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日本社会党結党宜言
 
*結党大会当日、野溝勝によって朗読された結党宣言。出典は社会文庫編『日本社会党史料』(柏書房 一九六六)。かなづかい等は原文のまま。原題は結党宣言だが、web上の題名は日本社会党結党宜言とする。写真は結党大会で演説する鈴木茂三郎。
 
同志諸君、今や我が国は歴史的一大転換を為さんとしてゐる。この時に当り我等は勤労大衆の組織結合体として、日本社会党を結成し、旧き日本に巣喰ふあらゆる勢力の牙城を衝き、彼等が欺瞞の面皮を剥ぎ、嘘喝の舌根を抜いて、文化の薫高き平和国家、新しき日本を建設せんとして起上つたのである。
 
 我が国既往の政治及び経済が、如何に勤労国民大衆の犠牲に於て、一部特権階級の恣意に委ねられてゐたかは、この度の敗戦の事実と共に遺憾なく国民の前に曝露されつゝある。統帥権独立の錦旗を擁して、正常なる立憲政治の運営を阻害し、或は自ら政治の推進力なりと僭称して遂には大東亜戦争といふ国家破滅の大罪を犯した軍閥が、嘗てその名誉と信義と廉潔とを誇りたりと雖も、今、国の内外より戦争責任追及の声大いに挙がる時、「我こそ戦争責任者なり」と自ら名乗る者を一人として出さざる事実と終戦時に於ける彼等の貪欲厭くなき悪行とは彼等の言行が嘘偽と欺瞞の累積にして、国家破却の元凶たり、国民虐使の張本人たることを立証して余りあるであらう。
 
 軍多年の積悪は軈て自らの墓穴を堀つて崩壊し去つたが、軍勢力と結託して拙劣無計画なる統制を行ひ、国民生活を不当に窮乏化したる官僚群は未だ非違を改むるの状なく、晏如として旧地位に留まる者大多数を数ふ。而して国家新体制と呼称して政党を解体し、大政翼賛の名の下に議会の謀殺を企てたる政治家群及び之れに迎合追従して専ら自己の保身栄達に汲々たりし議会人の明動暗躍その跡を絶たざるは今日の現状である。すべて、これらは、戦時利得の前に跳躍せる財閥、資本家の狂暴なる搾取機関たる資本主義機構を舞台として演出されたのである。
 
 かゝる際吾等は政治的節操を重んじ、信念に生き、理想に忠実なる血盟の同志として、信を中外に布き、旧時代の残滓勢力と果敢なる闘争を展開せんとするものである。吾我[ママ]はこの闘争を通じて国民の全般的自由を獲得し、議会の権威を恢復して責任政治の基盤を固め、以て民主々義への大道を拓かねばならぬ。而して更に努むべきは、日本経済を平和的に再編成し、国民の生活を一日も速かに安定せしめることである。
 
 経済の健全なる復興と国民生活の安定とは、社会主義計劃経済に依るにあらずんば断じて行ひ得ないことを確信す。誤れる官僚統制に苦しむ国民を自由経済の好餌を以て懐柔せんとするは、国民を欺くものである。又極端なる観念的平等観を以て生活を律し、自由と平等とを同時に約束する者は、国民に嘘偽を約束するものである。吾等は厭くまで社会民主々義の大旗*1をかざして、吾我の理想に向って勇往邁進することを誓ふ。
 
 然し吾等の前途は決して坦々たるものではない。又吾等の力を過信して増上慢になってはならない。現に吾等の享有せる自由が自ら闘ひ取ったものでないことを想ふとき、吾等の打樹てんとする民主々義、吾等の実現せんとする社会主義の基礎は未だ充分に用意されてはゐない。国民の個々人が個性の完成に目醒め、相互に人格を尊重し、社会の連帯性を自覚して教養豊なる人間となることが根本要件であることを忘れてはならない。かゝる国民の結合にして初めて真の文化国家たり得るのである。而してこの事実を備へることによって、初めて世界の信頼を博し道義に基く国際関係を取戻すことも出来る。
 
 同志諸君、既に民主々義革命の歯車は廻転を初めた。やがて社会主義革命の歯車とがっちり組合って、新日本建設の一大運動は前進する。
 
 吾等は過去に於て存分に発揮し得なかった力を此際、此処に凝集して運動の中心勢力たらしめ、吾等団結の力を以て内には国民安堵の理想郷を実現し、外には人類が地球を廻って輪踊りする平和郷を創ろうではないか。
 
 日本社会党の門扉は広く天下に開放されている。
 
 同志諸君、来つて吾等と共にこの歴史的偉業に協力せよ。
 
 右宣言す。
   昭和二十年十一月二日
                       日本社会党
 
*1 原文はネットで提示できない国字だが、旗で代用。
 
附:結党のよびかけ、結党大会招集状
 
*出典は日本社会党結党20周年記念事業実行委員会『日本社会党20年の記録』(日本社会党機関紙出版局 1965)
 
●結党のよびかけ
 
安部磯雄
 高野岩三郎
 賀川豊彦
 
 昭和ニ十年九月十四日
 
 畏くも終戦の大詔を拝し、降伏条項の調印を了し、我が国は未曽有の一大転換期に遭遇することと相成り候。冷厳なる敗戦の現実を直視し、光輝ある国体護持の下、新日本建設に挺身するには、今後に於ける我等国民大衆の責務なりと痛感致し候。敗戦の原因は一にして足らずと雖も、政治を国民大衆の手に取り戻し、政治と国民大衆とを直結することが、建設の第一歩なりと確信仕候。我等同志は既に数十年来この点を強調し、半生を国民勤労大衆の政治力昂揚に捧げ以て国家の進運と人類の福祉とに寄興せんと努力し来りたるもの。この国歩艱難に処して、決意を新にし旧交を温め、広く同志を天下に求めて新日本建設の先躯をなさんと存じ候。旧同志の小結をはかるは吾人の意とするところに無之候へども、旧知のもの先づ久しく相見えざる間の久闊を殺し、意志の疎通をはかるも無意義に非るべしと信じ、茲に左記会合を発起仕候。御多用中、恐縮に存じ候へども、万障繰り合わせ御参集下さらば幸甚の至りと存じ候。
  右御案同申し上げ侯。
 
 一、日時 九月二十二日(土)午前十時
 一、場所 芝区新橋駅前蔵前工業会館
 
                 安部磯雄
                 高野岩三郎
                 賀川豊彦 
 
●結党大会招集状
 
 日本社会党創立準備会   昭和二十年十月十五日
 
 前略
  去る九月二十二日社会運動界の先輩安部磯雄、高野岩三郎、賀川豊彦氏の招請により新党組織に関する懇談会が開かれ、その席上旧同志の大同団結の下、広く天下に同志を求めて社会主義政党結成を申合せました。その後準備委員会の手によって準備が進められ、党名、綱領政策、党則その他当面の諸政策の決定を見ましたので左記の要領により結党大会を開催致します。
  就而は時局下繁忙中とは存じますが、我等同志の前進を盛んならしむる意味に於て御出席下され度、御案内申上候。
 
 一、日時 十一月二日 午前十時−午後四時
 一、場所 日比谷公会堂
                              日本社会党創立準備会
 
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