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駄目なものは駄目
                             土井たか子
 
 
 
*1988年6月27日に北海道斜里郡斜里町(知床)でおこなわれた記者会見発言原稿。出典は石川真澄「日本社会党 最後の光芒と衰滅」(山口二郎・石川真澄編『日本社会党 戦後革新の思想と行動』第八章 2003)に全文引用されたもの。石川氏によれば、これが「駄目なものは駄目」の初出であり、感情まかせの放言にみえるこの言葉は、実は周到な準備を経て発表されたという。「ダメなものはダメ」は88年7月6日開催の社会党中央委員会での委員長あいさつでも述べられ、消費税反対の土井社会党の姿勢を示すものとして広く知られるようになった。なお原文にはタイトルはなく、サイト管理者がつけた。石川氏がつけた傍点は太字で示す。  
 
 
 
 @ 政治の制度や機構は政権の平和的交替を保証しているにもかかわらず、反対党が非常に長い間政権につくことが出来ないでいる状態について、西欧学界などで既に出されている指摘は一つの参考になります。そこでは「コンセンサスの議会に及ぼす衰弱効果」が、その理由の第一に挙げられています。政権党と反対党との間の、「議会の楽屋」での話し合いによる合意の形成は、手続き問題などで議会の始まりからあったとはいえ、最近ではそれが、政策上の合意を作るのが普通のこととなり、国民から見た与野党間の違いをあいまいにするほどになってきました。議会の魅力を少なくし、ひいては反対党が政権につくことへの期待を小さくさせる原因のーつがそれだというのです。そうなった理由としては、先進社会での近年の国民生活水準の上昇とそれに伴う中関層の巨大化によって、与野党の政策上の隔たりが縮まったことがあります。また、自然・社会の両面での科学技術の発展によって、専門家の助言なしには政策が作れず、一般人が理解することもできないようになったため、争点が分かりにくくなったことも大きな理由です。
 
A こうしたやむを得ない面があるとはいえ、事態は政権党に有利に、野党には不利に働きます。コンセンサスに至るまでの反対党の努力は政策が世に出た後は忘れ去られ、政権党の「寛容」と、政策の出来のよさだけが国民の印象に残ります。成果は政権を持っている党が独占するのです。たとえば、減税は政府・与党が野党の要求に応じたもので、野党が要求しなければ現れなかったものであるにもかかわらず、結局、減税をやったのは政府・与党であることになってしまうといったことが起こります。
 
B それだけではありません。政権党は野党の要求を渋々受け入れた風を装って、必要な政策を実現することがあります。再び税制に例をとれば、仮定の問題として、政府・自民党がたとえ不公平税制を少しは改める気があったとしても、自民党の強力な支持団体が不公平によって利益を得ている以上、根本的な是正は絶対にできるはずがありません。ところが野党の要求が強い場合、それに妥協した形で、多くの国民が望んでいる方向への手直しを、ごく一部についてやるといったことは、ひょっとしたらあるかもしれません。その場合でも、不公平の是正をともかく自民党の政府がやったという実績が残ってしまうのです。
 
C そのような、いわば損を承知で私たちが政府・与党に譲歩を迫り、国会でのコンセンサスを得ようと努めてきたのは、それなしでは多数決によって国民のなかのより弱い層の利益が失われるからであり、それ自体に悪いところがあったとは思えません。しかし、結果的に政権党の立場を強める効果を持っていたことを、もう少し重く見た方がいいのではないかと、私は近ごろ思うのです。しかも、最近では政策の技術的な複雑さから、国会の委員会などでの正面の議論では詰めきれない話し合いが「議会の楽屋」でなされることがままあるため、国会が国民から遠いところに行ってしまったという批判もあります。そのことも軽視していいはずはありません。
 
D そのように考えるとき、私はこれからの国会での反対党のありかたのなかで、妥協のない反対を貫く場面をいま以上に増やすことが必要ではないかと思うのです。もちろん問題によって対応は違いますが、国会での野党の一見強硬な姿勢が結局は政府・自民党の「野党のカオを立てた」僅かばかりの譲歩を引き出しただけに終わるといったことはできるだけ避けようということであります。駄目なものは駄目なのであって、少々の手直し程度で引き下がるわけにはいかないという、分かりやすい態度をとろうというのです。いわばこれは、「反対党らしい反対党への復帰」であります。
 
E いつも野党が、自民党政治の歪んだ面や足りない点を指摘し、補うことばかりしていると、それだけが野党の有用性であるように思われてしまうのではないでしょうか。選挙では自民党に入れるが、自分か損をしそうなとき、困ったときだけ野党に頑張ってもらおう、そんな気持ちでいる人々も多いような気がします。今の日本社会は、自民党の悪政によって少々の被害を国民生活が受けても、あとでよりよい政府が生まれることで修復できる程度の余裕がありそうです。私たちの非妥協的な闘いによって、たとえ結果としては自民党の悪い政策が多数決で実現しても、ある程度はそのような政権党を選んだ国民多数派の責任だということを、はっきりさせてもいいのではないでしょうか。
 
F 妥協か絶対反対かの判断が難しいのは、一度失われてしまったら取り返しのつかない問題、たとえば国民の安全の問題や、この知床に起きているような自然保護の問題のほうだと思われます。それらの深刻な事柄については、「悪くなっても自民党の責任だ」などと放り出したり、絶対反対で突っ張って、結果的に何も前進しなかったりするのは、場合によっては無責任のそしりを免れないことがあります。よりましな成果を粘り強く求めて、不格好でも不満でも、とりあえずの安全や無事の確保で一応我慢するなどの妥協が必要なことがあるかもしれません。従来はむしろ、そうした問題のほうで後に引かず、結果的に完敗ということがなかったわけではありません。発想の転換が、こういうことでも必要かと思います。
 
G 政府・自民党が臨時国会に提出を予定している「消費税」は、今申したうちの、「駄目なものは駄目なのだ」に属する政策問題だと受け止めています。政府・自民党が非を認めて提出を諦めるか、私たちの主張のように衆院を解散して国民に信を問うのでなければ、あらゆる妥協を排して反対しなければならない問題だということです。反対するからには、消費税が成立する場合を想定するわけにはいかないのはもちろんですが、万に一つも成立することがあるならば、その廃止を求めて、国民は次の総選挙で自民党を離れ、私たちの側について下さると信じます。ここで、社会党は反対党らしい反対党の姿勢を貢くことで、国民の前に健全な姿をお見せしたいと覚悟を新たにしています。そのためにはもちろん、不公平税制の抜本改革を掲げ、消費税に反対している全野党の結束を固めることが第一で、伝えられる臨時国会の前に私が矢野さん(石川註・当時の矢野絢也・公明党委員長)や塚本さん(石川註・同じく塚本三郎民社党委員長)だちと話し合うことは重要です。これからの私たちの反消費税の戦いに、国民の皆さまのご理解を是非お願いしたいと思います