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社会主義の新しいビジョン(後半)
ソ連の徹底した社会保障
第二に、私は、ソ連の徹底した社会保障をあげた。これは、せまい意味で社会保障といってよいかどうか問題だけれども、とにかくこの国では失業しても病気になっても、年をとって働けなくなっても、ぜんぜん心配がいらない。生産力や消費の水準においては、まだアメリカに劣っているが、国民のすべてが、いついかなる時でも最低の生活が保障されている。これも、人類が地上においていまや何をなしうるかということを、事実でもってさししめしたすばらしい業績だといわねばならない。生産手段の公有とか、搾取の一掃といった社会主義の理論はわからなくても、これはすべての国民がそのままうけいれうることであり、この点に関するかぎりだれしも白分たちの社会もそうあってほしいと考える目標だといえよう。
こうした社会は、もちろん一朝一夕にできあがるものではない。ソ連の国民がツアーの専制をうちたおし、資本主義の包囲のなかで苦しみを重ねて社会主義を建設していったその産物にほかならない。ツアーの専制のもとでながい間極度の貧困状態におとしいれられていたロシアの労働者と農民にとっては、おそらくだれもが生活してゆける体制をつくることがまず第一の要求であったろうし、それは立派に果たされたといえる。
しかし、革命前のロシアのような後進的社会で、ツアーリズムの専制的支配のもとでながらく生活してきた労働者と農民が、近代的な民主主義的政治生活の経験に欠けており、民主主義的権利を保障する体制をつくりあげるのが不得手であったとしても、これは止むをえないことであろう。その結果、帝国主義の包囲によって不断の緊張を強いられたことと相まってスターリンの暴政と血の粛清が、ながい期間、国民の抵抗をうけずに行なわれるという、おそるべき事態をまねかねばならなかった。
フルシチョフ時代になって、ソ連社会の近代化とともにこうした欠陥は慎重にかつ決定的にあらためられてきているが、近代民主主義社会との間にまだ大きなへだたりがある。
たとえば、数年前、ソ連共産党は、その指導権をめぐってフルシチョフ派と、モロトフ、マレンコフ派がはげしく対立した。私たちの社会であれば、連日、新聞の第一面は、党幹部の動静をことこまかに報道し、だれがだれに会見をもとめた、どこそこにだれだれがあつまり、会議はこういう結論を出した、何派はこういう方針でつぎの中央委員会にのぞむ、といった記事がトップをかざる。国民のみんながみている前で、つまり国民の監視をうけながら政局の変動が行われるはずである。ところが、ソ連では一切が終了して、その結果が正式声明として発表されるまで、国民はつんぼさじきにおかれている。こういうやり方は、近代社会では通用しない。もし、フルシチョフ党とモロトフ党の二つの党があり、それぞれの選挙区に対立候補をたて、おたがいに外交政策や経済政策を国民にうったえ、国民の審判をうけるという民主主義のルールをとり入れていれば、フルシチョフ党がもっと早く圧倒的に勝利をおさめたことと間違いないし、結果はずっとよかったに違いない。もちろん、これは民主主義の進んだ国での社会主義建設の場合はそうするだろうということであって、ソ連にはソ連にふさわしいゆき方がある。
しかし、かりに、民主主義の面でたちおくれがあるにしても、この地球上で最初に社会主義をうちたて、失業や病気や老年についての社会的不安を一掃したというソ連国民の到達点、その偉大な事業は否定できない。
英国の議会制民主主義
私は、第三に人類の到達した大きな成果として、イギリスの議会制民主主義を考えてみた。人間の頭をたたき割るかわりに頭数をかぞえるというルールにしたがって、政治的テロルをこの地上から最初にかつもっとも徹底的に追放しだのは、何といってもイギリス国民だと私は思う。これもまた、イギリスの労働者が、ながいたたかいのなかでかちとったものであった。
イギリスにおいてさえ一九世紀の前半には、成年男子のうち選挙権をもっていたのは、わずかに一〇〜一五%にすぎなかったといわれている。もちろん婦人には選挙権はない。こうした状況のなかで、普通選挙権、秘密選挙、議員の財産資格の廃止など有名な「シックス・ポイント」をかかげてたちあがったチャーチスト運動のたたかい、くりかえされる弾圧のなかで、不撓不屈のたたかいをつづけたイギリスの労働者階級がなければ、こんにちイギリスの名誉ある議会制民主主義も、決してありえなかったであろう。
さいきん、イギリスの労働者は、かくとくした民主主義と福祉国家的水準に一応満足して、さらに社会主義へむかって前進するという気はくにかけているといわれている。イギリス労働党のなかでも、そうしたことへの反省が問題にされている。私もそうだと思う。
しかしそれにしても、イギリスの国民がつくりあげた議会制民主主義は立派である。普通選挙権、言論、集会結社の自由、そして国民のすべてが国の政治生活に参加し、自分の欲する政党を政権につけ、欲しない政党を政権からおいはらう自由、私はこれはいかなる場合にも否定できない人間の基本的な権利だと思う。
私がこのようにいうと、現実の民主主義を知らないで、書物のなかの民主主義の公式しか頭にない人だちから、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義との本質的差異を見失って社会主義理念をうしなっているという反論をうけた。
民主主義という言葉はいろんな場合につかわれるけれども、政治的民主主義にかぎっていえば、その根本はいま述べた点につきる。イギリス労働者のチャーチスト運動は、決してブルジョアジーの民主主義のために血を流したのではなかった。自分たちが国の政治に参加するために議会制民主主義の確立を要求したのである。
私たちが民主主義に対する侵害とたたかい、民主主義の拡大を要求するのも同じである。普通選挙権、秘密投票、対立する政党のなかから自分の支持する政党をえらぶ自由、これは資本主義的民主主義であろうと、社会主義的民主主義であろうと何ら変るものではない。
正確にいえば、後者の方が国民の政治への参加がより広範であり、より実質的に保障される。つまりより徹底した、より発展した民主主義だということである。民主主義を資本主義的な制約からときはなすことによって、私たちは民主主義をいっそう前進させることができると考えている。
日本の平和憲法
人類の到達した偉大な成果のひとつとして日本の「平和憲法」をあげうることは、日本民族の誇りである、これは、以上に述べてきたような意味では、日本の国民がたたかいとったものとはいえないかも知れない。しかし第二次世界大戦中に私たちが体験したもの、それは実に筆舌につくしがたいものであった。国民の多くは家を焼かれ、家族を失った。なによりもいたましいものは、人類最初の経験である原子爆弾による非人道的な破壊であった。これらの苦しみと悲しみのなかからほとばしりでた人々のねがい、二度と戦争はしたくないという国民の悲願、それが憲法第九条にほかならない。そして日本の支配者が機会あるごとにこれをとりつぶそうとする圧迫のなかで、断固としてこんにちまで第九条をまもりつづけてきたのが、日本の労働者であり国民であったことも明瞭である。
原水爆がさらに強力なものとなり、大陸間誘導弾が開発された以上もはや戦争は人類を破滅させる以外の何ものでもなくなった。ことしの七月にモスクワでひらかれた全般的軍縮と平和のための世界大会に、イギリスのラッセル卿はつぎのようなメッセージをよせている。
「話合いにあたって、西側の代表者は『共産主義の全世界的勝利よりも核戦争の方がはるかに悪いものだと確信する』と述べてほしい。東側の代表者は『資本主義の全世界的勝利よりも核戦争の方がはるかに悪いものだと確信する』と述べてほしい。このように述べることをこばむものは、そのことじたいによって全人類の敵であり、人類破滅の仲間であることを自ら刻印するものである」
私は、この言葉に深い共感をおぼえる。平和の第一義性というのはこのことだと思う。それは社会主義の理想の放棄とは何の関係もない。今日、人類は、核兵器を廃止し、全面軍縮を実現して平和に生きるか、それとも人類史のおわりを記録しなければならないか、二つに一つしかありえない状況にたたされている。
このとき、わが憲法第九条は、まさに千金のおもみをもってさんぜんと輝いている。現在、世界に大きくたかまりつつある核実験禁止と全面軍縮の行動は、言葉をかえていえばこの憲法第九条の規定を世界各国の憲法に書きこませる運動にほかならない。世界の大国のなかで、最初に戦争の放棄を憲法で宣言した国、日本、人類の歴史の偉大な到達点のひとつがここにあると思う。
三 新しいビジョンをつくろう
衆知を結集して
人間の可能性を未来に向かって開花させるのが社会主義であるとすれば、私たちは、日本における社会主義のビジョンをつくるために、まず現代世界において、人間は現在でもすでにこれだけのことはできるのだということをはっきりさせなければならない。そうすれば、人間のすでになしうるはずのことが、あまりにもこの日本において実現されていないという現実も明瞭になる。その原因が何かを知り、それを妨げているもの、それを妨げている日本の社会のしくみ、すなわち人間の前進の道をはばむものに対して確信と希望にもえてたたかうこともできるはずだ。
私は、こうした意味で“四つの柱”というものをあげてみたのである。さきにも述べたとおり、それぞれの民族が、それぞれのやり方で未来をきり開くたたかいにとりくんでいる。日本にはもちろん日本のやり方がある。
そこで、こうした人類のきずきあげた偉大な成果を考えながら、日本における社会主義のビジョン、日本の体質にあった日本にふさわしい社会主義のビジョンをつくりあげてゆきたい。これが私の念願である。
政治学者、歴史学者で哲学者、経済学者、自然科学者、それに文学者、芸術家の方々、一般の国民の方々に知恵をだしあっていただいて、日本にこういう社会をつくってみたい、またかならずつくれるはずだ、それは歴史の発展法則からいってもとうぜんつくられねばならない社会だ、そういう理想を私たちは持ちたいのである。それは政治、経済、社会、文化のあらゆる側面についてである。
私のいわゆる「日光談話」は、そうした努力のあまりにもなされていない現実を考えて、ひとつ討論のきっかけをつくってみたいという問題提起であった。
わが党は、単なる理想主義の党ではない。党はつねに現実的な、建設的な政策をもたねばならない。だがわが党は同時に、せまい意味での現実主義の党ではない。つねにたかい理想をかかげ、国民の一人一人の心によびかける党である。またそうであってこそ、数十万の党員を組織し、国民の圧倒的多数の支持をうける大政党へと成長してゆくことができる。この大原則をつねに忘れてはならないと思う。
日本の新しい到達点
人類が今日までになしとげた大きな達成、それにくらべると、日本の現実は、憲法第九条を別とすればあまりにも貧弱である。この第九条でさえ、アメリカの沖縄占領や自衛隊の拡充、核兵器もちこみなどの動きによってふみにじられ、おびやかされている。たしかに日本の工業生産力は、いまや世界一流のものになってきている。世界レベルの大企業の工場、そこには世界最新の機械がすえつけられている。しかし、一歩工場の外に出ると、交通事故の不安に、たえずおののきながら道を歩かねばならない。晴天がつづけば、水飢饉におちいり、大雨がふれば、水害に見舞われる。住宅条件はあまりにもひどい。過剰設備になやむ世界一流の大工場と、世界三流、四流の消費生活と貧弱な社会施設、だれが考えてもあまりに極端なアンバランスである。むしろ、こうしたアンバランスのうえに、世界第一級の近代工場がつくられたともいえる。
しかし、この近代的な工業力は、もしそれが合理的に管理され、利用されるならば、すべての日本国民にそうとう豊かな生活を保障する物質的条件となりうるであろう。これは、戦前の軽工業中心の日本の工業力では、とうてい期待できない条件であった。かつてのソ連の社会主義のように、消費をきりつめて重工業を建設する必要は、いまの日本にはない。
労働者の権利の保証も、人間の権利として当然あるべき水準からくらべれば、あまりにも低い。しかし、すべての労働組合がつぎつぎに弾圧されていった戦前とくらべて、はるかに前進したことは事実である。たとえば、私たちが戦前に経験した「女工哀史」のような労務管理をやる資本家がもし今日いたとすれば、強力なストライキが行なわれることは確実であるし、新聞やジャーナリズムもこれを許さないであろう。そのような資本家は法律的にも処罰されるたてまえになっている。
日本の社会保障にいたっては、ほとんどとるに足りないけれども、やはりそれが皆無であった戦前とはちがってきている。
国民は、普通選挙権と言論、集会、結社の自由をもち、自分の支持する政党を政権につける権利をもっている。たとえ、国民の民主主義的権利が保守党によってそこなわれているとしても、戦前の治安維持法のもとでの選挙とは大へんな違いだといわねばならない。
これらの事実を正確にみる必要がある。この違いを過大に評価しその限界を見失うことはもちろん正しくないが、そのちがいを忘れて、いつまでも戦前の無産党的感覚で革新政党を夢みるものは、それ以上に困った存在である。私たちが、こんにち日本国民のおかれている現実のなかに、ふかい苦しみと悩みをみるだけではなく、そこに未来への希望をもみいだすのは、こうした違いのなかに社会主義へむかってすすむとどめがたい時代の流れ、歴史の歯車の動きを感ずるからである。
それは、さきに私が、世界の民族がすべてそれぞれのゆき方でたたかっていると述べたように、世界の流れ、世界の歴史の歯車の動きでもある。
社会主義者とは、この歴史の歯車を逆転させようとするものをはねのけ、時代の流れをよりつよく未来に向かっておしすすめるものだというのが私の確信である。
(『エコノミスト』一九六二年一〇月九日号)