清水慎三『日本の社会民主主義』
T 問題の視点
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出典は清水慎三(1913-1997)『日本の社会民主主義』(岩波新書 1961年10月20日第一刷発行)。日本型社会民主主義の概念を提出し、広く読まれた。ここでは基本視点が要約された第一章を転載する。転載に際して、著作権継承者・清水克郎氏の承諾を得た。
新安保条約をめぐる激動の一カ月から丸一年たった一九六一年五月、東京大学新聞は恒例の五月祭賞として「ローザ・ルクセンブルグと社会主義」という論文の入選を発表していた。私はこの論文を書いた博士課程の大学院学生を知っているわけではなく、選者についても日高六郎氏が加わっている程度のことしか知らない。だが、あの安保闘争にもっともはげしくぶつかっていた東大生たち、否、東京の大学生たちの中から、どういう思想、どういう運動が生まれ育つであろうか、それよりもどういう思考態度が生まれ、かれらの思想遍歴がどのようにはじまるであろうかについて人一倍関心をもっていた私は、「ローザと社会主義」というこの見出しに少なからず眼をひきつけられた。
大学生たちはあの安保激動の際全学連の主流派反主流派にわかれた指導部のもとで行動していた。だが、かれらの多数はリーダーシップの側に立つ一切の既成革新組織に大なり小なり違和感をいだいていたようだった。かれらは最初トロツキスト集団と呼ばれるかれらの学友からなる指導部に新しい期待をかけていたが、中途ではそれにも失望していたようだった。その後かれらは自らの義務と感じて行動しつつも、指導諸組織にたいしては権威を認めないばかりかなにがしかの心理的抵抗を内に秘めているかの如くであった。
私は総評といういわゆる既成組織の一角に陣借りしているような立場なのでかれらよりはるかに既成の革新政党や諸組織の価値を認めている。違和感をいだき抵抗を感ずるからといって革新諸組織の外に立ってこれを白眼視したり批判に明け暮れする態度には否定的である。だが、鋭い感受性と一応の判断力をもつ学生たちのなかに既成諸組織にたいする違和感があり、しかもそれが大衆的なひろがりをもっている事実は注目しなければならない。かれらの違和感の根底にひそむものに根本的な対策をもつことは革新諸組織にとって単に学生間題にとどまらない一般的課題につながることだからである。なぜならば、そこには人間性と民主主義の問題が伏在しており、革新政治勢力が抵抗と権力掌握とその後の建設の全過程を通じて、ブルジョア民主主義をどのようにのりこえ、どのような民主主義を新たに創造するのか、その中身がそこでは問題にされ具体的構想として要求されていることでもあるからだ。
労働者階級のなかに無党派活動家の比重がきわめて高いことはそれとはカテゴリーを異にするが共通点もかなりある。社会革命に向かっての戦略論よりも当面の階級的統一それ自体を希求するところにもっとも純粋な意昧での今日の無党派精神の姿がある。だが、そこには次のような理由が介在していることも忘れてはならない。第一に、組合民主主義が形式化し形骸化していて官僚主義が横行し、組織内労働者の自発性が吸収されずその窓口さえもひらかれていない場合が多いこと。すなわち、民主主義は役員選挙・大会・中央委員会などの運営のなかに形式的に(ブルジョア民主主義的に)しか生かされず、運営の実質は執行部内の派閥的実力を中心に官僚主義的に掌握され、しかもその実力派閥の背景が時として経営者であったり特定政党であったりすることである。前者に背景があれば純粋な活動家は何よりも階級的統一を自己目的的に追求するであろうし、後者であれば政党嫌悪症にかかりやすい。第二に、諸政党はいずれも、そして政党に基盤をもつ組合幹部もその多くが、組合機関と組合員大衆を自分のために利用している形跡が多かったこと、第三に、思想と行動方式の単なる多数決による押しつけ・引き廻しが今日でも濃厚であること、これらの諸点を注目しないわけにはゆかないのである。そこにはやはり人間性と民主主義の問題が革新を呼号する組織内部に未解決のまま残されている事実との関連を見るべきであろう。労働者階級が自らの歴史的使命=社会主義社会の実現を安定的になしとげるためには「労働者階級を支配階級に組織化してゆく」準備と展望とプログラムがなければならない。その全過程のなかに豊かな人間性と、新しい民主主義の創造が濾過され内包されてゆくとき、いまの労働運動のもつ弱点も、さきに述べた学生大衆の既成革新諸組織に対する違和感も同時に解決されるに違いない。そのようなプロセスが抵抗と権力掌握と新しい建設のなかでなしとげられ保証されなければ、そしてその保証が今からヴィジョンとしてでも予見されなければ、発達した経済社会に到達した国での「大衆的な」ゆるぎなき社会主義路線は確立しえないであろう。そしてこのことに関する限り、スターリン主義の母斑の濃厚な共産党よりもブルジョア民主主義の捕虜の境涯から脱出しえないでいる社会民主主義系諸組織のほうが自己改造による到達距離は短いのではなかろうか?
ふたたび「ローザ・ルクセンブルグと社会主義」に立ち帰ろう。ローザを社会民主主義者として見る人はない。彼女はロシア革命を批判しロシア革命形態の一般化に反対したが、プロレタリアートの階級独裁を支持し推進しようとした人だからである。社会民主主義という言葉は今日では抽象的概念に過ぎないが、歴史的伝統的意味では左の限界としてロシア革命形態の一般化に反対するばかりでなく、プロレタリアートの階級独裁を認めない立場を意味している。それゆえ「労働者階級を支配階級として組織化する」ことを肯定し展望する筆者はもちろんのこと、かつての左派社会党綱領さえも歴史的伝統的意味の社会民主主義ではない。それはともあれ、西欧的共産主義者とも言われた彼女の思想には一面から見れば「社会民主主義のワクをはみ出た社会民主主義」と言っても差支えなさそうな体質的なものがある。彼女はカウツキーと思想を異にするがレーニンとも異る。彼女をレーニンと区別させる要素のーつとして人間性と大衆の自発性の尊重、革命過程における自由と民主主義の位置づけ、「ブルジョア・デモクラシーが形式化された故にデモクラシー全般を廃棄するのでなく、真のデモクラシーをプロレクリア階級の本論として建設すること、それがプロレタリア独裁である」という考え方に基く、少数者指導や一党独裁を否認する思想がある。同じ問題についてのレーニンの論述を見れば、レーニンもまた大衆路線の信奉者に違いないし、「ロシア革命の特殊の条件」を明確に認め、ロシア革命の全過程の一般化などを全面的に主張しているわけではないので(例えば選挙権の制限など)、くいちがいの最初の段階は新しいプロレタリア民主主義を創造するさまざまの道の中での「二つの路線」ぐらいの差であったのかも知れない。だが、レーニンの言説には後のスターリン主義を生み出すような他の側面、すなわちロシア革命の経験を通して革命の一般的課題を強調する要素もある。レーニン自身は統一的に理解していたのかも知れないが必ずしも明確とはいえない。ローザはそこをついていると思われる。ともあれ当時の論争とその後の歴史過程はこの点を両者の相違のもっとも重要な指標としているのである。
私はレーニンとローザを区別する他の指標を追及するつもりはない。彼女が政治的敗北者であったからというわけでもなく、ルカーチのいう「空想的な純粋社会主義者」に過ぎないからということでもない。ただ、民族問題にしても社会主義原則にしても彼女の思想と主張はあまりに古典社会主義者的であって、帝国主義を分析しその段階に対応しきったレーニンとは比肩さるべくもないことは認めざるをえない。われわれは彼女の提起した諸問題のうち、すぐれて今日的課題をもつものだけを抽出すればそれで十分だと思うからである。発達した資本主義国における革命の問題はレーニン、スターリン、毛沢東の系譜によって解決されたわけではない。それらの諸国では多かれ少なかれ革命過程における自由と民主主義の問題の創造的解決を迫られており、この点に関するローザの課題はいまだに未解決だからである。
私はローザ・ルクセンブルグに「社会民主主義のワクをはみ出した社会民主主義」の一つの古典的原型を感じている。同時に第二次大戦後の世界における発達した資本主義国において「社会民主主義のワクをはみ出した社会民主主義的政治勢力」には独自の世界史的使命があるように感ぜられてならない。もちろんこのような政治勢力が大きく成長しうる条件をもった国は数少ない。西欧社会民主主義の主流は、自由と民主主義を保守的に固執してかつてのカウツキーと同様にこれを独裁と対置し、それにとどまらず戦後資本主義の変貌にことよせて社会主義に背を向けようとしている。そうしたなかで常に引合いに出されるのは日本とイタリアくらいのものとさえ言われている。そのイタリアでは共産党のトリアッチ書記長によって構造改革の政治路線が打出され「社会主義へのイタリアの道」の主導権はその手によって確立されているものの如くである。イタリア社会党の幹部でありイタリア労働総同盟の最高幹部の一人であるサンティ氏は「現在の段階ではトリアッチ路線と変りはない、将来の国際路線(中立のこと)と将来社会の政治的構想について違いがある」と筆者の質問に答えていたが、それにしてもイタリア社会党から積極的な社会変革への政治路線の提案は聞かれない。とするならば「社会民主主義のワクをはみ出した社会民主主義的政治勢力」と言ってみても国際的には寥々として暁天の星の如きものではないかと言われるかも知れない。だが、戦後世界の政治と経済は各種の国家類型を生み出す可能性をもつ。現に新興独立国群のなかには八一ヵ国の共産党・労働者党代表者会議の声明に「民族民主国家」と呼ばしめるような国家類型を生み出した。高度資本主義国に限って劃一的な道だけしかないという法則はどこにもない筈である。
戦後日本の社会民主主義運動は日本社会党の運動によって代表されてきた。そして西欧社会民主主義運動の主流とは異なる道を歩み、異なる道を歩み続けたが故に日本の社会民主主義運動の代表勢力となり、日本の革新勢力の中核としその政治的多数派の地位を確保してきた。現代西欧社民=民主社会主義の跡を追う民主社会党はいかなる意味でも少数勢力であり、後に見るように飛躍的に拡大する展望はきわめて弱い。その主たる原因は戦後の世界、戦後の日本の特殊条件のなかにあることは言うまでもない。日本社会党は本論で述べるように統一された政治性格を持たず、上部は非共産社会主義諸派の政治連合であり、首脳部の構成はより前時代的な派閥連合とさえ見ることができる。だが、戦後十五年にわたってこの党の組織と活動を支えた中堅分子、とくに青壮年党活動家は現代西欧社民思想でもなく歴史的伝統的意味の社民思想でもない。筆者のいう「社会民主主義のワクをはみ出した社会民主主義類型」の人たちである。その点では労農派マルクス主義を支持すると支持しないとにかかわらず共通したものをもっている。上部が諸派連合戦線である以上、そしてそのなかに西欧社民型(古典的西欧社民型と現代西欧社民―民主社会主義の双方)を含むからには重要な政治局面ではきまって動揺する。だが、過去十年以上、正確には昭和二十四年以降、大勢は中堅及び青年活動家層の指向する方向に流れ、そうすることによって党勢を拡大してきた。党活動家層の骨格部分が戦前派幹部の相当部分とともに今日まで「背教者カウツキー」のエピゴーネンともならず、現代西欧社民=民主社会主義の亜流ともならなかった意識性が、戦後世界における日本的現実と結合して革新第一党の地位を保証したと見ることができよう。
ではこれからはどうなのか?結論から言うならば次の諸条件をどうみたすかによって日本の社会主義的前進の主役にもなれるし、いくつかの国に見るように所詮ワキ役的存在に過ぎないものに終るか、それとも動揺のあげく西欧社民と結果において変らない体制内の改良派に行きつくかの運命がきまるであろう。つまり、現在の革新第一党の地位はまだ確定的なものでないこと、これからの方向と努力次第で世界の社民史に類を見ない栄光の座にもつきうるし、社会主義戦線からてんらくする可能性もあるということである。
日本社会党とその周辺を含む社会党的政治勢力の今後の死活的課題は次の諸点である。その第一は党活動の骨格を形成する活動家層が「社会主義者のたましい」(向坂逸郎教授)を持ち続けるだけでなく、常にその時点における国民的課題に適応力を発揮し、権力掌握に向かう政治路線についてダイナミックな構想力を展開しうるかどうかという点である。とりわけ、平和と独立、民主主義闘争と社会革命の相互関連と位置づけにどのような結論を出し実践してゆくかという点がポイントとなるであろう。
第二に、国民的課題への取組み方について社会民主主義的体質が伝統的に内包する弱点をどれだけ克服できるかという点である。その一つは大衆の自然成長的次元への迎合埋没に終り、いわゆる内面指導についての能力が体質的に欠けていることである。次に現体制の恥部を鋭く追及し体制側を弁解に追いこみつつ味方の戦組を広汎な階級階層に拡大し、「一点突破」的に傷口をコジあけ体制をゆさぶりつくす戦術視点ないしは執念に欠けることである。体制側の矛盾を資本主義一般・独占資本一般の問題に平面化して抽象的に社会主義一般を呼号するふだんの性癖の非実践的帰結ともいうべきであろう。いま一つ民族問題に対する社会民主主義者の伝統的弱さについてである。その弱さは西欧社民勢力のようにブルジョア民族主義への屈服となることもあればアジア諸国の多くの社会党のように民族的課題への能力不足となることもある。ひとりわが国左派社会党のみはかつてサンフランシスコ体制に反対し平和四原則を揚げて民族的課題に進歩的に対応し党勢を拡大するという社民類型をのりこえた実績に輝いているのであるが、最近は社民体質のなせるわざか、それとも日本共産党へのセクト的対抗意識の結果なのか、それとも日本独占の復活強化を巨視的にとらええないでいるためか、とみに精彩をかいてきた。民族問題それ自体はほんらいその属性として非合理性を内包しているのであって、革命的伝統と革命的組織論をもつもののみがこれをエネルギーとしてとらえ進歩的に解決してきた歴史をもっている。意識性と自然成長性の交互作用を平板に組織してゆく建前でなく「労働者階級と非プロレタリア大衆のそれぞれ自主的な政治的反対・抗議・憤激を一つの革命闘争に合流させ統合する」(レーニン)ことを主張し実践したマルクスから毛沢東にいたる系譜の成功の跡をいま一度検討し直す必要があるであろう。そのことは権力の所在が日本独占の手にあろうとも大切な課題である。レーニンが「正しい認識・正しい綱領さえあれば」という組織論をしりぞけたことと照合してとくに社民体質濃厚な人ほど考えて見る値打ちがある。
第三に、反体制抵抗闘争から権力の掌握、さらに政治経済社会の社会主義的改造の各過程における自由と民主主義の取扱い、とくにブルジョア民主主義のもたない直接民主主義の採用と展開のプログラムを積極的に提示することである。理由は冒頭に述べたとおりであり、この点は社会民主主義的体質の積極面を具体化してゆくホームグラウンドと言うべきであろう。
第四に、将来社会の構想を大胆に提示することである。それは党外大衆にとっては単なるヴィジョンとしての効果しかないかも知れないが、かりにそうであっても忘れてはならないことである。この場合は権力もないのに何カ年かの経済計画という形で遠慮深い数字作業をする必要はない。構想に徹しヴィジョンに徹して差支えないであろう。それと同時に必要なことは権力掌握後に果すべき世界史的役割の積極面を明らかにすることである。とくに最近中立勢力が急増し、中立の中身が多種多様になっている事実を直視するときこのことはとりわけ必要である。先にあげた民族的課題の問題を「従属打破」という戦略論的次元だけにとどめるのでなく、完全独立後の世界史的役割のなかで検討してみることも中立の元祖である社会党的政治路線のユニークな持味となるであろう。
第五に、政治的統一戦線の問題を理くつをつけて逃げ廻るのでなく、日本的現実のなかで大局的に消化する努力を払うことである。当面の抵抗闘争から権力の掌握、権力の掌握から国内的改造、世界史的役割をめざしての国際路線の確立までを通しての詳細な検討が必要である。おそらく競争局面も対立局面も提携局面も想定できるであろうが究極のキメ手は大衆の支持如何にかかっている。したがって、提携する場合は共闘の条件を、提携できない場合はその理由を常に大衆に明らかにしながら支持を求めてゆかなければならない。大衆の場をはなれてイニシァティーヴを温存しようと思えば、階級社会である以上、マスコミを含む支配階級の手を偕りるしかない。それは文字どおり社会主義運動からのてん落以外のなにものでもない。
私は以上五つの課題をあげたが、少なくともこの五つの課題を大衆的基盤の上に成功的になしとげるならば、日本の社会党的政治勢力は日本的現実のなかで将来の主役の座が保証されるであろうと考えている。それはおそらくは「特殊日本的」革命形態ということになるであろう。だが、それを可能にする客観的主体的条件があれば特殊の型であって一向差支えないであろう。どの国の革命であれ、民族的土壌の上に、国民的基盤の上に革命が行われる場合はそれぞれ特殊性をもっている。第二次世界大戦後の世界・第二次世界大戦後の日本のもつ諸条件はわけても「特殊日本型」を可能とし、必要としているとさえ言いうるであろう。