について現在いろいろの批判が出されている。例えば独占の支配している資本主義のもとで、国家の構造を改革することは不可能であり、それは国民に“幻想”を与えて闘いを独占のペースにまきこますものだという批判である。この批判はもちろん正しくない。社会党の構造改革は、前述したように、これまでの運動の成果と反省のうえに出されたものであり、同時にそれは客観的な情勢や主体的な条件を全く度外視した抽象論として出されたものでは決してない。
一、政治的民主主義
現在、構造改革路線の闘いを可能にし、保証している第一の条件は民主憲法であり、それにもとづいてつくられたもろもろの民主的諸制度であり、広い意昧での政治的民主主義である。独占とその手先の保守党は過去幾度か憲法を改悪して、われわれから政治的民主主義を奪い去ろうと企図したが、そのいずれもが失敗している。それは基本的には国民大衆の闘いの成果であるが制度的には国会の三分の二の賛成と国民投票という手続きを経なければ改正できないという憲法に規定された“安全装置”によるものである。また、憲法の保障した政治的民主主義を実質的に骨抜きにしようとした企図も、大衆的な闘いによってその多くは阻止することができた。このような大衆運動を盛りあげたものは国民大衆の中に定着した*“新憲法感覚”がその基底になっていることはいうまでもない。好況の時に岸内閣の反憲法的行動に抗議する闘い−新安保反対・民主主義擁護の闘い−が広範な勤労国民によって組織され闘われたことは、何よりも雄弁にこのことを物語っているといえよう。われわれは新憲法を独占とその手先の“反動化”への道を阻止する“安全装置”として、評価し利用するだけでなく、独占の支配と現在の機構を改革し、彼らの政策を転換させるための“武器”として評価し活用しなければならない。それにはなによりもまず現在の平和・民主憲法を擁護することが必要である。またわれわれは新憲法によってつくられた民主的行政諸制度−例えば中央賃金審議会、社会保障審議会、公正取引委員会など数えきれないほどのものがあるが、その諸制度の多くは独占のために利用されている−を軽視し、これを独占の一人占めにさせ、独占の利益擁護の機関や制度にさせないことが必要であり、さらにこれらの民主的諸制度をさらに拡充し、勤労国民大衆のために活用しなければならない。
二、労働者階級・民主勢力の力の増大
戦後資本主義の新しい発展の特徴は、生産諸力の飛躍的な発展である。ここから生産手段の私的所有と生産力の社会化の矛盾はさらに深まった。これは一方で国家の経済の干渉・介入を必然化させると共に、他方で労働者階級、勤労国民大衆の力と発言力を大きくした。ここから、国家の経済への干渉介入を、独占本位のものから勤労国民の利益を守るためのものへ変更させることが可能となり、また下部構造である生産関係の中で、労働者の要求と発言力によってこれを部分的に変革させることも可能となった。またこの民主勢力の力の増大が現在憲法を擁護し、政治的民主主義を守る大きな力となっていることは、前述した通りである。
三、社会党の主体性
結党後十五年を迎えた社会党は、これまでの多くの困難や危機を乗りこえ、組織活動の面においてまだ多くの欠点はもっているとしても、しかし全体としてはようやく日本において社会主義を実現することのできる党としての自信と確信をもつことができるようになってきた。このように社会党自体が大きな確信をもつにいたった要因には、民社党の分裂と安保闘争の経験があげられよう。民社党の分裂は一時社会党に大きな動揺をもたらしたが、社会党はこれを自からの手で克服して安保闘争を闘い抜いた。この闘いの中で社会党は党自体の体質改善を一歩進めることができた。挙党体制のもとで安保闘争という深刻な闘争と取りくんだ党は、必然に迫られて党の行動性を高め、理論を深めざるを得なかった。こうして社会党は、はじめて大衆闘争の中核となってこれを指導する能力を養うことができたのである。構造改革というこれからの高度な闘いに取りくむにあたって、社会党の得たこの貴重な経験は、こんご十分に生かされて、その政治的指導部としての任を果たすことができるであろう。
以上のような国内的な諸条件のほか、最近の国際情勢のめざましい発展が当然あげられねばならない。世界的規模における労働者階級の力の強大化、後進諸国の民族独立運動と反帝国主義勢力の増大、社会主義圏の拡大、戦争の危機は依然として存在してはいるがそれを克服して平和・共存の可能性をおし進めている平和愛好人民の力の強大化などは、日本において反独占、構造改革路線を具体的に進める上で、われわれに大きな励ましとなるであろう。
どう闘うか
一、党の革新
この構造改革路線を押し進める指導政党は、議会に相当数の議席をもち、独占の代弁者である保守党と対決することができ、さらに党外において大衆的な力を動員し、これを指導することのできる革新政党であることはいうまでもない。このような革新政党は、日本では社会党以外にないことは、すでに安保闘争を通じて明らかにされている。
共産党は院外において若干の組織力と活動力をもってはいるか、その幅は極めて限られており、むしろ広範な民主諸勢力から批判され孤立さえしている。また院内においても衆参両院、あわせて数議席しかもたず、その活動は全く問題にならない。また同党の現在の反帝(民主民族戦線)の政治路線からは反独占の構造改革路線は導き出されないし、革命方式でもいわゆる“恐慌待望論”的な立場にたっており、同党の根本的な変革がなければとうてい指導政党にはなりえないであろう。
一方、革新政党であると自称する民社党は、議会内では、共産党にくらべて議席は多いが、議会内闘争を指導し、保守党と対決する力も意志もなく、むしろ大衆の院外闘争を敵視さえしている(安保闘争時の同党の態度をみよ)。
以上のように、共産党も民社党も現状のままでは構造改革の指導政党とはなりえず、ひとり社会党のみが、その任に当りうる政党だといえる。しかしこのことは、現在の社会党が完全な指導政党としての内容を十分に備えた政党だということには、決してならない。それには社会党が現在もっている多くの欠陥と弱さを克服し、社会党の“革新”を自らの手で行なわなければならない。
社会党の革新の第一は党の組織の革新である。党の機構改革実施いらい一貫して進めてきた労組機関への依存主義からの脱却、議員偏重傾向の是正を一層徹底させることである。また機関紙活動の強化、社青同の育成、党学校・通信教育の拡充などを通じて、社会主義的な学習活動を徹底させ、社会党の政治的指導力を強化することも必要である。さらに中央書記局の再編強化を含めて、中央執行体制を強行すると共に、中央と地方、地方相互間の組織的二重構造−組織格差−を解消させるために努め職場と地域の末端に深く党の組織を確立しなければならない。
これらのことは先ず第一に党の組織を拡大することであり、今日なお二百名前後の党員しかもたない県連が相当あるという現状を打開することである。さらに第二は党の組織と運営を近代化させることであり、大衆運動を組織し指導しうる党へ、組織の再編成を行うことである。これらのことは最近めざましい成果をあげており、この成果がまた今日社会党が確信をもって構造改革路線を提起した大きな党内的な要因になっている。
構造改革の闘いに社会党が政治的指導性を確立するためには、また、全党がすみやかにこの新しい政治路線の思想を自からのものとして消化し、その理論を主体的にうけとめて運動の実践の中で発展させることが必要である。そして、勤労国民大衆が実際に国家の構造を変革して闘うための政策指導と政治指導の一切は、社会党がこれを受け持たなければならないし、こうした全政策体系と指導力をもつことが、将来社会党が政権を担当するための具体的な準備であり、政権を担当しても誤りない施策を実施し、政権を維持させうる基礎にもなりうるのである。
二、民主勢力の結集・反独占の国民連合
さらに、この構造改革の闘いを具体化し、それを成功させるためには、労働者階級の組織を中心にした広範な勤労国民の強固な同盟による統一組織が必要である。このために社会党はまず労働者の組織の統一を促進し、それを実現させる必要がある。さらにまた、労働者、農民漁民、中小企業者、および独占の支配に反対し現実的な要求と利益を獲得しようと望むすべての市民の闘う大衆組織を、それぞれの分野で組織し、強化しなければならない。
また党は安保闘争の中核となった安保国民会議を再編強化することを主張しているが、その内容は、単に従来の闘争を強めるだけでなく、新しい路線に沿ったものとすべきであり、特に日中国交の打開と貿易の促進、選挙法の根本改正、国民年金などの社会保障の拡充などを目標にした広範な国民運動を闘いうる、強固な勤労国民の組織に再編強化する必要がある。これは安保の闘いを軽視したり放棄するものではなく、むしろこれこそが安保体制を具体的につき崩し同時に、より多くの国民の力を反安保に結集する道であるからである。社会党はこのような一切の大衆の闘う組織と行動力を「反安保・構造改革の国民連合」として結集し、その中核となりその中で指導的役割を果たさなければならないし、この社会党の正しい指導なくしては反独占の闘いに勤労国民を結集することは不可能であろう。
この場合特に問題となるのは共産党との関係である。共産党は現実の勤労国民大衆の中でさして大きな力をもっておらず、また共産党を含めたのでは広範な民主諸勢力を結集することが極めて困難であるというのが現状である。これは共産党の民族統一戦線の路線が現状では誤っており、その上依然同党を支配している「共産党こそが」という独善的な態度が大きな原因としてあげられよう。われわれは社会党のかかげた方針と行動を通じ大衆の信頼を社会党に結集することによって共産党を克服して行かねばならない。
三、革新陣営全体の運動の改善
最後に労働組合をはじめとする革新陣営全休の運動を改善する必要がある。まず労働運動については構造改革の闘いを労働プランづくりの運動に終らせたり、会議だおれになったり、政党との関係を無視して行なわないことなどが必要であり、これにはかつての「平和経済国民運動」が失敗に終わった教訓の中から正しく成果と欠陥を学ぶと共に、現在までの闘いの中で出てきている構造改革のほう芽的な運動を育て、これを意識的、積極的に発展させる必要があろう。
石炭政策転換の闘い、国鉄の労働プラン闘争、自治研、教研、税研集会などの活動は、現状のままでは構造改革の闘いではないが、この闘いの方向に発展しうるほう芽をそれ自体の中にもっており、これに正しい方向づけを行ない指導を与えるならば大きな成果を期待し得るものとなろう。また、三池の闘いが「首切り反対」から、「石炭政策の転換」に発展せざるを得なかったように、労働組合のとうめんの要求獲得の闘いは、政策転換の闘いに前進しない限り成果は十分に期しえられない。これは独占の政策が生みだす結果にたいする闘いから、その原因である政策そのものの変更をせまる闘いへの質的転化、企業意識を克服し、企業内での経営主にたいする闘いから階級全体の政策課題をかかげて独占資本とその権力の政策変更ないし制限の闘いに脱皮の必要、を意味している。これらのことは賃金や労働条件などの当面の要求獲得闘争に正当な根拠をあたえ、闘争の幅をひろげて、国民的な支援をかちとる役割を果すことである。
農民・中小企業者の闘いでも、構造改革の闘いのほう芽は数多くみられる。農民や零細企業者の間には、独占の構造政策によって見捨てられるものはほかならぬ農民であり零細企業者であることをようやく意識しはじめており、そこから自分自身の手でこれを打ち破ろうとする闘い、積極的に政府の政策の転換を迫る闘いが組まれはじめている。農村における「共同化」の動きはこの最も顕著なものであろう。農村において共同化が促進されれば、そこから必然的に例えば農業協同組合の現状を全体として改革する闘いに発展せざるを得ないし、それは必然的に国の農業、農民政策を変更させる「政策転換」の闘いの原動力とならざるをえない。農村において農民が農民自身の組織をつくり、それを基盤にして農業政策を転換させるために闘うことは、これまで重要性が意識されておりながらも、殆んど成果をあげることができなかったのは、この闘いがただ単に「票」になるからというだけで、展望も体系もなしにばらばらに進められてきただけで、農民や零細業者の闘いを独占とその権力の政策を変更させる闘いに系統的、組織的に高めることがてきなかったためで、これはこんご改めねばならない。
構造改革の闘いでは、また「地方自治体の闘い」が極めて重要な内容をもっている。これまでの地方自治体闘争の多くも、地方議員が自分の選挙地盤を維持するために部分的、散発的に行なっていたという傾向が強かった。従って住民の要求とそれを実現するための自治体闘争を、構造改革の路線の上で意識的、体系的に具体化するという方向は殆んど行なわれていなかった。これを改めるならば自治体闘争は構造改革を具体的に進める大衆闘争の最も重要な基底となるであろう。地方自治体の闘いでは、地方自治体職員の果たす役割が特に大きい。一般に構造改革の闘いでは直接国や地方の行政にタッチしている国家公務員、地方公務員及び公共企業体労働者の任務とその果たす役割は、一般の労働者や勤労国民にくらべて特に重大である。
このように構造改革路線にもとづく中央・地方の闘いは、極めて多種多様であり、指導的立場にたつ社会党はもちろんのこと、すべての民主的団体と勤労国民の英知と創造性を集め、これを取り入れこれを生かして行かねばならない。
貴島正道(議会事務局長) 藤牧新平(政審会事務局次長)
加藤宣幸(機関紙局経営局長) 森永栄悦(本部労働部長)
広沢賢一(組織局組織部長) 高沢寅男(政審会書記)
伊藤茂(国民運動委員会) ほか
(『社会新報』一九六一年一月一日)